天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」 episodes

  • 心定めが第一
    心定めが第一
    埼玉県在住  関根 健一
    待ちに待った教祖140年祭。その日を間近に控え、我が家もそれぞれ予定を調整し、家族揃って1月25日におぢばがえりをすることになりました。
    車いすの長女も連れて新幹線で移動するため、荷物は前もって宅配便で発送を済ませ、あとは妻と一緒に教祖へのお土産を買いに行くだけ━そんな出発前日の夜のことでした。
    近くの大型商業施設が夜9時まで営業しているので、午後7時から出勤する次女を職場へ送りながら出かけようという段取りになりました。夕づとめをつとめ、夕食を終えた私は一旦自室へ上がり、おぢば滞在中に片付ける仕事の資料を整理していました。
    そろそろ時間かと思った頃、階下から私を呼ぶ次女の声がします。「はーい、今行くよ」と返事をし、パソコンを閉じて上着を手に階段を降りようとすると、次女が途中まで上がってきていました。そして私の顔を見るなり、「お母さんが心臓の辺りが痛いというので、病院に連れて行って欲しい」と、神妙な面持ちで告げたのです。
    慌てて一階に降りると、胸を押さえて横になる妻の姿がありました。これまでも腰痛などでうずくまることはありましたが、明らかに様子が違います。ただならぬ気配を感じ、「救急車を呼ぼうか」と声をかけました。すると妻は苦しそうにしながらも、「救急病院に電話して」と指示を出しました。
    すぐに連絡し症状を伝えると、「その症状は当院では専門外になる可能性があります。救急車を呼ぶか、総合病院へ連絡して下さい」との返答でした。
    電話を切り、妻と相談の上119番へ連絡。事情を説明すると、「救急車を向かわせました」と言って頂き、少し安堵しました。その後も詳しい症状を聞かれ、最後に「サイレンが聞こえたら外へ出て誘導して下さい」と指示を受けました。
    我が家から数百メートルの場所に消防署があるため、そこから来るものと勝手に思い込み、次女に妻を任せて私はすぐ外へ出ました。外へ出てから、「次女におさづけの取り次ぎをお願いすればよかった」と気づきましたが、あとで戻ってからでもいいかと思い、そのまま到着を待つことにしました。
    坂の上から消防署の灯りは見えるものの、動く気配がありません。しばらくすると、向かっている救急隊員から私の携帯に電話が入りました。
    改めて本人の状態を確認したいとのことでしたが、私が外で待っていると伝えると、「到着まで10分以上かかります。患者さんのそばにいてください」と言われ、そのとき初めて最寄りの消防署からの出動ではないと気づきました。落ち着いているつもりでも、どこか動揺していたのかもしれません。
    家に戻ると、次女が「お母さんにおさづけを取り次がせて頂きました」と報告してくれました。その言葉は父親への説明というより、所属の教会長への報告のように響きます。促さなくとも自らおさづけを取り次いでくれた次女の姿が、実に頼もしく感じられました。
    やがて救急車が到着。その頃には激痛は和らいでいたものの、波のように痛みが戻る様子です。妻をストレッチャーに乗せ、私と次女も車内へ。既往歴や服薬状況の確認が続き、搬送先が決まると、妻には次女に付き添ってもらい、私は自分の車で病院へ行くことにしました。
    帰宅時間が読めないので、長女の介助を看護師の友人にお願いし、入れ替わりで病院へ。すると処置室の前で次女が待っていました。検査と処置にまだ時間がかかるとのことで、「このまま入院になるのか。果たして年祭に参拝できるのか」と、不安が押し寄せてきました。
    すると、次女がポツリと「直前までいろいろ起こるね。これが年祭なんだね」と。そのひと言にハッとさせられました。目の前の出来事にうろたえて、これもまた親神様、教祖の思召しだと受け止められていないことに気づきました。
    無心で祈る思いで待つこと一時間。看護師さんに呼ばれ、妻のもとへ向かいます。ベッドに横たわる妻は落ち着きを取り戻し、「もう大丈夫」と言えるほど回復していました。
    検査結果では急を要する所見もなく、本日は帰宅可能とのドクターの説明を受け、一同胸をなでおろしました。
    帰りの車中で妻が、「救急車の中で、修養科に入る時のばあちゃんの話を思い出していたの」と言いました。
    30年前、教祖110年祭三年千日の頃。妻は修養科志願の前日に高熱を出し、インフルエンザと診断されました。両親と「来月に延期しようか」と相談していたところ、所属教会の会長である祖母が、「私が連れて行くと言っているのだから心配することはない。神様にもたれていればいい」と言い切ったのです。妻は、「そのひと言があったからこそ、修養科の三か月を勇んで通れた」と、折に触れて私たちに話してくれていました。
    その話を思い出しながら、私は「自分が会長として神様にもたれ切っていないから、こんな姿をお見せ頂いたのだ」と深く反省しました。
    翌朝、妻はすっかり回復した様子。出発を少し遅らせましたが、家族四人揃って無事おぢばがえりをすることが出来ました。
    教祖140年祭当日には、四国・松山から帰参した妻の家族と神苑で合流し、共にみかぐらうたを唱和しました。
    真柱様は、ごあいさつの中で、
    「月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで」(M20・1・13)
    との教祖のおさしづを引用され、元なる親神様の思いに沿い切る心を定めることが第一であり、これは現在の私たちも心しなければならない信仰の要であると、お諭し下さいました。
    そのお言葉を聞きながら、年祭活動を通して完遂できなかった心定めのことや、出発前日の私の心遣いの甘さが胸に迫ります。それでもなお、家族とともにおぢばで手を合わせられたことは、親神様、教祖からの大きな贈り物にほかなりません。
    この喜びを胸に刻み、次なる目標へ向かって一歩ずつ前進していきたいと思います。
    談じ合い
    親神様は、この世界と人間を創めるにあたり、泥海の中を見澄まされ、その中から雛型と様々な道具を引き寄せられ、それぞれに承知をさせて貰い受けられました。
    教祖直筆による『おふでさき』に、
      みすませばなかにどぢよもうをみいも  ほかなるものもみへてあるなり (六  83)
      そのものをみなひきよせてたんぢやい  にんけんしゆごはぢめかけたら (六  84)
    とある通り、決して一方的に引っ張ってきたのではなく、しっかりと談じ合って、承知をさせた上で人間創造の守護を始められたという所が肝心な点です。どこまでも、受ける側の主体性を親神様は尊重されているのです。
    この場面から、現代に生きる私たちの思案のしどころがあるのです。それぞれ異なる性格、異なる考え方を持つ者同士が相対する毎日、それは夫婦、親子であっても同様です。そのような中をお互いに話し合い、諭し合い、心の向きを一つに揃えて歩んでいくことが大切なのです。
    話し合いが充分でないばかりに、いざこざが起こってしまうことはよくあります。家族同士でも、相談し合う機会が少ないと、徐々に歯車がかみ合わなくなります。
    反対に、談じ合いがしっかりなされていれば、内々は自然と治まり、いかなる節をも乗り越えられる、まさに一手一つの力が得られるのではないでしょうか。
    お言葉に、
     「談じ合い、だん/\談じ合えば、理は分かる」(M33・9・14)
     「今一時の話は談じ合い/\、談示から理を組み立てゝ諭す」(M32・2・2)
     「互い/\談じ合いは溶け合いとも言う」(M31・3・19)
    とあります。
    談じ合いは、どれほど時間がかかろうとも、根気よく続けなければなりません。また、談じ合っているつもりでも、いつしか感情的になって自分の考えを押しつけてしまうこともあるので、その点も気をつけなければならないでしょう。
    お互いに素直な気持ちを伝え合う中にも、相手の意見を尊重し、心を一つにして溶け合ってこそ、陽気ぐらしへの確かな方向性が見えてくるのです。
    (終)
    13 min
  • 親身の親
    親身の親
    千葉県在住  中臺 眞治
    我が家には、8歳と6歳の娘がいます。今はまだ幼く「お父さん、見て見て」と声をかけてくれたり、「お父さん、一緒にあそぼう」と手を引っ張って誘ってくれたりします。そんな時間を私はとても幸せに感じています。
    けれども、子供は成長します。だんだんと家族以外の世界が広がり、親と過ごす時間は減っていくのでしょう。親にとって、子供の成長は嬉しくもあり、どこか寂しくもあるものだと感じています。
    私は以前、子供とあまり遊んでいませんでした。そのことを反省した出来事があります。
    娘の通う幼稚園の行事に参加した時の話です。そこで園長先生が、保護者に向けてこんなお話をして下さいました。
    「今のうちに、しっかり子供と遊んでおかないと、将来困った時に相談してもらえなくなりますよ。一緒に遊びながら、喜んだり悲しんだりする。その積み重ねが、〝親は自分のことを分かってくれている〟という安心につながるのです」。
    その言葉を聞いた時、私はドキッとしました。我が家の娘たちはとても仲が良く、放っておいても二人で楽しく遊んでいます。妻も子供と遊ぶのが上手で、三人で出かけることもしばしばあります。
    それに比べて私は、「仕事があるから」「疲れているから」と理由をつけて、あまり一緒に遊んでいませんでした。「このままだと将来、私だけ相談してもらえない父親になるかもしれない」そんな思いが胸をよぎりました。
    それ以来、妻と子供たちが「三人で遊んでくるね~」と言う度に、園長先生の言葉を思い出し、「ちょっと待って、俺も行く~」と後を追いかけるようになりました。
    公園で遊んだり、お昼ご飯を食べに行ったり。特別なことではありませんが、その時間が今では、私にとってかけがえのない温かい時間になっています。正直に言えば、今さらあわてて関わり始めた私が、将来どこまで頼ってもらえるかは分かりません。それでも、この時間の積み重ねを大切にしたいと思っています。
    子供が将来、誰に相談するのかを考えた時、私はふと、あることを思いました。
    私は最近、疑問に思ったことを対話型AIに相談することがあります。膨大な情報の中から、自分では決して思いつかない答えを示してくれる、頼りになる有り難い存在です。しかし、どれほど優れた答えを示してくれても、私と共に悩み、共に喜び、幸せを祈り続けてくれる存在ではありません。
    これから先、子供たちも少なからずAIに相談しながら生きていく時代になるでしょう。その時AIは、正しい答えを示してくれるかもしれません。ですが、我が子の幸せを心から願い続ける存在にはなれません。その役目は、やはり親にしか出来ないのではないかと思うのです。
    私たちの元の親、実の親である親神様について、『天理教教典』には以下のように記されています。
    「親神は、ただに、神と尊び月日と仰ぐばかりでなく、喜びも悲しみもそのままに打ち明け、すがることの出来る親身の親である」
    神様には嬉しいことも、悲しいことも、どんなこともそのまま安心して打ち明けることが出来ます。なぜなら、例えこちらが何かが出来ていても、何も出来ていなくても、神様の子供可愛い一条の親心は揺らぐことがないと信じられるからです。
    誰もが長い人生の中では、生きる意味や、自分の存在価値を見失うことがあるかもしれません。だからこそ、子供たちには、いつでも、いつまでも揺らぐことのない神様の親心を感じながら、生き抜いていってほしいと願っています。
