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「世に出ないように緊急逮捕で身柄を抑えましょう。」
「逮捕後の立証が難しいのだぞ。」
「しかしこのまま指を咥えて待つというわけには…。」
「もちろん。そのつもりはない。」 146
百目鬼が捜査員にこう答えたときのことである。
男が若林の元にやってきて彼に耳打ちした。
「なに…。」
「どうした?」
松永が若林に聞く。
「椎名賢明が金沢北署に出頭したようです。」
「なん…だ…と…。」
特高上層部三名の表情が明らかにおかしい。この場の皆がそう感じとった瞬間だった。
「ゲンタイどころじゃありません。」
「確かに…。」
「いかがしますか。松永課長。」
この百目鬼の問いに松永は額に手を当てて考えた。
松永の考えはこうだった。
椎名の居所はネットカフェ爆発事件後の数時間を除いて24時間監視出来ている。事件後、彼の監視要員も補充した。よほどのことがなければ今後巻かれると言うことはないだろう。テロの予定日は5月1日。明日だ。工作活動の主犯である椎名がこのまま何の動きも見せずにテロが実行されるとは考えにくい。彼自身がテロの実行犯にならずとも、実行の合図とか指示のようなものを出すはずだ。それを掴んでその場で確保。タイミング良ければ椎名のみならず、実行部隊の足止めもしくは検挙までいけるかもしれない。
しかし今報告が入った椎名の行動は、その松永の思惑を完全に外させたのだった。
「…パクる手間が省けたんだ…。良しとしよう。椎名を落とせばそれで良い。」
「ではこの帳場は。」
若林が松永に尋ねる。
「継続だ。椎名賢明の直接的な脅威が消えただけで、テロそのものの脅威が消えたわけじゃない。そこを封じ込めるよう方針を変更して仕切ってくれ。」
「かしこまりました。」
「百目鬼。ちょっと。」
松永と百目鬼は捜査本部から退出した。
「どう思う。」
「怪しいですね。」
「だよな。」
「私が石川に行きましょうか。」
「頼めるか。ここは俺と若林で仕切る。」
「お任せください。」
「ちょっと待ってください。」
割り込んできたのは片倉だった。
「理事官直々に石川に行かんでもいいです。石川は自分が土地勘あります。」
「おい片倉。お前大丈夫なのか。」
松永が心配そうに片倉を見て言った。
「しばらく寝たら案外すっきりしました。」
百目鬼はあきれた表情で片倉を見る。
「ここはあくまでも大本営。現場は石川です。戦略的なものは松永課長にお任せし、私は現場に入って動きたく存じます。」
「何言ってる。お前は特高の班長だ。」
「若林警視正がいらっしゃいます。自分より適任です。」
「おい片倉。」
「行きたいんです。」
松永を片倉は遮った。
「行かせてください。放っておけません。」
「…。」
「自分はやはり現場踏んでなんぼの人間です。大所高所からの戦略眼はどうもなさそうです。現にここまで仁川に攻め込まれました。」
「それはお前が悪いとかの話ではない。」
「行かせてください。仲間がもがいているんです。」
松永は百目鬼を見る。
百目鬼はうなずいて口を開いた。
「片倉。俺についてこい。」
「え。」
「俺の補佐をするって言うなら良い。お前単独ではだめだ。」
「なんで。」
「頭数は多いに越したことはないだろう。」
片倉は松永を見る。
彼は諦めた様子で首を縦に振った。
「たった今から特高は若林に仕切らせる。若林にはテロ防止を主眼に目を光らせる。お前らふたりは今すぐ石川に向かえ。」
「はい。」
「百目鬼。陶に関してはこちらに任せろ。手は打ってある。」
「わかりました。」
「課長。ひとついいですか。」
「なんだ。」
「石大病院での人体実験の疑いについて、厚生省のほうの動きはいかがでしょうか。」
「すでに医政局から石大に人員が派遣されたそうだ。認知症の専門医も複数名同行していると聞いている。」
「小早川研究所の件は。」
「文部省と厚生省との間で調査を始めることになっている。人体実験も小早川研究所も警察はその後に動く。我々の目下の優先事項はテロ防止だ。」
「流石です。松永課長。名采配です。」
「気持ち悪い。片倉。」
「でも悪い気しないでしょう。」
「…まあ…な。」
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「なんて言えば良いんかわからん…。」
「…すいませんでした。」
椎名は富樫に向かって頭を下げた。
「ツヴァイスタン人民共和国内務省警察局警備局。通称オフラーナ。」
「お前はその所属か。」
「はい。」
富樫はまたもため息をついた。
「なんでここで出頭した。」
「もう無理でした。」
「何が。」
「実際、昨日犠牲者を出してしまった。事後のあの状況をテレビで見て自分のやったこと、これからのことを考えると耐えられなくなって。」
