オーディオドラマ「五の線3」

第78話


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金沢市郊外の鄙びた外観の喫茶店セバストポリ。この店の中のカウンター席に加賀と黒田が隣り合うように座っていた。
「え?退職金の前借りですか。」
「うん。」
「で。」
「もちろんそんな制度はうちの会社にはない。丁重にお断りした。」
「社長はそのことを。」
「今回始めて知ったさ。宮崎さんは宮崎さんなりに安井君に気を使ってね、俺のところまで報告上げなかったみたい。彼女、謝ってきたよ。」
「そうだったんですか。」
「で、退職金の前借りの理由は息子の病気の治療費の工面だったってわけ。」
「急性骨髄性白血病(AML)ですね。」
「うん。俺、医療関係のことは専門外だからさ、詳しくはわからないけど、安井君の息子さん、結構重い状態みたいなんだ。」
「と言いますと。」
「なんか造血幹細胞移植って治療受けたらしいんだ。けど予後が良くないらしい。」
「造血幹細胞移植…。」
「キャップ知ってる?」
「自分もよくは知りませんが、たしか輸血みたいに、その幹細胞を投与する治療法だったと思います。AMLを完治させる可能性が高い一方、副作用が酷いハイリスク・ハイリターン型のものだったような。」
「そう。そのハイリスク・ハイリターンが悪い方に行ってる。で、安井君はその資金繰りに困ってそういう相談を宮崎さんにした。」
「え、でも社長、高額医療費の制度で戻ってくるじゃないですか。」
「そうなんだ。そこなんだ。俺が言うのも何だけど、ウチは意外と給料もいいし、安井君の家共働きだろ。」
この加賀の発言に黒田の表情は曇った。
「どした?」
「あの…。」
「なに?」
「安井さん。奥さんと別居中なんです。」
「え?」
「あのふたり、うまくいってないみたいなんです。」
「あ…そう。」
「でも深刻な状態にはなっていないみたいです。どちらかというと距離をとってお互いが冷静になる時間をもってるって感じです。」
「それって立派な別居でしょ。」
「あ…はい。」
加賀はタバコに火をつけた。
「ふーっ…あ、君が言ってた大川の件なんだけど。ありがとう。参考になった。」
「よっぽど馬が合うか共通の趣味でもないと、番組コメンテーターと制作デスクが私的に会うなんて普通ないでしょ。」
「そうなの?俺、業界のことはよくわかんないんだけど。」
「あの…社長…。あなたがその業界の人なんですけど。」
「業界人になってしまったらおしまいさ。」
「え?」
「一歩引いた目で自分の立ち位置を見ないと、大局を見失うよデスク。」
そう言って加賀は1枚の写真を黒田の前に滑り込ませるように差し出した。
その写真はスクリーンショットだった。
「立憲自由クラブだ。知ってるよね?」
「あ、はい。」
「君、こいつどんなコミュニティだって思ってる?」
「保守系のSNSコミュニティです。ウチも保守系ネットメディアです。両者の親和性は高いと思います。」
「親和性ね…。」
「ただ最近、ちょっと過激な論調が目立つ気もします。」
「例えば。」
「安全保障において自衛隊の軍昇格。公安機能の低下は軍憲兵で補う。そのための予算捻出には増税もやむなし。国防軍によるツヴァイスタン排撃。拉致被害者を武力で奪還。」
「気持ちいいね。」
「え?」
「気持ちがいいんだよな。その手の主張って。」
「と言いますと…。」
「ウチはこの気持ちのいい論調をなるべく排除して、本当の言論を伝えるように気をつけている。ただの予想とか煽りとかを極力排除して、視聴者が自分で考えて行動できるような番組作りを心がけてきた。だから立憲自由クラブなんて気持ちよさだけを高揚する妙竹林なコミュニティとウチが親和性を持ってるって思われるのは困るんだ。」
「すいません…。思慮に欠ける発言でした。」
「いいさ。俺の思いと現実は異なっていることがよくわかった。これは早急に改めていかなければならない。俺の責任でね。」