    そのためにもまずは私自身が、どんな時も神様に喜びも悲しみも打ち明け、感謝しながら歩む姿を、子供たちに見せていきたいと思っています。
    心に吹く風「思いは誰かに届く」
    私は天理教の教会長ですが、それ以外にもいろんな活動に関わっています。宗教家としての熊本刑務所教誨師、行政では主任児童委員、そして学校ではコミュニティー・ティーチャーという立場を頂いて、たびたび小学校の英語の授業にアシスタントとして入っています。
    あれは六年前のことでした。私の受け持っていた小学校六年生のクラスで、ちょっとした問題がこじれて、学級崩壊寸前まで追い込まれてしまいました。授業中も数人の児童が席を立ってうろつき、妨害してまともな授業になりません。先生は一生懸命に授業を立て直そうとしますが、子供たちは全く言うことを聞きません。先生の根気も限界に近づいていました。
    卒業式が近くなったある日、こう申し出ました。
    「一時間、私に道徳の授業をさせてくださいませんか。この子たちに伝えたいことがあるのです」
    クラスの様子に手を焼いていた校長先生は、すぐに快諾してくださいました。
    私はスライドを用いて、阪神・淡路大震災と東日本大震災の被災地へ、ボランティアに行ったときの写真を子供たちに見せました。
    「人間とは、自分がつらく悲しいときにでも、もっとつらい思いをしている人を思いやることができる。そんな人間本来の、美しい心が現れる場面をたくさん見てきた。君たちにも、つらいことや嫌なことがあるだろう。もうどうなってもいいや、と思うことだってあるかもしれない。でも、そんなときに今日の話を思い出してほしい。もっとつらい人はいないかな。もっと苦しんでいる人はいないかな。自分もそうやって他人を思いやれる、美しい人間の一人であることを信じてほしい」
    これで学級崩壊が見事に解決し、子供たちが立ち直った、となれば格好いいのですが、現実は、そう甘くありません。もちろん、真剣に聞いてくれている子もいましたが、相変わらず数人の子供は全く話を聞かず、うろうろするばかり。サポートに入ってくださった校長先生、教頭先生は、申し訳なさそうに目を落とされました。
    私は「ああ、徒労に終わった」と、自分の力が足りないことを痛感しました。その後も苦い思い出として、ずっと心に小さな痛みを感じていたのです。
    さて先日、息子が通っていた高校のPTA役員のOB会がありました。そこで、一年だけ役員をご一緒したある保護者の方が、私のところに来て、こうおっしゃいました。
    「あなたは私の息子の運命を変えた人なんです」
     私は突然の話に驚きました。
     「息子は今年、〇〇大学の理学部地球科学科を受験します。なぜだか分かりますか?」
    「分かりません」
    「息子は〇〇小学校の出身です」
    はっとしました。そうです。あの学級崩壊寸前の小学校でした。あれから六年。あの、あどけなかった小学生たちは、もう大学を受験する年齢になっていたのです。
    「あなたは最後の道徳の授業で、息子たちに震災の話をしてくださったそうですね。あの晩、すごく感動したと、息子が私に話してくれました。それ以来、息子は地震に興味を覚えまして、中学校でもずっと、独学で地震のことを勉強していました。そして、いつの日か日本を、地震に負けない災害に強い国にしたいと思うようになったようです。そのために、大学でもっと地震について学びたいと猛勉強を重ね、今日まで頑張ってきたんです」
    「そうでしたか。あの中にお子さんが…」
    私は、子供たちに思いが全く届かなかったと心を倒していましたが、そうではありませんでした。あのときのつらい思い出も手伝って、思わず目頭が熱くなりました。
    一生懸命に何かを伝えようとすれば、心に響く人がどこかにいるのですね。思いは誰かに届きます。決して無駄にはならないのです。
    そして、一生懸命に伝えようとした真心を一番ご存じなのは? そう。すべてを見抜き見通しておられる神様ですよね。
    (終)
    13 min
  • 今が有難い
    今が有難い
    東京都在住 松村 登美和
    2月のことです。妻とテレビのワイドショーを見ていました。コメンテーターが、あるマラソンレースの結果を振り返りながら、正月の箱根駅伝でも活躍した選手の走り方や、次に開催されるオリンピックの代表選考について、解説をしていました。
    次回のオリンピックは2年後、2028年にアメリカのロサンゼルスで開催されますが、マラソンの代表選考は、昨年のレースからすでに始まっているのだそうです。
    「そうか、もう次のオリンピックがあるんだ」「前回はパリで、その前が東京だったっけ」と話しながらテレビを見ていると、妻が「東京オリンピックって、メダルいっぱい取ったんだよね」と言いながら、スマホで当時のことを調べ始めました。
    すると、「あれ、『2020年東京オリンピック』って書いてあるけど、やってるの2021年だよ」と言うのです。一瞬、頭の中にはてなマークが灯りましたが、すぐに思い出しました。
    そうです、2020年は新型コロナウイルス禍の真っ最中で、オリンピックは一年延期されたのでした。世界を恐れと不安に陥れたあの出来事の記憶を、たった5、6年で頭の隅へ追いやってしまうんだ、と自分を振り返りながら、テレビを消して、当時のことについて妻と話をしました。
    新型コロナウイルスの流行で、日本では10万人以上の方が命を落とし、すべての人が身体や心、生活や仕事に大きなダメージを受けました。
    東京オリンピックが開催されるはずだった2020年は、その年の1月に国内で初の感染者が発生し、東京でも次々と感染が広がっていきました。
    私はその東京に住んでいるのですが、東京都では2020年4月から、感染対策として大学などの学習施設、劇場やスポーツ施設、カラオケ施設などに営業休止が要請されました。
    また飲食店は午後8時閉店、お酒は午後7時までしか提供できなくなりました。最初の要請は6月に一旦解除されましたが、感染拡大を受けて、その年の夏から秋に、営業短縮の要請が発出されました。
    私の家の近くには、居酒屋などの飲食店が多くあります。小中学校の同級生も数人、お店を営んでいるのですが、そうした友人と話をしていても、「居酒屋で夜7時までしかお酒が出せないなんて、誰も店に来ないよ。店を続けていけるか心配だ」といった不安の声をよく聞きました。
    夏秋の営業時間短縮は、感染状況を踏まえながら、段階的に緩和されていきました。8時までだった営業時間が10時まで、7時までだったお酒の提供は8時まで、そして10時まで、と段階的に軽減されていったのでした。
    その2020年の秋、町で知り合いの男性に会いました。その方も飲食店を開いています。
    世間話から始まって、「最近はお店、どうですか?」と尋ねてみました。するとその方の話では、春の緊急事態宣言の時には、しばらくお店を開けていたけど全くお客さんが来ず、最近まで長期間、閉店していたとのこと。時間短縮の期間が明けて、夜もお酒を出すことが出来、お店を遅くまで開けるようになってから再開したと話していました。
    そこで私が、「お客さんは戻ってきましたか?」と尋ねると、「いや、まだ全然だよ」との返事でした。
    「それは大変ですね」と言うと、その方は「でもね、前に比べたらましだよ。4月は全然だったから。今はね、遅い時間にお客さんは来ないけど、6時7時には来てくれるんだよ」と言うのです。
    そして、「4月の時は本当に誰も来なかった。でもね、今は有難いんだよ。早い時間に常連さんが来てくれるようになったから。それが嬉しいんだよ。時間が経てば、きっと遅い時間にも来てくれるようになると思う。今、来ないお客さんのことを思って無いものねだりしてストレスを溜めても、何もいいこと無いからね」と仰るのでした。
    その話を聞いて、私は「水を飲めば水の味がする」と教祖が仰せられたお話を思い出しました。
    天理教の教祖、中山みき様は、天理教が始まった当初、ご自身がお嫁入りの時にお持ちになった荷物から始まり、中山家の食べ物、着物、金銭に至るまで、次々と困っている人々に施されていきました。生計が苦しくなってからも食を割き、着物を脱いで、人に与えられるのが常でありました。
    そんなある日、教祖の娘御であるこかん様が、「お母さん、もう、お米はありません」と仰いました。
    すると教祖は、「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」と諭され、励まされたと伝わっています。
    私は、このお話は「不安に目を向けるのではなく、今現在、喜べることを見つめる」「親神様がいつも守って下さっている」ということを教えられているように思います。
    コロナ禍の中、早い時間にしかお客さんが来ないことで不安に押し潰される人もいました。一方、今は有難い、いずれ遅い時間も来てくれる、と前を向いている人もいました。
    「目の前にある幸せ」や「守られている姿」に気づかず、「無いものねだり」が勝った時に、幸せは逃げていってしまうのではないか。あの時の会話で、そんなことを思いました。
    教祖存命の理
    教祖が現身を隠されてから百四十年。今もご存命でお働き下さるその教祖のお働き、お導きをいかにして実感することが出来るか。それは、私たち信仰者にとっての大きな課題です。
    教祖ご在世中に、教祖のお姿が目の前になくとも、そのお働きを頂戴した例として、次のような逸話が残されています。
    明治十四年、船乗りをしていた土佐卯之助さんは、北海道奥尻島であわや遭難という危ないところを、九死に一生を得て無事大阪へ帰り着くことが出来ました。親神様のご守護のおかげであると、早速お礼を申し上げるべくおぢばへ帰りました。
    教祖にお目にかかる前に、居合わせた信仰の先輩たちに、その時の様子を話していると、その中の一人が、「それは何月何日の何時頃のことではないか」と、遭難の日時を言い当てたのです。
    その先輩の話によると、「その日、教祖は、お居間の北向きの障子を開けられ、おつとめの扇を開いてお立ちになり、北の方に向かって、しばらく、『オーイ、オーイ』と、誰かをお招きになっていた。それで、不思議なこともあるものだ、と思っていたが、今の話を聞くと、成る程と合点が行った」とのことでした。
    これを聞いた卯之助さんは深く感激し、「ない命をお救け下さいまして、有難うございました」と、感涙とともに教祖にお礼を申し上げました。
    すると教祖は、「危ないところを、連れて帰ったで」と、優しくおねぎらい下さった、という逸話です。(教祖伝逸話篇 88「危ないところを」)
    直筆による「おふでさき」では、
      月日よりにち/\心せゑたとで  くちでわとふむゆうにゆハれん (十四 6)
            それゆへにゆめでなりともにをいがけ  はやくしやんをしてくれるよふ (十四 7)
    と記されています。
    直接話し掛けはしなくとも、夢に見せてまで神の思いを知らせるというお歌です。私たちが日常見る夢の中にも、教祖からの直接のお知らせがあるのかも知れません。しかし、私たちの心のダイヤルが教祖の波長と合わないばっかりに、それに気づかずにいるということもあるのではないでしょうか。
    お言葉に、
    「心の澄んだ人の言う事は、聞こゆれども、心の澄まぬ人の言う事は、聞こえぬ」(教祖伝逸話篇176「心の澄んだ人」)
    とあります。
    これは、今日の私たちであっても、心を澄ましてお尋ねすれば、教祖はその声を必ず聞き入れて下さるということでしょう。常に教祖を身近に感じながら、陽気ぐらしへの歩みを進めたいものです。
    (終)
    12 min
  • 私、ひのきしんがしたい!
