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自宅に帰った椎名が片倉らのテロ対策本部に出した指示は以下のものだった。
- 椎名はテロ実行直前までチェス組と連携し彼らをエスコートする。そこに警察は介入しないこと
- 実行直前に公安特課の出番をつくるので、相応の人員を用意すること
- 空閑と朝戸にはしっかりと専任者を配置し、勝手な動きをしないよう監視を強化すること
- サブリミナル映像効果を少しでも薄めるため、こちらで用意した動画をちゃんねるフリーダムで短時間で集中的に配信すること
- テロは爆発物によるものであるはず。可能性を徹底的に排除すること
- 朝戸がテロの口火を切る行動をし、その後にヤドルチェンコがウ・ダバを使ってさらにそれを派手なものにする手はずである。したがってウ・ダバらしき連中の行動はつぶさに報告を入れること
- その他現場サイドで気になることがあればすぐさま椎名に連絡し、その判断を仰ぐこと
「冴木はベネシュの部屋に入って、そのまま姿を消した。」
「...。」
「どうした?」
「奴らならあり得る。」
テロ対策本部に戻ってきた百目鬼の顔を片倉は見やった。
「そうかそういうことか…。」
椎名はひとりで納得しているようだ。
「そういう事ってどういう事や。」
「アルミヤの連中、このテロを全力で潰しに来る気だ。」
「え…。あんたさっき粛正とか言っとったけど。」
「訂正します。もう始まったようです。」
「始まった?なにが。」
「アルミヤプラボスディアとオフラーナとの抗争が。」
「え?この金沢で?」
「はい。」
「なんでここ?」
「それを理解するのは無理です。ツヴァイスタン人のことはツヴァイスタン人が一番分からない。これは向こうの人間が常々言ってるジョークです。」
「奴らの狙いは。」
「アルミヤですか?」
「ああ。」
「わかりません。ですがオフラーナの計画を潰すのが目的でしょうから、金沢駅でのテロ自体はこれで防ぐことができるんじゃないでしょうか。」
「テロを防ぐって、どうやってや。」
「関係者の殲滅です。」
「殲滅?」
「はい。」
「え?」
「ですから殲滅です。」
「殲滅って?」
「皆殺しです。」
流石の片倉も何のためらいもなくこの言葉を使われる状況に接して血の気が引いた瞬間だった。
「百目鬼だ、椎名。」
百目鬼が片倉に代わった。
「すまないがどうやってそんなことやってのけるんだ。アルミヤプラボスディアは。」
「冴木という自分の監視役の存在までも把握してるんですから、主要実行犯の所在などはすでに把握済みでしょう。ターゲットの位置情報さえわかれば、あとは手段だけの問題です。物理的に障害を排除すれば奴らのミッションは達成です。」
「朝戸や空閑のみならず、椎名、お前の所在も奴らに筒抜けということか。」
「でしょうね。」
百目鬼は手のひらで顔を拭う。彼は焦りというか、困惑というか、いづれにせよ他人から見て良くない方の表情だった。
「取り敢えず椎名、直ぐにここに戻ってこい。」
「無駄です。それに正直、警察署も安全とは言いがたい。相手は軍事会社です。脅威への対応力は警察の比ではありません。」
「しかし…。」
「ですがこれでテロの実行を阻止できる可能性が高まったと見た方が良いです。」
「待て待て待て!」
百目鬼は声を荒げた。
「椎名。お前、気は確かか?外国勢力が好き勝手に人殺しするのを見守って、結果テロを未然に防いでもらいましょう。お前はこう言ってるんだぞ?」
「はい。」
「馬鹿いえ!ウチにはウチの法律ってもんがあるんだ!んなもん自分の家でやれ!他人の家でんなことすんな!」
「しかし百目鬼さん。あなた言いましたよね。テロの防止がすべてに優先する。」
「…。」
「ここでアルミヤプラボスディアが出てきたとなれば、奴らにすべてをお任せするのが、確率一番高いですよ。」
「駄目なものは駄目だ。」
「しかし…。」
「いいか。俺らは犯罪を未然に防ぐのが仕事なんだ。いまお前が俺らに言ってるのは、犯罪を促進しろって言ってんだぞ。」
