オーディオドラマ「五の線3」

184.1 第173話【前編】


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時刻は正午となった。携帯を見た椎名は、力なく首を振った。

「梨の礫か…。」
「こうなったからには、朝戸は捨てます。朝戸は発見次第排除お願いします。」

百目鬼に椎名が応えた。

「朝戸の合図を持って事が始まるんだろう。」
「私の統制下で事を起こす分には、それは制御可能ですが、事態はそうではありません。なので危険は排除しましょう。」

百目鬼は隣に居た片倉と目を合わせてひと言。

「わかった。」

これに椎名は頷いた。

「逮捕とか考えなくて良いです。その場で排除してください。」
「って言ってもな、俺らはそんなに簡単に民間人を殺傷できんのだよ。」
「なにも殺せと言っていません。朝戸を発見次第、片腕、片足を打ち抜いてください。物理的に何もできなくさせます。」

随分具体的な指示だな。そう呟いた百目鬼だったが、これに関しては椎名の言ったとおりに行動するよう現場に指示を出した。

「ん?どうした。」

ふと椎名を見ると彼はしきりに目をしばたたかせたり、擦ったりしていた。

「すいません。まつげか何かが入ったようです。トイレで顔洗ってきていいですか。」
「ああ。」

椎名は監視員と一緒に部屋から出て行った。
ドアを閉める音

「さてどうしたもんか。」
「どうしたもんでしょうね…。」

片倉が浮かない顔で百目鬼に応えた。

「まぁ作戦開始の合図を出せない状況さえ作ってしまえば、テロの筋書きを壊せるわけだから、あとは朝戸の排除に戦力を集中させれば良いんじゃないかと思えてきた。」
「でもそれだと上層部の言っている、関係者一斉検挙は難しくなるかと思います。SATも椎名案を採用したことですし、ここにきて作戦の変更はどうかと。」

これには百目鬼は口をへの字にして、一息ついた。

「お偉方のことは話半分でいいさ。事が起こっちまって、収拾不能になったらそれどころじゃない。それくらいはお偉方も分かってる。」
「しかし…。」

考えに考えた結果だと百目鬼は言った。

「とにかく失敗がこわいんだ。あいつらは。無謬性を求めるがあまり、ついついあれもこれもってどうでも良いものまで求めてしまう。結果どれも中途半端で失敗すんのにな。」
「役人根性ですか。」
「ああ。俺らもその役人なんだけど。」
「しかし、だからといって朝戸排除だけに専念しても、それで危険が完全に消えるわけではありません。テロは奴の合図で始まるって事になっていますが、仮に奴がこのままどこかに姿をくらましたところで、本当にテロは実行されないなんて考えられない。相応の人員がこれにかり出されているんです。」
「だろうな。そのままもし撤収となっても、それだけの人員が金沢駅周辺に18時時点で展開しているんだ。何かしらバレる。足が付く。絶対に。」
「はい。それに朝戸のように暴発する奴が出でもおかしくない。」
「だとすればこのまま朝戸の合図無しにテロを強行する可能性は捨てきれない。」

片倉は頷く。

「SATについては、このままの作戦でいく。」
「そうですね。」
「朝戸が消えた現在、椎名の統制は当てにならない。状況がエスカレートする可能性があるってわけか…。」
「どうするんですか。」
「上層部に事前に了承をもらっておく必要があるだろう。」
「何を?」
「椎名の言っていた奴だよ。」

「躊躇わないでください。」
「何を。」
「相手はテロリストです。検挙は最良ですが、最良を求めるがあまり犠牲を出すのは愚です。基本は力で制圧する。結果数名検挙程度で良とするくらいの割り切りが必要です。」171

「いや、だからその作戦で行くって話で上層部はそれで了承しているんじゃ…。」
「何言ってんだ片倉。お前、警視庁で何やってたんだ。」

脱いでいたジャケットを羽織り直した百目鬼は、またもふうっと息をつく。向かい合う片倉は百目鬼の意図を酌みかねるといった表情だ。

「事後の根回しだよ。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「なに?朝戸が消えた?」

広坂の中央公園を背を丸くして歩く矢高の姿があった。

「何があったんだ。」
「公安特課が朝戸が滞在する宿に踏み込みました。ですがそのとき既に朝戸の姿はなかったと。」
「少佐は。」
「少佐も把握していない事態らしく。朝戸の暴走であると。」
「なんということだ…。」
「朝戸の早期の排除を少佐は求めています。」
「わかった。で朝戸の手がかりは。」
「ありません。」

携帯をしまって天を仰いだ。開けたこの場所から見える空一面は雲で覆われていた。湿度も高い。

「雨が降る...。」

ドローンはウ・ダバの手に渡り、朝戸も行方知れず。ヤドルチェンコ側の動きはここにきて完全に統制が効かなくなっている。

「何れにせよ現場は金沢駅。」

こう呟いた矢高だったが、ふと足を止めた。

「金沢駅…。」

朝戸は自分の意思で椎名の統制から離れた。ならばその後の行動は当初の予定をなぞる必要はない。

「あいつ自身まったく別の場所に移動して、そこで起爆装置をポチるってのもありか…。」

起爆スイッチは彼の手にある。この起爆装置によって金沢駅の爆発物が爆発する。これの変更はない。
ここに来ての朝戸の失踪は、自身の保身を考えてのものだったとする。そうなると起爆すらせずに逃亡を図る方が逃げやすい。

