オーディオドラマ「五の線3」

163.2 第152話【後編】


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ドアが開かれると襟元を緩めた40代後半と思われる男、それに続いて記録係が現れた。
彼は椎名と向かい合って座った。

「話は富樫から聞いた。俺が責任者の百目鬼だ。」
「責任者…。」
「ああ警察庁警備局公安特課課長補佐 百目鬼和成だ。本件の現場責任者だ。現場の指揮は俺に一任されている。」

警察手帳を見せながら百目鬼は椎名に言った。

「結論から言う。われわれ公安特課は椎名賢明。君のオファーを受け入れる。」

椎名は口をつぐんだまま、百目鬼の目を見る。
その場にいた記録官にとって途方もなく長い沈黙がその場に流れたような感覚を覚えた。

「どうした?」
「いえ…。」
「公安特課は君の提案を受け入れたんだ。少しは何か反応を見せたらどうだ。」

机の上に目を落とした椎名は頭を垂れた。

「ありがとうございます。」

またもその場に沈黙が流れようとしたが、百目鬼はそれを遮った。

「素直にどういたしましてと受け入れるのが正しい反応なのか、今の俺にとっては判断できない。」
「…。」
「ただ君がこちら側に立って協力するという提案は少なくとも今の我々にとって得られるところが大きい。そう判断した。」
「英明です。」

部屋のありとあらゆるものが凍り付いたかのように思える、緊張感あふれるこの場の空気は、冒頭の二人のやりとりによって溶解の兆しを見せた。

「まずは何をゴールとするか決めようか。」

富樫よりも高次の存在が現れたということは、知りうる情報が多い立場から取り調べをし、その精度を上げる作業が始まるのだろうと椎名は思った。まずはこちらの提案を全面的に受け入れる。心を許し敵意はないことを示してその実、油断を誘う。それをこの百目鬼という男は初手から全力で放ってきたのである。

「私に対する調べは良いのですか。」
「いまはそんな暇はない。調べは後だ。君は我々に協力することで明日に予定されるテロ事件を未然に防ぐと言った。そこのところをもう少し具体的に設定したい。」
「と言いますと。」
「今回の協力体制を敷くことで得ようとする、お互いの成果だ。それを明確にしておきたい。」
「わかりました。」
「まず君が求める成果を言ってくれ。君は何を求めて我々に協力をするんだ。」
「明日予定される金沢駅でのテロを防ぐ。それだけです。」
「テロを防ぐ。だな。」
「はい。」
「それ以外は。」
「自分をツヴァイスタンから解放させてください。」
「というと?」
「自分が取り返しのつかない事をやってしまった事は理解しています。テロを未然に防ぐことが出来た暁には私を日本国の司法で裁いてください。自分は日本人です。ツヴァイスタンの価値観で裁かれるのはごめんです。」

百目鬼は言葉を飲んだ。

「それ以外に何も求めるものはありません。私はけじめをつけたいだけです。」
「事後の君の処遇については我々に一任すると。」
「はい。」

感情のかけらも見せずに淡々と口をつく椎名の言葉は一切の無駄がない。言葉と言うよりも情報として百目鬼はそれを捉えられた。

「そちらのゴールは。」

椎名が聞き返す。

「君が富樫に打診したことがゴールだ。つまりテロの阻止。それと同時に関係者の一斉検挙。」
「同時にですか。」
「ああ同時だ。君はそう富樫に打診した。それは現状我々が求める最良のシナリオだ。」

百目鬼は椅子に座り直して改まって椎名と向き合う。

「ゴールは一致している。お互いの最優先事項はテロの阻止だ。君の裁きとか我々の検挙の話はその次の話。テロの阻止、これをお互いのゴールとしよう。」
「わかりました。」
「今後我々と君との協力関係はテロの阻止がすべてに優先する。これでいいね。」
「はい。」

