天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」 episodes

  • 気が付かないまま、守られている
    気が付かないまま、守られている
    東京都在住  松村 登美和
    先日、インターネットを見ていると、「生活定点」という名前の生活意識調査が目に留まりました。国内の大手広告代理店の研究所が二年に一度行っている調査で、2024年の調査結果が発表されていました。
    質問の一つに、「あなたは幸せですか?」という問いがあり、その回答に「幸せ」と答えた人が73.5%、「不幸せ」と答えた人が5.3%、「どちらともいえない」と答えた人が21.2%という結果でした。それを見て、私は「幸せ」と答えた人が思ったより多いなと感じ、なんとなくホッとしました。
    続いて関連質問を見ていくと、「あなたが欲しいものは何ですか? 三つまで回答してください」というものがありました。
    これに対する答えの上位3つは、「お金」が61.8%、「健康」が47.1%、「安定した暮らし」が41.7%。これについては、やはりお金を求める人が多いよな、と思ったのが率直な感想でした。
    ちなみに余談ですが、私は現在60歳です。この調査では年代別の集計もされているのですが、「欲しいもの」に対する60代の回答の1位は、「お金」ではなく「若さ」でした。ここは実に共感を覚えるところでした。
    さて、「欲しいもの」の1位、2位が「お金、健康」、3位が「安定した暮らし」という結果を見て、しみじみ思ったことがあります。それは、お金があり、体が健康であっても、「暮らしが安定している」こととイコールではない、ということです。
    私は30年近く天理教の教会長を務めていますが、この間、多くの人と出会ってきました。その中には、お金は持っているけれども、暮らしが安定しているとは感じていない人、身体に疾患があっても、暮らしはしっかり安定している人など、様々な人がいます。要は、自分の心のあり方、物事の受け止め方によって、暮らしが安定するかどうかが決まってくる、そのように感じます。
    その「暮らしが安定する物事の受け止め方」を身につけることが出来るのが、天理教の信仰の有り難いところです。
    少し紹介したいと思いますが、天理教の神様は、天理王命(てんりおうのみこと)というお名前で、親しみを込めて私たちは「親神様」とお呼びしています。
    この親神様は、十全の守護を下される神様です。「十全」とは、十分完全ということ。つまり何も欠けることなく完全に、私たち人間や、人間が生きている地上のあらゆることをお守り下されている神様、ということです。
    その御守護の具体的な働きを、天理教の教祖「おやさま」は、イメージしやすいように、神様の名前を付けて教えて下さいました。その一つに「くもよみのみこと」という名前のお働きがあります。
    「くもよみのみこと。人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理」と教えられています。
    飲み食い出入りとは、口から食べて、胃で消化して、腸で栄養を吸収し、血液に乗せて体の隅々に養分を行き渡らせ、お尻から不要物を排泄する。つまり、消化器系や循環器系の働きのことです。
    水気上げ下げとは、空から雨が降り、地面に浸み込んで、土の中の養分もろとも稲や野菜が吸収し、育つ。そして水分は蒸発して空に上がり、雲となり、また雨が降る。そうした地球環境の循環の御守護のことです。親神様はそのように、私たちが普段あまり意識をしていない中で、確実に私たちを生かし、守って下さっているのです。
    以前、とあるご婦人に、この親神様の御守護の話をしました。するとその方が「なるほど、よく分かります」と仰いました。天理教のことは全くご存知ない方だったので、「どうして分かるんですか?」と逆に聞き返しました。
    そのご婦人が言うには、一年前に息子さんが結婚をした。ところが奥さんになった方は食が細く、体も細い。ご婦人は心配して、お嫁さんに「無理をしてでも食べなさい」と促して、食事の量を増やしました。
    すると、ふっくら健康そうに見える体になったのに、ある日突然体調を崩し、倒れてしまった。診察を受けると、「お母さんも結果を一緒に聞いてください」と同席を求められました。悪い病気かと思い、恐る恐る病院へ行くと、「お嫁さんはどこも悪くありません」と。
    「この人は痩せているけれど、体は内臓も筋肉もとても健康です。ただ、生来全身の血管が細い。無理にたくさん食べて体が大きくなったことで、栄養を届ける血流が追いつかず、心臓が一生懸命に動きすぎて、負担がかかっている状態なんです。お母さん、この人はこの体で十分元気なのだから、無理に食べさせなくて大丈夫です」。お医者さんから、そう言われたのです。
    ご婦人は、「人間の目で見て不健康そう、と私は思っていたけれど、実はそれが守られている姿だったんですね。神様の御守護って、そういうことなんですね」と話して下さいました。
    お金の有る無し、体の具合、年齢など、それぞれ人により状況は違うと思います。ですが「自分は人と比べて違う」と焦ったり悩んだりすることは、目の前にある幸せを、見落としたり見過ごしたりすることにつながります。
    親神様は、一人ひとり、その人その人にふさわしい形で、間違いなく御守護を下されています。
    もし、いま「不幸せ」だと感じている方は、「もしかしたら、不幸せばかりではないのかもしれない」と、そして、いま「どちらともいえない」と感じている方は、「もしかしたら、幸せがあるのかもしれない」と、一度考えてみてはどうでしょうか。
    むらかたはやくにたすけたい
    江戸末期、この教えが伝え始められた頃は、人口のおよそ八割の人々が農業に従事していたと言われています。お言葉に出て来る「村方」とは、その農家の人たちのことを指します。
    直筆による「おふでさき」に、
      村かたハなをもたすけをせへている  はやくしやんをしてくれるよふ (四 78)
    とあるように、教祖は近隣の村方の人々をとても気にかけておられます。「一に百姓たすけたい」と仰せになったのも、困窮する農家の多い時代、人々が食糧に困らぬように陽気ぐらしへ導いてやりたいという、まさに人類の母親ゆえの思召しからであると言えましょう。
    その一方で、「みかぐらうた」に、
      むらかたはやくにたすけたい  なれどこゝろがわからいで (四下り目 六ッ)
    とあるように、そうした教祖の親心が、当時、お屋敷の近隣に住む人々にはなかなか伝わらなかったのです。
    人々は、普段から身近に教祖に接しているがゆえに、その心安さもあって、教祖が神のやしろとなられたことを理解できなかったようです。ましてや、「貧に落ち切れ」との神様の思わくのままに、食べ物や着る物、家財道具や金銭、田畑まで次々に施されるのですから、驚くのも無理のないことでしょう。
    そうしたなか、誤解を解かなければたすけの道が前へ進まないとの思いから、教祖自らお針の師匠をつとめられたり、また息子の秀司さんは寺子屋を開き、近所の子供たちに読み書きなどを教えられました。こうして村人たちは少しずつ、教祖の行いが憑き物や気の違いによるものではないことを理解していったのです。
    このような逸話が残っています。
    明治八年九月二十七日、この日は、教祖の末女・こかん様の出直した日です。庄屋敷村の人々は、病中には見舞い、容態が変わったと聞いては駆け付け、葬式の日は、朝早くから手伝いに出ました。
    葬式の翌日、後仕舞の膳の席で、村人たちがこかん様の生前の思い出を語っていました。そして教祖に思いを致し、話し合ううちに、「ほんまに、わし等は、今まで、神様を疑うていて申し訳なかった」と、中には涙を流す者さえありました。
    そこで「わし等も、村方で講を結ばして頂こうやないか」と相談がまとまり、その由を教祖に申し上げました。講とは村々における信者の集まりのことで、いわば賑やかにおつとめがつとめられるわけですから、教祖は大層お喜び下さいました。
    こうして、最初はお屋敷へ疑いの目を向けていた村方の人々へも、徐々にこの教えが広まっていったのでした。
    (終)
    13 min
  • サードマン現象(後編)
    サードマン現象(後編)
          助産師  目黒 和加子
    リスナーの皆さん、NHK総合テレビで人気だった『爆笑問題のニッポンの教養』という番組を覚えていますか? これは、お笑いコンビ・爆笑問題の二人が大学教授や研究者をはじめ、その道のプロフェッショナルの現場を訪問する番組でした。
    あの日の主役は、著名な心臓外科医A先生。タイトルは『天才心臓外科医の告白』。
    A先生は、最新の医療機器を見せながら手術方法を爆笑問題の二人に説明しつつ、「実はね。手術中、僕の中に神様が降りてくる時があるんですよ」と言ったのです。そして、その意味を説明し始めました。
    「手術前の検査データから手術の難しさを予想して臨むんですが、切開して心臓を見ると想定外に状態の悪い時があります。『これはマズイ、自分には無理かもしれない』と頭の中は真っ白になり、もう祈るしかないという心境になるんです。
    そういう時に神様が降りてくる。神様が降りてくると頭の中は冴え渡り、普段の手術の時よりも手先がシャープに動く、というか動かされている。もはや自分の手という感覚ではない。
    さほど重症でなく手術した患者さんよりも、想定外に状態が悪く神様が手術した患者さんの方が術後の回復が早く、退院後も良好に過ごしておられます」。そう笑顔で語っていました。
    「私と同じような経験してる医療職者がいてはる。しかもあのA先生やん」と嬉しい反面、「不思議を感じているのは私だけで、周りの人と共有したことはないよなぁ」と、何かすっきりしません。
    そんなある日、サードマンの存在を決定づけるお産に当たるのです。
    その日は夜勤。出勤すると、初産婦の田辺さんが分娩室に入るところでした。日勤からの申し送りでは、胎児の推定体重は3500グラムとかなり大きく、産道を下りれずに途中で停滞しているとのこと。それから一時間息み続けましたが、胎児は産道の途中で止まったまま。田辺さんは力尽きて言葉も出ません。
    すると胎児心拍が一気に低下。この医院には、吸引分娩や鉗子分娩の器械も装置もありません。手術室もないので帝王切開もできません。産婦のお腹を押すしかないのです。
    体重100キロを超える巨体の院長が、全力で田辺さんのお腹をグイグイ押しますが、全く動きません。院長の汗が田辺さんのお腹に滴り落ちています。「トン……、トン……、」胎児心拍は今にも止まりそう。15分後、とうとう心拍が停止してしまいました。
    「もうこれ以上、力が出ません。ご主人さん代わりに押して!」パニックになる院長。
    「何を言うんだ、それでも医者か!」怒り出すご主人。分娩台の上の産婦を挟んで言い合いになっています。
