先日、こどもたちを連れて電車に乗ったときのことです。乗車してすぐ私はこどもたちに「どこかにつかまりなさい」と声をかけました。けれども、こどもたちは私の声が聞こえなかったのか、知らんふりしてそのまま立っていたのでした。「つかまる」ということは自分の身の安全を守るために大切なことです。それだけではありません。親としては、こどもたちがつかまらなかったゆえに、電車がゆれて、人様にぶつかったり、足を踏んだりして、迷惑をかけてはいけない、そんな思いもありました。こどもたちが、どうしてつかまらなかったのかは、こどもに聞かなかったのでわかりませんが、もし私がこどもの立場にいたら、なぜつかまらないか考えてみますと、すぐに思い浮かんだことがあります。それは、自分は大丈夫、自分はつかまらなくても倒れない、滑らない、つまずかない。そんな思いがあると「つかまる」ことをしないだろう、そう思いました。そしてその時、これは人生の真理に通じることだと直感しました。
(続きは音声でお聞きください)
・第一部
180729_1_一生を支えるもの_マタイの福音書3章13-17節_原牧師_宣教.mp3
・第二部
180729_2_一生を支えるもの_マタイの福音書3章13-17節_原牧師_宣教.mp3
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主日礼拝宣教ガイド 20180729_一生を支えるもの_マタイ3章13~17節.pdf