天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」 episodes

  • 波止場の教会

    大学を卒業後、大教会で青年づとめをしていましたが、私に与えられた役割は、ホームレス状態になってしまった方々のお世話取りをすることでした。

    色んな方が出たり入ったりするのですが、ある日、でたらめなことをして出て行った方から「また住む所が無くなってしまって、そちらに戻りたいのですが」と連絡がありました。私は「どうしたらいいかな」と迷いつつ、そのことを当時の大教会長様に相談に行きました。

    心の中では「でたらめなことをして出て行った人だから、もう放っておいたらいいんじゃないか」と言ってもらえると期待していました。しかし、実際には思いもかけない言葉が返ってきました。

     

    13 min
  • 出会い

    教会の月次祭を終え、片づけをしていると、携帯電話に着信があったことに気がつきました。それは、三女が通っている幼稚園の先生が亡くなったという悲しいお知らせでした。

    先生が子供にかける温かい言葉と思いやりのある行動が、私は大好きでした。子育ての難しさに悩む私にも、いつも温かい言葉をかけて下さいました。

    天理教では、死は「出直し」であり、神様からお借りしている身体をお返しして、また新しい身体をお借りしてこの世に戻ってくると聞かせて頂きます。

    出直しは悲しいだけじゃない、神様の親心が込められていると頭では分かっていながらも、到底そんな気持ちにはなれません。しかし、時間が経つにつれて、悲しんでばかりではいけない!このお別れを通して、神様は私に何を教えようとして下さっているのかと考えるようになりました。

    13 min
  • 心の向きが変わる時

    83歳の男性Nさんは、40数年前にようぼくになっていましたが、教会との関わりは、熱心に信仰する奥さんとそのお姉さんを、教会まで車で送迎することと、お姉さんの講社祭に参拝することでした。

    そんなNさんに2024年3月、胃がんが見つかり、胃の全摘出手術を受けることになったのです。術後、目を覚ましたNさんは、生かされていることをしみじみと実感し、感激したことを教えてくれました。

    この「生かされている」という感激がNさんを変えました。それまで送迎だけだった教会へ、ご自身も参拝するようになったのです。胃を摘出したので見た目はどんどん痩せていきますが、反対に信仰に対して積極的になっていくNさんの姿に、周囲も大変勇ませてもらいました。

    13 min
  • 神が引き受けて居る

    私は長年、学生生徒修養会のスタッフを務めています。コロナの影響で数年間中止となりましたが、2023年に再開し、3月開催の高校卒業生コースのスタッフとしてお声掛けを頂きました。

    しかし当時、妻が4人目の子供を妊娠中で、ちょうど学修期間中と出産予定日が重なっており、上3人の小さな子供たちの世話もあることから、今回はスタッフを務めるのは難しいだろうと考えていました。

    お断りの連絡を入れようとした正にその日、本部学生担当委員会から、今回はこのような係をおつとめ頂きたいと連絡がありました。これも神様からのお導きだと考えをあらため、妻と相談をしました。

    「人類のふるさと『おぢば』に帰ってくる学生たちを迎える大切な御用だから。自分たちの子供は親神様、教祖が必ず守って下さるよ」と二人で心を定め、学修のスタッフを務めさせて頂くことにしました。

    11 min
  • 母が大切にしていたもの

    ある日、50代の男性Aさんが訪ねて来られました。話を聞くと、同居していた母親がおととし亡くなったのですが、未だ納骨をせず、自宅に遺骨を置いているとのこと。

    と言うのも、Aさんの両親は天理教の熱心な信者でしたが、Aさん自身は天理教のことはまったく知らず、知り合いもいません。父親が入っている天理の納骨堂に一緒に入れてあげたいが、どうしたものかと思案に暮れている所で、伝手を頼って私を訪ねて来られたのです。

    さっそく手続きを進め、Aさんの自宅を訪ねると、母親の遺骨は和室に丁寧に祀られていました。そして、その横にはA4ぐらいの大きさの紙に、筆書きで神様のお言葉が記されていました。

    11 min
  • 大丈夫=マイペンライ

    タイ人のようぼくで、日本語で「大丈夫」という意味のタイ語「マイペンライ」が口癖のTさんという方がおられます。

    Tさんは修養科を終えタイへ帰国後、自宅に立派な神床を構えて神様をお祀りし、日を決めて月次祭をつとめ始めました。友人や知人、近所の方、散歩中に知り合った方、会社の方など誰にでも声を掛けるので、月次祭には初参拝の方が多く来られます。