「これからのこと?」
「はい。」
「それは?」
「明日、金沢駅でテロが実行されます。」
「なにっ!?」
富樫ははじめてそのことを知ったようなふりをした。
「何が起こる。」
「金沢駅構内に仕掛けられた爆発物が爆発します。その量は今回の爆発の比じゃありません。」
「明日のいつや。」
「18時。」
「帰宅ラッシュやがいや。」
「はい。」
「それは椎名。お前が仕切っとらんか。」
「はい。」
「ということはお前が止めれば、実行されんがか。」
「すべてとは言えませんが一部は。」
「ちょっと待っとれ。」
富樫は席を立った。
「待ってください富樫さん。」
「なんや。」
「まずは私の話を聞いてください。自分が言うのもアレですが、構造が複雑なんです。全体を把握してから報告してください。」
「内容の把握よりもテロを止めることが先決や。とにかく責任ある人間をここに同席させる。」
「だめです。」
「なんで。」
「どこにオフラーナの協力者がいるかわかりません。」
「信頼できる上司や。」
「その人は信頼できるのかもしれませんが、そこから先はわかりません。」
「ワシひとりやとそんな重い話、受け止めきれん。せめてもう一人同席者をつけさせてくれ。」
「だったら黙秘します。」
「なんで。」
「私は富樫さんだから話すんです。」
「なんでワシなんや。」
「一緒に暮らしている間柄じゃないですか。」
富樫は言葉を失った。
「ある意味家族よりも濃密ですよ。あなたと自分の関係は。」
「…いつから。」
「さぁ…。」
この局面で、平気にブラフを仕掛ける椎名の存在が怖かった。
同時に良心の呵責に耐えきれなくなって出頭してきたとの言葉が信じられなくなった。
富樫は正直にその感情を顔に出した。
「家族同様のあなたにだけ話したいんです。すべてを。」
「…。」
「あなたが誰に相談をするかは自由。ひとまず富樫さんが私を受け止めてください。」
「…。」
「記録係もいますから、厳密に言えば富樫さんひとりが受け止めるわけじゃありません。」
富樫は記録係を見る。
彼は意を決したような表情でうなずいた。
「…わかった。」
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「きた。」
モニターには地図が表示されている。
その左下にはスライダのようなものが配され、そこを左から右に移動すると地図上にある複数のピンのようなものも合わせて移動するように表示された。
「これでできたかな…。」
「おおっ!」
リーゼント頭の卯辰次郎が雨澤のデスクをのぞき込んだ。
「雨澤のカシラ!やりましたねぇ!どうやってやったんですか?」
「機械学習的な…。」
「すごい!ヤバい!間違いないッ!」
なんだ次郎のこのテンションの高さは。
ここで雨澤はまさかと一郎と距離をとった。
「何スか。自分、シャブやってませんよ。」
バレた。
殺される。
雨澤が恐怖におののくのをよそに、次郎は電話をかける。
「カシラ。雨澤のアニキやってくれました。はい。…そうですね…。」
次郎は横から手を出し、雨澤のマウスを操作する。
「一カ所にとどまる感じはありません。ただ、どうも変装をしてるみたいですね。…ええ、付けひげしてたり、サングラスかけたり帽子被ったり、マスクしたり。…いずれにせよ、こいつが金沢市内にいるのは間違いなさそうです。はい。はい…。わかりました。その辺りのドサ回りは自分がやります。」
「お疲れ様でした雨澤さん。ひとまずホテルで休んでください。」
雨澤はカードキーを渡された。
「このすぐ側のホテルです。ここで羽伸ばしてください。自分、仕事あるんでこれで失礼します。」
「あ、はい。」
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「レフツキー・ヤドルチェンコ。」
「はいそうです。」
「元ロシア対外情報部情報員。雑貨商、武器商人、中国共産党の情報機関顧問。ウ・ダバの教育係も請け負っとるとの話もある。」
「そのとおりです。」
「そのヤドルチェンコがなんや。」
「今回のテロ事件の有力なスタッフです。」
「なに?」
「自分はテロ全体の画を描いて指揮をする。奴はその補給、段取りなど具体的な部分を仕切る。」
「…具体的に。」
椎名は今回のテロのプロデューサーであり、ヤドルチェンコはディレクターのような存在である。
椎名ひとりでは今回のテロは彼一人の夢想でしかなく、それを実現するためにオフラーナのからの依頼を受けてヤドルチェンコが噛んできた。ヤドルチェンコは日本に潜むウ・ダバ構成員をオーガナイズし、ここ石川にテロの実行部隊を展開している。彼ら実行部隊が、椎名へ関係者の動きを逐一様々な方法で知らせ、物資等を供給していた。その中には武器の類いも含まれる。
