オーディオドラマ「五の線3」

第26話


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2015年。
鍋島事件から約1年がたったGW。
病院敷地内の人の姿はまばらだ。
石川大学病院の職員通用口から男が出てきた。
身長は170センチ程度。年齢は50代なかば程度と思われる銀縁ネガネをかけた男だ。
眉間にシワを寄せどこか神経質そうな表情の彼は携帯電話を触りながら駐車場へ進む。
リモコンで車のロックを解錠すると、近くの外国車のハザードランプが明滅した。
車の横に立った彼は手にしていたリュックを後部座席に投げ入れ、運転席に乗り込んだ。
ドアをノックする音
運転席を覗き込むように立っている老人がそこに居たため、彼はぎょっとした。
「あぁ…驚かしてしまってすんません。」
パワーウィンドウが開く
「何なんですか。あんた。」
「お忙しいところすいません。わたくしこういうもんでして。」
老人は警察手帳を彼に見せた。
「曽我遼平さんですね。わたくし県警本部の藤木と申します。ちょっとお話を伺いたいのですが。」
「いまですか?」
「はい。」
「…忙しいんですよ私。」
「いまからご帰宅なのに?」
「え?」
「え、だってGWの真っ只中ですよ今は。普通病院はお休み。ほんなんに曽我さん。あなたは出勤や。なんかわからんけど仕事が溜まっとってんろう。あなたはそれをようやく片付けた。だからここを出れる。そうでしょ。」
「まぁ…。」
「やっと羽を伸ばせる。これから4連休。ゆっくり休んでください。そんなお楽しみの前、最後の最後でちょっとだけ時間をいただくことはかないませんか。」
確かにこの男の言う通り、これからは4連休に入る。
休みが控えているだけなのに忙しいのを理由に警察との面会を断るのは気が引けた。
「…どれだけかかるんですか。」
「30分程度です。」
「…わかりました。」
「場所変えますか。」
「そうですね。病院内のコーヒースタンドでもどうですか。」
「わかりました。」
喫茶店の音
「山県久美子…ですか。」
「ええ。ご存知ですね。」
曽我はうなずいた。
「ほとんど改善せんかった彼女の症状が、曽我先生。貴方にかかってから随分と良くなった。これには一体どういった理由があるのかと興味がありまして。」
「どうして警察があの人のことを。」
「申し訳ないですが捜査の関係上それは言えません。」
「…そうですか。」
曽我ははっきりとしない表情をした。
「で、どうです?」
「…正直わからないんですよ。」
「はい?」
「私の前任の先生が処方する薬と私が処方する薬は同じです。考えられるとするなら、私の持続的な曝露療法が彼女にとって良い結果をもたらしているのかもしれない。」
「なんですかそれ?」
「彼女の症状は典型的なPTSDです。心的外傷後ストレス障害です。」
「あぁそれ聞いたことあります。」
「過去、強烈な精神的ダメージを受けた人間が突然それを思い出して頭痛とか不安とかを覚えるのがPTSDです。これの治療に抗うつ剤等の薬物を使用することがりますが、これはあくまでも補助的なものです。」
「では主たる治療法は?」
「患者にとって安全を保証した状態で、心的外傷となった忌まわしい記憶をあえて呼び起こし、それに対する安心感を植え付けていくといった地道なや治療です。」
「過去の記憶を呼び起こさせるんですか…。」
「やりかたを間違えるとかえって患者を不安にさせる諸刃の剣的な治療法です。」
「ちょっと待ってください。当時の記憶を呼び起こさせるっちゅうことは、その当時自分がどこで誰に何をされたかなんてことが蘇るってことですよね。」
「はい。」
「そこんところ詳しく聞けませんか。」
「え…。」
「だめですか。」
「あの…それは…。」
曽我は目を伏せた。
「わかりました。確かになかなか話せん内容ですからね。」
「ご存知で…。」
古田はうなずいた。
「じゃあワシの質問に答えるだけでいいです。」
「それなら…。」
「彼女はレイプされる様子を思い出しましたね。」
「はい…。」
「なにかそこで気になった点はありませんでしたか。」
「気になった点?」