「ですがその方が当初の目的を達成できます。」
「駄目だ!」
「考えてみてください。百目鬼さん。あなたが仰っているのはただただ手続きのことです。朝戸にしろ空閑にしろ、この国の司法で裁かれればそれなりの刑罰が適用されることでしょう。」
「それがこの国の原理原則だ。罪刑法定主義が刑法の根幹だ。」
「その罪刑法定主義に則ったとしても結果は変わらない。朝戸も空閑も死刑は免れない。手続きを経て死ぬか、アルミヤに殺されるか。遅いか早いかだけの話です。」
「は?朝戸も空閑も死刑?」
「はい。」
「何言ってんだ。ふたりともこれからだろうが。」
「…。」
「これからのテロ如何で、その罪の軽重が決まるんだろうが。」
「あぁご存じなかったですか。」
妙に椎名の声が落ち着いていた。
「朝戸ですよ。ノビチョク盛ったの。」
「は?」
「椎名決め 空閑が図りて 毒あたふ 朝戸動かす 光定の技」
言葉が出ない。それは百目鬼だけではなかった。
片倉も岡田も、その場にいた対策本部の全員がこの悪意に満ちた和歌のようなものに戦慄した。
「私はこの国の司法で裁いて欲しいと言いました。ですがアルミヤが動いているならやむを得ない。死を受け入れます。そうすることでテロが未然に防がれるのですから。」
「待て。」
「先ほどから待てとの指示が多いような気がしますが。」
「ああそうだ。待ってくれ。」
「…。」
「今のその歌。朝戸動かす光定の技とあったが、それは鍋島能力のことか。」
「いかにも。」
「鍋島能力はすでに実用段階なのか。」
「朝戸は失敗作です。」
「失敗作?」
「はい。」
「意味がわからん。なぜ朝戸は最上に毒を盛った。」
「失敗作だからです。」
「よくわからない。詳しく教えて欲しい。」
「このあたりはテロ防止に何の役にも立たない情報です。これこそ時間の無駄です。」
「無駄じゃない!」
いままで誰よりも感情をコントロールしているように見えた百目鬼の顔が紅潮していた。
「朝戸が失敗作だから最上が殺されただと?全権お前に渡すって言ったが、サツカン殺しについてはっんな事認めねぇぞ。」
「理事官、抑えて。」
片倉が百目鬼を抑えようとするも彼は振り払う。
「言え!椎名!」
椎名は深いため息をついた。
「白銀だった。標的は。それを朝戸は取り違えただけです。」
「白銀?」
「はい。」
「誰だそれは。」
「朝戸の妹を殺した男ですよ。」
「朝戸の妹を殺した?」
「百目鬼さんは白銀篤という人物はご存知ですか?」
「いいや。聞いたことない。」
「朝戸の記憶ではその白銀の息子が、自分の妹を轢き殺し、それを警察幹部である父、篤が揉み消した事になっているようです。」
「それはいつの話だ。」
「5、6年前と聞いています。」
すぐに白銀を調べろと百目鬼は職員に指示を出した。
「それには及びません。」
椎名は百目鬼の指示を止めた。
「白銀篤はこの世に存在しませんので。」
「この世に存在しない?」
「はい。もともとそんな人間はこの世にいません。朝戸の妹さんが事故で亡くなったのは確かですが、その犯人は見つかっていない。それだけの話です。」
「じゃあその白銀篤はいったい。」
「紀伊によるでっちあげです。」
「でっちあげ?」
「ええ。全部でっちあげです。朝戸という人間を良質な実験体として利用するための演出です。」
「白銀というサツカンも居ないのか。」
「はい。いません。なので白銀という男が朝戸の妹さんをひき殺したというのも嘘です。」
「朝戸は嘘の情報を刷り込まれているのか。」
「はい。」
「嘘だ。」
百目鬼は言い切った。
「じゃあなぜ、白銀と最上を取り違えたなんてお前、言ったんだ。」
椎名は黙った。
「信用できないな。お前の言。」
「…だから時間の無駄になるって言ったんです。」
「あん?」
「どうでも良いことにガタガタ言ってますね。頭脳は俺に任せるって言ったのに手足が指図してくる。日本の官僚機構ってのは、朝令暮改なんですね。」
あからさまな皮肉を椎名は言った。
「理事官、ここで仲間割れなんかしてなにひとつ得るもんはありません。」
片倉が割って入った。