    分娩室が修羅場と化す中、オロオロする私に院長が「そうや、目黒さん押してみて」と言ったのです。
    「相撲取りのような院長が15分押しても動かへんのに、私が押して出るわけないやん」と思いつつ、出来ませんとは言えない雰囲気。産婦の息みに合わせて全力でお腹を押しましたが、胎児は微動だにしません。
    「心拍停止して5分、もうダメや」と諦めかけた時、田辺さんが「助産師さん…赤ちゃんをたすけてください」と、か細い声を発したのです。
    「こうなったら神さんしかない!」自分の寿命を差し出す覚悟を決めました。
    「次の陣痛で底力出して息むんよ。私も命がけで押すからね!」
    精魂尽き果てる寸前の田辺さんと自分に喝を入れ、全力でお腹を押しました。すると、拍子抜けするぐらいスルスルッと出てきたのです。しかし、出てはきたものの赤ちゃんの全身は群青色で心拍は停止したまま。ぐったりして産声をあげません。
    「ここで諦めてなるものか!まだ間に合う!」がっくり肩を落とす院長に喝を入れました。
    再び身を捨てる覚悟を決め、あらゆる蘇生処置を施すと心拍が戻ってきたのです。「ふんぎゃ~」と呻くような産声をあげ、自発呼吸が始まりました。
    弱々しい産声はだんだん力強くなり、身体の色も群青色から紫色、紫色からピンク色へと変化していきました。手足を動かし始め、筋肉の緊張もしっかりしてきたのです。
    3750グラムの男の子。この赤ちゃんの、へその緒と胎盤の中に流れる血液、臍帯血のpH値は6.89。見たことのない数字です。pH値が7.0を下回ると限りなく死に近づきます。pH値が書かれた紙を持ったまま、全身の毛が逆立つのを感じました。
    廊下から蘇生の様子をガラス越しに見ていたご主人に、「状態は安定しました。もう大丈夫です」と伝えると、「ありがとうございます! 目黒さんにたすけて頂いたことは一生忘れません」私の腰にしがみつき、泣き崩れています。
    「私がたすけたように見えるけど、それは違う。お産の神さんがたすけてくれはったんよ。神さんがたすけたんやから、社会の役に立つ子に育ててくれはる?」
    「約束します、約束します! この子の名前は浩(ひろ)です。ありがとうございます…」
    ご主人の泣き声が、夜の廊下に響いていました。
    それから二年が経ち、二人目を妊娠中の田辺さんが、里帰り分娩で実家に帰る前に私に会いに来られました。
    「お産のことは怖い思い出になってしまって、夫婦の間で話すことはなかったんですが、浩の一歳の誕生日の日に主人が、『浩は社会の役に立つ人に育てる』と言い出したんです。訳を聞くと、『お産の後、目黒さんが、私がたすけたのと違う、お産の神さんがたすけてくれはったんよ。神さんがたすけたんやから、社会の役に立つ子に育ててねって言わはった。だから約束したんや』って。それを聞いて私、やっぱりって納得したんです。
    目黒さんが一回目に私のお腹を押した手は、冷たい手でした。喝を入れられて二回目、目黒さんの冷たい手の他に温かい二本の手、合計四本の手が私のお腹を押してたんです。温度差があったのではっきり分かりました。
    本当にお産の神様がたすけてくれたんですね。浩はお約束通り、社会の役に立つよう育てていきます」
    ニコニコしながら、そう言ってくれたのです。
    「手が四本って…。あの時、教祖も一緒にお腹を押してはったんや…」
    サードマンの存在を産婦さんと共有し、あの時も、この時も、教祖が側にいて加勢して下さっていたことを確信したのでした。
    水にたとえて
    教祖は、私たち人間が得心しやすいように、生活に根差したあらゆる例えを用いて教えを説かれています。例えば、人の心は「水」に例えられています。
      これからハ水にたとゑてはなしする  すむとにごりでさとりとるなり (三 7)
    透き通るように澄んだ水もあれば、濁っている水もある。それに例えて話しをするから、しっかり悟りとるようにと仰せられます。
    『天理教教典』には、
    「人の心を水にたとえ、親神の思召をくみとれないのは、濁水のように心が濁っているからで、心を治めて、我が身思案をなくすれば、心は、清水の如く澄んで、いかなる理もみな映ると教えられた」
    と記されています。
    また、親神様の思いに添わない、自己中心的な心遣いを「ほこり」に例えて戒められ、
            せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ  神がほふけやしかとみでいよ (三 52)
    と、そうした「ほこり」の心遣いを払うためには、親神様の教えを箒として、絶えず心の掃除をすることが大切であると諭されています。
    水や箒など、誰もが生活に必要なものに例えてお教えくださるのは、水槽に少しずつ水を蓄える如く、徐々に私たちに深い思わくを理解させていこうとの親心からなのです。
    それと同様に、直筆による「おふでさき」では、親神様の呼び方、「神名」についても、最初は「神」といい、次に「月日」と呼び、更には「をや」という呼び方を用いて、徐々に身近な存在として理解できるようにご配慮下さっています。
      にんけんもこ共かわいであろをがな  それをふもふてしやんしてくれ   (一四 34)
      にち/\にをやのしやんとゆうものわ  たすけるもよふばかりをもてる   (一四 35)
    人間も子供が可愛くて仕方がないであろう、神もそれと同じであると、私たちが我が子を慈しむ親心によせて、お教え下されています。
    親神様はすべてにわたりご守護下さる絶対的な神であると同時に、ただ仰ぎ見るばかりの遠い存在では決してないということ、日頃のささいな喜びや悲しみまでも、すべてを打ち明け、すがることの出来る親身の親であり、どこまでも身近な存在であることを教えられています。
    たとえそのお姿は見えなくとも、日常の暮らしにおけるどんな場面においても、親神様は私たちのすぐそばにおられるのです。
    (終)
    14 min
  • サードマン現象(前編)
    サードマン現象(前編)
    助産師  目黒 和加子
    「勝手に促進剤を中止するとは、どういうことだ!」
    「夜通し促進剤を続けるなんてありえません。子宮筋が疲労して子宮破裂の可能性があります! 母と子に危険が及ぶと判断し、中止しました!」
    職員通用口を開けるなり耳に飛び込んできたのは、大声で怒鳴り合う声。院長と夜勤助産師の池田さんが、休憩室で大ゲンカの真っ最中です。
    「すぐに促進剤を始めるぞ!」と言い放ち、部屋を出ていく院長。その背中を睨みつける池田さん。一体、何があったのでしょう。
    その二日前、破水で来院した初産婦の原さんは丸一日待っても陣痛が来ず、前日の朝から分娩促進剤の点滴を始めました。胎児を取り巻く卵膜が破れ、羊水が漏れ出すことを破水といいます。破水すると細菌が子宮内に侵入し、胎児が感染の危険にさらされます。自然に陣痛が来なければ薬で陣痛を起こし、お産を進めます。
    17時の時点で子宮口は半分の5センチ開大。通常はここで点滴を止め、夜は子宮を休ませます。子宮は促進剤で強制的にギュッと縮んだり戻ったりをさせ続けられるので、疲れてくるのです。
    院長は「20時まで点滴を続けよう」と言いました。20時になり内診しましたが、子宮口は5センチと変わりません。今度は「23時まで続ける」と言い、車で外出。23時に外出先から電話で、「明日の朝まで点滴続行しておいて」と指示を出しました。この時も子宮口は5センチのまま。
    池田さんは、「子宮が疲労して分娩が停止しています。促進剤を中止して子宮を休ませてください」と上申しましたが聞き入れてもらえず、中止を自分で判断しました。
    翌朝、院長が来てみると促進剤は前日の23時で中止されていて、バトルとなったようです。
    申し送りを受けた日勤の私。怒りが治まらない池田さんに、「今日のところはゆっくり休んで」と声をかけ、原さんのいる陣痛室に行くと、とんでもないことになっていました。
    引きつった顔の原さんがお腹を抱えて息み、強烈な痛みで言葉も出ない様子。促進剤の点滴量を調整するポンプの設定が、なんと通常の倍の量になっているではありませんか。院長が早くお産にしようと量を多くしたので、子宮の収縮が強くなり過ぎ、過強陣痛となっているのです。
    すぐに促進剤を中止。分娩室に入れて内診すると、子宮口はほぼ全開大。このままお産になると判断し、病衣をめくるとお腹に薄茶色の縄のようなものが浮かび上がっています。
    「まさか、これって…。バンドル収縮輪や!」
    助産学の教科書でしか見たことのない、子宮破裂の前に現れる「バンドル収縮輪」が目の前に。
    「まずい。このままでは子宮が破裂して母児共に命がない!」
    バンドル収縮輪を見た院長は青ざめ、「T病院に搬送をお願いしてきますッ!」と大慌てで電話をしています。
    すぐに救急車が到着。原さんとご主人を乗せ、T病院へ出発するその時、「僕は外来診療があるので、目黒さんが乗って行って」と院長。
    「何言うてるんですか! ドクターが行かないと途中で何かあったらどうするんですか!」
    「日勤の医者は僕一人やし、外来の患者さんを待たせてるので」と、立ち去ってしまったのです。
    そのやりとりを聞いていた救急隊員が、偶然にも私が以前に分娩介助した秋本さんのご主人でした。
    「目黒さん、どうする?」
    「押し問答してても時間のムダや。秋本さん、突っ走って!」
    「任せてください!」
    救急車は原さんとご主人と私を乗せ、飛ぶようにT病院へ。この車中で私は不思議な体験をしたのです。
    震える原さんの手を握り、「すぐに着くからね」と励ましつつも、バンドル収縮輪は一層くっきりと浮かび上がり、破裂寸前。
    「神さん、私の寿命、好きなだけ差し上げます。原さんと赤ちゃんをたすけてください!」と身を捨てる覚悟を決めました。
    「あ、T病院が見えた」。一瞬気が緩んだその時、気づいたのです。誰かが私の背中をさすっていることに…。
    振り返ってみると、ご主人は椅子に腰かけて震えています。
    「ご主人と私との間に誰かいてる…。これは何?」
    不思議に包まれると同時に、T病院に到着。分娩室に運び入れ、3分後に出産。子宮破裂はギリギリのところで回避されました。
    T病院からの帰りのタクシーの中。ドキドキが治まらず、深呼吸すると背中がスースーするのに気づきました。
    「あれ、ブラジャーのホックが外れてるわ。なんで外れてんのやろ?」
    ブラジャーのホックは簡単に外れません。なぜ、外れているのか。女性のリスナーさんは分かりますよね。背中を強くさすられたから外れたのです。
    頭の中がザワザワしながら、思い出したのは、数か月前にNHK教育テレビで見た「地球ドラマチック」という番組。テーマは「サードマン現象」。第三の存在という意味です。
    「サードマン現象とは、遭難や漂流、災害現場などで絶体絶命の極限状態に置かれた時、奇跡の生還へと導いてくれる目に見えない第三者の存在を感じること」と説明されていました。
