オーディオドラマ「五の線3」

188.2 第177話【後編】


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静かに開かれたそこから岡田が姿を現した。
片倉と富樫は彼の姿を見てこう思った。

疲れ切っている。

ここ数日、まとまった休息をとっていない。それは片倉や岡田、百目鬼と言った上層部の人間だけがそうだというわけでなく、富樫のような現場の人間も同じだ。皆に余裕がない。だから片倉も富樫もここで岡田を気遣うような言葉を発する余裕もなかった。

部屋に入ってきた岡田はスピーカーから流れるツヴァイスタン語の会話を背景に片倉に語りかけた。

「椎名の様子はどうですか。」
「案外落ち着いとる。」

こう言って片倉は画面に映る椎名をしゃくる。
画面の椎名は携帯電話で話していた。

ーУблюдок!

「相手はヤドルチェンコですか。」
「ああ。」
「荒れてますね。」
「朝戸なんて素人に、アジトを壊滅させられたんやしキレるのもしゃあないやろ。」

俺はツヴァイスタン語なんてわからんがなと片倉は付け加えた。

「朝戸は金沢駅に来ます。」

これには片倉は無言だった。

「自分の勘です。朝戸は金沢駅に必ず来ます。」

同じ事を岡田は繰り返して言った。

「俺もそんな気がする…。」

うつむき加減に片倉はぼそりと呟いた。

椎名は朝戸の代わりに連中に合図を送る役として金沢駅に行く。合図は爆発だ。椎名はヤドルチェンコから爆発の起爆装置を渡される手はずになっている。そう片倉は岡田に説明した。

「爆発物は金沢駅から発見されていませんが。」
「車を突っ込ませる。その車自体がマルバクや。」

こう言って片倉はうつむき加減のまま椎名が映る画面を見る。

「ウ・ダバ、マルバク、椎名。そこに朝戸がふらり現れるとなると…。」
「混乱を来す可能性が高い。」

岡田と富樫はゴクリと喉を鳴らした。

「片倉班長。」

岡田が片倉の名を呼んだ。

「なんや。」
「これも自分の勘なんですが…。」

片倉は片手を挙げて岡田の言葉を制した。

「言うな。」
「しかし…。」
「俺もそうじゃないかと踏んどる。他ならぬマサさんもそうや。」

画面に映し出される椎名が電話を終えた。彼は手にしていた携帯電話をそっと机の上に置く。そしてふうっと息をついてカメラレンズを見つめた。

「ヤドルチェンコ、なんやって?」
「テロは中止にはなりません。決行です。」
「そうか…なんか揉めとるふうやったけど。」
「はい。報酬を倍にせよと。」

貴重な労働力を失ったからには、その損害賠償を請求する。ビジネスマンとして当然の要求のため、椎名はそれにYesと応えたと言った。

「朝戸について何か言っとったか。」
「はい。クソ野郎と吐き捨ててました。」
「だろうな。」
「こうなったからには、ヤドルチェンコは朝戸を見つけ次第殺します。そのあたりは警察としてもご理解ください。」

それについて「はい分かりました」とは立場上言えない。そう片倉はあらためて椎名に答えた。

「ウ・ダバの制御は椎名、お前さんはできない。そういうことやな。」
「その通りです。」
「もしもこういう状況になったら、お前さんどうする?」
「シミュレーションですか。」
「ほうや。」

予定時刻は18時。あと2時間だ。
この18時時点で、ウ・ダバは金沢駅周辺に集結し、合図を待っている。そこに朝戸の代役である椎名が現れる。爆発物を積んだ車両がどこからか駅構内に侵入、それを目視した椎名は起爆スイッチを押す。すると車両は爆発炎上。これを合図にどこからともなくウ・ダバが一斉に駅構内に突入。無差別殺傷を試みる。しかし構内に居る一般人はすべて武装した警察官であり、ウ・ダバは逆襲に遭う。駅構内や商業ビルから包囲するように音楽堂へ圧迫されたウ・ダバは多数の死傷者を出し、最終的には制圧される。
これが椎名と描いたシナリオだ。
だが、このどこかのタイミングで朝戸が金沢駅に単騎突入を敢行した場合、どのような変化が生じるだろうか。結局のところ多勢に無勢。人ひとりが事態に与える影響など無いに等しく、仮にあったとしても極小のものであると判断するか。
片倉は椎名の見解を尋ねた。

