天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」 episodes

  • いのちを深め合う
    神様を知る手引き
    病気は短期的に見れば悪いことに違いありませんが、長い目で見れば必ずしもそうではない。むしろ喜ぶべきことであり、また、そうした考えに至ることができれば陽気ぐらしに近づけるというのが、天理教の基本的な態度です。
    私たちは、病気を通じて身体の不自由を感じ、その原因を探る中で、身体は神様からのかりものであることを知ります。そうして身体の内に働く神様のご守護に目覚めることで、人生の新しい一歩を踏み出すことができます。そういう意味からすれば、病気とは、神様と人間との「出会い」の場面であるとも言えるでしょう。
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、
      なにゝてもやまいいたみハさらになし  神のせきこみてびきなるそや  (二 7)
    とあります。病気とは神様の急き込みであり、手引きである。すなわち、神様がその存在と意思を私たち人間に知らせるための手段なのです。神様は、人間の心のほこり、間違った心遣いを残念に思い、やむを得ず病気に表して、心のほこりが身の障りとなったのだから、今のうちにほこりを払うようにと、たすけを急き込んでくださるのです。
      にんけんハみな/\神のかしものや  なんとをもふてつこているやら (三 41)
    私たちは、この身体を神様からお借りしているにもかかわらず、それに何ら思いを致すことなく漫然と生き、不安の中に死を迎えることが少なくありません。
    しかし、かりものであることを十分自覚できれば、神様に生かされている喜びに満たされます。そしてその喜びの心で生きるならば、よくぞこの世界に生まれてきた、ぜひとも神様の望まれる陽気ぐらしを味わいたい、との思いに至るのではないでしょうか。
    いのちを深め合う
    奈良県在住・臨床心理士 宇田まゆみ
    この原稿を書いている今日は、奇しくも私たち夫婦の結婚記念日です。天理教の時間のメインテーマである「家族円満」ということを考えた時、その中心はやはり夫婦であることを、今日という日に改めて感じています。
    家族の一番小さな単位が夫婦です。そして、家族の中で夫婦だけが血のつながりのない他人ということになります。その他人同士であるペアだけが、新しい家族をつくることができるというのは興味深いものです。
    以前、父から生まれ育った我が家の家系図を見せてもらったことがあります。わかる範囲で書かれた家系図でも、膨大な人数の名前が記されていました。私が実際に知っているのは、その中でもほんの少しだけです。そして、脈々と流れる家系の一番先頭にいるのが自分です。
    父と母が結ばれてくれたおかげで自分が存在し、その父と母も、それぞれの父と母が結ばれたおかげで存在することができている。誰もがそのようにして存在するという事実を考えると、家系の中の誰一人欠けても今の自分は存在しないかもしれない。今ここに自分がいることが、本当に奇跡のように感じられます。
    そして結婚することで、別々の流れを成していた家系がつながり、新しい家系図を作ることになります。私の子孫に当たる人が何百年、何千年後かに、自分のルーツを辿ることがあるかもしれない。その膨大な家系図の中の一つを自分が担い、その大事な人生を今、生きているのだと考えると感慨深いものです。自分で自分の人生を生きるだけではなく、その後に続く人にも影響を与えることになるのですから。
    私が夫と結婚した時、尊敬する人生の恩師から、このようなお祝いのメッセージを頂きました。
    「末永く いのちを深め合う お二人でいてください」
    いつも真摯にいのちと向き合っておられる恩師からのメッセージが、心に深く染み込んで、結婚というのは、お互いがいのちを深め合うことなのだと、分からないながらも分かったような気持ちになり、そうでありたいと常に思ってきました。
    全くの他人である二人が夫婦になり、新しい家族をつくる時、それぞれのもつ家族としての体験が融合され、まったく新しい家族のかたちが生み出されたりするものです。
    自分にとって当たり前の感覚が通用するとは限りません。私自身も夫と共有できる面と、まったく異なる面の両方を体験し、「いのちを深め合う」べく対話を続ける中で、だんだんと自分本来の感覚を引き出してもらっていると感じるようになりました。