「椎名、お前の言う通りや。白銀篤のことは後で教えてくれ。時間の無駄や。悪かった。すまん。」
「片倉ぁ。」
「理事官!すこし冷静に…。」
「お前、サツカン殺しの疑いがあるんだぞ。」
「もう何人も死んでいます!」
片倉は百目鬼の言葉を制するように言った。
「椎名。しかし、しかしだ。俺らは警察、しかも公安特課や。犯罪を未然に防ぐのが仕事なんや。確かにテロを阻止するのが最優先や。けどそのために人殺しを黙認するなんてできん。」
「小さな犠牲で多くの命を救えるんです。」
「だめや。命に大小なんてない。」
「きれい事です。それにあなたらのその任務という名の面子を立てることが、この状況でそんなに重要なことなんでしょうか。」
「面子の話じゃない。命の話や。」
「だからいずれ処分されるって言ってるじゃないですか。」
「諦めるんか。」
椎名は黙った。
「アルミヤプラボスディアが出てきたら無条件降伏なんか、オフラーナは。」
「…。」
「随分弱っちい組織ねんな、オフラーナってやつは。それじゃあ抗争にすらならん。」
「なんですか、煽ってるんですか。」
「どいや一方的にやられるだけやがいや。事実じゃないけ?」
「…。」
「お前さん、情報を仕事にしとるんやろが。なんでその情報であいつらをかき回すって発想にならんがけ?」
椎名は言い返さなかった。
「さっきお前、敗北を認めるのかって俺らに言ったよな。」
「…。」
「いまのお前にそれ、そのままお返しするよ。」
僅かであるはずの沈黙が、このときの対策本部内には途方もなく長いもののように感じられた。
「犠牲者を出さないように努力はします。」
絞り出すような声で椎名は言った。
「よし。」
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「気象庁によりますと、暖かく湿った空気が流れ込んでいる影響で、石川県加賀地方では停滞する前線の活動が活発になり、雨雲が発達しています。加賀地方では、発達した積乱雲が次々と連なる「線状降水帯」が発生して、非常に激しい雨が同じ場所に降り続き、災害が発生する危険性が急激に高まっているとして、気象庁は午後2時20分に「顕著な大雨に関する情報」を発表しました。この時間、発達した雨雲が加賀地方、特に金沢市を中心とした地域に流れ込んでいます。石川県が設置した雨量計では、午後2時までの1時間に、▽金沢市昭和町で54ミリの非常に激しい雨を、▽同じ金沢市平和町でも41ミリの激しい雨を観測しました。これまでの雨で、加賀地方では土砂災害の危険性が非常に高まり、「土砂災害警戒情報」が発表されている地域があります。加賀地方では、このあとしばらくは局地的に雷を伴って激しい雨が降るおそれがあります。気象庁は土砂災害に厳重に警戒し、低い土地の浸水や川の増水に厳重に警戒するとともに、落雷や突風にも注意を呼びかけています。加賀地方では状況が急激に悪化するおそれがあります。自治体からの避難の情報に注意し、安全な場所で過ごすよう心がけてください。
車内にはラジオが流れていた。
「うわぁ冠水しとらいや。」
運転席の男が見る方向には、踝(くるぶし)くらいまで浸かった足を重そうに動かし、じゃぶじゃぶと水をかき分けて歩く歩行者の姿があった。
「線状降水帯やろ。尋常じゃないわこの降り方。」
「ヤバいなぁ。怖いくらいや。」
運転席と助手席のやりとりをよそに、後部座席に座った椎名は窓から外を見る。
あまりにも激しく雨が振り付けるので、外の様子が見えない。そこで彼は少しだけ窓を空かしてそこから覗きこんだ。
見たこともない水位を保ち、まるで竜が身体をくねらして進むような濁流がそこにあった。
「椎名さん?」
「あっ。」
「窓開けるのはちょっとやめてください。この雨ですよ。雨入ってびしゃびしゃになってしまう。」
「あ、はい。」
椎名はとっさにそれを閉めた。
「はぁー。延期って風にならんもんですかね。」
「延期…ですか。」
「はい。」
「それはないです。この日のためにすべての準備をしてきているんで。」
「ですけどマルバクでしょ。」
「マルバク?」