「朝戸が仮に金沢駅に来たとしても、侵入を防げばそれは変数たり得ません。」
「いや、だから何らかの形であいつが侵入した場合を想定してや。」
「あり得ない。」
「なんでそう言える。」
「厳重な警備体制なんですよ。民間人は基本的に避難完了してるんです。現場に残るのは民間人に扮した武装警察です。そんなところに部外者の朝戸がふらり現れることができるわけないでしょう。」

椎名の見解は合理的だ。
18時の金沢駅には関係者しかいない状況を作り出している。予定だが。その前提をひっくり返す状況を想定するとは、どういうことだ。ここにきてまさかの方針の変更か。椎名は片倉に不審を抱くような表情を見せた。

「いや、あらゆる場合を想定しておかねばならない。万が一と言うこともある。」
「万全を期すと仰りたいので?」
「そうだ。」

椎名は肩をすくめた。

「取るに足りません。朝戸なんぞ。状況に変化はないでしょう。」
「武装してるぞ。奴は。」
「武装しているでしょうが所詮素人です。今回のテロで奴の役割は、その合図を出すだけの存在。車両を爆破さえさせれば、それで用済みでしたから。」
「用済み?」
「はい。」
「なに、と言うことは。」
「ええ、その時点で処分です。」
「…。」

そんな捨て駒のような役割しか与えられない朝戸という男を、なぜ今の今まで、こうも温存していたのだ。今度は片倉が椎名に不審を抱いたが、それを先回りして彼は言葉を続けた。

「なぜそんな捨て駒を今まで温存していたか。なぜ彼には手厚い対応をしてきたか。それも奴が鍋島能力の実験体だったからです。」
「朝戸も鍋島能力を?」

椎名は首を振る。

「空閑は不完全ながらも瞬間催眠をつかうことができた。一方朝戸はその逆。」
「逆とは…。」
「催眠を極端に受容しやすい体質になった。」
「それはどういうことや。」
「我々が彼を意のままに操ることができた。つまり完璧な捨て駒として利用することができるようになった。」

片倉は息をのんだ。それはこの場の富樫と岡田もそうだった。

「朝戸は妹が警察幹部の息子によって轢き殺されたと思い、その人物を必ず殺すと心に誓いました。」

そう誘導したのは他でもない光定公信であり、彼は朝戸とはじめてコンタクトをとったときから、微量ながらも鍋島能力の実験を彼に施していた。少しずつ少しずつ。水を一滴ずつ落とすように、本人には分からないように。その甲斐あって朝戸は光定との距離をどんどん縮めた。気づけば端から見れば二人は親友であるかのような関係性を構築していた。この二人の親友関係は結局のところ、光定と朝戸の主従関係でもあった。ただ光定自身はこれを主従とは考えていないようで、あくまでも朝戸を自身の作品であると評価しており、朝戸に対する対応はまさにそれであった。
ここが彼がマッドサイエンティストと呼ばれる所以でもある。この朝戸と光定の関係は空閑の管理の下、見事に制御されていた訳だが、その管理人が退場することになり、朝戸の制御ができなくなったと言うのである。

「しかしその完璧な捨て駒がここに来て機能しなくなった。原因は光定の死亡と空閑の退場ですが、もうひとつ理由があります。」
「なんやそれは。」
「末期なんです。奴の症状が。」