この加賀の思いの一端は黒田の心に響いた。
「ウチと立憲は立ち位置が違う。これはデスク、わかってくれるな。」
「はい。」
「実はこの2つの違いをちゃんと理解した上で、言論を巧みに使い分けて活動してるコウモリみたいなやつがいるんだ。それが立憲自由クラブの主催者、大川尚道なの。」
「え!?」
「大川ってウチのコメンテーターの中でも一歩引いた立場で慎重に発言するスタンス。俺はその公平さが気に入ってたんだ。けどさ、こいつがこの気持ちよさだけを高揚する立憲自由クラブの主催だって知ってびっくりさ。」
「それ…本当なんですか。」
目の前で食器を拭くマスターの野本の方をちらりと見て加賀は頷いた。
「なんで…そんな使い分けを…。」
「そこだよデスク。デスクはどっちが大川の本性だと思う?」
「それは…やっぱりこそこそやってる立憲自由クラブのほうですか。」
「そうだよな。」
「はい。」
「建前はちゃんフリ、本音は立憲。あいつはその本音のところで世論を煽ってる。」
「なんで煽るんでしょうか。」
「自分のガス抜きってものもあるんだろうが、これがもしも意図的に世論を煽っているとしたらどう思う?」
「意図的に世論を煽る?」
「うん。」
「立憲自由クラブの論調は基本、現時点で実現不可能な理想論です。いくらその理想を煽っても実現はしません。」
「だからその実現不可能なのを承知であいつがアジってるとしたら。」
黒田はしばらく考えた。
「アジること自体が目的。」
「正解。」
「なんでそんなことをする必要が…。」
「世論の分断。」
「あ…。」
「ネトウヨの先鋭化は左派系との確執を生み出す。その両者の対立は中立の立場の人間から距離を置かれることとなり、この三者に大きな溝を作り出す。」
「しかも大川にとっては先鋭化する論調は飯の種。その左右の論調を元に表の場所であるちゃんフリで中立の立場で論評するんだから。」
「マッチポンプ。」
「社長…本当なんですか。」
「うん。信頼できる情報筋からだ。」
こう言って加賀は再び野本の方を見た。
「で、その大川がウチの安井君と何やら仲良しな感じになってるってわけだ。」
「はい…。」
「安井君は今いろいろと問題を抱えている。そこに大川の影がちらつくっていうのは…ね。」
「弱みに付け込まれている可能性がありますね。」
「うん。」
「社長。ちょっと自分、もう一回安井さんと話してきます。」
「無理だ。時間がない。」
「え…。」
黒田は早すぎる加賀の答えに呆然とした。それをよそに加賀は再びタバコを吸い出した。
「ふーっ…。デスク。」
「なんです…。」
「安井君言ってたんだろ。」
「何のことです。」
「もう遅いって。」
「あ…。」
「彼、その後言ってたよ。」
「なにを…。」
「ぶっ壊せって。」
「ぶっ壊せ…。」
「このぶっ壊せってセリフ、デスク最近良く聞かない?」
「え…まさか…あれですか…。あの最近急に全国で頻発してるテロまがいの犯人が口に出している…。」
「文脈から言ってな。」
「…安井さんは…大川といったい何やってるんですか。」
「そこのところを最優先にして調べて欲しいんだ。安井君とその家族の心配はひとまず忘れろ。」
「あの…。」
「安井君が編集室で何をやってるのかどんな手段を使ってでもいい。すぐに突き止めろ。」
「手段を選ばず…ですか…。」
「これ以上の詮索は無用。いいな。これは社長命令だ。」
このときの加賀は感情というものが消え去っているようにも思えた。
「すぐにとは具体的に…。」
「本日中。」
「そんなの…無理です…。」
「無理?」
「…はい。急すぎます。」
気づくと黒田のテーブルに小さな黒いものが置かれていた。
黒田の視線が何を捉えているかを察した加賀は冷徹な表情を見せた。
「有事対応だよ。デスク。」
「カメラ…。」
カウンター越しに立つ野本は黒田に向かってうなずいた。
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