「あっ、ええっとすいません。爆発物のことです。爆発物によるテロを予定してるんでしょ。あれって雨の影響とか関係ないんですか。」
「ありません。」
「その爆発物、どこにあるんですか。」
「知りません。知ってたら教えています。」
「本当ですか。」
「本当です。危険なことは未然に防ぐ方が良いですから。ただし相手方に悟られないように。」
「…。」
「焦る気持ちはわかります。私だってテロの実際の実行計画を把握しているわけじゃないんですから、手探りです。ですが自分が司令塔です。司令塔という立場を利用して、ヤドルチェンコとチェス組を引っ張り出します。その時点で全部を抑える。おそらくそれしか方法はない。」
「…。」
「自分だってこう見えて不安に押しつぶされそうなんですよ。普段と違うことをやったりしないと気が紛れない。」
「普段と違うこと?」
「大雨に関わらず窓を開けるとか。」
「あぁ…。」
「誰かと話すとか。」
「話す…ですか。」
「はい。」
「何話します?」
「そうですね…。」
相変わらず窓の外を眺めながら椎名は少し考えた。
「片倉さん、あの人どういった方なんですか。」
「片倉ですか?」
「ええ。」
「あのお方は警視庁の人ですよ。公安特課機動捜査班の班長です。元はここ石川の公安の人間ですよ。どうしました?」
「あの人、気になりまして。」
「え?どういう意味ですか。」
「場を制圧するというか、場を軌道修正する術を持っています。」
「…まぁあの人は修羅場をくぐってますから。」
「修羅場…ですか。」
「ええ。」
「どういった修羅場を?」
「それはまたの機会でいいんじゃないですか。私らはあなたの身の安全を確保せよとだけ言われています。」
「いや、教えてくれませんか。」
助手席の男は運転手を困った顔で見た。
「上に聞いてみたらどうや?」
無線で指示を仰いだ助手席の男はふうっと息をついて口を開いた。
「6年前の鍋島事件。その指揮をとりつつ、朝倉を追い詰めた人間のひとりです。」
「鍋島と朝倉を…。」
「こちらはご存じですか。」
「はい。その事件の顛末は私も把握しています。私はその事件を受けて日本に戻ってきました。」
「だったらその3年前の事件は?」
「さらに3年前、ですか?」
「ええ。その鍋島事件の前身となった事件です。」
「なんとなくって程度です。鍋島がそれくらい前のころに自分の能力を使って何者かを操った実験のようなものをやっていたと。」
「そうですか。まぁその捜査の指揮を執っていたのも、片倉班長なんです。」
「へぇ、出来る人なんですね。」
「確かに出来る人です。ですがこの事件までは正直そこまで冴えた感じはしませんでした。普通の警察幹部です。役人的で面倒ごとは極力関わりたくない人柄でしたよ。」
「ほう、そうなんですか。」
「ええ。」
「なにかきっかけでもあったんですか?片倉さんが覚醒する。」
「ありました。」
「それは。」
「ひとりの警察官の死です。」
「警察官の死?」
「はい。当時、片倉班長は捜一の課長でしてね。その直属の上司である刑事部長が亡くなったんです。」
「刑事部長って結構上の役職なんじゃないですか。」
「はい。そのお方は警察幹部でありながら、自ら現場に乗り込んで指揮を執る極めて希な存在のキャリアだったんです。それが結果的に事件に巻き込まれて…。」
「それは…。」
「その事件も、6年前の朝倉鍋島事件も結局のところツヴァイスタン由来です。そこに今回のテロ予告。ツヴァイスタンは我々にとっても決して組みがたい存在です。」
「…。」
「だけどそれを堪えて、我々上層部はあなたと組むことを決めた。そこのところをご理解ください。」
「朝戸が失敗作だから最上が殺されただと?全権お前に渡すって言ったが、サツカン殺しについてはっんな事認めねぇぞ。」
「北署まであとどれくらいですか。」
「雨が酷くて時間がかかっています。あと10分は見てください。」
「充分です。」
「なにが?」
「最上殺しについてお話しします。」
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