    「私、ひのきしんがしたい!」
    兵庫県在住  旭 和世
    ある日の夕方のことです。教会につながる中学生のTちゃんから、私の携帯に着信がありました。
    電話に出ると、Tちゃんはいつもと違う元気のない様子で「いま、塾に向かって途中まで来たんやけど、どうしても行けない。でもうちにも帰りづらい…」と、最後は涙声でした。
    驚いた私は、そのまま彼女を迎えに行き、教会に連れて帰ることにしました。冬休み直前の出来事でした。
    Tちゃんはそれまでの数か月、学校に行けない日が続いていました。いわゆる、不登校のような状況です。
    さかのぼること5年ほど前、友人の娘さんが、突然学校に行けなくなった事がありました。その後、状況はどんどん進み、学校どころか部屋からも出られなくなってしまったのです。
    けれど信仰熱心な友人夫婦の事、これはきっと神様が友人家族にお与え下さった節なんだ。いつかこの節が生き節になって、この日があったからこそと思える日が来ますように…と、毎日お願いしていました。
    その後、しばらくは大変な状況が続きましたが、不思議なご守護を頂いて娘さんの心は少しずつ回復していき、現在はとても元気に成長されています。
    友人はこの大変な経験から、「同じように辛い思いをしている人たちの手だすけがしたい」と、子供の不登校や心理学について勉強し、「不登校対応講座」の講師の資格を取得したと連絡をくれました。
    彼女によると、不登校は決して怠けている訳でも、サボっている訳でもなく、なんらかのストレスによって心の傷が深まった時、本能的に心を守ろうとする自己防衛のようなものだということ。なので、なぜ学校に行けないのか、本人にもその理由が分からないというケースも少なくないそうです。そして、そんな状況の子供たちへの対応を学ぶことで、子供も親も不安が減り、早期回復を促すことが出来ると教えてくれました。
    私にとっては、目からウロコなことばかり!これは不登校のお子さんがいる方はもちろん、そうでない方にも聞いてもらい、不登校の子供たちへの理解を深める事が重要だと思いました。
    そこで、是非その「不登校対応講座」の話を、うちの教会で開いている「こども食堂」でしてもらえないかとお願いすると、友人は二つ返事で引き受けてくれました。
    当日は、実際に不登校のお子さんを抱えているご家族や、こども食堂にボランティアに来て下さっている方など、色々な立場の方が参加して下さり、私も一緒に学んだ事で不登校への認識がまったく変わりました。
    先が見えない事ほど不安な事はないと思いますが、お子さんが不登校になると、本人はもちろん、親御さんも「この先どうなってしまうのか、いつになったら復帰できるのか?」と焦って、お先真っ暗の状態になってしまう。さらに、その親御さんの不安げな顔を見て、お子さんも二重の苦しみを受けていく…という悪循環が生まれてしまうと思うのです。
    しかし、不登校にはある程度段階があって、その段階を知り、親御さんや周りの人が適切な対応をする事で、子供たちの心は回復に向かうという事でした。
    その講座の後、ほどなくして、Tちゃんのお母さんから、Tちゃんが最近学校に行きづらくなっていると聞きました。私はすぐに、講座で教えてもらった話をお母さんに伝え、まずは本人の思いを尊重しましょうと話しました。その後、Tちゃんは体調を崩し、寝込んでしまう日が続きました。
    私は、とにかくおさづけを取り次がせて頂こうと、Tちゃんの家に行きました。いつも教会に来る時の明るい表情とはまったく違う、元気のないTちゃんの顔にびっくりしながらも、おさづけを取り次がせてもらいました。
    お取り次ぎの後、「学校で何か嫌な事とか行けない理由があるの?」と聞くと、「ううん。学校には行きたいねん、でも何でか分からんけど無理やねん…」と。
    その言葉を聞いて、ハッとしました。これは自己防衛をしているのだと。そこで私は、「Tちゃんは真面目だから学校いかなアカンって思ってるけど、心が疲れているから元気出ないんよ。今は体がTちゃんの心を守ってくれている状態やから、休んでいいんやで。無理せんでいいよ」と伝えました。
    するとさっきまで曇っていた顔が、ホッと安心した顔になったのです。ただ、この後もTちゃんは学校に行きづらい日が続きました。
    そんな中、夏休み中の「こどもおぢばがえり」の少年ひのきしん隊や、鼓笛隊の合宿、大教会で教えを学ぶ練成会など、ハードなスケジュールが続きましたが、不思議な事に、それらの行事には休むことなく、全て元気に参加することが出来たのです。
    そして、いざ新学期が始まると…また行きづらい状況になっていました。しかも、目の前には高校受験という大きなハードルが立ちはだかっています。
    そんな時にかかってきたのが、先ほどのTちゃんからの電話でした。彼女の心が限界を迎えているのだと、すぐに理解が出来ました。そして、しばらく教会で過ごすことになりました。
    教会での彼女はとてもイキイキとして、ひのきしんを頑張ってくれるし、色々な事に良く気がついて、自分から行動してくれます。
    そんな彼女を見ていて、私はふと「Tちゃん、おぢばの学校に行かない? 天理高校の二部は定時制で、おぢばでひのきしんがいっぱい出来て、神様の勉強も出来る所なの。寮生活で大変な事もあるけど、Tちゃんならやっていけると思う」と言ってみました。するとTちゃんの目が急にキラキラと輝いて、「私、おぢばの学校でひのきしんしたい!」という返事が返ってきました。
    『稿本天理教教祖伝』第二章「生い立ち」の中に、教祖が、怠け者と言われていた作男を、いつも「御苦労さん」と、優しい言葉をかけて根気よく導かれ、やがて人一倍の働き手になった、というお話があります。
    私は、教祖が作男にかけられたお言葉の奥には、彼を信じる心があったのではないかと思います。彼が怠け者になったのには、きっと何か理由があって、素直になれなかった。そんな心を教祖は見通され、彼が本当は怠け者ではないと信じ、「御苦労さん」という言葉をかけ続け、導かれたのだと思うのです。
    不登校の子供たちも、決して怠けている訳でもサボっている訳でもなく、自分を守ろうとしているのだという事を、周りの大人が理解し、気長に寄り添い、信じ続ける事が、教祖のお心に通じる行いであると思います。
    その後、Tちゃんは天理高等学校第二部の専願受験を決めました。年が明け、新学期が始まり、Tちゃんは初日に登校することが出来ました。
    Tちゃんは、担任の先生との面談で「どうして天理高校に行きたいの?」と聞かれ、「私、おぢばでひのきしんをしたいんです。そして神様のお話をもっと勉強したいんです」と答えたのです。私はTちゃんのその言葉を聞いて、教祖がどれほど喜んで下さっているかと思いました。
    これから先も、色々な事があるでしょう。心が倒れそうになる事もあると思います。そんな時でも、教祖がされたように、彼女の心の力を信じて寄り添ってくれる人がいれば、きっとまた外に向かって立ち上がる力を取り戻す事が出来ると思います。
    こうやって、私がTちゃんの心に寄り添えるようになれたのは、友人が娘さんの不登校という大きな節を乗り越え、その節を生き節にして、ご恩返しとして懸命に伝えてくれたからだと、心から感謝しています。
    これからもこのたすけ合いの輪、寄り添いの輪が広がって、多くの子供たちの心が元気になっていく事を願っています。
    心配
    どんなに環境に恵まれても、物に囲まれていても、心が曇っていては、せっかくの有り難い境遇も意味をなさなくなってしまいます。これから先、どうなるのであろうか、何か悪いことが起こりはしないか。先行きを案じるのは私たちがどうしても消せない癖・性分であると言えるでしょう。
    神様のお言葉に、「明らかな心に心配は要らん。心配するというは心に曇りあるから」(M24・11・15)とあります。
    辞書では「心配」という言葉について、「これから先のことなどが気がかりで、心を悩ませること」という意味と共に、「心にかけて世話をすること」と、二つの意味が説明されています。
    同じ「心配」でも、心を配って人のお世話をするのと、心にかけて思い患い、不安に思うのとでは、まるで正反対の心遣いです。常に人のことを気にかけ、心を配る。すなわち人をたすける心を優先させれば、自らの憂いは自ずと取り払われていくのではないでしょうか。
    今、この一瞬々々にも、元の親である親神様のご守護を感じ、生かされて生きていることを自覚し、感謝すること。それが、心の憂いを取り払い、明るく勇んで通る第一歩です。
    お言葉に、「一日と言えば、朝結構という中に、明日という」(M25・6・3)とあります。
    新しい朝を迎え、目が覚める。今日も新しい一日をお与え頂いた。私たちは親神様のあたたかい懐に抱かれ、導かれているのだから、何も心配することはない。そうして、「朝を結構」と通る中に、明るい日々が、今日、明日という日が開かれていくのです。
    もちろん私たちの日常は、喜び事ばかりに囲まれているわけではありません。時に憂うつな出来事にあい、戸惑う時もあります。しかし、一日を喜び一杯につとめ切れば、「勤まった日は夕景安楽という」(M25・6・3)とのお言葉通り、安らかな気持ちで夜を楽しめるというご褒美が待っています。
    さあ、今日も一日、勇んで通らせて頂きましょう。
    (終)
    15 min
  • みんなちがって、みんないい
    みんなちがって、みんないい
    岩手県在住  相澤 加奈子
    こども番組で流れてくる、金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」の詩をメロディーにのせた「みんなちがって、みんないい」という歌が、私は大好きです。
    私たち夫婦は、七人の子供を授けて頂きました。その子供たちはまさに七人七様、同じように育てているつもりなのに、のんびりなマイペースタイプの子や、お世話好きのちゃきちゃきタイプ。スポーツが得意な子もいれば、スポーツは出来るだけやりたくないけど絵を描くのが得意、などなど。
    同じお腹から産まれても、一人ずつ『得意なこと』が違うのです。子育てをする中で、子供たちが自分で得意なことを見つけ、それを大切にしてもらいたいと、親として感じていました。