    その時は、「なんやそれ。根拠のないこと言うて」と流していたのですが、「けど、スースーする背中は現実や。私の背中をさすっていたのはサードマンなんやろか?」と思案をめぐらせていると、過去に同じような経験を何度もしていることに気づいたのです。
    「子宮が収縮せず胎盤剥離面から大出血したMさんの時、産道から子宮の中に手を入れて圧迫止血する私のそばに誰か居てた。息遣いを感じたよな」
    「へその緒が四重に巻きついて産道で動けなくなったYちゃんの時、誰かが私の背中にくっついて、二人羽織状態で赤ちゃんを取り上げたっけ」
    「薬剤性ショックで血圧低下したFさんの時は、頭の中がコンピューターのようになって、優先順位をはじき出して抜かりなく処置できた。あの時は自分の頭の中が自分じゃないみたいやった。危機一髪の時に出てくるのは、いったい誰なんやろう?」
    そんなある日、私の周りに現れるサードマンが分かったのです。それを教えてくれたのは、これまたNHKのテレビ番組。
    その正体は…来週の後編で。
    夫婦揃うて
    大阪で左官業を営んでいた梅谷四郎兵衛さんは、入信して間もない頃、教祖から「夫婦揃うて信心しなされや」とのお言葉を頂きました。四郎兵衛さんは早速、妻のタネさんに「この道というものは、一人だけではいかぬのだそうであるから、おまえも、ともども信心してくれねばならぬ」と話したところ、タネさんはこれに素直に従い、夫婦で熱心に信仰を始めました。(教祖伝逸話篇92 「夫婦揃うて」)
    信仰の先人の中では、おしどり夫婦の代表のような四郎兵衛さんとタネさん夫妻。四郎兵衛さんはおたすけに出向く際には、タネさんに場所や人物、お願いの筋を必ず詳しく伝え、タネさんもそれを一心に受け、留守番をしながら必死にたすかりを願ったと伝えられています。
    明治十五年、教祖が奈良監獄署へ拘留された時の話です。この時、四郎兵衛さんはお屋敷に滞在しながら、朝暗いうちから起きて、奈良までの約12㎞の道のりを差し入れのために通っていました。
    奈良に着く頃に、ようやく空が白み初め、九時頃に差し入れ物を届けてからお屋敷へ戻る毎日でした。ある時は、監獄署の門の中へ黙って入ろうとすると、「挨拶せずに通ったから、かえる事ならん」と警官に脅かされたり、帰ったら帰ったで、お屋敷の入り口では張り番の警官にとがめられ、一晩中取り調べを受けるなど、毎晩二時間ぐらいしか寝る間がない有様でした。
    十二日間の拘留の末、教祖は大勢の人々に迎えられ、お元気にお屋敷へ帰られました。すると教祖は四郎兵衛さんをお呼びになり、
    「四郎兵衛さん、御苦労やったなあ。お蔭で、ちっともひもじゅうなかったで」
    と仰せられました。
    四郎兵衛さんは不思議に思いました。監獄署では、差入れ物をするだけで、直き直き教祖には一度もお目にかかっていないのです。それに、自分のそのような行動を、他の誰かが申し上げているはずもありません。
    ところが、その頃、大阪で留守番をしていた妻のタネさんが、教祖の御苦労をしのび、毎日蔭膳を据えて、お給仕をしていたのです。(教祖伝逸話篇106「蔭膳」)
    四郎兵衛さんとタネさんが、夫婦で心を一つに合わせ、教祖を思うその真実を見抜き見通され、教祖はそのようにお声を掛けられたのです。
    お言葉に、
      ふたりのこゝろををさめいよ  なにかのことをもあらはれる(四下り目 二ッ)
    とあります。
    どんな中でも夫婦が心を一つに治め、一すじ心で通る中に、陽気ぐらしへの道が開かれることをお教え下されています。
    (終)
    14 min
  • ピンポンが押せなくて…
    ピンポンが押せなくて…
    兵庫県在住  旭 和世
    ある日、中学生の娘が「今日友達に天理教の布教してきた~」と言います。「ええ?そうなん?どんな布教したん?」と聞くと、
    「うちの家は、普通の家と違ってお寺っぽいから不思議がられるねん。だから、うちは天理教の教会やで~って紹介したら、友達が『私のおばあちゃん家の近くにも天理教あるわ~』とか、『結構色々な所にあるよな~』って盛り上がってさ~」と嬉しそうに話しています。
    若い人達の間で、自分の推しや好きなものを友達に紹介したり広めることを「布教」と言うのが流行りのようで…。道を伝える「伝道」とはまたちょっと違った意味にはなりますが、娘がそうやって教会について楽しく紹介してくれたことを嬉しく思いました。
    私自身も天理教の教会で生まれ、育てて頂いたので、友達が家に来ると、神殿のぼんぼりなどを見て「大きいお雛さんやな~」とか、「広くていいなあ」などと言われてちょっと嬉しかったことを思い出します。
    でも、だんだん成長するにつれて、友達に説明したり、天理教について話したりすることが難しいなあと思うようになりました。時々、親について行って神名流しをしたり、戸別訪問をすることがありましたが、特に母は電車に乗っていても、病院や買い物に行っても、隣にいて仲良くなった人にいつでも神様のお話をするような人でした。内心、「お母さんすごいな~。私は恥ずかしくてそんな話できないわ~」とずっと思っていました。
    そんな中でも、教会に出入りされる方が、神様のお話を聞いて心の向きが変わり、幸せになっていく姿をたくさん見せて頂いてきたので、「やっぱり神様はおられるんだ。これは真実の教えなんだ」と実感することも度々でした。
    その後、私は教会の後継者さんとご縁があり、教会に嫁がせてもらいました。ところが、育児や日々の生活に必死で、布教・にをいがけに出ることがほとんどなくなっていました。「こんなことでいいんだろうか」と思いながらも、外に出ずにいると、どんどん気持ちが沈んでいって、喜べない自分に自己嫌悪がつのる毎日でした。
    そんな時、近くの教会の同年代の奥さんにその悩みを打ち明けたことがきっかけで、「一緒ににをいがけをしよう!」となり、近隣の奥さん達にも声をかけ、月に数回にをいがけに回らせて頂けるようになりました。みんな子育て道中で、それぞれ悩みや事情を抱えながらも、子供達を連れて神名流し、路傍講演、戸別訪問が出来るようになりました。
    中でも、私が緊張するのは戸別訪問です。インターホンを押すのに勇気が要って、「もし出て来られたら何て言おう…」とドキドキしながら回っていました。
    そして、ドキドキしながらも思い出したのは、若い頃、大阪にある「花園布教修練所」で三カ月間、布教の勉強をさせてもらっていた時のことでした。寮生活をしながら、毎朝にをいがけに出る時にみんなで掛け合う言葉がありました。
    匂いが掛からなんだら掛からんでよろしい
    お救けがあがらなんだらあがらんでよろしい
    食えなんだら食わんでよろしい
    そんなこと神様のなさる事や
    あんたはただ歩いたらええのや
    雨の日も風の日も毎日な
    歩けんようになったら座ったらええ
    神様の領分と人間の領分
    はっきり分けることが肝心や
    賢うなったら道は通れん
    喜び湧いてこん
    神様の邪魔をしているようなものや
    この道は実行
    ひながたの道通るより他に道はない
    この言葉が頭に浮かんできました。
    そうか、自分に何が出来るのか、何を話すのかとオロオロしていたけれど、そうじゃなかった!
    神様の領分! 神様のなさること! だから私は、教祖のお供をさせてもらったらいいんだと、心が軽くなり、勇気が湧いてきました。
    すると、嫌そうな顔をされたり、ちょっと怒られたりしながらも、頭を下げて「ありがとうございました」とお礼を言って、そのお家の幸せを祈りながら回れるようになりました。
    そして不思議なことに、普段の生活の中でも、それまで喜べなかったことがとても小さなことに感じられたり、にをいがけで断られる度に、知らず知らずのうちに高慢になっていた自分の心を低くして頂いているなあ、ありがたいなあと、喜びがどんどん増えていきました。
    そんなある日、大教会の団参を控え、一人でも多くの方におぢばに帰って頂きたいと、教会につながる方や、まだおぢばに帰ったことのない方に声をかけていました。もう一人、もう一人と思っても、なかなかいい返事はありませんでした。
    そんな中、花園布教修練所で教えて頂いた言葉がまた浮かんできました。
    「信仰は裏付けが大切。ご守護頂くには、理づくりや伏せ込みが大切だよ」と聞かせて頂いていたので、とにかく理づくりのために歩かせてもらおうと、時間を見つけては歩いていました。
    そして、いよいよ団参の前日です。その日もお誘いに歩いていました。けれど、いつものようにお断りばかり…。もう少し、もう少しと歩きましたが、とうとう時間が来て、肩を落としながらトボトボと坂道を歩いて帰ろうとしていました。
    すると、坂の途中で一本の電話がかかってきたのです。以前、団参にお誘いしていた未信者のおじさんでした。
    「旭さん、明日、なんか天理に行く言うてはりましたなあ。ぼく、それ行きますわ」とのことです。
    私はとても驚き、「あ~、親神様が働いて下さったんだ、教祖が導いて下さったんだ」と胸が熱くなりました。その方はその後、別席を運ばれ、ようぼくになって下さいました。
    「どんな所にをい掛かるも神が働くから掛かる」(M26.7.12)
    というお言葉がありますが、私のこんなつたない「理づくり」にも、神様のお働きを見せて頂けたことに、心から喜びを感じました。そして、神様に受け取って頂けるための理づくりの大切さを、実感した出来事でもありました。
    「自分の智恵や力には限界があるけど、神様のご守護は無限大だよ」と、よく母が言っていた意味がようやく理解できた気がしました。
    インターホンがなかなか押せず悶々としていたあの日のことを思うと、またこうやって、にをいがけに歩けるようになって本当に良かった。今でもインターホンを押す時はドキドキしますが、あの頃のドキドキとは少し違って、「この扉の向こうには、どんな方が待っていて下さるのかな。教祖が導いて下さる方だから、きっと前生からご縁のある方だろうな」と思えるような、楽しみなドキドキに変わっています。
    そして、私が連れて一緒に歩いていた子供達はと言うと…。今では成長し、にをいがけに出る私に「よくやるわ~」と言います。
    かつて私が母に抱いていた気持ちと同じだなあと、微笑ましく思いつつ、一緒に歩いた日々は、子供たちにとってきっと無駄にはならないと信じて、先を楽しみにしています。
    だけど有難い「初詣はするものの…」
    年の初めに、大勢の人が初詣に行きます。そして「家内安全」「家運長久」「商売繁盛」などをお願いします。なぜ、そうしたことをお願いするかというと、自分の力では実現できないからです。その際、大半の人はタダでお願いはしないものです。お賽銭を上げます。「良い年=一一一四円」、あるいは「福来い=二九五一円」などと縁起の良い数を金額にしてお願いするのです。それくらいのお供えでたくさんお願いするのは、ちょっと厚かましいのではとも思いますが、それはさておき、一生懸命にお願いをします。