    また、祭典に間に合わなかった人にも、「大丈夫、今おつとめ終わったから飲みに来てね」と電話をかけ、奥さんのおいしい手料理を食べながら、みんなで楽しくビールを飲みます。いつも明るく、誰にでも気さくに優しく声を掛け、人を責めることをしない彼の元には、どんどん人が集まります。

    17 min
  • 街中の小さなふれあい

    フランスでは、日常生活の中での挨拶が何よりも大事です。日本でコンビニに入った時に、カウンターにいる店員に挨拶をする人はほとんどいませんが、フランスではどんなお店に入る時にも必ず「こんにちは」と挨拶し、出る時には「さようなら」と言います。

    来仏当初は、このようなフランスの文化を知らずに数々の失敗をしました。

    高速道路の料金所では、すぐにお金を受け取ってもらえず、窓口の人は私に「ボンジュール」と繰り返すばかり。訳が分からず困惑していると、「ハッ」と気づきました。答えは「あいさつ」。お金を渡す前に、私に対してキチンと挨拶をせよ、ということだったのです。

    12 min
  • 生きていることがキセキ

    中一の三男が突然、「僕、乳がんかも知れん…」と深刻そうに相談してきま

    した。聞くと一か月前から左胸にしこりがあるとのことで、自分でインターネットで検索し、症状と照らし合わせながらそう思ったようでした。

    何でも気軽に調べることが出来る世の中になったとは言え、子どもが自分で病気を調べ、その小さな胸でそれを何日も抱えていたことを思った時、親として胸が締め付けられる思いがしました。

    そして詳しい検査の結果、何事もなく無事に済んだのですが、渦中にいる時は生きた心地がしませんでした。というのも、子どもに大きな病気を見せられる度に、私は今は亡き祖父のことを思い出すからです。

