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「事故じゃなくて殺された。」
「事件として明るみになっていない…。」
「証拠はあるし、誰が犯人なのかも特定済み。」
「法の裁きでは時間がかかる。」
「だから別の方法で…。」
宿に戻っていた古田は夜の帳が落ちた外の喫煙所で、タバコを吸いながらひとりごとを呟いていた。
タバコを吸う音
「で、一色は事件の本質である本多と仁熊会、県警の闇に一度にメスを入れ、それらに社会的制裁を与えようとした…。」
確固たる考えと実績。この二が一色という男の基盤をなしており、なおかつ彼には警察幹部という立場があった。だから一見夢想とも思える世直し劇の実行にも一定の信憑性を持って受け入れられることが出来る。だがその一色ですら村上の反撃に遭い、その計画は頓挫した。
「いやいや…なんで朝戸を一色なぞらえとるんや、ワシ。」
タバコの火を消した彼はポケットに手を突っ込んで、歩き出した。
「あいつはただのテロリストや。」
古田は振り返って宿を仰ぎ見る。
「ははははは!」
「なんかあるじゃないですか。ウォシュレットすると、その刺激でどれだけでも出てくるみたいな。」
「そんな話、初対面の人間にします!?」127
「ワシのゲス話にも付き合える、心の広い中年男性にしか見えんがやけどなぁ…。」
再び古田は歩き出した。
仮に朝戸のテロ事件も一色と同じような世直し的意味合いを持って実行されたとしよう。しかしそれでどう世直しが図られたというのか。
妹をひき殺したのはあくまでも最上の息子だ。だがこの息子本人には制裁が科せられていない。もみ消そうとした最上本人は殺害という方法をもって処罰されたが、殺害の隠蔽をしたのは最上の力によるものだけではなく、警察の組織体質からくるものでもある。この警察組織の改革のきっかけも作らず世直しの意味合いは見いだせない。
また最上を殺害するのになぜノビチョクという入手困難な化学兵器をわざわざ使用したのか。入手困難ゆえ時間がかかるが調べればそのルートは特定できる可能性は高く足がつきやすい。またノビチョクの使用には一定の注意が必要であり、その保管、運搬にも気を遣わなければならず、素人である朝戸がそこに介在する合理性を見いだせない。
「朝戸が自分の意思でノビチョクを使ったと考えるのは、ちょっと無理がある。…となると誰かが朝戸にノビチョクを使えと入れ知恵したか…。」
朝戸の背後に何者かがいる。
しかしその存在はなぜノビチョクを朝戸に斡旋したのか。
どうしてその存在はノビチョクを手に入れることが出来たのか。
「ノビチョクという化学兵器をあの場所、あのタイミングで使用させること自体に意味があった?」
このときリュックを担いだロシア系の男が現れた。
午前にもマッチョなロシア系の男と遭遇したが今度の彼はどちらかというと華奢な体つきだ。
一瞬目が合ったが、今度の彼は古田に愛想しない。むしろ気配を消しているようにも思える。
彼は携帯をいじりながら、集合住宅の民泊の中に吸い込まれていった。
「何なんやあいつら…。」
ふと古田は足を止めた。
「あ…そうや…。」
「ツヴァイスタンの仕業じゃない…と。」
「はい。」
「どういうことや。」
「イギリスの事件にツヴァイスタンのエージェントが関与していた実績だけです。今回もツヴァイスタンの仕業じゃないかって騒いでいる人たちの根拠っていうのは。単なる憶測ですそれは。根拠にならない。」
「そんなもんや、世論っちゅうモンは。」
「都内の病院でテロ。被害者も多数。犯人に憎しみしか抱きません我が国の国民は。そんな結果を得てツヴァイスタンになんの得があるっていうんです。」
「得…。」
「ええ。テロというものは政治的目的を完遂するための手段に過ぎない。あの国と我が国は最近は友好ムードが流れています。それもあの国が我が国の安全保障体制の強化を脅威に感じるようになり、反日よりも親日のほうが得るものが多そうだと判断し始めたからです。」
「ほうや。」
「せっかくその基礎工事が出来つつあるというのに、ここでそれを壊す利点があの国にどうしてあるのか。ちょっと考えればツヴァイスタン犯行説なんかとるに足らないものだとすぐわかるはず。」
「そんな正常な判断が我が国の国民ができんくなっとる。それを顕にしたのが今回の事件の本質ってか?」
「はい。」
「なるほど。」
「みんな肝心のことを忘れています。」
「なんや。」
「先日の犀川のテロデマ事件の犯行予告です。」
「ウ・ダバか。」
「はい。」
「ウ・ダバはあの声明で現在のツヴァイスタンを弱腰と断罪しています。なぜかと言えばツヴァイスタンが最近、我が国と接近しているからです。仮に今回のテロ事件がツヴァイスタンによるものならば、ウ・ダバはあの国と再びかつての共闘関係になり、今回の行動を称賛することでしょう。ですがウ・ダバはなんの反応も示していません。もちろんツヴァイスタンによる犯行声明がまだであるということも理由のひとつでしょうが、おそらく自身の関係者の犯行であるためだんまりを決め込んでいるんでしょう。」
「なぜ黙る。」
「ノビチョクという神経剤が使用されたということで、ツヴァイスタンに疑いの目が向けられているからです。ツヴァイスタンに監視の目が行き、仮にあそこに何らかの精細が課せられるとなれば、ウ・ダバとしてはざまぁみろってところでしょう。だから現在のところ様子見なんです。」22
古田は自分の頭をぴしゃりとたたいた。
「あー…やっぱワシ頭どうかしとる…。相馬とこんなやりとりしとったんやった…。」
「レフツキー・ヤドルチェンコ。」
「ん?」
「ウ・ダバの協力者と思われるこの男が密かに東京に潜伏しています。これがウ・ダバ犯行の可能性のひとつです。」22
「ウ・ダバ…。まさかこいつら…。」
気づくと古田の足取りが速くなっていた。
一刻も早くこの場から距離をとりたい。
その気持ちが彼をそうさせているのだろうか。
「朝戸慶太自身がウ・ダバである可能性も捨て切れん…。」
なんだこの感覚は。
ありとあらゆる場所から敵意を感じる。
いま自分が歩く住宅街、いや町全体が圧倒的な威圧感を醸し出している。
絶体絶命。
今の古田には、恐怖という感情しか沸いてこない。
気づくと古田は駆け足になっていた。
「この朝戸、一昨日に東京からこの金沢にやってきた。宿泊先は東山の宿だ。」
「…あんた、どこのモンや。」
「…どこの人間だろうが、お前には有益な情報だろう。行動は起こしておいたほうがいいと思うぞ。」121
「あいつ…あいつもまさか…こいつら同様、ウ・ダバやったんか…。」
心拍は上昇、息が上がり妙な汗が首筋に流れる。
「まて…ワシ、どこに向かっとる…。」
彼はふと足を止めた。
と同時に体中から汗が噴き出した。
そこに4月の夕風が古田の体にそよそよと吹き付ける。
清涼を纏うことができた彼は辛うじて平静を取り戻すことが出来た。
「ここから逃げてワシはどこに居くっちゅうんや…。」
振り向くと向こう側に自分と朝戸が宿泊する民泊、ロシア系と思われる人間が数多く止まるアパート民泊がある。
「時間の使い方は古田さんの勝手ですが、それにこちらを巻き込むようなことはお控えください。」117
「ワシは公安特課や…。あいつらがもしもウ・ダバとかならワシが監視せんでどうするんや…。」
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