    しかし、どうでしょう。年末になって「おかげで家内安全で過ごせました」とお礼に来る人で神社が溢れ返るといった話を聞いたことはありません。毎年ひっそりと年の瀬を迎えます。そして新しい年を迎えると、いきなり大勢の人が初詣に訪れて、また「家内安全」「家運長久」「商売繁盛」を願うのです。要するに、願いっ放しなのです。お願いが叶っても、お礼はしない。
    私たちは、親神様のご守護のおかげで生きているということを知っています。一年間、家族が元気に過ごさせていただけたこと一つをとっても、どれほど有難いことかと思わずにいられません。そうしたことを忘れることなく、お礼をさせていただかなければならないと思います。
    今年一年、家族のうえに、自分自身のうえにお見せいただいたこと、頂戴したご守護をしっかりと噛み締める。そして、ご恩を感じたなら、ご恩報じの道を歩ませていただく。実はそうすることが、いま頂戴している幸せを深く味わい、さらに次の幸せの種を蒔くことになるのです。
    世界では大きなテロ事件がたびたび起こり、ずいぶん警戒しているという話を聞きます。自爆テロをする人たちは、自爆すれば死んで天国へ行けると教えられているのです。イスラム教だけではありません。キリスト教も仏教も皆、死後の安寧、死んで天国や極楽へ行く道を説いています。
    教祖は、「こゝはこのよのごくらくや」と教えてくださいました。人間は、この世で陽気ぐらしを味わわせていただくのであり、死んでから行く天国はないのです。出直してもまた、この世に生まれ替わってくるのです。そのことが分かれば、自爆テロをするような人は出てこないはずです。
    私たちは、陽気ぐらし世界実現の御用にお使いいただくようぼくです。一日も早く、一人でも多くの人に、この道を伝え、そして、生きて極楽を味わえる世界に立て替わるよう、共に働かせていただきたいと思います。
    (終)
    15 min
  • 心の生活習慣
    心の生活習慣
    福岡県在住  内山 真太朗
    近年、生活習慣病になる人が増えているようです。これは日々の食生活や生活リズムなど、何気ない小さな事の毎日の積み重ねが大きな要因の一つと言われていますが、人間関係で起こってくる事情も、これと同じ事なのかもしれません。
    ある教会月次祭の日、おつとめも終わり、参拝者も帰られ、ひと息ついていた時、自転車に乗って教会に入ってくる人がいました。見れば、ついさっきまで一緒に月次祭を参拝していた信仰熱心な75歳の女性、タカコさん。
    よく見ると、自転車に荷物をいっぱい積んでいるので、てっきりバザーに出す品を何か持ってきてくれたのかと思い、声をかけると「ちょっとしばらく教会に泊めてほしい」と言います。突然のことで驚きましたが、話を聞くと、夫婦げんかをしたとのこと。
    タカコさんは、80歳になるご主人と夫婦で二人暮らし。ご主人は、若い頃は銀行マンとして支店長まで勤め上げ、社会的な信頼も非常に厚く、地域でも色んな役をつとめておられた方です。しかし、家庭では厳しく、ちょっと気に入らない事があると奥さんに当たり散らし、ひどい時には手が出てしまうこともあると言います。
    教会月次祭のこの日、予定していた時間よりタカコさんの帰りが遅かった事にご主人は腹を立て、「だいたいお前は嫁としてのつとめが全く出来ていない!もう出ていけ!」と大激怒。そこまで言われると、売り言葉に買い言葉で、タカコさんは「出ていけと言われるなら出ていきます!」と言って、荷物をまとめて家を出て、行くところもないから教会に来た、ということでした。
    まあ、せいぜい2、3日もすれば気持ちも落ち着いて帰るだろうと、最初は軽い気持ちで見守っていました。ところが、それから一週間経ち、二週間、三週間経っても一向に帰る気配はありません。
    タカコさんは教会に来てからというもの、朝づとめ前から起きて、お掃除や洗濯、子供の世話まで、教会の用事は何でもやってくれるので助かりはしますが、ご主人の事が心配じゃないのかと尋ねると、「あの人は家事も自分でするし、一人で生きていけるから大丈夫」とキッパリ言います。
    教会に来て一か月が経ち、ご主人から電話が掛かってきました。「もう帰ってきてくれ」と。私は内心、「あー良かった。これで治まる」と思い、タカコさんに電話を変わると、「あなたはこの前、私の事を全否定しましたね。私にあなたの嫁はもう務まりませんから、帰るつもりはありません」と平然と言ってのけ、電話を切ってしまいました。
    これ以降も、何回もご主人から電話がありましたが、頑なに同じ返事を繰り返します。とうとう、事情を聞いたご主人の親族から連絡があり、「教会にご迷惑をおかけして申し訳ありません。ついては本人と一緒に教会に行って、タカコさんと話し合います」とのことで、早速来て頂きました。
    あんなにお元気だったご主人がげっそり痩せて、歩くのもやっとの状態。奥さんに出て行かれてから一か月、まともな食事をしていなかったそうです。
    教会で、一か月ぶりの夫婦再会。タカコさんと顔を合わせた瞬間、ご主人はボロボロ涙を流され、「私が悪かった。申し訳なかった。この一か月、お前のいない生活で、いかに自分が一人で生きていけないかが分かった。頼む、この通りだから帰ってきてほしい。もう一度、私にやり直すチャンスを下さい」。
    大の男の魂のさんげ。それに対してタカコさんは、「私の事は先立ったと思って一人で生きて下さい。世の中には独り身の男性は大勢いますから。私はもうあなたの元には帰りません」とキッパリ言います。そこから一時間、話は平行線のままでその日は終わりました。
    これはさすがに放っておく訳にはいかんと思い、とにかく私は第一にげっそり痩せたご主人が心配でしたので、それから毎日、タカコさんには内緒で、教会から食事を持って自宅にうかがい、ご主人と色々話をしながらご飯を食べることを続けました。
    そして肝心なのは、タカコさんの心の向きを変えることだと思い、本人とねりあいを重ねました。しかし「ご主人も反省されているし、一度帰ったらどうでしょう」といくら説得しても、全く動く気配はありません。
    タカコさんは教会生まれ、教会育ちで、おぢばの学校も卒業しており、教理や夫婦についての教えをしっかり理解しています。その上で、「私はね、結婚して40年以上、主人に何とひどい事を言われようが、ずーっと我慢して、夫を立てて通ってきました。おかげで家も建ち、たった一人の息子も立派に独り立ちしてくれました。夫婦二人になった今、もう余生は生まれ育った実家の教会で過ごしたいんです」と、年を重ねたご婦人の切実な思いを語ります。
    「みかぐらうた」に、「ひとのこゝろといふものハ ちよとにわからんものなるぞ」とありますが、人の心、気持ちを変えるという事は実に難しいものです。
    これはまず神様に働いてもらうより他ないと思い、私はその日から毎日、一日6回のお願いづとめ、そして12下りのてをどりをつとめさせて頂きました。それに加えて思案したのは、息子さんにこの事情をきっかけに、信仰に目を向けてもらいたいということでした。
    私とは幼馴染で、当然両親の状況も知っている彼ですが、国立大学の先端技術研究者として日夜研究に励みながら、授業も担当して多忙を極め、しかも遠方に住んでいるのでどうすることも出来ないとのこと。
    そこで私は、「自分たちではどうにもならない事を神様にお願いする以上は、自分たちが今まで出来なかったような事を神様に約束したいんだ。是非とも、久しぶりにおぢばがえりをして、別席を運ぶという約束をしてもらえないだろうか」と彼に話をしました。
    すると彼は、「自分も何とか両親には仲直りしてもらいたいと思っている。実は大学の隣りに天理教の教会があって、お昼休みに毎日参拝に行っているんだ」と。彼は子供の頃、教会の鼓笛隊に入っていたので、参拝の仕方も知っているし、おつとめも出来るのです。
    そして、「別席もずっと声を掛けられていたけど、なかなか気持ちも向かなかったし時間も取れなかった。でも、こういう時に折角声を掛けてもらったから、久しぶりにおぢばがえりをしよう」と、別席を運ぶことを約束してくれました。
    さて、それから3日後、約二か月近く教会にいたタカコさんが突然、「うちに帰ります」と言い出しました。え?突然どうして?と驚いて話を聞くと、「やっぱり自分の家と主人が気になるから、もう一度やり直してみます」と言って、いともあっさり帰って行きました。
    数日後、さっそくご夫婦で教会にお礼に来られました。夫婦でたくさん話し合ったそうで、ご主人も笑顔を取り戻しておられました。息子さんが日々、時間を作って参拝していた真実、そして別席を運ぶと心定めをした真実を、神様がお受け取り下さった姿だと思いました。
    夫婦や親子関係、仕事場での人間関係のトラブル、または借金などの金銭トラブル。これらは「心の生活習慣病」と言えるのかもしれません。
    普段の家族や周囲の人たちに対する何気ない心遣い、心の生活習慣を、お道では「ほこり」と教えて頂きますが、それが積もり重なると、さまざまなトラブルや事情が起こってきます。
    タカコさんとご主人のトラブルも、40年間もの日々の「心の生活習慣」がもたらした出来事だったのです。
    教祖は、様々なお言葉や行いによって、日々の通り方の大切さを教えられています。教えを自らの心のほこりを払う箒として日々を通り、それによって家族がたすかり、周りの人がたすかるご守護を頂けるように、これからもつとめさせて頂きたいと思います。
    尽くした理は末代
    日ごろ私たちは、どれくらいの時間の幅を意識しながら生きているでしょうか。理想と情熱に燃える若き時代は、何十年先の将来を見つめていたこともあるでしょう。仕事や子育ての慌ただしさの中で、今日明日のことしか考えられない時期もあるかも知れません。その状況や年齢によって、時間の価値や感じ方が違うのは当然のことです。
    いずれにしても、総じて人の視野には、自分の一生という限られた時間しか映ってこないのが普通のことのようです。人生八十年、九十年は当たり前、百年時代の到来とも言われる昨今ですが、その年月の中で、自ら成したことの結果を求めるのが人間というもの。
    この教えを聞き、人間の魂は生き通しで、生まれかわり出かわりをするという「出直し」の教理を信じる者でさえ、一生の枠を超えて思案をめぐらすのは容易なことではありません。前生や来世のことは、私たちには分からない神様の領域の話です。
    しかし、神様の教えの中には、「末代」という言葉がしばしば出てきます。一代、二代、三代と世代を重ね、いのちが途切れず続いてゆく。それは私たち人間にとっては大きな慶び事です。そうした視点で神様のお言葉を味わってみると、そこには悲観的な未来よりも、より発展的な未来を想像することができます。
    「尽した理は一代やない、二代やない。末代捨てさしゃせん」(M28・5・16 補遺)
    「人間は一代、一代と思えば何でもない。なれど、尽した理働いた理は、生涯末代の理である」 (M37・3・3)
