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金沢駅隣接のファッションビル。
「どうや。」
「あ!古田さん!」
「しーっ。声でかい。」
「あ…すいません…。」
久美子の様子を監視している協力者と合流した古田だった。
「ほらあのちょっと奥まったところあるでしょ。」
エレベータ乗り場に休憩スペースのようなものがある。そこから奥のトイレと喫煙所に続く通路があり、その方面を男は目で指した。
「いまあそこにいます。便所でも行ってんでしょうか。」
「で、どんな感じで久美子を?」
「遠巻きに見るだけです。何気なくこのフロアを歩いて店の前をちらっと見てって感じです。かろうじてここのフロアは最近雑貨店ができたんで、あいつみたいな男がいてもまぁアリなんですが、レディスのショップしかないフロアだったら目立ちまくりますよ。」
「久美子は?」
「店の奥です。」
古田は男の手を握った。
「報酬や。ワシと交代や。」
「いいんですか?Aに顔割れてるんでしょう?」」
「問題ない。ばれんようにここであいつの監視をする。」
「…わかりました。」
男は古田に軽く頭を下げて、この場を後にした
「何やってんのよ。」
背後から声をかけられた。
「その声はマスター。」
「目立ちすぎよトシさん。」
森は古田を喫煙所へ連れ込んだ。
「いい?ここは流行の最先端のファッションビル。トシさんみたいな格好かまわないお爺さんが居るだけで浮いちゃうの。」
「ほやけど。」
「大丈夫なの?身体調子悪いんじゃないの?」
「ワシの身体?」
「そうよ。おととい物忘れヤバかったじゃん。」
「おととい?」
「今日は何月何日?」
「え?」
「いいから。」
「4月30日」
「曜日は?」
「木曜。」
「これはこれで変ね…。」
「おいマスター。なんねん。」
「問題ないなら良いのよ。あのとき疲れてただけかしらね。」
「ほんなにか。」
森はうなずく。
「なぁマスター。ワシ、あんたの言うとること分からんでもないげんわ。」
「え?」
「なんとなくワシ変なこと言うとるなぁってのは、相手の反応見てわかっとった。」
「…。」
「ただワシの何が相手をそういう反応をさせとるんかまでは分からんがや。」
「…。」
「けどいまマスターと話して分かった。ワシ、知らんうちに記憶がおかしな事になっとるって事なんやな。」
本人を前に森は反応に苦慮する。
「いわゆる認知症状や。」
「でも今のトシさんはそんなじゃない。」
「そりゃ始終ほんな状態やと、ワシ完全に施設やわ。まだらな状態ってわけや。」
「…。」
「けどこのまだらってのも具体が悪い。同じ事何遍も聞いたり話したりしてしまうからな。」
「ある程度年とった人はみんなそんなもんよ。」
「あのなマスター。」
神妙な面持ちで古田は森を見る。
「何よ…。」
「認知症の戯れ言として受け止めてもらってかまわんが、ひとつ頼まれてくれんかな。」
「戯れ言で頼みは嫌よ。」
「じゃあ本気で頼む。」
茶化せない。この場に自分以外のものが居たとしても、絶対に誰もが断ることなど出来ないだろう。そう思わせる何かがこの時の古谷はあった。
「これ渡しとく。」
古田は森に鍵を手渡した。
「なに…これ…。」
「ウチの鍵。」
「え…。」
「ワシにもしもの事があったら、こいつをウチの娘に渡してやってくれんか。」
「え…何言ってんのよ…トシさん。もしもって何よ…。」
「もしも言うたらもしもやわいや。」
「ちょっとちょっと。」
「娘の住所ここに書いとくさかい。」
紙の切れ端にペンを走らせる。
「ちょいちょい。待てま。」
「あん?」
「待て言うとるやろ。何勝手なこと言うとるんや。」
「マスター。」
古田の目は鋭い。
馬鹿なこと言うなとたしなめようとした森だったが、脅迫にも似た古田の視線を前に言葉を飲んでしまった。
「心配ない。あんただけに頼んどるわけじゃない。同じ事は同僚にもお願いしとる。」
「は?」
「あんたと同じ反応やった。ほやけどあいつは察してくれた。マスターなら同じくワシを見送ってくれるはず。」
「ちょっと…勘弁してよ。あんたにもしもの事があったら、久美子はどうするのよ。」
古田はため息をつく。
「そんときはそんときで。」
「何をするって言うのよトシさん。」
「何もせん。」
「何もしないのになんでもしもの事?」
「…なんかな…数日後の自分の姿が想像できんがや…。」
「自分の姿が想像できない?」
「ああ。急にな。その物忘れみたいな症状が出るようになってから、数日後もいつも通りに自分が飯食って、酒飲んで、タバコ吸って、誰かを張り込んで、仕事してみたいな状況が想像できんくなってしまったんや。」
「…。」
「こんなことは今までに無い。必然的に死が頭をよぎる。」
「やめて。」
「やめたところで後始末が大変なだけ。ほやからマスター。あんたに託したい。」
「なんで私にも?その同僚さんだけでいいじゃない。」
「あんときは良かった。」
「え?あんとき?」
「あんときはほんで良かった。けど今は違う。嫌な予感がするんや。」
「嫌な予感?」
「その為の保険。マスターは保険や。」
そう言って古田は森の肩を叩いた。
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「向こうから接近してきたら別やが、決してあんたや久美子の方から対象とはコミュニケーションはとるな。」
こう古田に言いつけられた森は自分の店の中に入った。
「おはようございます。社長。」
久美子が森に挨拶した。
「おはよう。今日のおつり持ってきたわ。」
「ありがとうございます。」
「最近の売上、あまりぱっとしないわね。」
「すいません。SNSでコーデとか流してるんですが…。」
