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先日、教会から駅まで、およそ20分の道のりを、主人と妹と私の3人で、神名流しとごみ拾いをして歩いていました。すると、妹が突然転んでしまいました。
幸い頭や顔をぶつけることはありませんでしたが、病院で診てもらうと、左腕の剥離骨折。三角巾で腕をつるし、不自由な生活を送ることになりました。
そのことをきっかけに、それまで妹が教会でしてくれていたことを家族みんなで分担するようになると、「こんなにもたくさんのことを毎日黙ってしてくれていたんだ」と、あらためて感謝の思いが湧いてきました。
5月末、ある教会の奥さんから妻に相談がありました。
「私がお手伝いしている日本語教室にベトナムの生徒さんがいるんだけど、その男の子に使ってもらえるランドセルを探しているの」とのこと。さっそく「うちの息子のお古で良かったら喜んで」とお返事して、一度ランドセルを見に来てもらうことになりました。振り返れば、5人いる我が家の子供たちのランドセルには、それぞれに色々な思いが詰まっています。
私は今年、重度訪問介護の資格を取得し、週に一度、障害のある方の支援に携わるようになりました。
私が担当しているKさんは、視覚障害と知的障害の重複障害があり、発語もありません。「言葉が通じない利用者さんと、どう接したらいいのだろう」。不安を持つ私に、長年Kさんを支えてきたスタッフの一人が、こんな話をしてくれました。
「私はKさんのことが、自分の息子みたいに可愛いんです」。
その言葉がとても印象に残りました。言葉で会話が出来ない相手を、どうしてそこまで愛おしく思えるのだろう。その理由を知りたいという思いで、私は支援に臨みました。
先日、6歳の娘が「お父さんはどうして天理教をやっているの?」と尋ねてきました。
なぜ突然そんな疑問を持ったのかは分かりませんが、私にとっては信仰の喜びを伝える絶好のチャンスです。しかし、相手はまだ6歳。できるだけ分かりやすく、短い言葉で伝えなければなりません。「何と伝えたらいいだろう?」頭の中であれこれ考えながら、私は答えました。
私たちは自分で決められないものに囲まれて生活しています。生まれるタイミング、親、子供、きょうだい、見た目、才能など、数え上げればきりがありません。
さらには思いがけない不運や望まない人間関係など、できることなら避けたい事実も自分でコントロールできません。しかし、それが実は私たちの人生の中にちりばめられた「伏線」であったと、後々気づかされることもあるのではないでしょうか。
親神様がご用意下さった伏線をどのように受け止め「回収」するかは、一人ひとりの心に任されています。陽気ぐらしを自ら引き寄せるためには、どんな伏線であっても喜んで受け取る、そのための努力が必要なのです。
以前おぢばの学校に在学していた時、同級生10名とともに大阪の教会で合宿し、約一カ月間にわたって、にをいがけに歩かせて頂きました。帰参者をお与え頂き、マイクロバスでおぢばがえりを実施しようと目標を掲げましたが、ほとんどの訪問先で断られ、なかなかうまくいきません。
そのうち、帰参者をご守護頂くというプレッシャーから、徐々に焦りも出始めてきました。もちろん結果が全てではないのは分かっていましたが、だからといって諦めたら、この布教が何の意味もなくなるような気がしました。
とにかく真剣に、とにかくがむしゃらに、一日々々最後まで諦めず必死で戸別訪問に歩きました。
「やしきハかみのでんぢやで」
親里ぢばは、親神様のご守護が籠る「田地」つまり田畑である。その親里で真実心の種をまけば、見えない徳となって生えて身に付いてくると教えられます。
先日、かつておぢばで数年間生活していた女性が訪ねてきてくれました。会話の中で「彼氏とケンカになることがあるけど、その日のうちに解決します」と。「どうやって解消するの?」と尋ねると、答えは、なるほどお道の信仰者らしいやり方でした。
彼女がそのように育った一番の要因は、おぢばでの生活、「伏せ込み」にあると思いました。若い頃、おぢばで過ごした時期に、教えに基づく物事の考え方や行動の仕方を、知らず知らずのうちに吸収していたのだと思います。
今年の4月、長女が天理の高校に入学し、親元を離れての寮生活が始まりました。入寮の前日、教祖からおさげ頂く「おまもり」について説明しました。これは一生に一度しか戴けないので、子どもが自ら希望した時に下附を願い出ようと、かねてから考えていました。
「だから我が家はお兄ちゃんも2人とも、まだ持ってないんで~」と長女に伝えると、「とととお母ちゃんは持ってるの?」と。
すると妻が懐かしそうに、「お母ちゃんもこの時期にお父さんともらいに行ったわぁ。天理で寮生活が始まる前やったから、お父さん、多分心配やったんやろうなぁ…」
妻の話が響いたのでしょう、長女は「私は、今、欲しいなぁ」と希望してきたのです。
以前、障害のある方が働くカフェの設計に関わった時のことです。その時私は、多目的トイレに「ユニバーサルベッド」を入れてはどうか、と提案しました。これは大人でも横になれる介助用のベッドで、排泄の介助が必要な方にとっては、とても大切な設備です。
実は私自身、障害のある長女と外出する中で、ユニバーサルベッドがある場所に出会って、「ああ、ここでは歓迎されているんだな」と感じた経験があり、その思いをそのままお伝えしたのです。
建物というのは単なる器ではなく、そこに関わる人の価値観や姿勢が、自然ににじみ出るものだと思っています。だからこそ私は、条件を満たすだけで終わらずに、どんなメッセージを発する空間にするのか、ということを大切にしています。
大学を卒業後、大教会で青年づとめをしていましたが、私に与えられた役割は、ホームレス状態になってしまった方々のお世話取りをすることでした。
色んな方が出たり入ったりするのですが、ある日、でたらめなことをして出て行った方から「また住む所が無くなってしまって、そちらに戻りたいのですが」と連絡がありました。私は「どうしたらいいかな」と迷いつつ、そのことを当時の大教会長様に相談に行きました。
心の中では「でたらめなことをして出て行った人だから、もう放っておいたらいいんじゃないか」と言ってもらえると期待していました。しかし、実際には思いもかけない言葉が返ってきました。
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