    カウンセリングの現場にいると、お互いがまるで鏡に映し出しているかのように、対照的な人生のテーマを抱えている夫婦に出会うことが少なくありません。
    たとえば、四角四面で、常にきっちりしていなくてはいけないと窮屈なぐらいにとらわれている妻に対して、夫がちゃらんぽらんで自由人である、という場合があります。夫婦とは、自分が必要とするものを相手の中に見つけて、お互いに足りないものを補い合う関係である。そのように思って眺めると、本当に見事な組み合わせになっていると感じることが多くあります
    人は生まれてから成人するまでの間に、関わりを持った先生や両親など、大人から色々なものを吸収して成長します。その最たるものが考え方や価値観です。幼少期にどんな大人と出会っているかで、人生は大きく変わると言われる所以です。
    自分で作り上げたと思っている考え方や価値観も、「それは元々誰のもの?」とあらためて問いかけると、そのほとんどが本来、自分のものではありません。これまで関わりのあった人や出来事から与えられたものによって、今の自分が成り立っている。そう思った時に、その考え方や価値観を見つめ直し、再構築する機会となるのが、夫婦の対話です。夫婦となることで、生まれ育った家族の中にはなかった価値観に出会います。それは、生まれ育った家族の中の「当たり前」が崩れる瞬間でもあります。
    夫婦の間において、自分の考えがスムーズに分かってもらえなかったり、相手の言うことが腑に落ちなかったりすると、もやもやしたり、時に悲しくなったり、イライラしたりします。それはある意味、自分が当たり前だと思ってきた価値観に縛られている姿だと言えます。
    先ほどの例で言うと、四角四面できっちりしていなくてはいけないという価値観を身につけてきて、自分でも苦しい思いをしているのに、自由人の夫はそのことを全く分かってくれない。悲しくもなるし、イライラもする。
    この時に、夫婦とは「いのちを深め合う」ものなのだという視点で捉えてみると、少し俯瞰して相手と自分を眺めることができます。もう少しぐらい、自分に自由さを与えていいのかもしれない。そのことを夫が身をもって教えてくれているのかもしれない。そんな風に思うと、気持ちが少し楽になるのではないでしょうか。
    夫婦の関係は、今までの当たり前の感覚を揺るがし、自分自身のあり方をより自分らしく変化させてくれる可能性を持っています。色々な価値観を共有しながら、お互いに尊重し合い、「いのちを深め合う」夫婦であることを楽しみたいと思う、今日この頃です。
    (終)
    11 min
  • 教祖の「柿選び」
    柿の出盛りの旬のこと。桝井おさめさんが教祖の御前に出させていただくと、教祖が柿の載せてあるお盆を前に、あちから…
    6 min
  • 東京スカイツリーから、こんにちは~てんかんは、大当たり!~
    うらみのほこり
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、私たち人間の間違った心遣い、神様の望まれる陽気ぐらしに沿わない自分中心の心遣いを「ほこり」にたとえてお諭しくださいました。
    教祖は、ほこりの心遣いを掃除する手がかりとして、「おしい・ほしい・にくい・かわい・うらみ・はらだち・よく・こうまん」の八つを教えられていますが、そのうちの「うらみ」のほこりについて、次のようにお聞かせいただいています。
    うらみとは、顔をつぶされたとて人を恨み、望みを妨げられたとて人を恨み、誰がどう言ったとて人を恨み、根に持ち、銘々、知恵・力の足りないことや、徳のないことを思わず、人を恨むのはほこりであります。人を恨む前に、わが身を省みることが大切であります。
    自分に不快なこと、不利益なことをした人に対して、不満や憎しみを持ち続ける心情が「うらみ」です。根に持つというように、長年にわたって人に対する憎悪の念が抜け切らない、非常に厄介なほこりです。
    世の中には、いつも愚痴や不平を言っている人がいます。私は本来、こんな所で、こんなつまらない仕事をしているような人間じゃないんだ。あいつのせいでこんなことになった、世の中の仕組みが悪くてこんな羽目になったんだ、という具合に。
