オーディオドラマ「五の線3」

152 第141話


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古田は目を覚ました。
枕元のにある腕時計を手にすると、それは8時を示していた。

「え!?」

前日の疲労の度合いが何であろうと、いつも朝5時には目が覚める。それが今日は3時間も寝過ごしてしまった。
彼は飛び起きて、部屋に唯一ある窓を開け外の様子を見た。

今は4月30日木曜。4月29日水曜は古田にとって激動の一日だった。
古くからの友人、公安特課の富樫に朝っぱらから休んでじっとしてろと言われ傷つき、ぶらぶら外を歩いていたら妙な男と接触。彼から東京のノビチョク事件のホシが朝戸慶太であるとリークされ、その朝戸が潜伏していると思われる東山へ向かう。東山周辺で朝戸を探っているときに偶然、本人を発見。彼を追って行くとある寺に行き着いた。
そこでその寺の住職が登場。住職は聞きもしない朝戸の身の上話を古田に披露。挙げ句、古田のことを警察の人間だと見抜く。すると彼はその場で気絶。目が覚めると朝戸が目の前に。朝戸が自分を宿まで運んでくれたとのことで、その礼にボストークセバストポリで昼を一緒に過ごした。話す限りノビチョクなんてとんでもない化学兵器を使用して、人を殺すような人間に見えない。ごく普通の中年男性。むしろこんな老いぼれに気を遣う心優しささえ感じさせる。
しかし心のどこかでこの社会に対して何らかの闇を抱えているのは分かった。
そして宿に戻り周辺を散策。すると宿の周辺から敵意というか威圧というか、妙な圧迫感を感じた。
最近、ロシア語的な言葉を話す人間が大挙してこの辺りに滞在している。
ここで古田は国際テロ組織ウ・ダバの存在を疑うこととなったのだった。

古田はカメラバッグからおもむろに一眼レフカメラを取り出した。
そしてそれを窓の外に向けて構える。

「特に動き無し…か。」

昨日の夜、宿に戻った古田は今手にしているカメラに暗視レンズを装着。
近くの集合住宅型の民泊施設の様子を覗っていた。
時折外に出て行く人間はいたが、それらが皆一人。
複数名で行動するものは居なかった。
彼らの動きは22時を持ってパタリと止まっていた。

「ワシが見る限り外に出て行って、そのまんま帰ってこんって奴はおらんみたいや…。みんなちゃんと帰ってきとる。」
「酒盛りみたいな事すりゃ、それなりに騒がしくなるようなもんやけど、そうじゃないしな…。」
「あいつらあの中でなにやっとるんや…。」

引き戸を開ける音

居間の扉を開くとテーブルを拭き上げる宿の主人の姿があった。

「おはようございます。」
「あぁ、おはようございます。」

朝食出すのでお待ちくださいと言われ、古田は手近な場所に座った。
8畳程度の部屋には古田ともう一人。
彼はスマホに目を落としながら朝食を食べている。
真っ白なご飯に味噌汁。卵焼きにキャベツの千切りとスライスハムとソーセージ。梅干しと昆布の佃煮、納豆もある。
なんとも正しい朝ご飯ではないかと思わず古田は笑みをこぼした。

「はい、朝ご飯です。」

改めてうれしさがこみ上げた。
湯気を立ち上らすご飯と味噌汁。輝かんばかりの存在感だ。
もうこれと梅干しだけで何倍でもご飯がいけそうだ。
古田の表情を察したのか主人は言葉を付け加える。

「ご飯と味噌汁のおかわりはご自由におっしゃってください。」

この主人の言葉は古田の心を躍らせた。
ふと先に食事をしている彼を見る。すると彼はこちらの方を向いてにっこりと頷いてくれた。

ーこれはワシに思う存分行けってことやな…。よし。

古田は合掌した。

「いただきます。」

まずは何はともあれご飯だ。箸でそれをつまんだ古田はそれを目の前に引き寄せて様子を見る。
シャッキリとしており、水気を十分に含んでいるためだろう、一粒一粒が輝いて見える。
そこに豊かな湯気が立ち上る。古田はそれを口に放り込んだ。そして二度三度噛む。
刹那一陣の風が拭いたような気がした。

