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刈るべき草を前に、なぜか動けない時間がある。花を美しいと感じるのはバグかもしれないけれど、そのバグごと畑に組み込んでいくのが花農家の仕事らしい。こぼれ種から百本のアマランサスが立ち上がり、ガソリン切れは友の二リットルに救われた。六合の花が国の目に留まった週、中島は石のベンチでしばらく迷っていた。
中島は、標高1030mの北向きの畑、Mへ足を運んだ。今年Yのビニールハウスが増えたぶん、Mまで手が回らなくなっていた。草はすでに手に負えない高さまで伸びている。
暑さが増してきたこの日、目当てはモナルダの収穫だった。妻は作業場でセダムの調整に当たり、中島はひと息つきながらこの記録を録っている。
Mではこれまで、モナルダとフィリペンジュラ、それにクガイソウが採算の取れる品目だった。しかしクガイソウには昨年から黒い斑点が見られ、今年はウイルス病とおぼしき症状が西側一帯に広がっていた。東側はまだ比較的元気な株が残っている。花を切り終えたあとに生きた株を掘り上げ、灌水できる場所へ植え付け直す計画を立てた。
アルケミラとアストランティア・ローマの掘り上げは、昨日ようやく終わったところだ。今年はモナルダとウイキョウをKへ移した経緯もあり、Mという畑そのものを手放すことも頭をよぎった。トラクターで一度耕し直し、草を刈って更地に近い状態に戻す必要がある。
南隣ではカベさんが花豆や野菜をきれいに手入れしている。除草の行き届いたその畑と、自分のMとの落差に中島は苦笑した。鳥の声だけが、変わらずよく響いていた。
七月に入り、鳥の声が心なしか減った気がする畑で、中島は今年の花たちと向き合っている。アストランティアは去年の管理不足で株が弱り、マウンテンミントも植え替えの影響で先行き不安。それでも背伸びせず、来年への立て直しに舵を切った。
アキレア「ラブパレード」は、今はなきカラクの里のオーナーだった方から譲り受けた苗が始まり。名前がしっくりこず色名で出していた時期もあったが、中卸さんの一言で名前が戻ってきた——時代がひと回りしたのかもしれない。
午後は妻と分業。掘り上げ担当の妻が語った「エビ型」と「エンチョウ型」の芽の違いという気づきから、中島はふと反省する。日々の作業に追われて、考えたり試したりする回数が減っている気がした。
ハナボウズの強みはなんだろうかを考える。
曇りから雨へ移る午後、中島は出荷前の調整作業を終え、軽トラの荷台に腰をかけながら今日を振り返る。育てて2年目のエリンジウムは枝ぶりこそ良いが、荷造りと送料を考えると単価だけでは仕事にならない――そんな現実と、ドライフラワー向けという新しい売り先への気づき。
先週は安カ川ファームの博さんに車を出してもらい、青木村のフラワーファーム沓掛さんを再訪。重油栽培から季節の草花へ移行した十棟のハウスと、自ら世界観を築き発信する沓掛さんの姿に触れ、六合での産地見学会のあり方を考え直す。
昨年の畑見学会で感じた、大学時代のハイドパークに似た「居ることが許される」空気についても語られる。
中島の血を求めてブヨが飛び回る畑で、聞く図鑑をきっかけに始めた鳥の観察遊びにも話は及ぶ。ウグイスの声を聞き分け、いつかこの記録に出てくるK・A・G・Mの圃場符号についても説明を残しておきたいという気づきも。
花を切り忘れたことに気づいた中島が、軽トラに積み込み中作業を記録した一本。発話は短く、その代わりに約28分間、里山の生物音が豊かに記録された。