    しかし、いつまでも過去の事柄にこだわっていては、今現在を楽しく生きることはできず、これから開かれるであろう運命をもつぶしてしまいます。ましてや、そのように人や世間を恨んで通る毎日は、非常にストレスのたまる生活であり、それが身体に障らないはずはありません。
    人を恨みたい気持ちになった時には、まず自分自身を振り返ってみる。果たして自分がするべきことをしてきただろうか、自分にそれだけの徳分があるのか。そうすれば、何かしら自分が努力を怠ってきたと思い当たる節があるはずです。
    また、人を恨んだり世を恨む前に、まずは身の回りの事柄に対する恩を感じることも大切です。心ない仕打ちを受けたり、不運な目に遭ったとしても、大きな目で見れば、多くの人のおかげで今があり、何より親神様の大いなるご守護によって生かされていることは間違いのない事実なのです。
    教祖は、「なんぎするのもこゝろから わがみうらみであるほどに」(「みかぐらうた」十下り目 七ッ)と、難儀不自由するのも、自らの心によるのであるから、常に心遣いを反省しながら通るようにと諭されています。
    東京スカイツリーから、こんにちは ~てんかんは、大当たり!~
    吉永 道子
    東京スカイツリーのある東京都墨田区。下町の小さな天理教の教会で、「かぁかのおうち」という子育て広場をやっています。ここを利用するママさんと子どもたちが、私たちスタッフと織りなす「わくわく・ドキドキ・うるうる」をお伝えします。
    今日は、五人姉妹の四番目のゆうちゃんのお話をします。ゆうちゃんは小学二年生。てんかん発作の持病があります。病院での定期検査は時間がかかるので好きではありません。でも、病院が終わってからのママとの二人きりの時間が、ゆうちゃんは大好きです。
    そんないつもの定期検診の帰り道。駄菓子屋さんでお菓子を買っている時のことです。カメラを持ったテレビ局の人に声を掛けられ、ゆうちゃんとママはびっくり。「家、ついて行ってイイですか?」というテレビ番組の撮影でした。
    名前の通り、突然自宅を訪ねて取材をするという番組です。戸惑うママの横で、ゆうちゃんは嬉しそうに「きてきて!」と答えました。ゆうちゃんが迷いもなく来て欲しいと言ったのは、おうちに自慢できるたくさんのことがあるからです。
    ゆうちゃんのおうちには、玄関が二つあります。ゆうちゃんはまず一つ目の玄関を開け、「ここは何ですか?」と聞かれると、「かぁかのおうち!」と笑顔で答えます。そして、「こっちこっち!」とカメラさんの手を引いて、かぁかのおうちを紹介していきます。
    かぁかのおうちの一階は、子育て広場スペースになっています。子どもたちが安心して遊びながら、お母さんや、時にはお父さんたちも交えて、何気ない会話が弾む場所です。英語教室や誕生日会などのイベントでは、二階の神殿のスペースを使います。
    ゆうちゃんも小さいながら、子どもスタッフの一員として小さい子の面倒を見てあげることがあります。ゆうちゃんは、かぁかのおうちにくる子みんなを、自分の弟や妹のように可愛がります。
    次にゆうちゃんが紹介したのは、三階の部屋にいる85歳のひぃおばあちゃん。奈良県天理市のおぢばや、大阪の教会までゆうちゃんを連れて行ってくれる、いつも元気な自慢のひぃおばあちゃんです。
    そして、その隣の部屋にいる三人のお姉ちゃんと妹は、ケンカもするけど、ゆうちゃんの健康状態を常に気にかけ、毎日の薬の管理などもしてくれる、とても頼りになる存在です。
    最後にテレビ局の方が、「でも、病気は辛くない?」とゆうちゃんに質問しました。すると、ゆうちゃんは「てんかんは、大当たりだよ!」と答えたのです。
    テレビ局の方は驚きました。いつ発作が起きるかも分からないし、毎日の薬の服用や定期健診など、大変なことがたくさんあるのに、どうしてこんなに嬉しそうなんだろう…。
     「てんかんは、神様から与えられたご褒美なんだよ。 だから、ママと二人だけの楽しい時間もあるの」
    それを聞いてテレビ局の方は確信しました。ゆうちゃんの病気を特別なものではなく、家族みんなで明るく受け止め、大切にできるのも、神様のおかげなのだと。ゆうちゃん自身が、家族を大切に思い、広場に来る小さい子たちを可愛がっているのも、そこに理由があるのです。
    ゆうちゃんが主役となったこの取材の様子は、後日テレビで放送され、そこからまた新たなつながりが出来ていくのでした。
