オーディオドラマ「五の線3」

123.1 第112話【前編】


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5年前

都内マンションの一室。
仁川征爾はここに3ヶ月の間、軟禁状態で警察からの聴取を受けることとなった。
聴取係は山田、高橋、田中の3名。
見るからに偽名とわかるこの3名の担当官、彼ら2名がペアとなり、交代で仁川と向き合った。

取調べは過酷だった。
下間によって連れ去られた当時の詳細から始まって、ツヴァイスタンに入ってからどういう人間と出会ったか。朝目覚めてから夜眠るまでどう言った毎日を過ごしていたのか。待遇は。価値観は。生活環境は。食事は。
どういった統治機構で国は治められているのか。どういった連中が力を持っているのか。軍の状況は。警察の状況は。経済状態は。衛生状態はどうか。微に入り細に入り聴取された。
人間の記憶には限界がある。
仁川は彼らの聴取の全てに答えることはできなかった。
そこで彼らは仁川の潜在的な意識にアプローチする方法を取り入れることとした。
ある日仁川はある場所に連れられることとなる。
それが東京第一大学第2小早川研究所だった。

警察の聴取では自分の記憶をたどることで、彼らの問いかけに応えていたが、ここでの聴取は別物だった。
小早川を前にして目を瞑り、彼の問いかけに自然に答える。
すると次第に当時のあの場所が鮮明な映像となって蘇ってきた。
砂埃まみれの街。近代的とは決して言えない煉瓦造りの低層の家々。舗装もろくにされていない道路にジープのような軍用車が荒っぽい運転で駆け抜ける。遠くから怒鳴り声のようなものが聞こえたかと思えば、自分の洋服を下から引っ張るものがある。
そこに目をやると垢のためかそれとも排気ガスの煤(すす)のためか、顔を黒く汚した幼児が自分に物乞いをしていた。
臭い。得も言われぬ不快な匂いが周囲に立ち込めている。
ひとことで言うとこの場は極めて不衛生だ。
目の前の酷い有様に眼を逸らすように天を仰ぎ見る。するとそこには地上とは対照的な抜けるような青空があった。

「ツヴァイスタンは晴れの日が多いんですか。」
「はい。晴れの日は過ごしやすいです。」
「というと?」
「雨の日は最悪です。都市部はそうでもないですが田舎の方の道路の大半が舗装されていませんから、水溜りだらけになる。標準で不衛生ですから、そこに長雨なんかが続くと病気が蔓延します。」
「あなたも病気にかかった?」
「はい。」
「どういった病気にかかりましたか?」
「腸チフスです。」
「腸チフス?」
「幸い自分は秘密警察の管理下にある身分でしたので、早めに医師に診てもらう事ができて無事回復しました。」
「と言うことはそうでないケースもあると。」
「あの国は労働党員であることが生きる上で最も重要な事です。労働党員でないものは人にあらずです。」

ツヴァイスタン人民共和国はツヴァイスタン労働党による一党独裁の国家。
国家は党の所有物。
つまり議会も行政機関も司法も全て党執行部の下位機関。
上位機関の決定は下位機関にとって絶対的拘束力を持つという民主集中制を採用しているこの国で、支配政党である労働党員になる。これがこの国で人間らしい生活を営むための必要最低限の条件だ。
労働党員でない人間。これはただのヒトという生き物にすぎない。
それは見方によっては家畜と同等であるということだ。

「秘密警察の管理下にあったとおっしゃいましたが、具体的にあなたはどういった任務に従事されていたんですか。」
「主に日本から亡命してきた人を監視していました。」
「日本からの亡命者?」
「はい。亡命者もそうですしツヴァイスタンの政治体制に共感して住み着いた日本人。これらも監視しました。」
「それだけですか。」
「…。」
「あなたのように拉致されて来た人達は。」
「もちろん監視対象です。」
「監視とはどういったことを?」
「ツヴァイスタン労働党員の先輩として彼らに近づき、色々を話して反体制的な思想を持っていないかを調べたり、協力者から密告を受けることもあります。それを上官に報告し対応します。」
「具体的な事例を教えてください。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

首都ベルゼグラードから150キロ離れた地方都市グンリム。
椎名こと仁川は郊外のとある家の前に立った。

ノック音
ドア開かれる

玄関ドアから顔を覗かせたのは、小学校にあがるかどうかの年齢の幼き少女だった。

「お母さんの調子はどうだい?」
「時々起きて編み物とかしてる。」
「そうか。少し良くなったんだ。」
「おじさんのおかげ。」
「おじさん…。」
「うん。ジュコフおじさん。」
「麗。おじさんはやめろって言ったろ。おにいさんだ。君のお兄さんとは10歳しか変わらないんだぞ。」
「ジュコフさんは大人だけど兄さんはまだ子供。おじさんで良くない?」
「良くない。そこいらのおっさんと一緒にしないでくれる?こんなピチピチの男子をさ。」
「ピチピチって…。ジュコフさんって本当に日本語上手だね。」
「…。」
「本当にツヴァイスタン人なの?」
「言ったろ。モンゴル系なの俺。見た目がアジア系だからって勝手に日本人扱いしないでくれる?」
「だってすっごい上手だもん。」
「そりゃ俺頭いいから。」
「あはは。」