よしと言って百目鬼は椎名の前に右手を差し出した。

「これは?」
「協力関係の象徴的な儀式だよ。」

ゆっくりと手を差し出して、椎名もそれに応えた。
百目鬼の手のひらは暖かかった。

「本当にご苦労様でした。椎名さん。」

そう言って百目鬼はもう一方の手で椎名の右手を包み込んだ。

「あなたは被害者だ。あなたが拉致された時代に我々のような組織が既にこの国に存在していれば、あなたのような存在を生み出すことも無かったかもしれない。」

張り詰めていたものが切れた瞬間だった。
彼は百目鬼の手を掴みながら机に頭を打ち付け、そのまま嗚咽した。

「…う…ぐ…うぅ…。」
「椎名さん。よくここで我々に力を貸してくれました。一緒に頑張りましょう。」
「…は…い…。」

そのときである。
椎名は握られた手になにかの紙切れのようなものが手渡されたような感覚を覚えた。
ポンポンと肩を叩かれた椎名は顔を上げる。

「これで涙を拭いて。」

百目鬼からハンカチを渡された椎名はそれを使って濡れに濡れた顔を拭く。
そのときにさりげなく手渡された紙切れをポケットにしまい込んだ。

「ぐしゃぐしゃに濡れてしまいました。」
「あ…そうだね…。」
「すいません。」
「いいよ。」

こう言うと百目鬼は濡れたハンカチを嫌な顔ひとつ見せずに回収した。

「まずは我々公安特課の総合的な現状を君に報告する必要があるかな?」

相手方には必要最低限の情報しか提供しない。それ以上の情報提供は相手方にいらぬ詮索をさせることにもなり、混乱をもたらすことになる。治安組織の隠密行動において鉄則ともいえる情報の制御。百目鬼の発言はこれとは真逆であった。

「自分にですか?」
「ああ。」
「その必要はありません。」
「…。」
「私はすべての種明かしをします。その上で百目鬼さん。あなたが私をいいようにお使いください。」
「俺は君の知恵を借りたいんだ。」
「それはいくらでも協力します。」
「いいや。オフラーナの思考方法、手法を学びたいんだ。」
「仰る意味がよくわかりませんが。」
「我々は君の指揮下に入る。俺に君が指示を出してくれ。」

不意を打つオファーだった。

「君は我々の頭脳だ。俺は君の手足になる。」
「なにを馬鹿なことを…。」

表情や声色は変えないが今までフラットだった椎名の様子に、何か波打つものを感じた。

「時間が無いって言ってそれですか。」
「そうだ我々に残された時間はない。お互いの認識をすりあわせて調整を図る暇なんてない。いまさらだ。テロを計画したのは君だ。君はその全貌を知っている。しかしそれは君の手を離れて自律分散的に動く連中もあり、君ひとりで統制がとれない。要は今回の計画は自分の手に負えない状態になったってわけだ。だから我々に協力をして欲しいんだろう?だったらすべてを知る君が我々を使う立場になれば良い。我々は素人じゃないんだ。治安のプロ。これを君が手足のように使える立場になれば、それは食い止めることが出来るんじゃないのか?君は頭脳。俺らは手足。現状考えうる目的を達成するための最短ルートだと思わないか?」

これに椎名は答えない。

「すでに金沢駅には厳重警戒態勢を敷いている。必要があればすぐにでも周辺から市民を避難させることもできる。だがこのテロは自律分散的に動く連中がいる。全国各地にだ。我々は金沢駅のテロさえ止めればOKって訳じゃないんだ。我々は国民をすべての危険から護る必要がある。金沢駅のテロだけを先に防いでも、むしろその動きが他の自律分散テロを助長する可能性がある。」
「可能性をあげつらうだけだと結局なにもできないですよ。」
「そうだ。」
「行動しないと何も変わらない。」
「だからどう行動すれば良いのか分からんのだよ。」
「思考停止ですか。」