    ある時、当時幼稚園に通っていた次女が、「お姉ちゃんは足が速いからいいなぁ」と、少し顔を曇らせて言いました。確かに長女は小さい頃から活発な子で、リレーの選手に選ばれるほど運動が得意でした。一方、次女はおっとりしていて、運動会のかけっこでもゴールするのは決まっていつも最後のほう。
    そんな次女が通う幼稚園の面談で、先生から「彼女は遊びに集中出来ていないんじゃないかと、少し気になっています」と指摘を受けました。よく聞いてみると、次女は、一人で遊んでいるお友達がいれば、自分の遊びをやめてそちらに行き、また次は違うお友達のところに行き…と転々とする事がよくあり、「周りを気にし過ぎて、遊び込めていないのでは」とのことでした。
    私はそれを聞いて、「いつも気にかけて下さってありがとうございます。そのお話を聞かせてもらって、すごく嬉しいです。きっと本人は、お友達が一人で寂しがっていると感じて、自分からお友達の所へ行ったんだと思います。そうしてあげてね、と教えたとしても誰にでも出来ることはではないと思うと、娘の行動がすごく嬉しいです」と答えました。
    運動が苦手でも、周りに気を配って優しい行動が出来ること。それを自分の「得意」なことだと感じてほしい、そう思った瞬間でした。
    親神様は、世界中のどの子にも、きっと素敵な「得意」をお与え下さっているのです。天理教では、こうしたことを「徳分」と聞かせて頂きます。一人ひとりに与えて下さっている徳分、しかし自分ではそれに気づけないこともあると思うのです。
    周りの人がキラキラ輝いて見えて、自分には何もないと落ち込んでしまったり、出来ないことばかりが目について自信をなくしたり。私自身も何度もそう思ったことがあります。だからこそ、子供たちには与えて頂いた「得意」に気づいて、それを伸ばして欲しいと思っていました。
    中学一年生の次男は、ある事がきっかけで字を書くことが得意になりました。私の記憶では、小学三年生までは特別字が綺麗な訳でもなく、「もう少し丁寧に書いて」と注意するほどでした。
    ところが、四年生の時の担任の先生が連絡帳に書いた字を毎日チェックし、丁寧に書けた人にシールを貼ってくれたのです。そのシール欲しさに丁寧に連絡帳を書き始め、先生や私に「きれいに書いてあって見やすいね。字が上手だね」と褒めてもらううちに、次男本来の真面目さも手伝って、字を書くことが得意になったのです。
    自分で気づけなくても、周りから言ってもらううちに自分の得意に気づくこともあります。次男のおかげで、みんなが言ってくれる事が力になると分かって、家庭内でもそれぞれの得意なことを声に出して言うことを心がけるようになりました。すると、「お兄ちゃんって、こういう所が得意だよね!逆にこういうのは苦手で、弟の方が得意だよね」というように、会話の中で自然に相手の「得意」な所が出てくるようになりました。
    しかし、いつもそう思える訳ではなく、得意な所を見てあげたいと思いながらも、それとは真逆の「苦手」な所が目についてしまうこともしょっちゅうです。
    小学二年生の三女は、幼少期から語彙が少なく、言葉で指示を受けても、それを理解するのが難しいことを指摘されていました。私も三女の小学校入学後の学習を心配していたのですが、いざ始まると、やはり上の子達の時よりも毎日の宿題の支援が必要で、いくら嚙み砕いて話しても理解してもらえません。
    一枚の簡単なプリントを終えるのに一時間かかることもあり、「どうしてこれが分からないんだろう。さっき教えたばかりなのに」と、夕方の忙しい時間とぶつかって、私自身も次第にイライラすることが増え、三女の帰宅の時間を憂うつに思う日もありました。
    でも、分からなくて辛いのは娘の方。涙を流しながら宿題に取り組む日もあり、そんな姿を見ると私も反省の日々でした。
    そんなある日、上の娘二人が宿題に取り組む三女を見ながら、「妹は集中力が凄いよね!きょうだいの中で一番なんじゃない?」と言ったのです。
    「たしかに!」そう口にしながら、三女の物事に取り組む集中力、その「得意」に気づかされたのです。毎日、学校から帰るとすぐに自分から宿題を始め、たとえ分からなくても、「やらない」とか「もうやめたい」という言葉は聞いたことがないほどでした。
    他の子が一回で理解出来ることでも、三女には10回必要だという事もだんだん分かってきて、この子には何事にも向かっていく力があることを確信しました。
     私が両手をひろげても お空はちっとも飛べないが 飛べる小鳥は私のように 地面を速くは走れない 私がからだをゆすっても きれいな音は出ないけど あの鳴る鈴は私のように たくさんな唄は知らないよ 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい
    この詩のように、親神様から頂いた「徳分」「得意」が一人ひとり違っていて、それぞれの良さがある。日々の暮らしの中で、それに気づいてお互いに認め合える、そんな優しい心を忘れずにいたいと思います。
    そして、その思いを周りの人たちにも映していけるよう、今日もみんなの「得意」を見つけて、声にしていきたいです。
    歩き続ける道
    道というものは、よく人生に例えられます。この天理教の教えは、信仰者の間では「お道」と呼ばれています。信仰生活とは自ら道を求める歩みであり、道は通るべきもの、そして教えは実行すべきものである、という意味からすると、「お道」とは実に味わいのある言葉です。
    教祖・中山みき様「おやさま」は、直筆による「おふでさき」において、道に例えて次のようにお諭し下されています。
      やまさかやいばらぐろふもがけみちも  つるぎのなかもとふりぬけたら   (一 47)
      まだみへるひのなかもありふちなかも  それをこしたらほそいみちあり   (一 48)
      ほそみちをだん/\こせばをふみちや  これがたしかなほんみちである   (一 49)
    「山坂や茨の生い茂ったあぜ道や、崖っぷちの道。刀を抜いて切りかかられるような危険もあるかも知れない。さらにその先にも、燃えさかる火の中や水が深くよどんでいる淵中など、様々な危ない道が待ち受けている。そうした道を通り抜けたら、やっと細い道らしきものが見えてきて、その細道を一歩々々着実に歩いていけば、ついには広い大きな道に到達する。これこそ目的地に通じる真の道なのである」
    とにもかくにも、道と言われるからには、それはどこかに通じているはずです。しかし、そこに到達するまでには、途中色々な経緯のあることが予想されます。山道も、坂道も、袋小路もあるでしょう。舗装されて真っすぐに伸びている道もあれば、起伏やカーブの激しい道、でこぼこの悪路だってあるかも知れません。しかし、目的地へ近づくためには、それは避けては通れない道なのです。
    誰しも、次のような経験を持っていないでしょうか。坂道を息をはずませて歩き、重くなった足を引きずって、やっと峠にたどり着いた瞬間、ぱっと視界が開け、素晴らしい光景が眼下に広がり、思わず我を忘れるといった経験です。それは、つらい道中もあったけれど、歩き続けてよかった、諦めて引き返さずによかったと、心の底から思える瞬間です。
    日々の信仰生活の歩みにおいても、同じようなことが言えるのではないでしょうか。教えに沿って、迷うことなく、この道を歩いていきたいものです。この道は「通ってこそ道」、「続いてこそ道」とも言われます。
    (終)
    13 min
  • 教祖のお導き
    教祖のお導き
     福岡県在住  花田 浩美
    去る1月26日、教祖140年祭がおぢばにて執り行われました。私たちの教会からは総勢17名が、福岡からおぢばに帰ることが出来ました。
    大変寒い中でしたが、年祭に参拝できて、「ありがたかったね」「よかったね」「教祖に喜んで頂けたかな?」とお互いに喜び合い、その日の午後、大阪発のフェリーで帰るため、マイクロバスで詰所を出発しました。
    しかし、ホッとした喜びもつかの間、奈良県と大阪の境目辺りの高速道路上で、前を走っているトラックがハザードランプの点滅を始めました。私たちが乗っているバスもゆっくりスピードを落としていきます。
    どうやら渋滞に巻き込まれたようです。しばらくするとバスはぴたりと止まり、二車線とも全く動かなくなりました。
    初めは年祭の影響で、交通量が多くて渋滞しているのかなと思っていましたが、消防車や救急車などの緊急車両が次々と路側帯を通り抜けて行きました。これは事故だ、しかもかなり大きな事故じゃないか…。
    その時は、まだフェリーの出航時間まで余裕がありましたが、そのうちNEXCOの方が各車両に携帯用トイレを配り始めました。私たちのバスも人数分頂きましたが、その時に前方の事故の様子を聞いてみると、かなり大きな事故で、まだまだ通行できる目途が立たないとのことでした。
    バスの中には、乳幼児、妊婦さん、ご高齢の方、がんの身上で横になっている方もいました。出港時間も迫り、だんだん心細くなってきました。
    車内の誰かがスマホで調べると、トンネル内で、トレーラーとトラックが衝突し、車が横転したらしいと情報が入ってきました。私たちがいる場所から1.5キロ先に、トンネルが見えます。トンネルの中で車が炎上でもしたら、中の人たちが大変なことになると、皆で無事を祈りました。
    ふと車の外を見ると、数人の女性が道路を歩いていました。何があったのか尋ねると、一キロ先に女性用の仮設トイレが設置してあるとのこと。私たちも車椅子の人を連れてバスを降り、一緒に歩きました。
    高速道路を歩くなんて初めてで、ちょっと感動しました。しばらく歩くと、仮設トイレには200人ほどの長い列が出来ていました。並んで一時間近く経った頃、仮設トイレの容量がいっぱいになったらしく、携帯用トイレを使うしかない状況になりました。
    私は余分に持っていたので、持っていない人がいないか確かめるため、並んでいる方一人ひとりに声を掛けていきました。すると、私の名前を呼ぶ声が聞こえました。
    なんと列の中に、会いたいと思っていた、信仰を同じくする北海道の友人がいたのです。思いも寄らないことに驚き、感激のあまり、何度も何度も無事を確かめ合うかのように、抱き合いました。
    私以外にも知り合いに会えた人や、トイレに並んでいる間に意気投合して友達になったりと、渋滞に巻き込まれたからこその出会いが多々ありました。