「うまい。」

味噌汁を飲む音

「あぁ…。」

ふと先客を見る。彼は主人にお代わりを頼んでいた。

ーそうだ。そうなるわな。絶対にそうなる。いや、そうならないはずがない。

古田は完全に朝食と自分だけの世界に入り込んでしまった。

「ごちそうさまでした。」

なんだこの多幸感は。
どうして宿の朝食というものはもうも旨いのか。
同じ食事を同じ朝に自分の家で食べてもここまで満足しない。
この仕組みを説明できる人がいるなら、教えて欲しい。
ここが分かればそれで商売できるはずだ。

「あの、ワシをここまで運んでくれたあの方、もうここ出ちゃいました?」

食事を終えて部屋を出る古田は主人に尋ねた。

「あぁあの人ですね。1時間ほど前に出て行かれました。」
「早いですね。」
「朝の散歩っていう人結構いらっしゃいます。」
「なるほど。」
「チェックアウトしたわけじゃないので、戻ってきますよ。いつになるかは分かりませんが。」
「あ、わかりました。ありがとうございます。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ドアを開く音

「待っていたよ。入りな。」

彼は男を店の奥に招き入れた。

「ナイトだな。」

男はうなずく。

「大丈夫か。誰かに付けられてないだろうな。」
「分からない。」
「分からない?」
「はい。」
「…そういうのは困るんだ。」
「俺はプロでも何でも無いんだ。」
「まぁ…。」

マスターため息。

「朝飯は食ったのか。」
「少しだけ。」
「食っていけ。用意する。コーヒーは飲むか?」
「はい。」
「タイミング良いよ。ちょうど今淹れたところだ。」

朝戸の前に大きめのマグカップでコーヒーが出された。

「ありがとうございます。」
「それとこれ。」

QRコードが表示されたスマホの画面を朝戸は見せられた。

「何ですかこれ。」
「こいつ読み取って、そこブックマークしておいて。」

朝戸は言われたとおり自分スマホをかざしてそれを読み込んだ。
すると飛んだのはとある商品のキャンペーンサイトだった。

「何です…これ…。」
「お前さんだけのためのウェブサイトだよ。」
「ん?」
「ほら一番最後にシステムメンテナンスってところがあるだろう。」

朝戸は画面を一番下までスクロールする。
たしかに真ん中に小さめのその文字があった。

「それは隠しリンクだ。その中にお前さんの欲しいものがある。」
「ここから先、見ても良いんですか?」
「いい。だが見るだけにしておけ。決してそこから先は行くな。」

朝戸はシステムメンテナンスの文字をタップする。
すると画面の中央にGOと書かれたボタンのようなものがあるだけのページになった。

「起爆装置だ。」
「起爆装置?」
「あぁ。明日こいつを使え。お前の望む派手目のことが起こる。」

朝戸の目つきが変わった。
そしてほくそ笑む。

「いいか。実行の時までは絶対にこのボタンは押すな。その時になったら躊躇わずに押せ。」
「わかった。」
「後は存分に暴れろ。」
「任せてくれ。」

ドアが開かれる音

「やってる?」

男二人が店に入ってきた。
瞬間、マスターの目つきが変わった。

ーやってる?じゃねぇよ…。やっぱり付けられてるじゃねぇか…。
ーこんな店に朝から大のおっさんが雁首並べて「やってる?」なんかあり得んよ。

「営業時間は昼は11時から15時。夜は18時から26時って口コミサイトに書いてあったんだけど、ほら。」

男は奥に座る朝戸の方を見る。

「お客さんが入っていったから、まさかと思ってさ。」
「たまに気が向いたときに開けてるんですよ。」
「へぇ。」
「ささ、どうぞ。」

マスターは男二人をカウンターに座らせようとした。

「あー奥の方が良いかな。」
「奥ですか?」
「うん。あのお客さんと同じのボックスの方が良いな。」

ーうーん。グイグイ来るな…。

「あ、どうぞ。お好きな席に。」
「ありがとう。」

男二人は椎名朝戸の対角の席に座った。

「いやぁ人気の店って聞いてたから、ラッキーだわ。」
「ありがとうございます。」
「ところでこの店のボストークって名前、何語?どういう意味?」
「ロシア語で東って言う意味です。」
「ロシア語?え?何でロシア語?」