    さて、かぁかのおうちで、救急・救命講座というイベントを開いた時のことです。普段よく広場を利用しているナオ君が、家族で参加していました。ナオ君は、講座の最中ジッとしていることができず、走り回っています。たくさんの人の中で大人しくするのは、特に苦手なのです。
    それを見たゆうちゃんは、「こっちおいで」とナオ君を誘い、一階の子育て広場スペースで一緒に遊び始めました。二人は息がピッタリ合っていて、とても楽しそうです。
    その姿を微笑ましく見ているスタッフの横で、ナオ君のお母さんはとても心配そうな様子です。ナオ君は発達障害と診断されていて、そのことでお母さんは悩んでいます。
    「どうしたら、みんなの中でジッとしていられるんだろう」と、いつもお母さんは考えています。でも、かぁかのおうちに来ると、ナオ君はゆうちゃんと安心して楽しく遊ぶことができます。
    「てんかんは、大当たりだよ!」そんな言葉が自然に出てくるゆうちゃんだからこそ、みんなが気になってしまうナオ君の特徴も、特別に感じることなく心から寄り添うことができるのです。
    漢字で「優しい」と書いて「優(ゆう)」。名前の通り人に優しく、病気を神様から授かった贈り物であると素直に思えるゆうちゃん。人と人との心をつないでくれる、とても大切な存在です。
    今日も、いつも通り、ゆうちゃんが「おかえりなさい」と、広場にやってくる子どもたちに声を掛けます。優しく、あたたかい空気になりました。
    (終)
    12 min
  • 今が満点
    胸の奥にこの花あるかぎり
    「おにぎりの力」
    脳梗塞を患って自宅療養していた義理の母が、風邪で体調を崩したときの話である。
    もともと喘息持ちなので、インフルエンザの予防接種も早々に済まして用心していたのに、デイサービスから帰ってきた様子がいつもと違っていた。息が荒く、足の進みがゆっくりで、玄関の踏み板を上がるのもひと苦労の様子だった。熱もあったので、かかりつけの医師に連絡し、前もってもらっておいた風邪薬を飲ませて、ベッドで休んでもらった。
    これまでは、体調のすぐれないときでも、家のベッドで食事をすることはなかった義母だが、今回は起きられなかった。少しでも体に力をつけてほしいと思うが、お粥が嫌いで食べたことがない。大好きなうどんを作ってみたが、箸が出ない。リンゴを小さく切ったり、むいたミカンを用意したりしても、ほんの少ししか口にしない。箸やスプーンを使うこと自体が、つらそうに見えた。
    そこで思いついたのが「おにぎり」である。この思いつきの元は、ある看護学生が実習で見せてくれた、素晴らしい実践の記憶である。
    私が病棟の看護師長をしていたころのこと。心臓の手術を終えた高齢の女性の看護を、その看護学生が受け持つことになった。手術は成功したが、患者さんの食欲はすっかり失せてしまった。
    食事が取れないと、手術後の傷を治すための栄養が不足し、貧血も悪化して回復に大きく影響する。やむなく点滴で栄養を補った。しかし、心臓の悪い人にとって、水分は心臓の負担になるので、点滴も多くは入れられない。なんとか口から栄養を取ってもらいたいのだが、減塩食なので余計に食が進まない様子だった。
    その看護学生は、患者さんがおかきを好きだと聞き出した。残念ながら、おかきは塩分が多いので食べてもらえない。知恵を絞り、減塩食を利用して焼きおにぎりを作ることにした。小さいおにぎりを作って、お膳に付いてくる減塩醤油を表面に丁寧に塗り、オーブントースターで焼いた。
    それを患者さんにお持ちしたところ、醤油の焦げた香ばしい匂いに誘われてか、「食べてみる」と言われた。そして、おにぎりを二つも食べることができたのだ。患者さんはその後、食欲が出てきて、見る見る回復された。
    後日、その方が私にこう話してくださった。
    「師長さん、あの学生さんが作ってくれた焼きおにぎりを食べて、私は食にありつくことができました。おにぎりで力がついて、それからほかの物も食べられるようになったんです。あの学生さんは命の恩人です!」
    私も義母におにぎりを作ってみることにした。小さめに握って好物のノリを巻き、お絞りを添えて、手でつまめるようにした。ベッドに運んでいくと、義母は「美味しそうやな。これなら食べやすいわぁ」と嬉しそうな顔で、ゆっくりではあるが、三つ全部食べてくれた。これで弾みがついて、少しずつおかずにも手が出るようになり、元気になっていった。
    私が四十年もフルタイムで看護師として勤務を続けてこられたのは、義母が二人のわんぱく息子の守りをしながら、家事をこなしてくれたからである。