百目鬼は肩をすくめた。

「情報機関といえども、結局その情報をどう活用するかは人が決める。しかしこの人というのは厄介なもので、決定に至る演算でコンピューターでは加味されないいろんな情報を組み込んでしまうんだ。君もそれが邪魔したんだろ。だからいまこうやって俺と向かい合っている。」

椎名はこれにも返事をしない。

「目の前の脅威だけを取り除けといわれれば、話は簡単だ。空閑と朝戸を逮捕。金沢駅周辺数キロ圏は避難命令。これで金沢駅のテロ事件は未然に防ぐことが出来る。ただそれがために第2、第3のさらに大きな脅威を招く可能性も考えなければならい。むしろ実はそっちの方が想定される被害は大きいなんてこともある。それらの全貌は残念ながら君の頭の中にしかない。君がすべてを打ち明け、その情報の真偽を精査なんてやっててみろ。その時点で時間切れゲームオーバーだ。まぁそもそも君がここに出頭した時点で俺らは詰んでいたんだ。」
「敗北を認めると…。」
「おや?何に負けたと言うんだ?」

しまったという表情。椎名はそれを出してしまった。
百目鬼はにやりと笑った。

「君次第だよ。勝敗の行方は。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

調べ室から出てきた百目鬼を片倉が待ち構えていた。別室で調べの様子をカメラ越しに見ていた彼の表情はどこか不満げだった。

「理事官本気ですか。」
「うん。」
「しかし…。」

百目鬼は右手で片倉の言葉を遮った。

「言うな。百人居れば百人がお前と同じことを言う。」

これに片倉は流石に言葉を続けることは出来なかった。

「問題はここからだ。」
「と言いますと。」
「椎名は言った。自分の脳みそだけをオフラーナからこちら側にすると。」
「はい。」
「つまり外向けにはオフラーナ椎名賢明のままを貫き通さねばならんということだ。ここ北署に留め置いて奴に我々の指揮を執らせるというわけにはいかんということだ。」
「解放するということですか。」
「そうだ。突然テロの司令塔と連絡が取れない状況になると相手は疑う。」
「しかしこの椎名の出頭自体がオフラーナに勘づかれとらんという保証はありません。」
「確かに。」

片倉は黙った。

「いずれにせよ我々と逐一連絡を取れる体制を構築し、椎名は一旦解放して元の通りにしてくれ。」
「理事官。」
「なんだ。」
「なに渡したんですか。」
「ん?」
「椎名に何か渡したでしょう。」
「俺が?」
「はい。奴の手を握ったときです。」
「…。」

百目鬼は片倉の目を見て何も言わない。

「あんなことしたら、せっかく椎名の言を信用して動こうとしとる現場の連中の信用を裏切ることになりますよ。」

百目鬼は口をつぐんだ。

「バレたか。」
「バレるもなにも見えますよ。何渡したんですか。」
「言えない。」
「理事官が言えんのやったら、椎名を改めます。」
「おい、俺が陶と同じ穴の狢とでも疑ってるのか?」
「はい。」
「おいおい。」
「じゃあ何渡したんですか。」
「抑止力だ。」
「抑止力?」
「ああ。椎名が土壇場で妙な行動をとらないように牽制するメッセージを渡した。」
「なんですか。それは。」
「極秘だ。」
「…。」
「信用してないな。」
「はい。」
「この抑止力の出所は内調だ。」
「内調…。」
「ああ。上杉情報官からだ。」
「上杉情報官?」

百目鬼は頷いた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

取調室を出た椎名はトイレにあった。
小便器の前に立った背後に警備担当の人間が立って、こちらの様子を観察しているのが分かる。
手錠がかけられた状態で用を足す椎名は、先ほど百目鬼から手渡された小さな紙切れを器用に取り出して、それを背後の警備に見られないように目を落とした。
瞬間、彼から放出されるものの勢いが急速に弱まった。

ーどうして…。

「ふぅ〜。」

大きく息をついた彼は放出を再会した。

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