    道の上に尽くした理は、これから先、代々、いついつまでも消えることはない。目先にとらわれがちな私たちの人生観を、根本から変えるお言葉であり、まさに生き方の大転換を迫られているようです。
    日々の心を尽くす行いを、必ず神様がお受け取り下さり、末代にわたって消えることのない理として残る。そのことが、どれほどの安心と救いになるでしょう。精一杯の努力をして、たとえその場は報われなくとも、まいた種が後々に芽を吹くのだと知れば、心は大いに勇み立ってきます。ともすれば、心を倒しそうになることの多い私たちを、これほど励まして下さるお言葉はないと思うのです。
    (終)
    15 min
  • あるタイ人の若者と天理教の出会い
    あるタイ人の若者と天理教の出会い
    タイ在住  野口 信也
    タイにはラームカムヘーン大学という、高校卒業資格を持つタイ人であれば誰でも入学できる大学があり、40万人を超える学生が学んでいます。ただ、入学が簡単で学生数が多いため、講義はモニター越しで行われることがほとんど。やる気のある者には広く門戸を開いて受け入れるが、真剣に学ばない者は卒業できないという、日本にはないタイプの大学です。
    ある時、この大学に通っていたK君と知り合いになりました。彼は、私が再留学した時に住んでいたアパートの駐車場にある店舗で雑貨を販売していました。K君はとても気のいい人で、アパートの住人や警備員など、誰とでも気さくに話し、私もすぐに彼と仲良くなりました。
    K君は人付き合いが良く、友達も多いのですが、勉強が少し苦手なようで、大学卒業は難しいかな、といった感じでした。
    K君は私と仲良くなるにつれ、タイ出張所へ参拝に来たり、子供会などの行事に参加したり、時には友人を誘って参拝に来るなど、次第に天理教に関心を持ってくれるようになりました。そこでK君には、大学を卒業出来なくても、仕事を始める前に、少しでも天理教のことを学んでもらいたいと思うようになりました。
    天理教には、人生で本当の幸せをつかむための心の使い方と身の行い方を、人類のふるさと「ぢば」で3カ月間学ぶ「修養科」という所があります。たすかりたいという心から、たすけたいという心、人のために尽くす心に生まれ変わる場所です。
    1988年から、修養科にも隔年でタイ語クラスが開催されるようになり、K君にもぜひ修養科に入ってもらいたいと思っていました。しかし、修養科の費用や日本での滞在費、航空券代など、とても当時の彼にはそうした費用は捻出できません。また、私が費用を出してまで行ってもらう意味があるのかどうかと悩んでいました。
    そうした時、ある先生から、「子供が成人するまで面倒を見るのが親の役目。費用は親の立場である導いた者が負担させてもらう。そうすることで、導かれた信者さん自身はおぢばで伏せ込んだ徳を頂き、費用を出し導いた者は半分徳を頂くことになります」とのお話を聞きました。それで決心がつき、K君に話をしてみると、大学のことも気にかかっていたようですが、日本へ3か月間行けるという楽しみが勝り、すぐに承諾してくれました。
    そうしてK君は、翌年の5月から開催された修養科タイ語クラスに入学しました。一か月が経った頃、K君の関係者から、大学での試験にパスして卒業に必要な単位を取得できたとの連絡があり、K君は涙を流して喜びました。彼にとっては、本当に人生のいい分岐点になったのだなと感じました。
    さて、修養科を終えタイへ戻ったK君、次は就職です。悩んだ末、高校時代から付き合っている彼女の勧めで公務員の試験を受けました。9年かかってようやく大学を卒業した彼はすでに29歳、何とかギリギリの点数で採用され、雑用係からのスタートとなりました。
    その2年後、タイ出張所で行われた、修養科に志願する人たちの事前研修会でK君に修養科の感想を話してもらいました。彼は、授業はタイ語だったので問題はなかったけれど、生活する詰所ではタイ語が通じなかったことや、日本人の修養科生との共同生活での苦労などを語り、「でも、私の人生にとってはよい経験になりました」と話してくれました。
    そして35歳の時、レクリエーション課長に就任した彼は、ようやく高校時代から付き合ってきた彼女と結婚しました。タイ出張所で天理教式の結婚式を挙げ、その後、タイ式結婚式、披露宴と続きました。
    K君の田舎から、彼の母親と家族がバンコクへやって来ました。彼は「僕は9番目の子供で、一番の問題児だった。その僕がこんなに盛大な式を挙げられて本当に嬉しい」と話しました。また、K君の奥さんと家族からは、「天理教のおかげで彼は変わりました」と、お礼を言って頂きました。
    それもそのはず、就職してからのK君は、何か思うことがあったのか、大学の土曜日、日曜日コースへ通い始め、就職前に取得した経営管理学士の他、政治学士の資格を取得しました。その後、超難関のチュラロンコン大学の法学部も卒業し、バンコク都内の病院の法律顧問を始めたりと、仕事も順調なようでした。
    そして2011年、私がタイ出張所へ赴任してからは、修養科の費用やその時の滞在費、航空券代などを返済したいと、私の銀行口座に毎月少しずつ振り込みをしてくれるようになりました。それは、教祖140年祭へ向けてのお供えと併せて、現在も続いています。
    その後も彼は時間を惜しんで勉強し、法学修士、政治学修士の資格を取得しました。さらに大学院で環境開発管理博士号を取得、バンコク都庁の広報室長を経て環境局長に就任し、メディアにも登場するようになりました。まさに昇り竜の如き出世です。
    異例の速さの昇進で、コネもなく、権力にも興味のないK君自身が不思議がっているほどでした。ただ、一番下っ端の雑用係からスタートした彼は、どの立場の人に対しても気さくに声をかけるなど、優しくて人望があり、それが一つの大きな要因になったのかもしれません。
    私がタイ出張所に赴任してから、ひのきしんデーなどの対外行事では、K君は関係者に連絡を取り、適切な場所や人を紹介してくれています。彼が環境局長の時には、天理大学から、国際交流プロジェクトに参加する学生に向けた研修を開きたいとの依頼がありました。早速彼に連絡をすると、バンコクのチャオプラヤー川という大きな川での清掃作業の企画が立ち上がり、26名の学生らに対して、15台の船と約80名ほどのスタッフでサポートしてくれました。
    また、2024年9月、天理教の青年会本部がタイへの布教キャラバン隊派遣を検討するため、真柱継承者の中山大亮様を筆頭に、青年会委員のメンバーが来訪した際には、青年会とタイの天理教信者が共に活動を行えるように尽力してくれました。
    この時は、バンコク都内の係官たちも準備段階から快くお手伝い下さり、電車公園という大きな公園で、子供たちの遊具のペンキ塗り作業を約120名の方々と共に行うことが出来ました。
    するとその直後、2024年10月1日付で、K君はバンコク都庁事務次官に任命されました。バンコク都庁職員10万人を指揮する最高指導者の数名の中に選ばれたわけですから、一般採用の彼にすれば、ほぼ最高到達点といっても過言ではないでしょう。タイの信者さんたちもそうですが、K君本人が一番驚いたようでした。
    K君とは月一回の割合で二人っきりで飲みに行きますが、何よりも一人息子が医者になってくれたことが嬉しいと話してくれます。仕事でも、これまで自分が要職につけたことを大変不思議に感じ、喜んでいるようですが、家族のことが彼にとっては特に嬉しいようです。
    彼自身は大きな声で「天理教の信仰のおかげです」とは言わないのですが、言葉や態度の端々に神様への感謝が感じられます。退官後は病気がちな妻と一緒に、もう一度修養科へ行きたい、そう言ってくれています。どんな言葉より彼の信仰に対する思いが伝わってきました。
    これが天理や
    教祖はよく、お屋敷へやってきた若者と力比べをすることがありました。そうして神の厳然たる力を示されるとともに、信仰の要諦についてお教え下されています。
    明治12年秋、大阪の中川文吉さんが、突然眼を患い、失明寸前の状態となりました。近所に住む井筒梅治郎さんのおたすけにより、三日のうちに鮮やかな御守護を頂いた文吉さんは、翌明治十三年、お礼詣りに初めてお屋敷へ帰らせて頂きました。
    教祖は、文吉さんに親しくお会いになり、「よう親里を尋ねて帰って来なされた。一つ、わしと腕の握り比べをしましょう」と仰せになりました。
    日頃から力自慢の文吉さんは、このお言葉に苦笑を禁じ得ませんでしたが、拒むわけにもいかず、たくましい両腕を差し出しました。すると教祖は、静かに文吉さんの左手首を握られ、次いで文吉さんに、右手で教祖ご自身の左手首を力の限り握り締めるようにと、仰せられました。
    文吉さんは仰せ通り、力いっぱい教祖の手首を握りました。すると不思議なことに、反対に自分の左手首が折れるかと思うほどの痛みを感じたのです。
    文吉さんは、思わず「堪忍して下さい」と叫びました。すると教祖は、
    「何もビックリすることはないで。子供の方から力を入れて来たら、親も力を入れてやらにゃならん。これが天理や。分かりましたか」
    と仰せになりました。(教祖伝逸話篇75「これが天理や」)
    スポーツにおけるトレーニングでも、力を入れ、負荷をかけることによって体力はついていきます。信仰において鍛える部分は、唯一自由に使うことを許されている「心」。この信仰は「願い通りの守護」ではなく、「心通りの守護」であると教えられます。子供の方から力を入れるとは、即ち親神様にもたれて精一杯信仰の実践に努めることです。
    親神様は、私たちが日常、どれほど真実を尽くし、心を尽くして働いているか、その力の入れ具合をご覧下さっています。「この人はこれだけの基礎体力があるはずなのに、まだまだ出し惜しみ、使い惜しみをしているな」と判断されれば、親神様も力をフッとゆるめてしまわれるかも知れません。
    日々、信仰実践によって基礎体力をあげながら、いざという時は、力の限りを総動員して親神様にもたれ切る。その時親神様は、ビックリするほどのご守護をお見せ下さるに違いありません。
    (終)
    15 min
  • 陽気ぐらしの扉は自分で…
    陽気ぐらしの扉は自分で…
    大阪府在住  山本 達則
    家族の存在は当たり前で、それ自体に幸せを感じることを、忘れがちになってしまうことが多いように思います。それどころか、時には煩わしい存在になったりする事も少なくないと思います。
    家族だからこそ言えること、言ってもらえることがある。それは本当は、自分自身にとってとても大切な存在のはずですが、かけがえのないものなのだと気づく時は、それを失った時だということもあるのではないでしょうか。
    でも、それは「当たり前だ」という思いがもたらすのです。全ての人が、当たり前に与えられるわけではありません。
    ある家族の話です。