「あぁ質問が悪かった。質問を変えます。相手は何人でしたか。」
曽我は目をつぶって記憶をたどる。
「…初めは複数の人間に取り囲まれてるようにも見えました。左右両方を見ながら悲鳴を上げてましたよ。」
「初めは?」
「ええ。彼女の恐怖の対象は複数でした。ところが突然静かになったんです。」
「ほう。」
「で、一点を見つめてやけに冷静な顔つきになったんです。」
「一点を見つめる…。」
「はい。すると相手を受け入れるような言動を始めた。」
「…。」
「…むしろ求めるようにも思えた。」
「…。」
「彼女の言動を観察するに、おそらく実際の行為を行ったのは一名です。」
「おかしいですな…。複数名に囲まれると普通は輪姦されるもんです。」
「まぁ…。」
「ですが先生の話を聞く限りやとそんな感じを受けん。」
「刑事さん続きがあります。」
「はい?」
「行為が終わったと思われるときの彼女の表情はどこか満ち足りたものでした。ですが再び彼女は悲鳴をあげる。」
「ほう。」
「で、先程のように複数名に囲まれてるように怯えだすんです。」
「その複数に再び犯されるような言動は。」
「ありません。」
古田はため息を付いた。
「曽我先生、どうでしょう。こういったケースは珍しいもんですか。」
「…正直わかりません。記憶を呼び起こさせるといってもそれが正確な記憶がどうかは私らには判断できませんから。曖昧な部分は多分にあります。いま刑事さんが言ったようにわたしもレイプによる心的外傷を負った患者さんを診たことがありますが、確かに今回のようなケースだと輪姦されるのが一般的です。」
「うん。」
「ですが彼女の様子を見る限りそのような様子はうかがえない。その点では珍しいと言えるんじゃないでしょうか。」
「なるほど。」
「あともう一つ気になるのがこのケースにおいて彼女と相対する対象が複数、単数、複数と変化してる。この点は非常に興味深いケースと言えます。そして彼女の恐怖の対象はあくまでもその複数の人間です。単数の人間はむしろ自らが求めています。自分が襲われている状況には変わりないのに一方で恐怖、一方で求めるというのはどうも理解が出来ない。」
「その複数の人間と単数の人間は別人格である可能性があるということは考えられませんか。」
「可能性として考えられます。ですがどうして自分が置かれた状況には変わりがないのに、こうも対応が違うのかがわからないのです。」
古田のメモをとる手は止まらない。
「もうひとつだけいいですか。先生。」
「なんですか。」
「山県の治療において、記憶を呼び起こさせるそれは何回もやるんですか。」
「はい。」
「今までに何回やりました?」
「まだ2回です。短期間にやりすぎるとかえって悪影響を及ぼす恐れがあるので。」
「2回ともにその、山県の方から求める人物は出てきましたか。」
「はい。」
「その人物の特徴のようなものは。」
「わかりません。」
「わからない。」
「ええ。あぁそうです。そうですよ。これもわからないことでした。」
「はぁ。」
「その人物の手がかりになる情報が一切出てこないんです。例えばどんな顔だったとか、服装、話し方、声色、体型など一切のものが彼女の記憶から消えています。」
「まったくですか?」
「はい。」
「記憶喪失とかですか。」
「わかりません。そこの部分だけすっぽりと記憶が飛んでるんです。」
「というとあれですか、複数の方の特徴とかは覚えとるとか。」
「はい。部分的ですが。」
古田は人差し指で頭をポリポリと掻いた。
「まとめると山県の症例は専門家の目から見てもよくわからんことだらけ。そういうことですか。」
「はい。」
「ふー。」
「なにせ類似のものが見当たらないので。」
「手探りで先生なりに山県と向き合って、結果的にそれがうまい具合に運んどる。」
「そうです。言ってみれば彼女の症状の改善はまぐれです。」
「随分と正直な物言いですな。」
曽我はふっと息をついた。
「言い方は悪いですが、私の彼女に対する接し方は実験をしているようなもんです。仮説を立てて治療に臨む。この積み重ねですよ。」
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