    「あんたがいてくれて良かったわぁ。ありがとう」
    義母の言葉に、思わず涙ぐんでしまった。ほんのちょっぴりではあるが、恩返しができただろうか。
    幸せな気持ちを運んでくれた、「おにぎり」バンザイ。
    今が満点
    大阪府在住  山本 達則
    私の父は、幼くして両親を亡くし、二歳の時に母親の妹の家に養子に出されることになりました。そこで大切に育てられ、高校まで通うことができ、卒業と同時に働き出しました。その後、ある方からの紹介で、婿養子として私の母と結婚することになったのです。
    私の母は天理教の教会の一人娘で、早くに両親を亡くし、叔母さんに引き取られました。その叔母さんが、私にとって唯一の祖母になるわけです。
    祖母は戦中戦後の大変な時期、女性としての喜びである結婚を諦め、姪っ子を育てながら教会を守るという道を貫いた、たくましい女性でした。そこへ養子に入った父は、祖母に対してなかなか心を許すことができず、自身の人生について深く考えさせられることになります。
    生みの親、育ての親、そして婿養子先の親と、人よりも多くの親を与えられた上に、婿養子先の親と心を通わせることができない。その境遇に父は大いに悩みました。そんな思いを持ちつつも、母との間に私を含め三人の子どもを授かりました。そして、それぞれが成長して成人を迎えた頃、祖母が白血病を発症しました。
    当時は、白血病と言えば生存率の極めて低い病気で、しかも病状はかなり進んでいたので、祖母は積極的な治療はせず、教会で残された時間を過ごすことを選択しました。
    父はその時、人よりも多くの親を与えられた自分は、人の何倍も親孝行をするべき運命なのではないか。いま、余命宣告をされたこの母親に孝行を尽くすことが、神様から与えて頂いた人生の課題ではないかと考えたのです。
    父はその日から、何をおいても親のことを最優先すると心に決め、身の周りの世話をはじめ、買い物や外出時の送り迎えに至るまで、思いつく限りのことを実行していきました。そのうちに祖母は、悩みや愚痴、病気の辛さなど、胸の内を父に話すようになりました。
    それから一年半ほど経ち、祖母の病状も進んでいたある日のこと。トイレから父を呼ぶ声がしました。父が慌ててトイレへ行き、恐る恐るドアを開けると、便器には真っ赤な汚物がそのまま置かれていました。
    「こんなもんが出てきたんやけど…」と不安げに尋ねられた父は、すぐに病院に連絡を取り、急ぎ祖母を車に乗せ病院へ向かいました。
    その車の中で、父は祖母の病状を心配しながらも、何とも言えない喜びが湧いてきたのです。いつも凛として、父には全く弱みを見せたことのない祖母が、トイレにまで自分を呼んで、耐えられない不安を見せてくれたことが嬉しくて仕方がなかったのです。「少しだけ親孝行ができた」。父がそう実感した瞬間でした。
    それから二か月後に、祖母は亡くなりました。その二か月の間で二人は本当の親子になったのではないかと、今しみじみ感じています。「この喜びのために、神様は私に多くの親を与えてくださった」。父は私にそう話してくれました。
    私たちはどの親の元に生まれてくるのか、どのような境遇で、どんな才能を持ってこの世に生まれてくるのか、全く選択する余地がありません。いくら悔んだり悩んだりしたところで、それらを覆すことはできないのです。
    しかし、その変えられない現実をどのように見ていくかは、それぞれの自由です。恵まれない境遇を恨んだり、自分の能力を人と比べ、妬んだり羨んだりしながら生きていくのも自由です。一方で、自分の現実をありのままに受け入れ、その中に喜びを見つけて生きていくこともできます。
    天理教が目指す生き方は「陽気ぐらし」です。この陽気ぐらしを実現させるために一番大切なのが、「今が満点」という心の持ち方ではないでしょうか。
    今が満点だと思えば、そこには感謝しか生まれてきません。家族も、友人も、ご近所も、自分の容姿や才能も、あらゆるものすべてが「満点」。その感謝の心が、次の新たな感謝を生み出す種になるのだと思います。
    もちろん、これは言葉で言うほど簡単なことではないと実感しています。しかし、亡き父の顔を思い浮かべ、「あるがままを喜ぶ」というその生き方に思いを馳せる時、それが陽気ぐらしへの一番の近道であることを実感するのです。
    (終)
    13 min
  • ゴミ拾いは誰のため?