    会社員のAさんは、奥さんとの間に高校生の男の子と中学生の女の子、二人の子がいるごく普通の家庭を築いています。Aさんのお母さんは91歳で亡くなりましたが、そのお母さんが晩年に、とても趣深いお話しを聞かせて下さいました。
    お母さんは、戦後の混乱期に、実に数奇な人生を歩まれた方でした。彼女は長崎で生まれ、幼い頃に被爆し、その影響で視覚に障害がありました。戦後、一人の男性と出会い、子供を授かります。しかし、男性の家族から厳しい反対にあい、結婚どころか、子供の認知もしてもらえませんでした。彼女はそれでも子供を産み、育てて行くことを決意しました。
    今以上に私生児に対する風当たりの強かった当時、その厳しい視線にさらされ、視覚のハンデを背負いながらも、必死にAさんを育てました。
    そんな時、お母さんは天理教の教えに出会い、教会に足を運ぶようになりました。そして、会長さんに諭された言葉によって、大きな勇気を得ました。
    「あなたもあなたの子供さんも、決して不幸ではなく、ましてや神様から罰を与えられている訳でもありません。『お父さんがいない』というご守護を頂けたんですよ。
    父親がいて母親がいて子供がいる、というご守護ももちろんあって、それが当たり前だと思ってしまいがちだけど、決してそうではない。世の中には結婚どころか、出会いすらないという方もいるし、いくら子供が欲しいと思っても、授からない人もたくさんいます。目が普通に見えるのは、当たり前ではない。見えない方もたくさんおられる中で、あなたは見えにくいというご守護を頂いたんです。その上であなたは子供を与えて頂いた。素晴らしいご守護ですよね。
    でもね、そのような現実を喜ぶのは言葉で言うほど簡単ではありません。けれど、それを喜べるように心を切り替えて、生活していくのが天理教の教えなんです。今の状況を心の底から喜べるようになったら、きっと神様が次の喜びを下さいますよ」
    そして会長さんは、「だから、二人で教会においで」と優しく言って下さったそうです。
    それから、二人は教会に住み込みました。お母さんは教会で教えを学び、ひのきしんに励みながら、昼間は外で働いて必死にAさんを育てました。教会には8年間住み込み、その後、お母さんを応援して下さる方が現れ、教会を出て親子二人での生活が始まりました。
    親子は本当に仲良く、いつもお互いを労わり合い、教会にもしっかりとつながりながら、日々を過ごしました。
    お母さんは、「私は周囲の人から『大変ね』とか『頑張ってね』と励まされることが多い人生でしたけど、実は私自身は大変だと思ったことはないんですよ」と笑顔で話して下さいました。
    そしてAさんは、高校卒業後、公務員として務めることになりました。Aさんは真面目に働き、親子でコツコツ貯めたお金で念願のマイホームを手に入れ、その数年後、Aさんは一人の女性と出会い、結婚することになりました。
    ほどなく子供も授かり、親子3代仲睦まじい家族の形ができました。お母さんの喜びようは、例えようのないものだったと思います。
    そしてお母さんは、息子さん家族の幸せな姿を見ながら、91歳の長寿を全うし、出直しました。自分自身が心から望んだ「家族」に見守られながら、安らかな最期を迎えることが出来たのです。
    お母さんは生前、Aさん家族の姿を見ながら、いつも「凄いね、凄いね」と口癖のように言っていたそうです。Aさんが「何がそんなに凄いの?」と聞くと、「二人が出会って、結婚して、子供も授かって、一つ屋根の下で仲良く生活出来るって、凄いことよ。お母さんは、それをあなたにしてあげられなかったもの」と。
    そして、お母さんの出直す直前の言葉をAさんが教えて下さいました。
    「お母さんは、もしかしたら人と比べて大変な人生だったかも知れないけど、人よりたくさんの喜びもあったのよ。だって、人が当たり前に手にしているものでも、無いことが多かったから、それが得られた時の喜びはとても大きかったの。
    お母さんは、あなたにたくさんいい思いをさせてもらって、嬉しいことの多い人生だった。ありがとう」
    「当たり前」だと思っている姿に、心の底から感謝の気持ちが湧いてきた時。それが、陽気ぐらしへの扉を、自ら押し開けようとしている時なのかも知れません。
    人を救けるのやで
    欲の心を取り払った捨て身の覚悟が大きなご守護につながるというお話が、『教祖伝逸話篇』には数多く残されています。
    明治15年3月頃のこと。胸を病んで医者から不治と宣告された小西定吉さんは、近所の人からにをいをかけられ、病身を押して、夫婦揃っておぢばへ帰り、教祖にお目通りさせて頂きました。妻のイエさんは、この時二人目の子供を妊娠中でした。
    イエさんが安産の許しである、をびや許しを頂いた時、定吉さんが「この神様は、をびやだけの神様でございますか」とお伺いすると、教祖は、「そうやない。万病救ける神やで」と仰せられました。そこで定吉さんは、「実は、私は胸を病んでいる者でございますが、救けて頂けますか」とお尋ねしました。すると教祖は、「心配いらんで。どんな病も皆御守護頂けるのやで。欲を離れなさいよ」と、親心溢れるお言葉を下さいました。
    このお言葉が強く胸に食い込んだ定吉さんは、心の中で堅く決意をしました。家へ帰ると、手許にある限りの現金をまとめて、全て妻のイエさんに渡し、自分は離れの一室に閉じこもって、紙に「天理王尊(てんりおうのみこと)」と書いて床の間に張り、「なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと」と、一心に神名を唱えてお願いしました。
    部屋の外へ出るのは、用を足す時だけで、朝夕の食事もその部屋へ運ばせて、連日お願いをしました。すると不思議にも、日ならずして顔色も良くなり、咳も止まり、長い間の苦しみからすっかりお救け頂いたのです。
    また、妻のイエさんも楽々と男の子を安産させて頂いたので、早速おぢばへお礼詣りに帰らせて頂き、教祖にお礼を申し上げると、「心一条に成ったので、救かったのや」と仰せられ、大層喜んで下さいました。
    定吉さんが、「このような嬉しいことはございません。この御恩は、どうして返させて頂けましょうか」と伺うと、教祖は、「人を救けるのやで」と仰せられました。そこで再び定吉さんが、「どうしたら、人さんが救かりますか」とお尋ねすると、教祖は「あんたの救かったことを、人さんに真剣に話さして頂くのやで」とお諭し下さいました。(教祖伝逸話篇100「人を救けるのやで」)
    「みかぐらうた」に、
      よくのないものなけれども  かみのまへにハよくはない(五下り目 四ッ)
      なんでもこれからひとすぢに  かみにもたれてゆきまする (三下り目 七ッ)
    とあります。
    私たちに欲の心のあることを、親神様は重々ご承知です。その上で、「神の前」で真剣にたすかりを願う時、欲の心は自然に取り払われるのだと教えて下さいます。定吉さんの捨て身の覚悟の一すじ心の祈りを、親神様はお受け取り下さったのです。
    その後、定吉さんが教祖の仰せ通りに、自分の救かった話を取り次ぎながら、人だすけの上に邁進したことは言うまでもありません。
    (終)
    13 min
  • アリガトウ大作戦
    アリガトウ大作戦
    岡山県在住  山﨑 石根
    今年の夏休みに、小学5年生の末娘が歯医者で舌の手術をしました。きっかけは舌小帯と呼ばれる、舌の裏側についているヒダが短いと、小学校の健診で指摘をされたことでした。
    歯医者を受診すると、確かに舌を前に出そうとしても口からあまり出ておらず、これから学校で英語などを学ぶ際に発音が難しくなるだろうからとの理由で、手術することを勧められました。
    さて、彼女の手術は朝イチでしてもらいました。もちろん麻酔をしているので手術中は痛くないのですが、「麻酔が切れると今日一日は痛いでしょう」とのことで、痛み止めの薬と抗生剤を処方して頂きました。また、食事は刺激のあるメニューは避け、柔らかいものを食べるように助言を受けました。
    ところが、彼女は昼食も夕食も痛くて何も食べられなかったのです。
    昼には妻がフレンチトーストを作ってみましたが、本人は口を動かすのも痛いようで昼食はあきらめました。夕食では、「それを牛乳に浸しながら食べたら飲み込めるかも?」と挑戦しましたが、やはり無理でした。お腹が空いているのに食べることが出来ず、とても辛そうで、私たち夫婦も切なくなりました。
    その日の夜、私は末娘に、病の平癒を願う「おさづけ」を取り次ぎました。神殿の参拝場にて妻も一緒にお願いをさせて頂いた後、私は娘に「かりもの」の話をしました。
    天理教では、誰もが自分のものであると思って使っているこの身体は、親神様のご守護と共に私たち一人ひとりに貸し与えられた「かりもの」であると教えられます。そして、心だけが自分のものであり、自由に使うことをお許し下さっているので、神様にお喜び頂ける心遣いが大切になります。
    私はこの大事な教えを末娘に分かるように伝えた上で、「こうして身体が自分の思い通りに使えなくなった時こそ、普段、当たり前のようにご飯が食べられていたことの有り難さを確認して、感謝したいよね。実は、ととも今から20年以上前に、ご飯が食べられなくなった時があるんで~」と、自分の体験を話しました。
    平成13年6月17日、私は人生で初めて入院を経験しました。その2、3日前から発熱と喉の痛みがあって、次第に声が出なくなり、食べ物や飲み物が喉を通らず、ついには唾すらも飲み込めなくなりました。
    当時、妻とはすでにお付き合いしていたのですが、心配して一人暮らしの私の住まいに看病に来てくれた彼女とは、筆談でしか会話が出来ませんでした。そしていよいよ限界が来て、大きな病院を救急で受診して検査をすると、白血球の数値が20,000を超える危険な状態ということで、緊急入院となりました。
    翌朝、痛み止めの薬を飲み、何とか3日ぶりに食事がとれたのですが、さっそく午前中に扁桃腺を切開する手術のような処置がされました。診断名は「扁桃周囲膿瘍」という扁桃腺に膿がたまる症状で、切開で膿を排出することが必要でした。
    その処置の痛いの何の! 処置の後も痛み止めを飲んだのですが、あまりの痛さに昼食は一時間かけても口に入らず、結局ほとんど残すことになってしまいました。
    このような苦い体験を末娘に説明しながら、私は5日間の入院中、大勢色んな人たちがおさづけを取り次ぎに来てくれて嬉しかったことや、その時にみんながたくさん神様のお話を聞かせてくれて有難かったことなどを伝えました。
    とりわけ面白くて心に響いたのは、私の母、娘にとってはおばあちゃんの話。「おじいちゃんとおばあちゃんと、ととの妹がすぐに岡山から駆け付けてくれて、やっぱり神様のお話をしてくれてね。最後におばあちゃんが、『あ
    んたはいっつも返答せんから、扁桃腺が悪くなるんやで』って言ったんで~」と言うと、それまで辛そうにしていた娘も、ようやく笑顔になりました。
    病気や困りごとは神様からのお手紙だと聞かせて頂きます。当時の私は実際に親から、教会の月次祭へ参拝するよう、信仰姿勢を問いかけられていたのに、仕事の忙しさを理由に返答できていなかったのです。