    結局4時間後に通行止めは解除となりましたが、フェリーには間に合わず、陸路で福岡県へと戻ることになりました。
    幸い、事故に遭った人たちは軽傷で済んだとも聞きました。大変なアクシデントではありましたが、その中でもバスの車内には笑顔がいっぱいでした。
    「何が起こるか分からんけど、皆無事で良かったね」
    「これも忘れられない思い出やね」
    「護って頂いとるね」
    と口々に喜び合い、教祖が最後の最後に私たちがもっともっと喜べるように、心一つになれるように、果たすべきことを与えて下さったのではないかなと思いました。
    まさかの状況の中でも、不足することなく、誰を責めることもなく明るく過ごせたのです。そのみんなの姿を見て、本当にありがたく、嬉しく思いました。
    無事に参拝できたこと。今こうして元気でいられること。それが、すでに大きなご守護。
    普段何も起こらない日。無難で通らせて頂く日。それは〝何もない日〟ではなく、常に大きな難を小さくして頂き、小さな難を、何事もなく、無事にお連れ通り頂いている日なのだと感謝しました。
    無難ではなく、小難という事故渋滞に敢えて関わらせ、見せて下さったお蔭で、普段どれほど護って頂いているかに、あらためてみんなで気づくことができました。
    日を追うごとに、1月26日のことが映写機のように思い出されました。あの日の出来事、一つ一つが必要なことで、誰かとの関わりや様々な出来事は、教祖のお導きや後押しであり、どんな事も喜べる、陽気な心を作らせて頂いているのだなあと考えると、何だかワクワクして、心に灯りがともったように温かい気持ちになりました。
    教祖は、いつでもそばでお護り下さっていると感じます。お姿は拝する事が出来なくても、たとえ気づかなくても、ご存命で、確実に。
    教祖140年祭を終えた今、私自身まだまだ未熟ですが、何事もなく通れる当たり前のような一日が、大難を小難、小難を無難にして頂いていることを忘れず、どんな時も教祖の大きく温かい親心を自らも持てるよう、通らせてもらおうと思います。
    教祖、ありがとうございました。
    人類の母親
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、どんな人にも無限のやさしさと温かさで接せられました。教祖に一度でもお会いした人は、誰もが言葉に言い表せないほどの温かい親心を感じ、そして誰もが一瞬にして魂を奪われたといいます。
    人類の親としての教祖のお心は、子供可愛い一条であられます。早く難儀な人をたすけてやりたい。その限りなく深い親心に、人々はまるで磁石に引き付けられるように、教祖のお屋敷を再々訪ねて行きました。そして、穏やかに接するばかりでなく、時に厳しく天の理をお諭しになりましたが、そのような時には一転して近寄り難く、恐れ多い偉大な存在であられました。
    教祖の道すがらを記した『教祖伝』には、このように記述されています。
    お声は、平生は優しかったが、刻限刻限に親心を伝えられる時には、響き渡るような凛とした威厳のある声で、あれが年寄った方の声か、と思う程であった。
    教祖は、子供に対しても、頗る丁寧に、柔らか優しく仰せられたというが、その優しいお言葉に、ひながたの親としての面影を偲び、刻限刻限に親神の思召を伝えられた。神々しくも厳かなお声に、月日のやしろとしての理を拝する。厳しく理を諭し、優しく情に育んで、人々を導かれた足跡に、教祖の親心を仰ぐ。
    さて、明治十九年、教祖は八十九歳の時、櫟本分署へ十二日間拘留されました。深夜に及ぶ厳しい取り調べを受けられましたが、そんな中でも、目の前に菓子売りが通ると、退屈して居眠りをしている見張りの巡査に、その菓子を買ってあげたいと仰せになりました。
    また、拘留中にも、刻限刻限にはお言葉がありました。お言葉が始まりかけると、巡査が付き添っている孫の梶本ひささんに、「これ、娘」と注意をし、ひささんが「おばあさん、おばあさん」と止めようとした途端、響き渡るような凛としたお声で、「この所に、おばあさんは居らん。我は天の将軍なり」と仰せられました。
    その語調は、全く普段の優しさからは思い及ばぬ威厳に満ちており、ひささんは、畏敬の念に身が慄えたといいます。(第八章「親心」)
    教祖は、人類の母親として、広く深い親心をもって、私たち人間の成人をお見守り下される、温かく親しみやすい存在であられるとともに、時に恐れ多くも近づき難い、圧倒的なエネルギーに満ちた存在であられたのです。
    この優しさと厳しさ、二つ一つの両面のひながたに、元の神・実の神の地上の現われとしての教祖の存在が実感されるのです。
    (終)
    13 min
  • そのひと言があったから
    そのひと言があったから
    助産師  目黒 和加子
    「よく、曲がらないで育ったもんだ。そんな環境にいたら、道を踏み外して不良になってもおかしくないよ」
    私の生い立ちの話になると、夫のめぐちゃんは、切なさと不思議さが入り混じった顔でそう言います。
    「不良になるチャンスは何回もあったわ。悪くなっていく同級生や先輩も身近にいてたし」
    めぐちゃんと私が育った昭和50年代は、素行不良の中高生が続出し、校内暴力・家庭内暴力が社会問題になった時代。
    「今日を限りにいい子はやめる!悪い仲間に入ってグレてやる!って決意したことがあってんけどね。そのひと言があったから、道を外さんと踏ん張れてん」
    「へえー。そのひと言って、なに?」
    昭和43年。私が4歳の時、父の事業が失敗。父は多額の借金を残し、浮気相手のホステスと蒸発。ヤクザまがいの借金取りが入れ代わり立ち代わりやって来て、一家心中寸前まで追い込まれました。
    その後、大阪から遠く離れた父の所属教会に預けられ、次に信者さん宅に引き取ってもらい、半年後、大阪に戻りました。が、元の家ではなく、そこは親戚宅の三畳間。
    事情を知らされていない私は、「パパはどこにおるの?」と母にたずねました。途端に母の顔がこわばり、つないでいる手が震え出したのです。
    〝パパのことを聞いたらあかんのや〟。幼心に刷り込まれ、それからは言わなくなりました。
    もちろん、母も父のことを一切口にしません。その後も別の親戚宅を間借りして、浮草のような暮らしが5年も続いたのです。
    小学三年生の時、親戚宅から独立し、アパートを借りて母と私と弟の三人で暮らせるようになりました。母は生活と父の借金返済のため、看護師の仕事以外に内職もしていました。働きづめで余裕がなく、笑顔が消えていったのです。
    「お母さんが暗い顔してる。なんとかせなあかん」
    元気の出る明るい歌を笑顔で歌い、掃除、洗濯、アイロンがけに買い物、何でもしました。
    「和加ちゃんが歌ってくれると心が明るなるわぁ。家のことをしてくれるから安心して仕事に行ける。ほんまにたすかるわ」と微笑む母。
    「わ・か・ちゃん。あ・そ・ぼ~」
    「今、お風呂の掃除してんねん」友達が誘いに来ても、あくまで家のことを優先。
    「帰ってきたら、すぐお風呂に入れるようにしといたげよ」
    母の笑顔見たさに懸命に家事をする、しっかり者のいい子だったと思います。
    父のことはもっぱら親戚から聞かされました。
    「自分がつくった借金を女房に丸投げして、ホステスと逃げる最低な人間や。お父さんみたいな人になったらあかんよ。あんな人でなし!」
    父は周りの人を不幸にした張本人です。しかし、そんな親でも悪く言われると子供の心はえぐられ、次第に傷は深くなります。
    中学生になって間もない頃、法事で親戚が集まりました。会社の社長をしていた親戚のおじさんが、酔った勢いで「和加ちゃん、お父さんに似てきたなぁ。横顔なんかそっくりや。あんたのお父さんは悪い奴でなぁ。有名大学を出てるから営業部長にしてやったのに、営業だと言ってキャバレーで会社のお金を使い込んだ。だから倒産したんや! 倒産が決まった時に『社長がバカだからこんなことになったんだ』なんて言いやがって!」そう言って、手元にあったおしぼりをテーブルに叩きつけたのです。
    「すみません、すみません」小さくなってひたすら謝る母。その姿がみじめで情けなくて、〝お父さんのしたことやのに私にぶつけるんや。これからも言われ続けるんやろな。もう耐えられへん。いい子はやめる。グレてやる!〟と決意したのです。
    さっそく、不良グループを観察。「どないしたら仲間に入れるんかなぁ」と探っていました。
    そんなある日、夕食の片づけをしていると母が側に来て、ニコッと笑うと、「和加ちゃんが産まれた時、お父さんはすごく喜んだのよ」と言ったのです。父のことを一切話さない母が、しかも笑顔で。そのひと言だけ言って、隣の部屋に行ってしまいました。
    産まれてきた我が子を見て喜ばない親はいないでしょうから、ごく当たり前のことを言っているだけですよね。しかし私にとっては、「私は望まれて産まれてきたんや、産まれてきても良かったんや、これからも生きていいんや」と、自分の存在価値を肯定してもらったと感じられる言葉だったのです。
    なぜ、母はいきなりあんなことを言ったのか。おそらく親戚から罵倒され、苦々しい思いをしていた私に危うさを感じたのでしょう。このひと言は私の強力な踏ん張る力となり、これからも母のことを支え続けると決めました。
    今から13年前、ひょんなことから父の住所が分かり、一人で会いに行きました。4歳で別れているので44年ぶりです。その後、時折お品物が届くようになり、手紙のやり取りをしていたところ、〝老健施設に入所したので、会いに来てほしい〟と書いてきました。
    再会から10年以上が経ち、父は92歳になっています。これが最後になるだろうと、夫のめぐちゃんも一緒に来てくれました。耳が遠くなり聴こえないとのことなので、筆談出来るように紙とマジックを持って行きました。
    介護士さんに付き添われ、エレベーターから降りてきた姿にびっくり! 小さくなって別人のようです。めぐちゃんと私に深々と頭を下げる父。ソファーに座って早速、筆談を始めました。
    【お久しぶりです。主人も一緒に来ました。聞きたいことがあるのですが。私が産まれた時、お父さんはとても喜んだと母から聞きました。本当ですか?】