    13 min
  • 街中の小さなふれあい
    街中の小さなふれあい
    フランス在住  長谷川 善久
    天理教の教えによると、この世界の始まりは「人間が互いにたすけ合い、陽気に暮らす姿を見て共に楽しみたい」という親神様の願いにあるとされています。
    残念ながら、これまでの人類の歴史では、戦争、紛争、憎しみ合いが無くなったことはありません。一方で、個人生活のレベルで見れば、神様の願いに叶うような経験、一度きりの偶然の出会いで心を通わせたり、ほんわかした優しさを感じたり、小さな幸せを味わうような経験は誰にでもあるのではないでしょうか。
    人に接する際に大切なこととしてまず浮かぶのは、心のこもった挨拶やお礼の言葉です。「おはよう」「こんにちは」「ありがとうございます」といった明るい声は魔法の言葉で、この言葉一つでその場の空気は変わります。
    この教えでは、挨拶のみならず、人に掛けるすべての言葉「声」は、畑にまく肥料に語呂を合わせ、人生を肥やす「肥」になり得ると教えて頂きます。
    学生の頃、天理教に批判的だった未信者の友人から、思いがけずこんなことを言われました。
    「先日夜遅くK君に誘われて、あまり気は進まなかったけど本部の神殿に一緒に行ったんだよ。正直退屈だったけど、気持ち良かったことが一つあったわ。神殿に上がる時に、靴べらを持った見知らぬ人に声を掛けてもらってさ、『こんばんは、ご苦労様です』って。俺みたいな奴にも声を掛けてくれて、なんだか嬉しかったよ」
    私が住むフランスでは、日常生活の中での、「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」などの挨拶が何よりも大事です。例えば日本でコンビニに入った時に、カウンターにいるアルバイトの店員に挨拶をする人はほとんどいないでしょう。しかし、フランスではお店に入る時には必ず「こんにちは」と挨拶し、出る時には「さようなら」と言います。
    これは単なる個人間の礼節に由来するものではなく、フランスでは文化的要因を含む常識となっています。
    フランスでは、個々の存在を大変重要視しますが、それを起因として「こんにちは」には三つの意味づけが見られるそうです。
    まず、そこにいるのはお店の人だという承認。次に、その人は職業従事者である前に一人の人間であるという配慮。そして、この配慮の上に、お互いの立ち場の違いを超えた平等性を構築することが出来るのです。
    もし、あなたが黙ってお店に入ってしまえば、店員はあなたから「人として存在しない者」、あるいは単なる「道具」モノであると見なされたと思い、侮辱されたと感じてしまうのです。
    実際、私も来仏当初は、このようなフランスの文化を知らずに数々の失敗をしました。
    あるレストランでは、注文してから料理が出てくるのがあまりに遅いので、日本にいる調子で少し強めの声で店員さんを呼ぶと、「分かってるから、いちいち呼ぶな!」と、かえってより大きな声で怒鳴られたこともありました。
    また、高速道路の料金所では、すぐにお金を受け取ってもらえず、窓口の人は私に「ボンジュール」と繰り返すばかり。訳が分からず困惑していると、「ハッ」と気づきました。答えは「あいさつ」。お金を渡す前に、私に対してキチンと挨拶をせよ、ということだったのです。おかげで今では、街中で道を尋ねる時でも、いきなり要件から入らずに、相手の目を見て「こんにちは」とひと言挨拶をする所から会話に入れるようになりました。
    このような、日常生活のどんな場面であっても、人を決して道具のように扱わないフランスの生活ぶりが私は気に入っています。
    お客さんに対する店員の対応で、こんなこともありました。私たちが食事をとっている隣のテーブルに、落ち着いた感じの中年のフランス人の男女カップルがいました。男性のほうは、席に座るやずっと一人で携帯を見ています。30代ぐらいの女性店員さんが注文を取り終えた後も、ずっと携帯を見たままでした。向かいに座るフランス人女性は、黙ってつまらなさそうな様子です。
    そこに料理を運んできた先ほどの店員さんが、男性に向かっておもむろにこう言いました。
    「あなた、何をさっきから携帯ばかり見ているの? 目の前にこんなに綺麗な女性がいるのに、もったいない」
    男性は、ただ目をパチクリさせるだけ。女性はにっこり笑って、店員さんに「メルシー」〝ありがとう〟と一言。その後は気まずさも手伝ってか、男性は携帯を片付け、二人での明るい会話が始まりました。
    この一連のやり取りには、私も妻も驚き、さすがフランス人だなとカルチャーショックを受けたものです。まさに店員とお客さんという関係を越えた、他者との距離感の近さを垣間見た瞬間でした。
    妻がある日の駅で経験したことも驚きでした。その日、妻は列車に乗り遅れまいと必死に駅の構内を走り、ホームにたどり着きました。しかし、電車のドアは目の前で閉まってしまったのです。
    妻はハアハアと息を切らしながら、ホームの椅子にへたり込んでしまいました。すると、その様子を見ていたのでしょう、そばに座っていた老婦人が、かばんの中から持っていたジュースを取り出して、妻にやさしく差し出したというのです。
    この偶然にも素晴らしい親切に出会ってから、妻がそれまで持っていたフランス人イコール個人主義で、勝手でわがままというイメージは大きく変わったのでした。
    フランスは日本に比べ、治安はかなり悪いと感じる場面が多いのも事実です。しかし、日本では経験したことのないような、街ですれ違う人の純粋な優しさに触れる機会が多いのも、これまた事実なのです。