仁川は持っていたリュックを部屋の床に置いた。

「どうしたのジュコフさん。その荷物。」
「あぁこれか。ちょっとね。」

リュックから取り出したのはノコギリやミノ、金槌といった工具類だった。

「それでなにするの?」
「それはお楽しみ。あ、そうそう。来月、悠里のやつ夏休みで3日だけここに帰ってくるってさ。」
「え!本当!」
「うん。正確な日にちは決まってないんだけど、成績優秀者だけがもらえる特別休暇みたい。」

嬉々とした下間麗は母親にも伝えてくると言って、部屋の奥に引っ込んだ。

「さてと…。」

タバコに火をつけてそれを吸う音

部屋を眺めた彼はおもむろに窓を外し始めた。

上司 "Это Шимома, но у него дома может быть фотография".「下間だが写真を家に持っている可能性がある。」
仁川  "Фотографии?"「写真?」
上司 "По наводке врача, который выезжает на дом. Он видел нечто подобное в спальне. Чем ты занимался?"「往診に行っている医者からの密告だ。寝室にそれらしきものがちらりと見えたらしい。お前今までなにやっていた。」
仁川 "Простите, сэр".「申し訳ございません。」
上司  "Запрещено хранить СМИ, которые не прошли цензуру тех, кто имеет связи с иностранными государствами. Иди и собери его".「外国とパイプのあるやつの検閲が通っていないメディアの保持は禁止だ。回収してこい。」
仁川 "Как пожелаете.「仰せのままに。」
上司 "Только не усугубляйте ситуацию".「ただことを荒立てるな。」
仁川 "Что ты имеешь в виду?「と言いますと?」
上司 "Асуко находится под контролем Имагавы. Эта бесхозяйственность может быть использована позже".「あすこは今川の管理下だ。この不始末は後々利用できる。」

ー写真…。

奥から麗が戻ってきた。

「ジュコフさん。なにやってるの?」
「ここの家、窓しっかり閉まらないの前から気になってたんだ。たぶんこのガラス窓の枠がちょっと傾いてんじゃないのかな。今日はこれをバラしてつけ直そうかなって。」
「ジュコフさんってなんでもできるんだね。」
「頭がいいからさ。」
「でもくさい。」
「くさい?」
「うんタバコ臭い。」

やれやれと言って仁川は火を消した。

「麗ちゃん。」
「なに?」
「お兄さん、帰ってきてほしいよね。」
「当たり前でしょ。」
「だったらジュコフお兄さんの言うこともきいてくれる?」
「え?なんで。」
「いいから。麗ちゃんとお母さんのためなんだ。俺のいう事聞いてくれないと悠里兄さん帰ってこれないかもしれない。」
「えー。」
「しーっ。」

仁川は麗の口を抑えた。

「写真隠してるでしょ。」
「え…。」

明らかに麗の顔色が変わった。

「お父さん。外国出張多いよね。いまも出張中。そういうお家がその手のもの持ってるとどうなるかわかってるよね。」
「持ってない。」
「嘘言っちゃいけない。」
「持ってないよ。うちにある写真は検閲通ったものだけ。」
「絶対に?」
「絶対。」
「嘘ってわかったらお兄さん帰ってこれないどころか、皆殺しだよ。」
「…。」
「持ってるね。正直に言いな。」

麗は黙ったままだ。

「ふぅ…。さすが悠里の妹だね。肝が座ってる。いいよ。それでいい。」
「…。」
「その写真持ってきな。俺が隠してやる。」
「…。」
「信用していないな麗。」

そう言うと仁川は作業を進めた。
木枠を固定するネジをすべて外し、それを弓なりに持ち上げる。するとそれは簡単に外れた。
木枠にはガラスを充てがう溝が切ってあるが、仁川はそれの一部をミノや彫刻刀のようなものを使って更に彫り込んだ。

「よし。」

どこから取り出したのか一枚の絵葉書大の紙を手にした仁川。彼はそれを筒状に丁寧に丸めて、今切った溝に入れた。

「ほら。ここに入れときゃ絶対にバレない。」
「…。」
「お母さんにちゃんと説明して写真持ってきな。」

再び奥の部屋に姿を消した彼女はしばらくして一枚の写真を手にして戻ってきた。

「これしかないの。私達の家族写真。」

写真には抜けるような青空、レンガ造りのこの自宅を背景に、車椅子に座る下間志乃を囲む芳夫、悠里、麗の姿が写っていた。

「これが他国に渡りでもすれば、ツヴァイスタンの生活水準が推し量られる。絶対に検閲は通らないよ。」
「だから隠してた。」

仁川はその写真を見つめてしばらく動かなかった。

「いいだろう。お兄さんに任せなさい。」

こういうと彼は先程の紙ペラ同様、その写真を丁寧に丸めて木枠にそれを収めた。

「いいか。このことは俺と麗、そしてお母さんしか知らないことだ。俺ら三人の秘密だぞ。もしもバレたらこの中の誰かがチクったってことになるからな。」

麗はうなずいた。

「よし、いい子だ。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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