「ファストファッションの影響かしら。」
「捨てきれません。」
「私らにしか提供できない価値を提供する。そこをもう少しわかりやすくお客さんに伝える必要があるわね。」
「わかりやすく?」
「そう。わかりやすく。」
久美子は口をつぐんだ。
「もっと高めのアイテムで揃えてみたら?SNSのコーデ。」
「高めですか?」
「そう。」
「でもそうするととても手が出ないって、敬遠されません?」
「ぱっと見そこら辺でも帰そうなアイテムなんだけど、実はお高めの奴で揃えてみたら?。それ見た人があぁこれなら真似できるって思って、ファストファッションで同じようなもの買って着る。けどなんか違う。それは当たり前。だってモノが違うんだもの。縫製だったり、生地だったり。それを身をもって勉強してもらって、ウチの取り扱い品にたどり着くって感じで。」
「…やってみます。」
久美子の表情が冴えない。
「どうしたの?」
「社長、ちょっといいですか。」
二人は店の奥に引っ込んだ。
「なんか変な男が居るんです。」
「変な男?」
「ええ。店の様子をチラチラ見てるんです。」
なるほど久美子は既に気づいている。
「いつから?」
「おとといから居るような気がします。今もいます。」
「どんな感じの男?」
「40代くらい。中肉中背。眉毛濃いめ。唇も厚め。」
ちょっと待てと言って森は店に出る。吊り下げの服を手に取って右に左視線を動かす。
いる。ちょうど影になる場所にいま久美子がいった特徴を持つスウェット姿の姿形が見える。
「朝戸さん。」
「奇遇ですね。朝戸さんはここで何を?」
「自分、休憩しようと思ってたんですよ。よかったらどうです?ご一緒に。」
朝戸を連れ去る際、彼が目配せしたのを森は見逃さなかった。
「久美子。」
店の奥で携帯をいじる久美子に森は声をかける。
「大丈夫。居なくなった。」
「わかりました?」
「うん。わかったわ。」
「どうすればいいでしょうか、私。」
「久美子。心配ないわ。心配いらない。ちゃんと対応してくれてる。」
「対応してくれてる?」
「うん。ちゃんと責任もって対応してくれてる。だからあなたは何の心配も無く今まで通り仕事に専念して。」
「でもまた来たら…。」
「来てもなんとかしてくれる。そういう風に話しつけたから。」
「ビルの警備の人ですか。」
「そうよ。だから問題ないわ。それよりSNSの件、ちょっとやってみておいて。」
「わかりました…。」
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「古田。朝戸と接触。」
朝戸班からケントクに入った報告に岡田は思わずため息をつく。
「はぁ…。」
「いかがしましょうか。」
いま富樫は北署で椎名を取り調べている。
その様子はここでライブで分かるようになっている。
「キングが椎名であり、奴がチェスの司令塔やったとしてだ。」
「はい。」
「具体的な指令がない限りはナイトである朝 戸もそう行動できんのじゃないか?」
「確かに。」
「それなら古田さんには直接朝戸に張り付いてもらっとるほうが、こっちとしては良いかも。」
「じゃあ黙認ですか。」
岡田は考える。
ボストークから出た朝戸を朝戸班がバンかけ。
しかし彼の受け答えや所持品に不審な点はなかった。
またボストークの中を調べた朝戸班からも不審点無しとの報告を受けている。
総合的に考えて、今の朝戸と古田が接点を持つのは問題はないものと判断する。
岡田はうなずいた。
それを受けスタッフは朝戸班に指示を出す。
「こちら本部。古田と朝戸の接触は黙認。現場は二人の動向を注視せよ。」
「了解。」
「おい。」
岡田がスタッフに声をかける。
「金沢駅の隣のファッションビルって言ったよな。」
「はい。その中の女性モノのショップの中をチラチラ覗いているようでした。」
ー久美子か…。
「朝戸も?」
「はい。」
ー久美子を監視する中で不審人物である朝戸を発見。その動向を探る。その流れはごく自然。
ーしかしこの朝戸は椎名の仲間。明日予定のテロの実行役を担っているとの情報。しかもナイトというポジションで奴と近い。
ーその朝戸が久美子の監視…。
ー久美子が何か関係があるとでも?
ーいや…待てよ…。
ーまさか…まさかやぞ…久美子を監視する古田さんを釣るための釣り針とかじゃないやろうな…。この朝戸の存在…。
岡田は椎名の調べの様子をモニターで見る。
「そこで私から提案があります。」
「なんや。」
「私が公安特課のスパイになります。」147
「なにっ!?」
岡田は声を上げた。
その場に居るスタッフも同じく驚きを隠せない。
「今までと形は変わりません。私の脳みそが公安特課側にすげ変わるだけです。外見上は何の変化もありません。彼らは偽の情報を私に掴まされ、知らない間に公安特課の網にかかる。これがテロを未然に防ぐ手っ取り早い方法かと。」
「…。」
「テロを目前にまでひっぱって、関係者を一網打尽に検挙。この方法ならそれすらも可能かと思います。」
「話が出来すぎとる。」
「…。」
「まるで今のこの状況になることさえも、椎名、お前が望んどったかのようような展開やな。」
「と、言いますと。」
「自分が公安特課のモグラになること。このこと自体がお前の計画そのものなんじゃないか?」
「富樫さんがそう判断するのならそうなんでしょう。これは提案です。公安特課の皆様で判断ください。」 147
「お前…どう思う。」
「富樫さんのおっしゃるとおりです。話が出来すぎです…。」
「だよな。」
椎名の投降とも言える出頭。
これ自体が奴のシナリオ通りの事だったとしたら…。
そう考えると古田が朝戸と接触していることの目的は一体何なのか。
「朝戸班の警戒度を最高にしておけ。」
「了解。」