    天理教では、世界中の人間は、等しく神様を親に持つ「きょうだい」であると説かれています。家族をはじめ、出会う人すべてが、単なる偶然ではなく、深い縁があって結ばれていると教えられているのです。
    「こんにちは」「ありがとう」「お疲れさま」といった優しい言葉や心遣いの小さな積み重ねが、やがては全人類を明るく照らす大きな光になると信じています。
    皆身上から随き来る
    親神様は、私たち子供が可愛い故に、陽気ぐらしへの道を急き込まれる上から、様々な病気や事情によって、この道にお引き寄せ下さいます。
    お言葉に、
    「この道は皆身上から随き来る。身上でなくして随いた者は、ほんの一花のようのもの」(M33・11・26)
    とあります。身上とは、病気のことを指します。
    身体の他に頼るものがないことを、「裸一貫」と言います。自分は全く何もない所、裸一貫から自らの力だけでここまで人生を築き上げてきたんだ、と自負する人も多くいることでしょう。何はなくとも、この身体だけは自分のものであると思って疑わない。これが世の常識であるかも知れません。
    しかし、この教えはその常識を打ち破るものです。教祖直筆による『おふでさき』に、
      にんけんハみな/\神のかしものや  なんとをもふてつこているやら (三 41)
      めへ/\のみのうちよりのかりものを  しらずにいてハなにもわからん (三 137)
    と記されているように、人間の身体は我がものではなく、親神様からの「かりもの」であると教えられます。
    『天理教教典』第七章「かしもの・かりもの」には、「いかに己が力や知恵を頼んでいても、一旦、身上のさわりとなれば、発熱に苦しみ、悪寒に悩み、又、畳一枚が己が住む世界となって、手足一つさえ自由かなわぬようにもなる」との一節があります。
    健康に恵まれ、人生が上り調子の時、人は時として慎みの心を失い、自分の力だけで生きているかのように思い誤りやすいのです。しかし、体温が一度でも上昇したり、心臓の鼓動が若干変化するだけで、私たちは日常生活に大きく支障をきたしてしまいます。
    この身体の微妙な働きを司っている、その正体は何か。これこそ元の親・実の親である親神様の大いなるご守護なのです。この身体は親神様からの「かりもの」であること、そして、その親神様に見守られながら、私たちは日々生かされて生きていること。この「かしもの・かりもの」の真実に心が開かれるところに、私たちの日々の暮らし方は大きく変わり始めるのです。
    (終)
    0 min
  • 生きていることがキセキ
    生きていることがキセキ
    岡山県在住  山﨑 石根
    昨年の9月末頃のことです。当時、中学一年生だった三男が、妻に深刻そうに相談してきました。
    「僕、乳がんかも知れん。多分、ステージ1…」
    突然の告白に、妻は心配よりも驚きのほうが大きかったようでしたが、聞くと一か月前ぐらいからずっと左胸にしこりがあるとのことでした。それは、妻が触れても分かるぐらいのしこりでしたが、本人は自分でインターネットで検索し、症状と照らし合わせながら、そう思ったようでした。
    何でも気軽に調べることが出来る世の中になったとは言え、子どもが自分で病気を調べ、その小さな胸でそれを何日も抱えていたことを思った時、私たち夫婦は胸が締め付けられる思いがしました。
    とは言え、これまで大小問わず親に相談することが不得意だった彼が、こうしてSOSを届けてくれたことに、どこかホッとした一面も私たちにはありました。
    近くの病院の小児科を調べると、ちょうど大きな病院から専門医が来られる曜日があったので、すぐに受診しました。お医者さんからは、「おそらく第二次性徴の関係でしょうが、まれに悪い病気があるので、きちんと血液検査をしましょう」と提案されました。
    また、母子手帳に加え、小・中学校での身長と体重のデータを提出するよう指示を受けたので、学校で用意してもらうと、保健室の先生が「本人、打ち明けるまでは本当に辛かったでしょうね」と、とても心配して下さいました。
    4日後の10月1日、いよいよ検査の日です。実は、この日まで三男には、病気と同じぐらい心配なことがありました。それは、大の苦手である注射です。待合室でソワソワする彼は、「なあ、鼻血で検査したらダメなん?」と妻に尋ね、「鼻血ってどうやったら出るんやろう」と必死に考えていたようです。
    さあ、処置室に入ってからも大変でした。「いや、ちょっと待って」と言いながら、なかなか看護師さんに採血をさせないのです。注射をしようと二人がかりで押さえても動いてしまい、もう一人来てもダメ。4、5人で押さえても、中学生の強い力で抵抗してしまうので、危険だと判断されました。
    そこで、「ベッドで落ち着くまで待とう」となり、妻のスマホで思い出の家族動画などを見ながらリラックスしようとしますが、入れ替わり立ち替わり看護師さんが様子を見に来るので、どうしても心の準備が出来ません。
    最終的には、本人には寝ながら動画に集中してもらい、妻が押さえながら何とか採血することが出来たようですが、翌週、妻が検査結果を聞くために通院すると、「なんか大変だったみたいですね」と主治医に言われるほど、病院内で噂になっていて、彼は有名人になっていました。
    肝心の結果は、ひとまず大丈夫とのこと。しこりが大きくなっていないか、痛みが出ていないかを三か月後に経過観察をしたいと言われ、幾つかの症状をあげながら、それらが窺われたら診察に来るよう指示があったので、手放しでは喜べませんが、親としてようやくホッと出来たのです。