    「本当です。本当です。初めての子だからとても嬉しかった」うなずき、身を乗り出す父。
    【子供時代はつらいことが多かったですが、母から聞いたそのひと言にチカラをもらって踏ん張れました。今は優しい主人と幸せに暮らしています。この人生で良かったと思っています。そのことを伝えたくて…。お身体大切に。くれぐれもご自愛ください】
    「情けない親です。申し訳ない。遠路はるばるありがとう。お二人ともお元気で」
    短い面会が終わりました。
    昨年、父は他界しました。この母のひと言があったから、道を外すことなく、今の幸せにつながっているのだと思います。
    心に吹く風「〝結果〟よりも〝経過〟が大切」
    私が住む熊本では最近、小中学校の運動会を五月に行うところが増えてきました。全国の公立小学校で、春に開催する学校の数が、秋の開催校を上回っているというデータもあります。入学したての一年生には少しばかり負担かもしれませんが、熱中症対策に加えて、競技を通じて新学年のクラスの団結が強まるという報告もあり、この傾向は今後も続いていくと思います。
    運動会で考えたことがあります。「あれは体育の大会だから、クレームが出ないのではないか」ということです。
    ご存じの通り、学校教育には「知育、徳育、体育」という三つの基本的な指針があります。たとえば、同じことを「知育」でやったらどうでしょう。
    朝から全校児童が校庭に集められ、入場行進をする。家族が弁当を持ち込み、シートを敷いて声援を送る。本部テントに来賓を招いて席を作る。賑やかな音楽を流しながら、「せーの」で全員が〝計算ドリル〟や〝漢字の書き取り〟をして、一等賞の子をみんなで褒めたたえる―。こんなことをやったら、間違いなく保護者から「なんということを…」とクレームが来るでしょう。
    「知育」ではだめで「体育」だから許される大会。こういう見方をしてみたら、また違った風景が見えてきます。なかには運動が苦手で、みんなが見守る前で一番最後を走るのが嫌な子だって、間違いなくいるはずなのです。
    私はかつて、子供が通う小学校のPTA会長をしていたとき、運動会の開会式で、こんなあいさつをしました。
    「おはようございます。待ちに待った運動会、楽しみにしていた人もいるでしょう。でも、かけっこはちょっと苦手だな、という人もいると思います。
    ところで、みんな〝名探偵コナン〟って知っていますか? 見た目は小学生の子供が、次々と難しい事件を解決し、犯人を見つけていく。アニメだけどすごいなって思います。でもあれ、最初から犯人が分かっていたら面白いですか? また、野球やサッカーの試合をテレビで見ますよね。あれは、結果だけ分かればいいのなら、なにも試合の中継を見なくても、あとでニュースを見ればいいですよね。なんで、あんなにテレビの試合に熱中するのでしょう。
    実はみんな、〝結果〟よりも、どうしてそうなったかという〝経過〟が大切だと知っているのです。だから、その経過に熱中するんです。
    いいですか。今日の運動会では勝つ人、負ける人が出ます。でも、その結果よりも、もっと大切なことがある。それは、その結果が出るまでに、自分が、また自分のチームが、どれだけ頑張ったかという経過です。昨日の練習よりも、前を行く人との差をちょっとでも縮められたら、そのときは自分に大きな拍手を送ってくださいね」
    同じことは大人の私たちにも言えると思います。現代は「勝ち組」と「負け組」に分かれ、結果を出さなければ生き抜けない世の中だといわれています。しかし、本当に大切なのは、〝結果〟として失敗しないことよりも、その結果が出るまでの〝経過〟です。負けない人間、失敗しない人間などいません。しかし、その失敗から何かを学ばないと、次も同じところで失敗を繰り返してしまいます。
    実は、テレビドラマに出てくる女医さんではありませんが、「失敗しない」秘訣があります。それは、失敗を失敗で終わらせないこと。失敗した段階では「まだ終わっていない」と思うことです。その失敗から多くを学び、それが次の成功につながったとしたら、その失敗は、成功への〝経過〟にすぎません。
    神様は、可愛いわが子である人間に、時には病気や悩み事など、苦しい思いをさせられることがあります。しかし、それは本当の幸せへ導かれる〝経過〟なのです。それを信じて、神様の思いに気づき続ける心を保ちたいものです。
    (終)
    17 min
  • 心にチカラを
    心にチカラを
    兵庫県在住  旭 和世
    「先進国における子供の幸福度」という調査があるのをご存知でしょうか? 先進国38か国で行われている調査ですが、その中で日本の子供達の現状として驚くべき結果が出ています。
    「身体的健康」いわゆる体が元気という面では1位であるのに対し、「精神的健康」心が元気かどうかという面では、38か国中32位という、最下位に近い真逆の結果になっています。要するに体は健康なのに、心が元気ではないという事なんです。
    また、日本の10代後半から20代の死因の1位は「自死」という調査結果もあります。
    たとえ元気に産まれてきて、住む家、着るもの、食べるものにそれほど不自由のない状況だったとしても、心が幸せではないという、とても切ない現実があるのです。
    とある新聞記事では、ベトナムからの留学生が日本の感想をこんな風に語っていました。
    「日本に来るまでは、きっと日本人は自分の国に誇りを持ち、幸せに暮らしていると思っていた。しかし実際に来日してみると、日本人はいつも疲れていてあまり笑っていない。いつも何か心配しているように見える。経済的豊かさは幸福につながるとは限らない。日本人の幸福とは何なのか」
    海外の人にも、日本人の心は疲れているように見えるのだと思いました。
    少し前のことです。娘が学校でいじめにあっているのでは?と思う事がありました。最近元気ないな、学校へ行くのも足取りが重たいな…とは感じていたのですが、ある日たまたま娘のいつもとは違う状況を見かけたのです。考えすぎかな?と思いながらも気になったので、その夜それとなく聞いてみました。
    「今日何かあった?」
    「え~、べつに…」と娘は言葉を濁し、そのあと小さい声で「私も悪かったかもしれんから…」と言うのです。
    「どうしたの?」と聞くと、少しずつ話してくれました。
    ずっと仲良しだった友達が最近そっけなくなって、グループの中で仲間外れにされている、という内容でした。
    私は「そうだったの。それはしんどかったね。よく言ってくれたね」と答えつつ、娘のそうした状況に遭遇したのは、何か神様からのお知らせなのではないかと思いました。
    そしてふと、私が子供の頃、娘と同じような経験をした事を思い出したのです。
    その時母は、「もし自分の事を悪く言う人がいたら、その人の後ろ姿を拝ませてもらうんよ。あなたの悪いところを払ってくれていると思ってね」と優しく諭してくれました。
    私はこの言葉で、とても心が明るくなりました。悪口を言われるのは辛い事だけど、信仰によってこんな風に前向きに捉える事ができるんだ、信仰を常に中心に置いていれば行き詰まることはないんだと、心にチカラをもらえたのです。
    その事を思い出した私は、娘にも自分が母から教わったこの話をしました。そして、「きっとその子には、そうせざるを得ないような、心に背負っているしんどい事があるのかもしれないね」と伝え、相手を恨んだり、正したりしない事に決め、二人で約束をしました。娘も自分の気持ちを分かってもらえる存在が近くにいる事で安心し、少しずつ前に進む元気を取り戻したようでした。
    こうして母の教えのお蔭で娘も元気になれた事を母に伝えると、母はこんな話をしてくれました。
    「お母さんも若い時、陰口を言われたり、いじめられたりした事があってね。すごく辛くて悔しくて、心のやり場がなくて…。それで、父にその辛い気持ちを話したの。そうしたら父はじっと聞いてくれて、『その人はお前の悪いいんねんを取ってくれる人だから、有り難いと思って後ろ姿を拝ませてもらえ。そして、その人が喜ぶ事をさせてもらったらいい』って言ったの。それでハッとして…。そうやって心を治めたらいいんだって思ったら、だんだんその人への恨みの気持ちがなくなって、心が軽くなった事があってね。それで、その父の言葉を忘れずに大切にしてきたんよ」
    天理教には「たんのう」という教えがあります。「おさしづ」という神様のお言葉に、
    「成らん中たんのう、治められん処から治めるは、真実誠と言う。前生いんねんのさんげとも言う」(M30.7.14)とあります。
    辛い事や悲しい事があった時、なかなか心は平静を保てません。けれど、その原因を外に求めて嘆いたり責めたりするのではなく、自らの人生の心得違いに気づき、その神様からのお知らせを有り難く受け取り、心と運命を切り替える事ができる「たんのう」の教え。
    そんな、とても奥が深い心の治め方を祖父が母に教えてくれていたお蔭で、母、私、娘と3代にわたって心をたすけてもらったのでした。
    娘は、今ではたくさんの友達と楽しい学校生活を送っています。そして辛かった時期を振り返り、「あの時は、友達の大切さを教えてもらったんだな~って、心から感謝してるねん」と言ってくれています。
    もしこの祖父の教えがなければ、きっと悪口を言った人を恨んだり、理不尽な出来事を受け入れられず、辛い日々を過ごしていたと思います。到底感謝の気持ちなど持てなかったでしょう。
    けれど、教祖の教えには決して人を責めたり、悪者にしたりする教えはありません。「我が身の不徳の致すところ」と捉え、苦しい時こそ自分の通り方を見つめ直すチャンスであると教えて下さっています。
    自分は被害者だと、人のせいにして恨んでも自分の心は幸せにはなりません。成ってきた事は、自分の悪いいんねんを切るためにお見せ下さっている事なのだと考えると、心にチカラが湧いてきて、幸せに近づけるように思えます。
    こうやって、我が子が心にチカラを取り戻してくれた事は、親として何よりも嬉しい事でした。
    私たちが生きていく中には、思いもよらない事が起こり、心が倒れそうになる事があります。先の幸福度調査からも考えられるように、身近な若い世代や子供たちの中には、何か辛い事があっても周りに気軽に相談できる人がなく、一人で抱えて苦しんでいる子が大勢いるのです。そのことを思うと、私たち信仰者ができる事が必ずあると思えてきます。