時間帯: 13:39〜の昼下がりにもかかわらず鳥のさえずりが活発 → 6月の繁殖期ピーク季節遷移: 春の鳥(ウグイス、カッコウ類)と夏の虫(ニイニイゼミ)の共存が特徴的 → まさに「晩春から夏への移行期」生息環境の推定: ウグイス + ホトトギス + オオヨシキリ + アマガエル + ウシガエル の組み合わせから、林縁部、畑、湿気が近接する圃場K: 11種以上の鳥、2-3種のセミ、2種のカエルを確認 → 非常に豊かな生態系
ほぼウグイスの鳴き声とハサミのパチパチ音、たまに園主の声が入る回。六月二十三日、K圃場。アルケミラの株分け作業中、古い根を残すと苗が浮いて欠株するという仮説。曇りで風が少し肌寒い一日、妻と話したジョジョ五部のあのシーンの出典探し、産地見学会に向けた自己紹介の練習、桔梗の発芽率は七割くらいだった。給油(車に)とビール(園主に)を買って帰る一日。
深夜23時43分、六合地区。深酒の夜、中島は住宅の周囲を徘徊していた。南の空では雷が光り、星は霞に隠れている。針葉樹の闇の中から、一定の間隔で「ピー、ピー」と鳴く声が届く。その正体を確かめようと、マイクを手に外へ出た。
夜鷹か、鵺か。鳴き声は判然としないまま、記憶は数年前の蒸し暑い夜へと遡る。この山に移住してから出会ったという、妖怪か神か分からぬものの話——酔いの中で、その輪郭をたどる。スマホのライトを点ける。「こわ」とつぶやく。
補足分析によれば、この声はヨタカまたはトラツグミの可能性が高い。トラツグミは古来「鵺」の声として知られ、宮沢賢治の『よだかの星』にも連なる。先月まで定住していたフクロウは、いつの間にか姿を消していた。今夜の鳥は、まだここにいる。
「歯磨きして寝ます」と言いながら、中島は家へと戻った。
六月の午後、中島はAフィールド周辺の草刈りの合間に録音を始めた。七月になれば蜂が巣を守り始める——就農前に師匠から聞いたその話を、眉唾だと思いながらも肌感覚で信じている。藪を放置すれば、ある日突然、蜂が飛び出してくる。だから今のうちに刈っておく。
日曜日に出品した中之条花マルシェは、客層がよかった。入園料を払って植物園に来る人たちだ。一本百円の売り台に自分で花を拾って束ねていった客のひとりが、上手に組んだ花を持ってきた。「花やってましたか?」と聞いたら「花やってます」と返ってきた。言葉ではなく、手の動きや作法から相手の背景が滲み出ていた。探偵みたいな、嬉しい瞬間だった。
マルシェは労力を考えると正直割に合わない。それでも中島は「祭りだと思って」参加する。楽しいから。山ログのフォロワーが倍増したことへの、緊張ともちがう感覚もあった。「遊びで続けていく」とひとり確認して、録音を終えた中島は再び草刈り機のエンジンをかけた。
六月十三日、土曜日。K圃場で、中島はひとり花を切っていた。翌十四日の中之条花マルシェに向けた準備作業だった。マイクは軽トラの荷台の上に置かれ、その日の音を拾っていた。風の気配、鳥やセミの声、そして時折やってくる来客の声。録音はやがて、スマートフォンの発熱によって静かに途切れた。機械が音を上げたその瞬間まで、中島は花を切り続けていた。
マルシェの前日というのは、静かな緊張感がある。売り物になる一本を選び取る手つきには、値踏みとも愛着ともつかない感覚が混じる。Kの圃場は、そういう作業に向いている。広すぎず、狭すぎず、手が届く範囲に花がある。軽トラはその日の道具置き場であり、録音スタジオだった。
来客はいつも唐突にやってくる。会話がはじまれば、それも記録の一部になる。ログとは、計画された音だけでなく、その日にたまたま起きたことの総体なのかもしれない。マイクを置き去りにしても気にしない。
いつの間にかマイクを指していたスマートフォンが熱を持ち録音は止まっていた。
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