このようなことを椎名は富樫に供述した。
「ヤドルチェンコの強力なバックアップがあって、お前のテロ計画は実行へ着実に進んだ。そういうことやな。」
「はい。彼なしではここまで進められませんでした。」
「昨日のあれもヤドルチェンコが?」
「はい。公安特課が私の周辺をどぎつくマークしてるので、ヤドルチェンコが手を回してくれました。」
「ヤドルチェンコはどこに?」
「それは私にはわかりません。」
「ヤドルチェンコと直接会ったのはいつだ。」
「会ったことはありません。」
「どうやってコミュニケーションをとっている。」
「向こうからいろいろな方法で私に接触をしてきます。私はそれに応じるだけです。」
「お前からヤドルチェンコにアクセスする方法はないと?」
「いいえ。」
「ではどうやって奴と接触する。」
「空閑ですよ。」
「空閑?」
「はい。ご存じなのでは。」
ーこの椎名…どこからどこまでワシらのこと把握しとるんや…。こいつはうっかりこいつの言うこと鵜呑みにできんぞ…。ひょっとするとここでワシがこいつの相手をすること事態が、こいつの思うつぼとかって事もありうる。テロを止めるまでの時間稼ぎとか…。
「ご存じでない?」
「ワシは知らんが…。」
「ビショップ。」
「…。」
「クイーン、ナイト、ルーク。」
「…。」
「そしてキング。」
椎名は自分を指さす。
「嘘はいけませんよ富樫さん。」
富樫の心を見透かすように椎名はたたみかける。
「私はすべてを明らかにするためにここに来たんです。それをあなたが嘘を持って対応をすると言うなら私はここで供述をやめます。」
富樫は右手の平で自分の顔を拭った。
「すまん…ワシが悪かった。…だが。」
「だが?」
「お前も嘘はなしやぞ。」
「私が嘘を言う理由がありません。」
「どうして。」
「私はこのテロを止めてほしいんです。そのためにここに来たんです。」
「なぜこうも冗長に説明する。止めればそれで終わりやろ。」
「だから言ったでしょう。関係者が多すぎるんです。ある部分だけ止めても止めてない部分が実行します。」
「お前とヤドルチェンコを押さえればそれで終いや。」
「違います。」
「どう違う。」
「それは追々説明します。とにかく私がヤドルチェンコにアクセスするには空閑を介して出ないとできません。」
「なんで。」
「私もまた監視される立場ですから。」
「…だれに。」
「オフラーナ。」
「…徹底しとるな。」
椎名はうなずく。
「二人の間だけで何事かを秘密裏に進行させるようなことは絶対排除です。どこかを経由して必ずその情報はオフラーナに入ることになっています。」
「だからヤドルチェンコとも距離がある。か。」
「はい。なので私からヤドルチェンコにストップをかけることも難しい。」
「空閑という第三者を介するから。」
「そのとおり。」
「ならその空閑もこちらに落とせば良いのでは?」
「その先はどうします?」
「…。」
「その先の先。そのまた先の先の先は?」
「無理ゲーやな。」
「そこで私から提案があります。」
「なんや。」
「私が公安特課のスパイになります。」
思いがけない椎名からの提案だった。
「今までと形は変わりません。私の脳みそがオフラーナから公安特課側にすげ変わるだけです。外見上は何の変化もありません。彼らは偽の情報を私に掴まされ、知らない間に公安特課の網にかかる。これがテロを未然に防ぐ手っ取り早い方法かと。」
「…。」
「テロを目前にまでひっぱって、関係者を一網打尽に検挙。この方法ならそれすらも可能かと思います。」
「話が出来すぎとる。」
「…。」
「まるで今のこの状況になることさえも、椎名、お前が望んどったかのようような展開やな。」
「と、言いますと。」
「自分が公安特課のモグラになること。このこと自体がお前さんの計画そのものなんじゃないか?」
「富樫さんがそう判断するのならそうなんでしょう。これは提案です。公安特課の皆様で判断ください。」
「…。」
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「え?」
案内された部屋の前に立つと、そのドアの立派さ、入り口の造作の凝った感じに雨澤戸惑った。
「ここは…。」
「当ホテルのスイートルームになります。」
「ええっ!」
「ささ、どうぞ。」
部屋の扉が開かれそこに通されると同時に、偶然廊下を歩いて来た白人がこちらの様子をチラリとのぞき込んだのを感じとった。
瞬間、雨澤の背筋に悪寒が走った。
ーあれ…。なんだこの感じ…。
どこかで感じた妙な感覚だった。
「お客様。どうされました?」
「あ、あぁ…。」
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