    普段から周りの子供たちや若い世代の人たちとつながり、楽しい事も悲しい事も共有できるような関係でいる事で、何かあった時に「この人なら聞いてくれるだろう」とSOSを出してもらえるような存在になれたらと思っています。
    全人類のふるさと「おぢば」があるここ日本から、親神様、教祖にご安心頂けるような世界を目指して、まずは身近なところから心を尽くしていきたいと思います。
    神が連れて通る陽気
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」が説き明かされた、人間創造の「元の理」のお話によれば、人間は親神様によって「知恵の仕込み」と「文字の仕込み」を受け、その中で様々な文明文化を築いてきた。そして、その結果として現在、非常に恵まれた生活を営んでいます。
    しかし、教祖はそのような人間の今日の生活を、
      このよふハにぎハしくらしいるけれど  もとをしりたるものハないので (三 92)
    と表現されています。すなわち、この世の進歩を遂げた、ものに恵まれた生活も、実はその元を知らないまま営まれているものだとの仰せです。
    親神様が私たちにお望み下さる「陽気ぐらし」とは、この「賑わし暮らし」とはまったく次元の異なるものです。いち家庭が円満で、夫婦、親子仲良く幸せに暮らし、休日にはレジャーを楽しむような生活も、確かに「陽気ぐらし」の一部ではあるでしょう。しかし、これではまだ「賑わし暮らし」のレベルの話です。
    お言葉にも、
    「さあ/\陽気遊びというは、よう聞き分け。陽気遊びと言えば、今日もあちらへ遊び行く、何を見に行く。陽気遊びとは、目に見えたる事とはころっと格段が違うで」(M23・6・20)
    とあります。
    つまり、陽気ぐらし、陽気遊びとは、物見遊山の楽しみでもなければ、賑やかなレジャーや旅行でもないのです。そういった目に見える次元とは全く異なる、目に見えない心の持ち方に関するものなのです。
    次のようなお言葉があります。
    「神が連れて通る陽気と、めん/\勝手の陽気とある。勝手の陽気は通るに通れん。陽気というは、皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん」(M30・12・11)
    親神様に連れて通ってもらうためには、私たちが素直に親神様の思いにもたれることが大切です。ただ、「もたれる」と言っても、自分のことを棚上げにして、何でもお願いすればいいということではありません。
    身の周りに起こること全てが親神様のお計らいであるという元を知り、その中で生かされていることを自覚し、日々を喜び勇んで通ること。そうした中に、真実の親に手を引いてもらっているという実感が湧いてくる、すなわち「神が連れて通る陽気」を味わうことが出来るのです。
    (終)
    15 min
  • 扉が開いた!
    扉が開いた!
    福岡県在住  内山 真太朗
    私がお預かりしている教会に繋がる、中年男性のAさんが、二年前より命に関わる重い病気となりました。家族や周囲の方々が励まし、看病し、神様にお願いし続けましたが、病状は思わしくなく、Aさんの気持ちもどんどん沈んでいってしまいました。
    私は教会長として、ようぼくとして、何とかたすかって頂きたいと、神様にお願いするべく、教祖140年祭がつとめられる直前の一月半ばに、おぢばへ帰らせて頂きました。その日の用事を済ませ九州からの最終の新幹線に飛び乗り、次の日中には九州へ帰るという予定で帰参しました。
    本部朝づとめが終わり、これから改めて、親神様がお鎮まりくださるおぢばで、真剣に身上平癒のお願いをさせて頂こう。帰りの時間まで約5時間。どのようにお願いさせて頂こうか思案しました。
    人間の身体は親神様からの借り物であり、十全のお働きによってお守り下さっているとお聞かせ頂きます。「そうだ、親神様の十全のお働きには、それぞれに方角がある。その方角で順番におつとめをつとめ、親神様の十全のご守護を祈念しよう」。このように思い定めました。
    まずは、「くにとこたちのみこと 人間身の内の眼うるおい、世界では水の守護の理」。方角は北。北礼拝場の一番前の真ん中でおつとめをつとめ、教祖殿、祖霊殿へ移動し、参拝しました。
    次に、「をもたりのみこと 人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理」。方角は南。
    このように、順番に方角を移動し、おつとめをつとめては、教祖殿、祖霊殿へと参拝に向かう。これを10回繰り返そうとつとめ続けました。
    3回目は「くにさづちのみこと 人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理」方角は南東。
    4回目は「月よみのみこと 人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の理」方角は北西。
    そして次は「くもよみのみこと 人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理」。
    今回のAさんの病気は、消化器系の病気でしたので、特にこの「くもよみのみこと様」の方角、東でのおつとめをしっかりつとめたいと思っていました。
    ところが、いざつとめようとすると、東礼拝場が急に閉まってしまったのです。なぜ?午前中なのに。聞けば、御簾の付け替えのため、足場などを組んでの作業となるので、安全のため、東礼拝場での参拝はこの時間からしばらくご遠慮頂くとのことでした。
    「なぜこのタイミングで?どうしよう、身上たすからんという神様からのメッセージなのだろうか」とも思いましたが、どうでもおたすけ頂きたい。どうしても東礼拝場でおつとめがしたい。自分の中だけでのこだわりかもしれないが、くもよみのみこと様の方角でおつとめをつとめ、何とか神様のお働きを頂戴したい。このような思いから、再び東礼拝場が開くまで、一旦次に行くことにしました。
    「かしこねのみこと 人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理」方角は南西。
    「たいしよく天のみこと 出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理」方角は北東。
    「をふとのべのみこと 出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理」方角は西。
    そして最後に、「いざなぎのみこと 男雛型・種の理」真北。「いざなみのみこと 女雛型・苗代の理」真南。
    こうして、それぞれの方角で親神様のお働きを称え、願い、おつとめをつとめること9回。
    残るは、くもよみのみこと様の東。しかし、まだ礼拝場は開かれない。仕方がない。願う心だけでもお受け取り頂きたいとの思いで、最後に東礼拝場の外回廊から、かんろだいに向かって一心に、10回目のお願いづとめをつとめ、10周目の教祖殿、祖霊殿を参拝しました。
    帰りの時間までギリギリでしたが、もう少し時間がある。最後に回廊ひのきしんをさせて頂くことにしました。
    そして、みかぐらうたを唱和しながら回廊拭きをしていると、それまで閉まっていた東礼拝場の扉が、このタイミングで急に開き始めたのです。
    「ありがたい!これで東礼拝場でおつとめをつとめさせて頂ける!」
    勇んだ心で回廊ひのきしんを行い、あらためて東礼拝場の一番前の真ん中で、おつとめをつとめさせて頂きました。
    これまでの所要約6時間。一心込めてお願いさせて頂き、九州への帰路に着きました。
    数日後、それまで、身体がしんどく、命が尽きるのも覚悟していたAさんが、なんと教会祭典の前日ひのきしんをつとめ、祭典当日も明るい顔で参拝に来られたのです。
    Aさんは、病床で不思議な体験をした話を聞かせてくれました。
    「自分はそれまで、もう死にたい、死んで楽になりたいと思っていた。ところがある晩、夢の中で声がしたんです。『おぢばに帰ってきなさい』と。あの声は間違いなく親神様、教祖の声でした。ですから私、教祖140年祭には何としてもおぢばに帰らせて頂きます」と、元気な声で話してくれました。
    何ということ! 『おふでさき』で、「夢でなりともにをいがけ」と記されていますが、神様は夢の中でさえも、その人の心の向きが変わるように働き、お導き下さっているのだと実感しました。
     とのよふなむつかしくなるやまいでも つとめ一ぢよてみなたすかるで (十 20)
    一連の出来事を通して、あの時、東礼拝場が開いたのは、ご守護の扉が開いた瞬間だったのではないか。たくさんの人がAさんのたすかりを願って、お願いづとめをつとめ、おさづけを取り次いだ。その真実を神様がお受け取り下さった姿が、Aさんの夢の中に現れたのではないかと思案しました。
    そして教祖140年祭当日、Aさんは家族に伴われ、おぢばに帰り、感激の参拝をさせて頂くことが出来ました。
    これからも、Aさんをはじめ、事情や身上で苦しむ方々に、教祖から教えて頂いた「つとめ」と「おさづけ」をもって、おたすけの道を歩ませて頂きたいと思います。
    陽気ぐらしとは
    陽気ぐらしとは、ある事柄についての感情的な喜びや嬉しさに基づく陽気さを意味するものではありません。むしろ、その時その場は浮かばれないような心弾まぬ事柄であっても、その中に込められている親神様の思惑を汲み取って、勇んでいく歩み方を指します。
    その歩み方は、教祖・中山みき様「おやさま」が残された、私たちが生きる上での指針とするべき「ひながた」の中に見出すことが出来ます。
    嘉永六年のこと、教祖の夫・善兵衛様が出直されたこの年、母屋を売り払われた時の逸話は、まさにこのことをよく物語るものです。教祖の道すがらを記した「教祖伝」には、このように書かれています。