    皆、丸い心で
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」をめぐって、こんな逸話が残されています。
    明治16、7年頃のこと。久保小三郎さんが、長男楢治郎さんの眼の病気をたすけて頂いたお礼に、家族を連れてお屋敷へ帰らせて頂きました。
    赤衣を召してお座りになっている教祖のお姿に、小三郎さん夫婦が恐縮していると、息子の楢治郎さんは無邪気に辺りを見回し、教祖のお側に置いてあるぶどうに目を留めました。すると教祖は、そのぶどうのひと房を手になされて、
    「よう帰って来なはったなあ。これを上げましょう。世界は、この葡萄のようになあ、皆、丸い心で、つながり合うて行くのやで。この道は、先永う楽しんで通る道や程に」(教祖伝逸話篇 135 「皆丸い心で」)
    と仰せられ、そのぶどうの房を楢治郎さんに下さいました。
    この短いお言葉の中には、教祖の親心がたくさん詰まっています。
    「よう帰って来なはったなあ」というお言葉からは、教祖が、人類のふるさとである「ぢば」へ人々が帰ってくるのを楽しみに待っておられる様子がうかがえます。この時には、楢治郎さんの患いを通じて、どうでも小三郎さんの家族を引き寄せたいという深い思惑があったのです。
    次に、「丸い心でつながり合うて行くのやで」とのお言葉について考えてみましょう。
    「丸い」とは、かどかどしくなく穏やかで円満である、という意味です。そこからイメージされるのは心が澄み切った状態であり、つまりこの「丸い心」とは、神様の思いに沿った誠真実の心ということです。
    そして、「つながり合うて行く」というお言葉は、日常経験する人間同士のつながり以上の、より深いレベルでの「つながり」を意味しています。
    それは、次のお歌から理解することができます。
      このよふを初た神の事ならば  せかい一れつみなわがこなり(四  62)
      せかいぢういちれつわみなきよたいや  たにんとゆうわさらにないぞや(一三 43)
    夫婦、親子、きょうだいがつながり合っているばかりでなく、世界中の人間は、神様を等しく親と仰ぐ「いちれつきょうだい」である、ということです。
    さらに教祖は、「この道は、先永う楽しんで通る道や程に」と仰せられています。ここで言われる「先永う」とは、単に「長い間」というだけでなく、この信仰が親から子へ、子から孫へと末代まで続くことを仰せられ、「楽しんで通る道」というお言葉によって、何を見ても、何を聞いても、うれしい楽しいという陽気づくめの日々を、いつまでも通るようにと諭されています。
    教祖はこの世界の真実を、誰にでも分かるように、ぶどうの房に例えてお諭しくださいました。
    私たち人間は、神様の思いに沿った「丸い心」で、お互いがつながり合っていくべき存在である。
    この真実に対して心が開かれた時、私たちは神様のご守護によって生かされていることの有難さを実感し、陽気づくめの日々を送ることができるのです。
    ゴミ拾いは誰のため?
     和歌山県在住  岡 定紀
    教会で、学校帰りの子どもの宿題を見る日を設けています。宿題を見るといっても教えるわけではありません。どうしても分からない所があって尋ねてくれば教えますが、ほとんどの時間は、子どもたち同士で宿題をしている姿を、後ろから見守っているだけです。
    それでも子どもたちは、友達と一緒にいることと、後ろで大人が見ていることに程よい緊張感と安心感をおぼえるのか、とてもいい学習の場となっています。皆が自主的に取り組む様子で、分からないところがあっても、まずは友達同士で教え合っています。
    宿題が終わると、今度は教会の近くの公園へ遊びに行きます。遊具で遊んだり、鬼ごっこやサッカーなどをしますが、ここでも大人は見守っているだけです。実際のところ、子どもと一緒になって遊ぶ体力もないので、見守ることしかできないといった方が正しいかもしれません。
    しかし、ベンチに座って子どもが元気に遊び回るのを見ているだけで、言い知れぬ幸せに包まれます。
    さて、ここからが大人の出番になります。一通り遊んだ後、「では、使わせて頂いた公園の掃除をしましょう!」と促します。子どもが掃除用具を手に取り、落ち葉集め、草抜き、ゴミ拾いなどを楽しみながらできるようにもっていきます。全てが順調に進むわけではありませんが、ここが大人の腕の見せ所です。
    子どもたちには、公園はみんなのものだから、使わせてもらったお礼に掃除をするという、シンプルな習慣を身につけて欲しいと思っています。掃除の後におやつの時間を設けるなど、「楽しみが待っているよ」といった工夫もしています。
    公園にはゴミ箱がないので、おやつを食べて出たごみを教会まで持ち帰るように言います。さすがにゴミ拾いをして、食べたお菓子の袋を捨てるようなことはできません。みんなの場所をきれいに使うことの大切さを伝えられる、いちばんのタイミングです。
