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「おかけになった電話は電波の届かないところにあるか、電源が切られているため…」
「なんだよー。どこ行っちゃったのよ…。」
電話を切った片倉京子はため息をついた。
ここで待ってると言われた場所に戻ってきたのに、当の三波が居ない。
まさか心変わりしてまた家に帰ったなんて事はあるまい。体力が回復したから先を急いだのだろう。どうせすぐに私に追いつかれるのだから。
そう判断した京子は遊歩道を歩くのを止め、開けた車道の方に出た。こちらの方が舗装されている分、駆け足でもいける。彼女は三波への遅れを取り戻そうとペースを速めた。
「あなたも聞こえた?」
「はい。パンパンってなんだか乾いた音でした。」
「パンパン?」
「はい。」
「違うわよ。もっと鳴っとったわ。」
「もっと?」
「そう。パン。パンパン。パン。って」
「え?そんなに?」
「ええ。」
「それ何の音ですか?」
「いやぁ何かしらねぇ。あんまり聞いたことない音だったから。」
破裂音は京子の空耳ではなかった。しかし熨子山に住まう人間にとっても耳慣れない音であったのは確かだ。京子はくねくねとカーブが続く車道の際を早足で山頂に向かっていた。
エンジン音が山頂方面から聞こえた。それはどんどんこちらに近づいてくる。エンジン音を聞くだけで随分荒い運転をしていることが分かる音だ。困った輩が居るもんだと京子は心の中で呟いた。
やがてその車は姿を現した。アメリカ車のSUVだ。信じられないスピードでカーブを曲がったそれは、京子の横すれすれに坂を落ちるように下っていった。
このまま崖に転落して、自爆してしまえば良いのに。そう京子は内心思った。
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あれから少し時間が経ったが、小屋の中から人の気配を感じない。朝戸がひとり慌てふためいて出て行ったきりだ。
光定の言葉は本当であるならば、朝戸は今日、金沢駅でテロをする。明日や明後日の話ではない、今日だ。テロリスト朝戸がいわば潜伏していたアジトがここだとすれば、ここに奴の仲間のような者が居るはず。こんな危険な場所からはすぐにでも退散し、片倉さんに通報せねば。そう思う三波であったが、一方で妙な記憶にあるこの山小屋の中を今この目で確かめたいという欲求もそれと同様にあった。
携帯電話の画面を見るも電波がない。
伏せるように茂みに隠れていた三波だったが、いま彼はまさに山小屋の入り口扉の前にあった。
耳を澄ますも物音一つ聞こえなかった。
仮にここがテロリストのアジトだとして、例の破裂音が銃声だったとして、朝戸が逃げるようにここから出て行ったのだとして、この静寂。考えられる中の状況はひとつ。
「全滅か…。」
つばを飲み込むと、周囲の静寂に響き渡るのではないかと思えるほどの音量でそれは三波に聞こえた。
入り口である引き戸に手をかけて、ゆっくりとそれを開く。
ガタガタといかにも立て付けが悪い様子を表す音が鳴る。
この時点で中の人間には気づかれる。しかし小屋の中に目立った反応はない。
扉を開くと一畳程度のコンクリート床の玄関だった。小屋の中には明かりはなく、昼間のこの時間にもかかわらず、中はかなり暗い。ところどころ壁板の立て付けが緩んでいるところがあるせいか、そこから外の光が倉庫内を漏れ照らすも、それは室内の様子を把握するには絶望的に少ない光量であった。
コツコツ足音
壁をつたうように歩き出した三波はふと足を止めた。
何かを踏んだ。水気とは縁遠いこの室内空間で、足下に水分を感じたのだ。
すこし目が慣れてきた。ゆっくりとその視線を足下に落とす。しかし何も見えない。
突如としてえもいわれぬ臭気が三波の鼻を覆う。この異様な臭いは自分が絶望的な場主にいる事を強制的に彼に分からせた。
三浪はここで改めて覚悟した。
水分を感じている右足を恐る恐るひき上げた。なんだか足裏が粘つくように感じられた。ぬかるみに足を突っ込んだほどではない。かといって水溜まりから足を上げる感覚とも違う。
あいかわらず小屋内に人気は感じられない。三波はスマートフォンの画面をライト代わりにして足下を照らした。
スマホの画面そっと移動させ、足下からその先の方を照らすように向けた。
三波は暗がりに見えた光景に腰を抜かしてしまった。
三体の遺体が転がっていたのである。
「あ…あ、あ…。」
驚きの声も悲鳴も出ない。ただ腰を抜かして腕の力だけで後ずさりするしかできない。
床に流れる血液の上に腰を抜かしたようで、尻の辺りにもその水分をじんわり感じた。
「三波さーん。」
自分の名を呼ぶ女の声が背後から聞こえる。
「京子。京子かっ!」
大きな声を出したつもりが、身体が震えているためか全然だ。
「三波さん?」
しかし京子は三波の存在を小屋の中に感じたようだ。
「来るなっ。小屋の中に入るなっ!」
少し声量が大きくなった。
「来るなって…わたしほったらかしておいて、それはないでしょう。」
「んなもんどうでもいいっ!とにかく小屋の中に入るな!」
三波の声は今度はちゃんと出た。
「三波さん?」
山小屋の入り口前まで来た京子は足を止めた。
彼女の側には真新しいオフロードバイクが止まっている。それには鍵が刺さっていた。
「京子。お前はすぐに親父さんに連絡を取るんだ。」
「え?」
「ここはアジトだ。」
「アジト?」
「あぁ朝戸が潜伏していたアジトだ。テロのアジトだよ。」
玄関扉越しの京子から血の気が引いた。
「さっきお前さんが聞いた破裂音は銃声だ。中の人間は全員撃ち殺されている。だから中に入るな。見るな。見るもんじゃない。」
「殺されている…。」
「あぁ朝戸が全員を殺して逃げた。俺は奴がここから車で逃げる様子を見た。」
「車…。」
「SUVだ。アメ車だ。」
いいか。中に入るな。見てもトラウマになるだけだ。お前はとにかく親父に連絡しろ。そう三波は小屋の中から言い続けた。
スマートフォンを取り出した京子は画面を見た。電波がない。なるほど三波と連絡が取れないわけだ。
「わかりました三波さん。私、応援呼んできます。」
こう言って京子はオフロードバイクにまたがり、熨子山を駆け下った。