偶然店に入ってきた割には質問攻め。
一方の男がマスターと会話をし、もう一方の男は朝戸と店内の様子を観察する。

ー完全にアレだなこいつら…。

妙な空気感になった店の様子を察した朝戸は席を立った。

「お会計お願いします。」
「ありがとうございます。」
「ディンギで。」
「はいお願いします。」

ディンギ音

「ありがとうございました。」

店から出て行った朝戸を目で追った男二人はお互いを見合った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「対象、店を出ました。」
「変わった様子は。」
「特にありません。」
「しばし待機せよ。」
「了解。」

朝戸観察班の班長はしばらく考える。
そしておもむろに無線のマイクに口を近づける。

「朝戸班から本部。」
「はい本部。」
「朝戸にバンかけしようと思います。」
「なぜ。」
「いまボストークという店に入って出てきました。」
「ボストーク?」

このボストークで椎名は片倉京子と接触を図っていた。
ここでまたもボストークという単語を聞くことになり、富樫は驚いた。
もしやこの店も先のネットカフェ同様、椎名の妙な行動の拠点となっているのではないか。

「はい。駅前のカフェのような店です。営業時間外に店に入って、しばらくして出てきました。」
「営業時間外に?」
「はい。気分で店をやってる時があるとかで、朝戸はコーヒーを飲んでそのまま店から出て行きました。」
「臭いな。」
「いいですか?」
「よし頼む。」
「了解。」
「あ、あと。」
「何でしょう。」
「ボストークの中も調べろ。」
「了解。」

班長は無線の周波数を変えて話しかける。

「こちら指揮所。ボストーク聞こえるか。」
「はい。こちらボストーク。」
「店の中を改めて報告されたい。」
「了解。」

「よし。俺らは対象のバンかけだ。」

車の中から班長ともう一人のスタッフが飛び出した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

タバコを吸う音

「ふぅー。」
「ぐ…う…。」
「おっと。」

サイレンサーで打ち抜く音

横たわった遺体から無線機を取り出したマスターは、イヤホンを装着する。

携帯呼び出し音

「私です。」
「どうした。」
「訳あって公安二名消しました。」
「え?」
「遺体はこちらで処理します。」
「わかった。だがこれからどうするんだ。」
「ヤドルチェンコに頼んでなんとかします。」
「いや、ここでヤドルチェンコとなるとさらに公安を引き寄せてしまう。」
「ではどうすれば。」
「わかった。ここは俺に任せてくれ。」
「申し訳ございません。矢高さん。」
「はぁ…。てか何があった。」
「朝戸ですよ。」
「朝戸?朝戸がどうした。」
「公安連れて来やがりまして。」
「あぁそういうこと。」
「はい。」
「まぁ素人だから、そういうこともあるだろう。」
「にしてもですよ。」

「こちら指揮所。ボストーク聞こえるか。」

「あ、ちょっと待ってください。」

「はい。こちらボストーク。」
「店の中を改めて報告されたい。」
「了解。」

「なんだ。」
「店の中改めろと言ってます。」
「適当に返しておけ。こちらで調整する。」
「しかし消した二人をどうすれば…。」
「それ含めて俺がやる。マスター、あんたはこのことをヤドルチェンコに悟られないようその場を取り繕ってくれ。」
「わかりました。」
「ではまた。」

矢高はため息をついた。
そしてスマホの画面に指を滑らせ、テキストを入力する。

「公安特課二名欠員。対応されたい。」

しばらくして了解との返事が返ってきた。
それをしまった矢高はひとり呟く。

「冴木ひとりに頼る状況がこうも続くのは良くない…。」

神妙な面持ちで彼は車のハンドルを握った。

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