    年が明け、今年の一月に再度受診をしました。その日、彼は朝からソワソワのドキドキでした。今回もまた、あの注射があると思ったからです。ところが、今回は問診と触診だけで、彼も「やれやれ」と胸をなでおろし、しかも問題の症状もなかったので、そのまま元気に登校することが出来ました。
    こうして結果的に何もなかったからこそ、採血の時のドタバタ劇を笑い話に出来るのですが、渦中にいる時は生きた心地がしませんでした。というのも、子どもに大きな病気を見せられる度に、私は今は亡き祖父のことを思い出すからです。
    教会の三代会長である祖父は、16歳の娘を突然の心不全で失っています。この時の心情を、祖父は天理教の月刊誌に執筆しており、「肉親の情として、十六才の若さで花のつぼみを散らせたいとしさ、かわいさがたまらなく、共に過ごした日々の思い出に、押さえきれぬ悲しみがあふれて、何のかんばせあって私の信仰が語れようと、まったく地に沈む思いに苦しみました」と語っています。
    しかし、祖父はその出来事から、同じように子どもに先立たれた天理教教祖「おやさま」の道すがらに思いを馳せたのでしょう。そして、神様の親心を悟り、何よりも命の尊さや重さを深く感じ、こんなことで心を倒しては申し訳ないと、懸命にこの道を歩んで、私たちに信仰を引き継いで下さったのです。
    奇しくも本年、その祖父の三十年祭を執行しました。思えば、娘を亡くした時の祖父の年齢は47歳で、今の私とほぼ同じ世代です。いま私が子どもが亡くなるという出来事に直面したなら、果たしてこのように立ち上がれるだろうかと想像しても、全く自信がありません。
    もとより、人が生まれることも、亡くなることも、全て神様のご守護の世界でなされることですので、どちらが良いとか悪いとかという判断は出来ません。
    ただ、一つ間違いないのは、いま私たちが生きていることは神様のご守護があってこそのことなので、感謝の気持ちを片時も忘れてはならないと、改めて痛感したのでした。
    私は、少し説教っぽく三男に言いました。
    「僕らが生きているというのは奇跡なんやで。9月の時は相当心配やったやろう?」
    「ううん、死ぬ可能性があるなぁとは考えてた…」
    「ととは今、献血125回してるから、125回は注射してるんで!」
    「えっ、そんなに血があるん?」
    「違う、血は何回も心臓で作られるんや。それも奇跡なんやで」
    「へ~」
    「だから、あんたも早く注射出来るようになって、将来献血せなあかんで」
    「もう大丈夫」
    「ホンマかいな…」
    まだ、彼の胸にはしこりがあります。でも、それは私たち親子が、生きていることの奇跡に感謝するために、神様が下さったお手紙かも知れません。先ずは私たち夫婦が、それを忘れないように通りたいと思います。
    たすけ合い
    親神様は、人間が互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしを見て神も共に楽しみたいと思召され、人間世界をお創り下さいました。人と人とがたすけ合うことこそ、陽気ぐらしの主要なテーマです。
    ただ、お言葉に、
    「さあ/\世界でさい互い扶けやいというであろう。内隔ての理を無きよう」(M24・8・5)
    とあるように、たすけ合いはこの教えの専売特許ではありません。この「内隔ての理を無きよう」というお言葉、つまりお互いに隔てる心を持たないように、と諭されているところが大切な部分です。
    人間は皆親神様によって創られ、その大いなる親心の中で生かされており、私たちお互いは、親神様を等しく親と仰ぐきょうだいであること。この真実を知れば、人を隔てる心を使うことなく、たすけ合いに向かうことが出来るのです。
    実際のところ、人は何か不都合なことが起こった時、その重圧ゆえに責任を人に転嫁してしまうことが無きにしもあらずです。しかし、一つの問題というのは、人同士のやり取りの中で、複数の要因から生まれてくるもので、決して個人だけを責められるものではありません。
    お言葉に、
    「重荷を人に持たせぬよう、重荷めん/\持って扶け合い。この理聞き流しはならん」(M33・10・26)
    また、
    「重荷を人に持たすやない。重荷という、重荷は、めん/\が持ってするは、これ神の望みである」
    とあります。(M33・10・26)
    重い荷物を人に押し付けることなく、お互いが分け持って、わが事として対処するのが、真のたすけ合いの姿です。
    世界一れつはきょうだいであるという真実に目覚め、重荷を分け合って苦しい中も乗り越えていくこと。そこから、親神様にお受け取り頂ける誠真実が現れてくるのです。
    お言葉に、
    「これまで運ぶという、尽すという。運ぶ尽す中に、互い扶け合いという。互い扶け合いというは、これは諭す理。人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという」(おかきさげ)
    とあります。
    真の誠とは、何の見返りも求めない、捧げ尽くす行いです。誠の心を一人ひとりが実践することによって、この世界は陽気ぐらしへと近づいていくのです。
    (終)
    0 min

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