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お釈迦様には、ラーフラという一人息子がいました。
ラーフラが生まれて間もなく、悟りを求めて故郷を離れたシッダールタ太子。そして長い年月を経て、仏となった父と、その息子が再会します。
母ヤショーダラーに「父から財産を譲ってもらいなさい」と言われたラーフラ。しかし、お釈迦様が息子に譲ろうとしたのは、金銀財宝ではありませんでした。
ラーフラの出家、そしてそのことを知った祖父シュッドーダナ王の悲しみから生まれた、教団の一つの決まり。
今回は、お釈迦様とその家族をめぐる物語をご紹介します。
Why do we get angry, even when we don't want to?
In this 5-Minute Dharma Talk, we look at anger from the perspectives of Buddhism and grief support.
In Buddhism, anger is called shin'ni (瞋恚) and is considered one of the three poisons. In grief support, anger can also be understood as an emotion that may arise when we feel we have lost something important.
So, instead of simply trying to get rid of our anger, what if we asked ourselves:
“What was I trying to protect just now?”
Perhaps our anger can help us notice something precious within us.
Take five minutes to pause, reflect, and explore what may lie beneath your anger.
なぜ私たちは、「怒りたくない」と思っていても、怒ってしまうのでしょうか。
今回の**「5-Minute Dharma Talk(5分法話)」**では、「怒り」を仏教とグリーフケア、二つの視点から見つめます。
仏教では「怒り」を「瞋恚(しんに)」といい、三毒の一つとして説かれます。一方、グリーフケアの視点から見ると、怒りの奥には、「自分にとって大切な何かを失った」という感覚が隠れていることがあります。
だから、怒りをただ消そうとするのではなく、こんなふうに自分に問いかけてみる。
「私は今、何を守ろうとしていたんだろう?」
怒りを見つめることは、自分が本当に大切にしているものに気づくことなのかもしれません。
5分間、少し立ち止まって、怒りの奥にあるものを一緒に見つめてみませんか。
日本語
裕福な家に生まれながら、欲望に満ちた生活を離れたいと願った青年ピッパリは、同じ思いを持つ女性バッダーと結婚します。しかし二人は夫婦となってからも清らかな生活を守り続け、やがてともに家を捨て、出家の道を歩み始めました。
お釈迦さまと出遇った摩訶迦葉尊者は、ぼろきれを衣として身にまとい、衣食住への執着を離れる「頭陀行」を生涯貫いたことから、「頭陀第一」と称えられます。
なぜ彼は、そこまで厳しい生き方を選んだのでしょうか。
妻バッダーとの物語、そしてお釈迦さまとの深い信頼関係を通して、摩訶迦葉尊者の生涯をたどります。
お釈迦さまに匹敵するほどの才能を持っていたともいわれる、提婆達多。
しかし彼は、やがてお釈迦さまに代わって自分が教団を率いようとし、それを拒まれたことから、反逆の道へと進んでいきます。
なぜ、優れた力を持つ人が、これほどまでにお釈迦さまを憎むようになったのでしょうか。
「認められたい」「自分のほうが優れている」「あの人さえいなければ」
提婆達多の物語を通して、誰の心にも潜んでいる「比べる心」について考えます。
English Description
Welcome to HOUWA NO KI — Heartwarming Buddhist Stories, the English version of Hōwa no Ki, presented by Taiki Fujii.
In this episode, we reflect on a very human contradiction:
“When I’m alone, I want to be with someone.
But when I’m with someone, I want to be alone.”
Through a poem about never being truly alone, the Buddhist teaching of dependent origination, and the example of a three-legged race, we explore loneliness, human relationships, love, hatred, and our tendency to put our own convenience first.
What does Buddhism teach us about the connections between our lives?
And how does Amida Buddha call us to awaken to the life we share with others?
I hope this talk offers you a quiet moment to pause, reflect, and feel a little more connected.
Thank you for listening.
Japanese Description
「法話の樹・ほっとする仏教のお話」の英語版です。
今回は、「一人でいると二人になりたい。二人でいると一人になりたい」という、私たちが抱える矛盾した心をテーマにお話しします。
「一人じゃない」という言葉から、縁起という仏教の教え、そして二人三脚のたとえを通して、孤独、人とのつながり、愛と憎しみ、そして自分の都合を優先してしまう私たちの姿を見つめます。
私たちは、本当に一人で生きているのでしょうか。
そして、そんな私たちに阿弥陀さまは、どのように呼びかけてくださっているのでしょうか。
英語での法話にチャレンジしています。どうぞお付き合いください。
「どうしても手放せないもの」はありますか?