    毎日、当たり前のように会話ができ、ご飯が食べられ、お水が飲めたこと。この当たり前の中にどれほど神様のご守護があふれていたかを思い知らされた私は、日々感謝の心を忘れず、しっかりと参拝をしなければならないと決心したのでした。
    さて、小5の娘には早すぎるかなぁと迷いましたが、思い切って彼女に尋ねてみました。
    「あんたは今回、お口のことで神様からお手紙をもらいました。ととと同じようにご飯が食べられなくて困っているけど、どんなお手紙やと思う?」
    普段から勘の鋭い彼女は、すぐに何かを察したようです。そして照れくさそうに、「口が悪い」と呟いたのです。我が娘ながら、お見事です。
    そうなんです。5人兄弟の末娘なので、彼女はいつまで経っても一番下です。なので、何とかお兄ちゃんやお姉ちゃんに対抗しようとするあまり、ここ数か月、彼女の言葉遣いの悪さは目に余るものがあり、幾度となく私たち夫婦から「最近、口が悪いで」と注意されていたのでした。
    あまりにも注意され過ぎて、さすがに心当たりがあったのでしょう。いいチャンスだと思って問いかけてみると、彼女も笑いながら反応してくれたので、ホッとしました。
    「じゃあ、神様のお手紙にお返事を書いて喜んでもらうには、どうしたらいいかなぁ?」と、一緒に考えようとすると、「ありがとうをいっぱい言う!」と、素敵なアイデアを出してくれました。
    「いいねぇ!アリガトウ大作戦やね!」
    翌朝、無事に痛みも引いた娘は、有り難さを噛みしめながら、朝ご飯を食べることが出来ました。
    大人の私もそうですが、誰しも喉元過ぎれば熱さを忘れます。でも、親神様は365日24時間、休むことなくご守護下さいます。だからこそ、毎朝、毎夕のおつとめで「ありがとうございます」という感謝の気持ちを届ける必要があると思うのです。
    どうか、娘の大作戦が一日でも長続きしますように…。
    だけど有難い「非常識」
    初めに、少し頭の体操をしてみたいと思います。まず、数字の一から九までのうち、どれか一つを選んで、頭のなかで思い描いてください。次に、その数字に三を足してください。それに二を掛けてください。そこから四を引いてください。そして、二で割ってみてください。最後に、その数字から、自分が最初に頭に思い描いた数字を引いてください。いくつになりましたか? 答えは一です。
    実は、どの数字を選んでも答えは一になるのです。面白いですね。なぜ面白いのかといえば、選んだ数字は違うのに、結果は全部一つになる。常識を少し覆しているからです。
    考えてみると、私たちが信仰しているお道の教えも非常識です。「身上・事情は道の華」と先人たちは言いました。けれども、病気や事情のもつれで悩んでいる人にとってみれば、とんでもない話です。身上・事情は不幸の種というのが常識であって、それを「華」などというのは、全くの非常識なのです。
    徳積みや伏せ込みで運命が変わる。「人たすけたら我が身たすかる」とも教えられます。でも常識では、人をたすけたら人がたすかるのです。わが身がたすかるわけがない。非常識なのです。こうしてみると、お道の話はどれも非常識なのです。そして、この非常識が正しいかどうかは、実はやってみないと分からない。ですから教祖は、わざわざ五十年も自ら「ひながたの道」を通られて、私たちが分かるようにお遺しくださったのです。
    どんなに美味しい物も、食べてみないと分からない。どんなに楽しいスポーツも、やってみないと分からない。お道の教えも、まさに「やってみないと分からない」のです。
    今年も年の瀬が迫ってきました。お集りの皆さんは、今日ここに参拝させていただける体力があって来られたわけですから、病気で苦しんでいる人も含めて、私はまだまだ結構だと思います。
    世間には、果たして新年を迎えられるだろうかと、病気に苦しんでいる人や、諸々の事情を抱えて悩んでいる人がたくさんいると思います。さらに本人だけでなく、家族、親族、友人など、一緒に悩んでいる人がいることでしょう。どうか、そんな人にもぜひ、たすけの手を差し伸べていただきたい。
    自分はこうして元気に、教会に参拝してお礼をさせていただける。それで良しとせずに、そうした人たちに、たすけの手を差し伸べていただきたい。たすけるのは神様ですから、「とても自分はおたすけなんてできない」というような心配は要らないのです。神様にお任せして実行していけば、やがて気がついたら、自分も神様から大きなご褒美を頂戴していたということになってくるのです。
    「人たすけたら我が身たすかる」という教えは、いま世の中の常識ではありません。しかし、お道を通る私たちは、この教えが〝世界の常識〟になるように、教祖のご期待にお応えする働きをさせていただきましょう。
    (終)
    15 min
  • たすけてもらう力
    たすけてもらう力
    埼玉県在住  関根 健一
    ある日の朝、テレビの情報番組で「受援力」というテーマを特集していました。
    援助を受ける力と書いて「受援力」。地震大国と言われる日本ですが、その名の通り阪神・淡路大震災以降、全国各地で数年おきに大規模災害が起こっていて、そのたびに支援の仕組みが見直されてきました。受援力とは、そんな背景の中で注目され始めたキーワードだそうです。
    災害対策の取り組みの中で「自助、共助、公助」という考え方があります。東日本大震災のように広範囲で大規模な災害が発生した時、いくら準備をしていたとしても、行政の支援である「公助」はすぐには機能しないことが多いのです。
    ですから、まずは自分の力で自分の身の安全を確保するための「自助」。次に、行政の支援が届くまで身近な人とたすけ合う「共助」という考え方を元に、万が一の時に備えておくことが一般的になってきました。
    そうした流れの中で、共助、公助を行う際には、誰にどんな支援が必要なのかを把握することが必要になりますが、実際は自分の困った状況を伝えられない人がたくさんいるという現状に直面するそうです。
    「たすけてください」「こんなことで困っています」。言葉にすると簡単に言えそうですが、命からがらたすかった後の極限状態では、混乱しているのは当然です。しかも周囲にもたくさん困っている人がいる中で、「私より困っている人がいるのに、この程度のことでたすけてとは言えない」と思ってしまうのも無理はありません。
    さらにその番組では、「日本人は幼い頃から『人に迷惑をかけないで生きていきなさい』と教育されることも要因の一つではないか?」と投げかけられ、生活保護を受けられるのに受けない人がいることなども、同じような問題ではないかと触れられていました。
    テレビを観ながら、娘が通う特別支援学校のPTA会長をしていた頃に依頼され、「障害のある子供たちの『たすけてもらう力』を育む」というテーマで、教育委員会の機関誌に寄稿したことを思い出しました。
    その内容は、「一般の小学校で、教育方針に『生きる力を育む』と掲げているのをよく目にします。でも、特別支援学校に通う児童・生徒の中には、食事や排泄など、生きるための必要最低限の行為にも人の手を借りなければならない子供が多いのです。彼ら彼女らが『生きる』には、『たすけてもらう』ことが欠かせないのです。だから、生きる力を育むことは、「たすけてもらう力を育む」こととも言えるのです」
    大体こんな感じの内容でした。また、この時に「日本人は幼い頃から『人に迷惑をかけないで生きていきなさい』と教育されること」の弊害について言及したことも覚えています。
    発達障害のある人は、あいまいな言葉のニュアンスを読み取ることが苦手です。「何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくださいね」と声をかけたとしても、「その〝何か〟が何を指すのか分からない」となってしまうことがあります。
    「お腹が空いてますか?」「夜眠れますか?」など、具体的に聞いてくれればイメージ出来るのですが、支援者や相談者が必ずしもそうした配慮をしてくれるとは限りませんし、すべての行為を例に挙げて聞いていくわけにもいきません。
    災害時に限らず、障害のある人たちは日常からそうしたコミュニケーションによる弊害を抱えているのです。裏を返せば、障害のある人たちにも理解しやすいように、たすけてもらう力を引き出す問いかけが出来るなら、災害に直面した時にもスムーズなコミュニケーションが期待出来るのだと思います。
    その番組を観た日の夕方、夕づとめで「おふでさき」を拝読し終えると、ふと、
      にち/\にをやのしやんとゆうものわ  たすけるもよふばかりをもてる (十四 35)
    というおうたが浮かびました。テレビで「たすける」「たすけられる」という言葉を耳にしていたせいかもしれません。
    私たち天理教の「ようぼく」は、「つとめ」と「さづけ」の実践を通して、親神様のご守護、教祖のお働きを頂くことが使命です。この行いを私たちは「おたすけ」と呼びますが、人間をたすけるのは、あくまでも親神様のご守護であり、私たちようぼくはおたすけの主体ではありません。
    言い換えると、私たちようぼくが行うおたすけとは、「親神様にたすけてもらうための手段を伝えることである」とも言えると思います。
    敢えておたすけを先ほどの災害の例に重ねるならば、
    「自助」は、おつとめやひのきしんを自らつとめること。
    「共助」は、教会に運んで教理にふれたり、会長さんのお諭しを聞いたり、信者同士で研鑽を積むこと。
    そして、その先に「公助」として親神様のご守護、教祖のお働きがあるのだと思います。
    ですから、「たすけるもよふばかりをもてる」と仰る親神様のご守護を頂くために、私たちは自らおつとめやひのきしんに励み、教会に尽くし、運ぶことが大切なのだと、テレビの話題から改めて教えて頂いた気がします。
    教祖140年祭のこの旬。「親神様にたすけてもらうための手段」を自ら実践し、広めていけるように心がけたいと思います。
    手の使い方
    神様が私たち人間にお与え下された身体の働きの中でも、手は特別に優れた器官です。実に器用で重宝で、何でもすることが出来ます。そして、そこに心を込めることで、その仕事がさらに生きてくるというのが肝心な点です。手作り、手当て、手料理、手縫い、手加減などの言葉は、いずれも心を込めて手を使っている姿を表しています。
    教祖中山みき様「おやさま」は、幼少の頃から大変手先が器用で、月日のやしろとなられて後、五十歳を過ぎた頃からはお針の師匠をなされ、近所の子供たちに裁縫を教えられました。
    明治十六年頃のこと。梶本ひささんは、ある晩、一寸角ほどのきれを縫い合わせて、袋を作ろうと、教祖の手ほどきを受けていました。そうして袋は出来上がったのですが、この袋に通す紐がありません。すると教祖が、「おひさや、あの鉋屑を取っておいで」と仰せられ、器用にそれを三つ組の紐に編んで、袋の口にお通し下さいました。