    ところで現在は、このゴミ拾いの習慣について子どもたちに説明しやすい状況にあります。なぜなら今、メジャーリーグで大活躍する大谷翔平選手の習慣が注目を浴びているからです。
    大谷選手は高校時代、野球部の監督から「ゴミは人が落とした運。ゴミを拾うことで運を拾うんだ。そして自分自身にツキを呼ぶ。そういう発想をしなさい」と、運を身につけるための教えを受けたそうです。実際、大谷選手が試合中にゴミを拾ってポケットに入れる姿を、YouTubeなどで見ることもできます。
    また、高校一年生の時に書いた目標達成シートを見ると、運を身につけるためにすることとして、「あいさつ」「ゴミ拾い」「部屋そうじ」「審判さんへの態度」「本を読む」「応援される人間になる」「プラス思考」「道具を大切に使う」といったキーワードが並んでいます。
    大谷選手は、果たして運を身につけることができたのでしょうか。彼は類まれな幸運の持ち主だと、私は思います。
    もちろん、今の大活躍が本人の並々ならぬ努力の賜物であることには間違いありません。しかし、温かい目で見守ってくれる恩師に巡り合い、不可能だと言われたピッチャーとバッターの二刀流に挑戦する環境が整ったこと。そして先のWBCにおいて、決勝ではチームメートで、アメリカ代表キャプテンのトラウト選手と最後に対戦し、三振を奪って優勝を決めるなど、まさにドラマのような展開を呼び起こし、世界中の人々を魅了したのです。これらは、本人の努力だけでは実現できない世界だと言えるでしょう。
    ここで言う、ゴミ拾いをすることで身につける「運」については、天理教では「徳」と呼べるかもしれません。お買い得の「得」ではなく、道徳、人徳という表現の「徳」です。
    天理教教祖・中山みき様は、ある時、一人の信者さんに、
    「目に見える徳ほしいか、目に見えん徳ほしいか。どちらやな」と仰せになりました。するとその方は、「形のある物は、失うたり盗られたりしますので、目に見えん徳頂きとうございます」(教祖伝逸話篇 63「目に見えん徳」)
    と、お答えしたそうです。
    ゴミ拾いをする子どもたちに、良い運命が開かれていくように、今後も神様に祈りつつ、見守っていきたいと思います。
    (終)
    12 min
  • 必サツ!小言封じ
    性格は変わる
    世の中には面白い研究をしている人がいるものです。先ごろ、犬の性格や特徴の違いは、犬種、犬の品種の違いとはほとんど関係がないという研究結果が、アメリカで発表されました。
    例えば、ヨークシャーテリアやプードルは人懐っこく、ペットに適していて、ドーベルマンは獰猛なので近づかないほうが良い。犬種ごとにそんなイメージが浮かびますが、それは必ずしも決定的な特徴ではないとのこと。
    それらは犬種の違いからくるのではなく、育った環境などによる犬それぞれの個性だといいます。つまりどんな犬でも、闘犬として戦うように育てられれば気性は荒くなり、優しく可愛がってあげれば、おとなしい犬になるということでしょう。
    ところで、人間は血液型によって性格に特徴があるという説があります。A型は几帳面、B型はマイペース、O型は大ざっぱ、AB型は個性的、などなど。逆に、血液型による性格の違いはないという見解もあって、そもそも人の性格は実に多様で、四種類に分けるのは不可能だというのも、至極最もな意見です。
    そして何より、自らを正そう、変えようとする本人の強い意志で、性格は変えられるものだということです。現実には、生活環境の変化や年齢など、外的な要因が一つの契機となって、自らの努力によって人格が磨かれていくことが多いのではないでしょうか。
    皆さんの身近にも、若い頃は短気で怒りっぽかった人が、年とともに温厚になっていったという例があると思います。また、人の上に立つことで性格が変わったり、病を得て人への優しさに目覚める人もいるでしょう。
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」の教えには、性格をあらためるように促すものがいくつもあります。
    おつとめで唱える「みかぐらうた」では、
      むごいこゝろをうちわすれ  やさしきこゝろになりてこい (五下り目 六ッ)
    と教えてくださいます。また、ある時は、生来気の短い青年に、
    「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや」(教祖伝逸話篇 123「人がめどか」 )
    とお諭しになりました。
    自分はこんな性格だから仕方がない、と開き直ってしまっては進歩がありません。神様から心を自由に使うことを許されている私たちですから、心を入れ替えることによって、性格だって変わらないはずはないのです。
    必サツ!小言封じ
     岡山県在住  山﨑 石根