「この際、朝戸の存在自体はどうでも良い。だがあいつの合図がないとタイミングがとれない…。」

矢高の手に汗がにじみ出てきた。ズボンでそれを拭いて再び携帯電話を手にする。呼び出し音が鳴るにつれて手にするそれが湿気を帯びてきて居るのが分かった。

「どうした。」

電話に出たのはベネシュだった。

「想定外の事態が発生しました。」

矢高は押し殺すような声で話した。

「ドローンがウ・ダバの手に渡った以上に、なにが想定外と言うのかね。」
「ウ・ダバ側の行動開始の合図を隊長はご存じですよね。」
「盛大な爆発があるんだろう金沢駅で。」
「それが怪しくなってきました。」

矢高は朝戸の失踪についてベネシュに説明した。

「ウ・ダバは朝戸の失踪について把握しているのか。」
「わかりません。ですがいずれ発覚します。」
「しかしだからといってここに来てウ・ダバも作戦中止とはいかんだろう。」
「そうですね。ここまで準備して、何も気取られずに撤収というのも奴らにとってかなり難しいミッションとなります。」
「所詮、テロ組織。我々のような厳密な統率が取れているとは言いがたいしな。」
「はい。」
「なるほどそこでドローンか。」
「…そうですね。」

電話口のベネシュは乾いた笑い声をだした。
まるで朝戸の失踪を予期していたかのようなウ・ダバ側へのドローン供与だなとベネシュは言った。

「…決してそのような意図はございません。」

矢高は手汗でびっしょりの手をズボンで拭き、取り出したハンカチで額を拭った。彼の薄い頭髪は頭からの発汗を食い止める役割を果たしていなかった。

「分かっているさ。戦場は状況が刻々と変化する。これもそうだ。」

このとき湿った風が吹いた。それは彼の汗を幾ばくか吹き飛ばしてくれる恵みの風にように感じられた。

「今回の筋書きをどう変更して対応する…か。」
「はいそこです。」

今回の爆発テロの兆候を察知していたロシア政府と中国政府は、日本政府に今回のこのテロの押さえ込みをするよう働きかけていた。しかし、その努力も甲斐無く日本政府当局は対応を渋った。故に民間軍事会社であるアルミヤプラボスディアが、最悪の事態を想定し秘密裏に邦人保護作戦を準備していた。そして実際に爆破テロが発生。危機が現実化。結果やむを得ず出動、それらを鎮圧。安全が確保されるまでしばし現地を実力で占拠する。アルミヤプラボスディアの活躍によって救われたロシア系の住民と中華系の住民、通勤中の地元住民の感謝の声を大々的に国内外に宣伝。日本政府の安全保障能力のなさを知らしめ、日米同盟に亀裂を生じせしめる。これが当初描いていたシナリオだ。
しかしこのシナリオのきっかけである爆破テロが怪しくなっている。

「当てにならないものは予定とは言いません。現在の朝戸は自分たちにとって、混乱の元でしかなく、早期の排除が必要です。そう少佐はおっしゃっています。」
「…本作戦の前に我々が動くことは避けたい。」

風が吹く。湿った風だ。今度はそれが自分の手を汗っぽくさせた。

「その朝戸は何処に。」

ベネシュは静かに尋ねた。

「何の手がかりもありません。公安特課も奴の行方を捜しています。」
「公安特課よりも先に朝戸を探して消すか…。」
「はい。」
「無理だ。諦めよう。」

妙な汗が頭皮から直接襟首に流れ落ちてきた。とっさに彼はそれをハンカチで拭った。

「無理…ですか…。」
「無理だ。それは君も分かっているんだろう。」

分かっている。手がかりも何もない人間を探し出して、その存在を消す。しかも自分の身を隠し通して。そんなの映画の中の人物でも無理だ。

「朝戸の爆破がなくてもヤドルチェンコが確実に動くように仕向け、タイミングを計る方が、作戦的には良い。幸いあいつらはドローンという武器を手に入れたんだ。絶対に動く。」
「そうですね。」

信号機のない横断歩道を前に、ハンカチで顔を拭う矢高。汗を吸い込んだそれは全体がしっとりとしている。ふと空を見上げると、今度は先ほどの曇天がうっそうと生い茂る街路樹の隙間から漏れ見えた。

「隊長。つかぬ事を聞くのですが。」
「なんだ。」
「ドローンは雨でもいけるんでしょうかね。」
「今回、お前に手配してもらったやつは雨天対応型のはずだが。」
「だが。」
「昨日みたいな天候だと飛行は難しい。」
「……。」

矢高の存在に気がついたのか、横断歩道を前に一台の車が停車した。
その車の方を見て軽く会釈した彼は、そそくさと同断歩道を渡った。
渡りきって再び彼はその車を見た。運転をするのは妙齢の女性のようであった。横断歩道を分かる前とその後で挨拶をするなんて、随分丁寧な方ねと言ったように、彼女のほうも軽く頷いて走り去っていった。

「降り出した…。」

矢高は運転手を見ていたわけではない。車のワイパーが動き出していることに目がとまったのだった。
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オーディオドラマ「五の線3」By 闇と鮒


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