    かねて、買手を捜しておられた中山家の母屋も、望む人があって、いよいよ売られる事となった。母屋取毀ちの時、教祖は、「これから、世界のふしんに掛る。祝うて下され」と、仰せられながら、いそいそと、人夫達に酒肴を出された。人々は、このような陽気な家毀ちは初めてや。と、言い合った。(第三章 みちすがら)
    通常の人間的な感情から言えば、長年親しんだ母屋を取り壊すことは、心寂しい悲しむべき出来事です。にもかかわらず教祖は、陽気にいそいそとこれに対処されました。
    教祖は、難渋を抱える人々に、「ふしから芽が出る」と度々お諭しになりましたが、その通り、夫の出直しという大きなふしから、この教えが伸び広がる先を見据えてのご態度だったのです。何も知らぬ周囲の人々は不思議がりましたが、「世界のふしん」に掛かる第一歩となるのですから、教祖としては当然の勇んだ姿だと言えましょう。
    そもそも、陽気な人と言えば、元来朗らかで楽天的な気質の持ち主という風にイメージされますが、それではそのような気質を持たない人は、陽気ぐらしに向かないのでしょうか。
    教祖直筆による「おふでさき」に、
      月日にわにんけんはじめかけたのわ  よふきゆさんがみたいゆへから (十四 25)
    とあるように、私たち一人ひとりには、陽気ぐらしをさせてやりたいという親神様の思いが込められているのです。
    真の陽気の在り方とは、誰もが潜在的に持ち合わせているものであり、それは教祖のひながたを頼りに、日々教えを実践していく中に、自然に湧き立ってくるものなのです。
    (終)
    14 min
  • いつもカチカチしてる人
    いつもカチカチしてる人
    岡山県在住  山﨑 石根
    天理教の布教方法の一つに、「神名流し」というものがあります。天理教のハッピを着て、町の中を拍子木を叩きながら歩き、「みかぐらうた」というおつとめの地歌を歌い、「天理王命」の神名を唱えます。そうして歩くことで、世の中の人に天理教を知ってもらい、親神様のご存在を広めることが出来る、まさに布教方法の一つなのです。
    私は30歳の頃、奈良県天理市で勤めていた仕事を辞め、実家である教会の後継者として岡山の地に戻ってきました。そして、その頃からこの町で毎日神名流しを始め、今年で18年目に入りました。
    夕方に教会を出発して、約30分間歩くのですが、私の場合は布教という側面よりも、「この町の人たちの病気や悩み事が少しでも治まり、幸せになりますように」という祈念の思いのほうが強いかも知れません。
    ただ一方で、布教をして私たちの存在を知ってもらわなければ、誰かのお役に立ちたくてもスタートラインにも立てないというジレンマがあったので、「この町に天理教の教会がありますよ~」「教会にいるのはこんな人ですよ~」という、自己紹介や宣伝のような意味合いも強かったと思います。
    いずれにしても、15年以上続けていますと、この町で私が歩く風景も定着してきたように思います。もとより、この地で代を重ねて信仰を続けて下さったご先祖様のお陰もありますし、のどかな田舎町だからこそというのもあるでしょうが、割と町の皆さんが私たちに対して頭を下げてくださったり、地域の活動で知り合った方々が手を振って下さったりします。
    ある日、地元のお巡りさんが何かの調査で我が家を訪れた時などは、「いつもこの町を歩いて下さりありがとうございます。これからも地域を見守って下さい」とお礼を言われ、恐縮したこともありました。また、色々な場面で町の人に出会う度に、「あっ、カチカチして歩いている人ですね」と声を掛けられたりと、ちょっとした有名人にもなってきました。
    神名流しに歩き始めた平成21年の元旦は、まだ次男が妻のお腹の中にいました。なので、拍子木を叩く私の後ろを、お腹の大きい妻が、2歳の長男を乗せたベビーカーを押しながら歩くといった感じでのスタートでした。
    その後、私たち夫婦は5人の子どもを授かりましたので、次第に長男が歩く、次男も歩く、さらに下の子たちがベビーカーに乗ったり、私におんぶされている様子を見て、見知らぬ人から「あの子が、もうこんなに大きくなったんじゃなぁ」と話しかけられたりもしました。
    そんな日々が親としてとても嬉しかったのですが、妻とは当初から、「子ども達に強制はしないでおこうね」と話し合っていました。親に言われて嫌々歩かされても、陽気ぐらしの姿を世界に映す布教にはなりませんからね。
    でも有り難いことに、我が家の子ども達は喜んで一緒に歩きたがり、さらには近所の信者さんも一緒に歩いて下さるようになり、一時期はとっても賑やかな神名流しになっていました。
    ところが、上の子ども達が小学生の高学年ぐらいになると、予想通りだんだん恥ずかしい年代に入って一緒に歩かなくなり、時を同じくしてコロナ時代にも入り、下の子ども達も歩けなくなりました。また、近所の信者さんも様々な事情が重なり参加できず、最近では私か妻のどちらか一人が歩くか、夫婦二人だけで歩くことがほとんどでした。
    昨年9月のある日のことです。その日の午前中は教会の行事として、信者さん方と布教活動をしました。そして昼過ぎに、天理の大学に通う長男が、たまたま用事があって我が家に帰省してきました。
    夕方、いつもの神名流しの時間になったので、「今日は教会の布教日だったから、一緒に行かへん?」と、何気なく長男を誘ってみました。すると、「どっちでもええ」と意外な返事が返ってきました。そして、さらに驚いたのが、「お兄ちゃんが行くなら、私も行くわぁ」と、お年頃の中3の長女が乗り気だったことです。
    思いがけず、妻と長男と長女と4人で歩いた神名流し。本当に、随分久しぶりに我が子と歩いた神名流し。ここ最近、何かと反抗ばかりしていた長男が声を張り上げ、「みかぐらうた」を歌っています。出発するや否や、長女の後輩たち数人に出会ったのですが、彼女は臆することなく手を振り、後輩たちが元気よく挨拶をしてくれました。
    果たしてこの日の私たちは、町の人に陽気ぐらしの姿を映せたでしょうか。もちろん天理教の教えは、信仰したらたちまち家族円満になるといったご利益信仰ではありません。むしろ喧嘩もよくするし、いつも子どもを叱ってしまうし、親子や夫婦の関係がギスギスすることもしばしばです。
    でも、そんな時に拠り所とする教えがあり、それによって物事が治まるところに、信仰をしている意味があるのかなぁと思います。この日、私たち夫婦は、本当に幸せな時間を共有できたような気がして、それが有り難くて、もったいなくて、胸がいっぱいになったのです。
    その日の夜、今まで敢えてしていなかったある質問を、勇気を出して子ども達にしてみました。
    「ととが毎日、神名流ししているのって、みんなはどう思ってるん?」
    すると、全員がまるで申し合わせたかのように「別に…」と口を揃えました。
    「えっ? でも友達に何か言われへん?」と向けると、
    「みんなととのこと知っとるけえ」
    「いつもカチカチしてる人で有名で~」
    「火の用心って思われとるで~」
    と様々な反応が返ってくる中、長女だけが、「あぁ、あれは気にせんといてってみんなに言うてる」とバッサリ。
    「いや、あかんがなぁ!」
    と笑いながらも、子ども達の様子から、当初の目的であったこの町での自己紹介は、もう充分出来ているのかなぁと感じたのでした。
    今日もまた、私たちは神名流しに歩きます。この町の人に、そして子ども達に、取り繕った陽気ぐらしの姿ではなく、偽りのない等身大の背中を見せながら、コツコツと歩き続けたいと思います。
    よっしゃんえ
    小さい頃から教祖のお側で薫陶を受け、生涯を信仰に捧げた者は数多くいます。飯降よしゑさんもその一人でした。幼少の頃から両親とともに足繁くお屋敷に通い、「よっしゃん、よっしゃん」と教祖に可愛がられ、導かれながら気丈に育ちました。
    明治十年、十二歳のある日、指先が痛んで仕方がないので、教祖に伺ったところ、
    「三味線を持て」
    と仰せになりました。ところが、当時は近くに三味線を教えてくれる所などなく、「郡山へでも、習いに行きましょうか」と伺うと、教祖は、
    「習いにやるのでもなければ、教えに来てもらうものでもないで。この屋敷から教え出すものばかりや。世界から教えてもらうものは、何もない。この屋敷から教え出すので、理があるのや」
    と仰せられ、御自身で手を取って、それから三年にわたり、よしゑさんに直き直きにおつとめの三味線を教えて下さいました。(教祖伝逸話篇53「この屋敷から」)
    教祖は、
    「稽古出来てなければ、道具の前に座って、心で弾け。その心を受け取る」
    「よっしゃんえ、三味線の糸、三、二と弾いてみ。一ツと鳴るやろが。そうして、稽古するのや」
    と、懇ろにお仕込み下さいました。(教祖伝逸話篇54「心で弾け」)
    明治十五年、十七歳の時に家族とともにお屋敷に移り住み、一家揃って入り込ませて頂いたよしゑさんは、教祖から様々なお言葉を頂戴しています。
    「朝起き、正直、働き。朝、起こされるのと、人を起こすのとでは、大きく徳、不徳に分かれるで。蔭でよく働き、人を褒めるは正直。聞いて行わないのは、その身が嘘になるで。もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで」
    と、一日一日誠の心を尽くし、働くことの大切さを諭されました。(教祖伝逸話篇111「朝、起こされるのと」)
    また、このようなお言葉も下さいました。
    「よっしゃんえ、女はな、一に愛想と言うてな、何事にも、はいと言うて、明るい返事をするのが、第一やで」
    「人間の反故(ほうぐ)を、作らんようにしておくれ」
    反故とは反故(ほご)、役に立たないものという意味です。また、
    「菜の葉一枚でも、粗末にせぬように」
    「すたりもの身につくで。いやしいのと違う」
    日常を明るく陽気な心で通ること。そして、衣食住の中で神様からの賜物である物の持ち味を生かしきることの大切さを教えられました。さらに、人様を反故にせぬよう、決してあきらめることなく真実を尽くして導くようお諭しくだされています。(教祖伝逸話篇112「一に愛想」)
    (終)
    13 min

About 天理教の時間「家族円満」

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