    今年の一月末頃でした。十年に一度の大寒波が日本列島を襲った日、雪道の中を帰路に着いた私は、大急ぎで車から荷物を降ろしていました。
    その時、慌てていたからでしょうか、自分で開けた車のドアに、自分の顔をぶつけてしまいました。それが思いのほか痛く、うずくまっていると、妻が心配そうに駆け寄ってきてくれました。
    「わあ、痛そう」と言う妻に、「それがさあ、今日、これで三回目なんよ」と、私はその日にあった出来事を伝えました。
    朝、天理市の宿泊施設でトイレに入った時、便器の横にトイレットペーパーの切れ端が落ちているのを見つけました。
    「こんなん、落とした人がその時に拾ったらいいのに…」
    私はぶつぶつ不平を言いながら、しゃがんでそれを拾い、立ち上がろうとした時、トイレの壁にある台に頭をぶつけてしまったのです。これが思いのほか痛くて、この時も声を出してうずくまったのでした。
    また、その日の午後にも、作業中に事務所のカウンターで頭を打ったのです。この時も私は、「せっかく親切でしている作業なのに、割に合わないなあ」と、心の中で小言をつぶやいていました。
    それがあっての極めつきの三回目だったので、私はついていないその日の出来事を妻に聞いてもらったのでした。
    すると妻は間髪入れず、「小出しで良かったやん!」と私に言ったのです。きょとんとする私に、「ホンマやったら大きな事故か病気で大変な目にあうところを、神様が三回に分けて小出しにしてくれはったんやんか~」と言うのです。
    そう言われてみると、ハッと気づくことがありました。トイレの時も、事務所の時も、そして荷物を降ろす時も、全部私がぶつくさ文句を言った後の出来事でした。三回目の時も、雪で急いでいる中、玄関にあった子どもの荷物が邪魔だったので、「ちょっと~、ちゃんとしまってよ!」と、子どもに注意をした後のことだったのです。
    何だか不足を言う度に神様からお叱りを受けていると感じ、落ち込んでいる私に対して、妻は一回のきついお仕置きではなく、小出しにしてくださって良かったじゃないかと言うのです。
    なるほど、悟り上手、思案上手、喜び上手だなぁと、そのような指摘をしてくれる妻のことを、同じ信仰を持つ者として何だか頼もしく感じたのでした。
    ずいぶん前にも、次のようなことがありました。ある夏の暑い日に、私が天理市に向かって山道を運転している時のことです。
    見るからに今、交通事故が起きたばかりの状況で、乗用車同士が正面衝突し、進行方向の車線をふさいでいました。事故を起こした側の運転手と思われるお年寄りは、呆然と車の前に立ち尽くし、もう一台の方の運転手と思われる若い男性が、自ら交通整理をしていました。
    私も暇だった訳ではありませんが、時間に多少余裕があったので、協力した方が良いと思い立ち、車を脇にとめ、反対車線の交通整理を始めました。
    それから10分ほどしてパトカーが到着しました。降りてきたおまわりさんが、「ありがとうございます!どんな事故でしたか?」と尋ねてきたので、「僕は当事者じゃないんです。片側一車線になっていたので交通整理をさせて頂いています」と伝えると、「暑い中、ありがとうございます!すぐに応援を呼びます!」と、とても誠実に対応してくださいました。
    ところが、同じく10分ほどして応援に駆けつけてきた今度のおまわりさんは、どこか不愛想に、「はい、もういいですよ」とだけ私に伝え、すぐに交通整理を始めたのです。
    別にお礼を言ってもらうためにやった訳ではありませんが、当然感謝されるものと思い、何なら「いえいえ、とんでもございません」という返事を心の中で準備していた私は、拍子抜けをしてしまいました。
    そして、少し腹が立ってきて、車に戻るや否や妻に電話をし、今起こった出来事についての愚痴を吐き出しました。
    「暑いのを耐えながら一生懸命やったのに、お礼の一言もないんやで!どう思う?」と語気を強める私に対し、妻は、「あぁ、石根君。積んだ徳が勘定済みやなあ」と、笑いながらため息をついたのでした。
    妻が言うには、せっかく良い行いをしても、最後に小言を言ってしまうと、積んだ徳が不足をした分で差し引かれ、勘定がゼロになってしまうとのこと。
    これもまた、私たちの信仰でよく耳にする悟りの一つなのですが、自分事になるとつい忘れてしまう恥ずかしい有り様に、返す言葉がありませんでした。
    妻はいつでも、絶妙のタイミングで神様のお話をしてくれるのです。
    さて、今回、災難を小出しにしてもらうというご守護を頂戴した私は、それからしばらくの間は、ことある度にこの話を蒸し返されました。
    思い通りにならずに腹を立て、「もう、どうして?」とか「何でやねん」と私が小言を言おうとする度に、「ほらほら、石根君。また、頭打つで! 積んだ徳が勘定済みになるで!」と妻が返してきます。
    これぞ妻の必サツ技!「小言封じ」なのです。
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