    教祖は、こういう巾着を持って、櫟本の梶本の家へちょいちょいお越しになり、その度に、家の子や近所の子にお菓子を入れて持って来て下さったのです。(教祖伝逸話篇124「鉋屑の紐」)
    また、そのように器用に手先を使われることは、監獄署に拘留されている時でも変わることなく、不要な紙を差し入れてもらってコヨリを作り、それで一升瓶を入れる網袋をお作りになりました。
    そして、お供の者にそれをお渡しになり、「物は大切にしなされや。生かして使いなされや。すべてが、神様からのお与えものやで。さあ、家の宝にしときなされ」と仰せられました。(教祖伝逸話篇138「物は大切に」)
    どれだけ手に心を込めているかは、ほんのちょっとした動作にも表れるものです。教祖は、お屋敷にいる者に糸紡ぎの用事を出した時、その出来上がったものを三度押し戴かれるなど、そのお手はいつでも心と共にありました。
    そして、よろづたすけの手立てとして教えられた「おつとめ」の手振りに関しては、しっかりと手に心を込めるように、特に厳しくお諭し下されています。
    「つとめに、手がぐにゃぐにゃするのは、心がぐにゃぐにゃしているからや。一つ手の振り方間違ても、宜敷ない。このつとめで命の切換するのや。大切なつとめやで」(教祖伝 第五章 たすけづとめ)
    普段からいかに心を込めて、大事に手を使わせて頂いているか。それが、「命の切換」とまで言われるおつとめのつとめ方にも、大いに関わってくると言えるのではないでしょうか。
    (終)
    12 min
  • たすかるとは? リキゾウさんとの日々
    たすかるとは? リキゾウさんとの日々
    千葉県在住  中臺 眞治
    今から5年前、長年一緒に暮らしたリキゾウさんが78歳で出直しました。リキゾウさんは「信仰によってたすかっていく」とはどういうことかを私に考えさせ、教えてくれた方でした。今日はその日々について振り返ってみたいと思います。
    昭和18年、戦争中にリキゾウさんは生まれました。中学を卒業後は印刷会社を転々としながら働いていましたが、50歳の頃、借金が重なり、消費者金融の取り立てが厳しくなって恐怖を感じるようになり、その状況から逃れるためにホームレスになりました。
    10年ほどホームレス生活をしていたそうですが、当時、報徳分教会長を務めていた父に声をかけられ教会で暮らすようになりました。6年ほど働きながら報徳分教会で過ごし、その間に4度、おぢばで三か月間教えを学ぶ修養科へ行きました。何度も修養科へ行ったおかげか、出直して5年経った今でも色んな方から「リキゾウさん元気にしてる?」と声をかけられます。
    私とリキゾウさんの最初の出会いは20年ほど前で、父からの電話がきっかけでした。「住み込みさんがお酒を飲み過ぎて警察署に保護されているみたいだから、迎えに行ってきてくれないか」とのことで、早速、車で署に向かいました。
    到着後、警察の方々にお詫びをしながらリキゾウさんを車に乗せて帰ったのですが、車内でおしっこをしてしまいました。私は「あちゃー」と思い、帰宅後、洗車をしながら「次、迎えに行く時は絶対ビニールシートを座席に敷いておこう」と、固く決意したのを覚えています。
    リキゾウさんはお酒が大好きな方で、何か気に入らないことがあると近くの公園に行き、そこで出会った仲間と酒盛りをしては数日帰って来なくなり、警察に保護されることも度々でした。しかし義理堅いところがあり、どこか憎めない昭和の男性でした。
    元々は身体の丈夫な方でしたが、長年の不摂生がたたったのか、身体のあちこちが不自由になり、64歳の時、父と相談の上、ゆっくり過ごせる場所の方が良いだろうということで、千葉県にある私共の教会でお預かりすることになりました。
    一緒に暮らし始めてからのリキゾウさんは、なぜかいつも怒っていました。他の住み込みさんに当たったり、物に当たったり。
    扉の開け閉めもあまりに強く行うために、ドアが二か所壊れてしまったこともありました。私はその怒りの意味が分からず、リキゾウさんの言動を改めさせようと毎日何度も注意をしたのですが、状況が変わることはありませんでした。当時の私は、どうしたら相手を変えられるかということばかり考えていました。
    そんなリキゾウさんも、月に一度だけ上機嫌になる時がありました。それは、元々暮らしていた報徳分教会の月次祭に行った時でした。到着して少しすると、リキゾウさんはフラッといなくなります。近くの公園にいる飲み仲間に会いに行くのです。そして何杯かごちそうになり、私たちが帰る時間になると戻ってきて、一緒に車で帰るというのがいつものパターンでした。
    帰りの車中はずっと上機嫌で色んな話を聞かせてくれていたので、私は心の中で「いつもこのぐらい機嫌良くしてくれたらいいのにな」と思っていました。
    リキゾウさんはお酒を飲めば上機嫌になるというわけではなく、教会で飲んでも不機嫌な状態は変わりません。今思えば、公園の飲み仲間とのつながりが、リキゾウさんにとって大切な意味を持っていたのだと思います。
    余生をゆっくり過ごすために当教会に引っ越したわけですが、同時にそれはリキゾウさんにとっての大切なつながりを奪ってしまうことでもあったのだと、当時気がついてあげられなかったことを申し訳なく感じています。
    リキゾウさんは他の住み込みさんとは一切会話をしない人でしたが、私と二人きりの時は色々と話をしてくれる人でした。その中で度々口にしていたのが、「自分は生きている価値のない人間なんだ」という苦しい言葉でした。その都度、私は神様の親心について話をしたのですが、「神様なんていないよ」と返してくるリキゾウさんに届く言葉はありませんでした。
    そんなある日、リキゾウさんは倒れ、救急車で運ばれたのです。脳梗塞でした。幸い一命は取り留めたものの、歩くこともしゃべることも出来なくなってしまいました。
    私は何とか元のような状態にご守護を頂きたくて、毎日入院している病院へおさづけに通いましたが、容態は変わりませんでした。それから二週間ほど経った頃、看護師さんから「病院として出来る治療はここまでですので、退院の準備を進めてください」と言われました。
    治療はして頂きましたが、リキゾウさんは寝たきりで起き上がることが出来ず、口はろれつが回らず、なかなか言葉を聞き取れない状況でした。
    一番不安なのはリキゾウさん本人のはずですが、当時の私はそのようなリキゾウさんを教会で受け入れる覚悟が出来ず、父に電話で相談をしました。すると「とにかく明日おさづけを取り次ぎに行くから」と言って、翌日千葉の教会まで来てくれました。
    おさづけの直前、父がリキゾウさんに「今、修養科に行かせてあげたい人が二人いるんだけど、二人ともお金がないから、代わりにその費用を出してあげてくれませんか?」と尋ねました。するとリキゾウさんは、うんうんと二回うなずき了承したのでした。
    父がおさづけを取り次ぎ、少し話をして帰った後、私はリキゾウさんに「なんで費用を出してあげようと思ったの?」と尋ねました。その費用は、リキゾウさんの貯金からすればかなり大きな金額だったからです。するとリキゾウさんは声をふり絞って、「本当は自分がおぢばに帰りたいけど、もう帰れないから」と答えてくれました。
    自分自身が苦しい中で、おぢばを思う気持ち。人のたすかりを願う気持ち。そのリキゾウさんの気持ちに私は感動しました。そして、これからどんな生活になってしまうのだろうかという不安でいっぱいでしたが、病院からの帰り道で父に電話をし、「できるところまでリキゾウさんの介護をさせてもらおうと思う」と伝えました。
    翌朝、病院から電話がかかってきました。「急に容態が良くなったので、家には戻らずリハビリ病院に転院しましょう」とのことでした。
    驚いて病院に行くと、そこには元のように立って歩いているリキゾウさんがいました。しかも言葉も元通り話せるようになっていました。私は感激し、「神様だね」と伝えると、リキゾウさんは大きく何度もうなずきながらボロボロと涙していました。
    その後、数カ月間のリハビリ病院での生活を経て、教会に帰ってきたのですが、教会に着いた途端に号泣。おぢばがえりをした際には、神殿を見ただけで号泣。私にとっても忘れられない思い出です。
    退院後のリキゾウさんは、すっかり別人のように変わっていました。以前のように腹を立てる姿はなく、「ありがとうございます」とお礼を言ったり、「どうもすいません」と相手を思いやる言葉を使うようになりました。私が神様の親心について話をすると、いつも大きくうなずきながら涙する、涙もろくて穏やかなおじいちゃんに変わっていったのでした。
    以前のリキゾウさんは、とても苦しい人生を生きてきたせいか、「神様なんていない」と空しく語る人でした。
    ですが、病と不思議なご守護を通して、「この世は神様の慈愛に満ちている」と感じるようになり、その思いに心が満たされていったのだと思います。
    リキゾウさんは5年前、78歳で出直しましたが、生まれ変わったリキゾウさんとどこかで出会い、また一緒に一杯飲みたいな、と願う今日この頃です。
    調和とバランス
    私たちが生きていく上で必要不可欠なことは、何ごとによらずバランスを保つことです。
    たとえば、健康に暮らすということは、身体の中の働きのバランスが、ほどよくとれているということですね。食べ物を体内に取り入れ、体内のあらゆる臓器がうまく機能して、取り入れたものをエネルギーにする。そのエネルギーを消費して、運動をしたり勉強をしたり、働いたりする。その出し入れのバランスがうまくとれている状態が、健康であることの証しです。
    家庭で言えば、家族がお互い仲良くたすけ合い、支え合って暮らすのが、まさしく健康的な家庭、調和の保たれたバランスのよい家庭です。
    そして生きていく上で大切なのは、目に見えるものと、目に見えないものとのバランスです。ところが私たちはややもすると、目に見えるもの、形あるものにしか価値を見いだせずに、目に見えない「心」や「精神」といったものを軽く見てしまいがちです。
    それはひと言で言えば、「自分さえ良かったら、今さえ良かったら」というエゴ・利己心からくるものです。しかし世の中の調和を保ち、また自分自身が幸せの道を歩むためには、自らのエゴを抑えて、人様のため、社会のためという選択肢を選ぶことが、バランスを保つために必要なことなのです。
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、
     「人をたすけてわが身たすかる」
    と教えてくださいました。
    まさにこの教えこそ、調和とバランスの大切さを教えてくださっています。私たちが目指すべき「陽気ぐらし」の世界は、人をたすける精神がなければ成り立たない、ということであって、これが揺るぎない天の理だと思うのです。
    (終)
    14 min

About 天理教の時間「家族円満」

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