鍋島能力の許容量は個体差がある。
いままでの光定の実験はすべてが失敗だった。
何の能力も会得できずに、実験体はそのまま社会へ放流された。社会へ放流されたそのほとんどが、一定期間で死亡した。しかもそのすべてが自殺。しかし朝戸だけは光定の厳格な管理下にあったため、いままで命を落とすことがなかったと言う。

「光定が死んだ今、朝戸は今までの実験体と同じで、自分を自分の手で始末する道を選ぶことでしょう。」

しかし熨子山のウ・ダバを皆殺しにしたところから、自分の死までにできる限り多くの道連れを作ろうとしているのではないか。そう椎名は言った。

「ただ今回標的になったのはウ・ダバ。アジトへの道中、無差別殺傷をしたような形跡はない。逃亡中の現在もそのような犯行があったとの通報もない。したがって朝戸の標的はウ・ダバのような自分と関係がある人間となるのではないでしょうか。」
「となると。」
「金沢駅に来ると思います。」

やはり椎名もそう踏んでいた。

「テロの現場である金沢駅。そこに来れば自分の身内ばっかりやもんな…。」
「はい。ですが先ほども言ったとおり、結局のところ朝戸は武器を持ったただの素人です。金沢駅の警備体制は厳重です。公安特課の目をかいくぐるなんて素人の奴にできるはずがない。万が一金沢駅に入り込んだとしても、見つけ次第排除すれば良い。至極簡単な話です。」

そこまで読んでの朝戸への特別対策不要論だったのか。
この男、いったい何手先まで読むことができるのだ。

「我々警察が血眼にならなくても、ヤドルチェンコがエネルギーをそこに割くでしょう。となればテロ自体のエネルギーも幾分か削ぐことができるのではないでしょうか。」

そもそも熨子山の連中は全滅であり、ウ・ダバの戦力は物理的に削られている。結果として朝戸の暴走は我々にとって利をもたらしている。そう椎名は片倉に自分の見解を述べた。
非がない論だ。完璧だ。

だが片倉は気づいていた。椎名は肝心なことに事に答えていないことを。

片倉は椎名があるタイミングでテロに参加したとき、事態はどう推移するか。それを聞いていたのだ。
だが椎名はそれには直接答えず、朝戸と光定の鍋島能力を介した関係など新しい情報を織り交ぜた論を展開してきた。自分が初めて知る情報を前にして、片倉のみならず、その場の岡田と富樫の注意も逸らすそのやり口。まさにアレに似ている。

ー詐欺師。

「椎名。わかった。お前の考えはもっともや。朝戸は忘れよう。」
「さすが片倉さん。賢明です。」

休憩しよう。そう片倉は言って会話を切った。

「岡田。」
「はい。」
「朝戸は金沢駅に来る。結果的に来るんじゃない。椎名はあいつが今のこの状況になって朝戸が来ることを想定しとる。いままで起こった事で想定外なんて事はあいつには無い。朝戸が裏切ることも奴のシナリオにあったことや。」
「やはり…。」
「となれば、あいつは最後の最後で俺らを欺くはずや。」

画面に映る椎名の目を岡田は見つめた。

「マサさんも感じとるやろ。あいつには本当のことは何ひとつないって。」
「ええ。詐欺師と同じニオイがします。」
「それそれ。」

片倉は人差し指を立てて空中を二度差した。

「徹底的に欺いて、欺き続けて最後の最後で帳尻を合わせる。凄腕の詐欺師ですよ奴は。」
「最後で帳尻合わせ…。」
「はい。」
「あいつの最後ってどういった状況を見据えとるんやろうか…。」

一同が黙した。

「それが分かれば、その終局を物理で壊せば良いわけですね。」

真っ先に口を開いたのは岡田だった。
そう。岡田の言うとおりだ。ゴールポストをずらせば良いのだ。シュートを打たせても、それがネットを揺らさなければ良い。

「マサさん…。」

片倉と岡田は富樫を見た。

「え…ワシ…ですか…?」
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