大切な人への思いや欲しいもの。
認められたい、成功したい、もっと幸せになりたい――。
今回ご紹介するのは、お釈迦さまの異母弟・ナンダのお話です。
結婚したばかりの妻を忘れられないまま出家したナンダ。そんな彼に、お釈迦様は「妻のことなど忘れなさい」とは言いませんでした。
執着を力ずくで押さえ込むのではなく、まず「自分はこれを手放せないんだな」と、その心を見つめてみる。
手放せない心から始まる仏教について、ナンダの物語を通して考えます。
Welcome to “Heartwarming Buddhist Stories: Houwa no Ki.”
I’m challenging myself to share Buddhist teachings in English. My English may not be perfect, but I hope you’ll enjoy listening and join me on this journey.
In this talk, I reflect on a simple question: Why do we have two ears and only one mouth?
We often think about what we want to say. But perhaps Buddhism invites us to listen more carefully—to the people around us, to our own words, and to the voice within ourselves.
I hope this short Buddhist talk gives you a moment to pause, listen, and reflect.
Thank you for listening, and please take things at your own pace.
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「ほっとする仏教のお話・法話の樹」へようこそ。
今回から、英語で法話をお届けすることにチャレンジしてみます。まだまだ英語は勉強中ですが、どうぞ一緒にこの挑戦にお付き合いください。
今回は、「なぜ私たちには耳が二つ、口が一つあるのだろう?」という素朴な問いから、聴くことについて考えてみました。
人は、何を話すかについてはよく考えます。でも、周りの人の声に耳を傾けること、自分自身の言葉に耳を傾けること、そして自分の内側にある声に耳を澄ますことも、大切なのかもしれません。
この短い法話が、皆さんにとって少し立ち止まり、耳を澄ます時間になればうれしく思います。
最後までお聴きいただき、ありがとうございます。
どうぞ、ご自身のペースでお過ごしください。
今回ご紹介するのは、チャンナというお坊さんのお話です。
チャンナは、お釈迦さまが出家するとき、そのお手伝いをした人物でした。
そのため、「自分は誰よりもお釈迦さまに近い」という思いを強く持っていました。
しかし、その思いは次第に高慢さへと変わり、仲間の悪口を言ったり、注意されても自分の非を認めなかったりするようになります。
そんなチャンナに対して、お釈迦さまが残した最後の対応は、
「誰もチャンナに話しかけてはいけない」
というものでした。
叱られることよりも、嫌われることよりも、
「誰からも口をきいてもらえない」ことが、チャンナにとっては大きな苦しみだったのです。
人は、一人では生きていけません。
誰かとつながっているからこそ、傷つくこともあれば、腹を立てることもあります。
今回のお話を通して、
「人とつながっている」ということの大切さについて、一緒に考えてみたいと思います。
今日のお話が、皆さんにとって、
人とのつながりについて考える、ほんの少しの時間になればうれしく思います。
今回は、仏弟子・阿那律(あなりつ)尊者と、お釈迦さまにまつわる物語です。
阿那律尊者は、お釈迦さまの説法の場で居眠りをしたことを深く恥じ、「二度と眠らない」と誓って厳しい修行を続け、その結果、視力を失ってしまいます。
そんなある日、阿那律は自分の衣のほころびを縫おうとしますが、目が見えないため、針に糸を通すことができません。
そこで「誰か、私のために針に糸を通して、功徳を積もうとする人はいませんか」と声をかけます。
すると、そこに現れたのは、、、、
この「衣」と「針と糸」の物語から、お釈迦さまがお弟子一人ひとりと向き合われた姿、
そして「自分のためではなく、すべての生きとし生けるもののために」という利他の心について、一緒に味わってみます。
講演や会議、授業などで、ついうとうとと居眠りをしてしまったことはありませんか?
今回のお話は、お釈迦さまの説法を聞きながら居眠りをしてしまった仏弟子・阿那律尊者のお話です。
阿那律尊者は、自分の居眠りを深く恥じ、「もう二度と眠らない」と誓います。
しかし、その決意はやがて彼自身の身体を追い詰めていくことになります。
そんな阿那律尊者に、お釈迦さまが伝えたのは、
「修行を怠るのもよくない。しかし、酷使しすぎるのもよくない」
という言葉でした。
一生懸命に生きることと、自分を追い詰めることは同じではありません。
「休むことも大切」という、身近なテーマから、仏教の「中道」について考えてみます。
どうぞ最後までお聴きください。
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