天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」 episodes

  • 真心のお供え
    ある信者さんが、「教祖にお上げしてください」と言って持ってきたのは、立派な重箱に入った小餅。後日、別の信者さん…
    6 min
  • 喜びを見つけていく
    喜びを見つけていく
    大阪府在住  山本 達則
    私たちお互いは、誰しも日常生活の中で、少なからず不満や不足の種を持っています。家族のこと、仕事のこと、健康のこと、人付き合いのことなど。さらにそれらは毎日のように、その時々の気持ちによって変化していくものです。
    以前、ある引きこもりの男の子に出会いました。彼は長期にわたって全く部屋から出てこられなくなり、そのやるせなさを大声を出すことで紛らわせていました。両親をはじめ家族は、その声に怯えながらの生活が続き、心も体も疲弊し切っていました。両親はわらにもすがる思いで、教会に熱心に足を運びご守護を願いましたが、中々明るい兆しを見ることはできませんでした。
    そんな中、両親はある日、天理教の教会本部で行われている「説教」に参加し、このようなお話を聞きました。
    「今の自分の姿が、不都合な受け入れがたい姿であっても、神様はたすけてやりたいという親心いっぱいでお見せくだされているんです。私たちにできるのは、その中で喜びを見つける努力をすること。それがご守護を頂ける、唯一の心の持ち方なのです」
    お話が終わって席を立とうとすると、同じくそばで聞いていたご婦人から声を掛けられました。そのご婦人は、娘さんが若くして大病を患い、闘病の末、35歳という若さで亡くなられたそうです。ご婦人はその現実がどうしても受け入れられず、「なぜ、自分の娘だけがこんなことに」と、ずっと苦しんでいるのだと打ち明けました。
    「でも、今日お話を聞かせて頂いて、娘が亡くなったことも、神様の親心なんだと理解できました。これからは『娘を35年間も生かして頂いてありがとうございました』とお礼を言いながら、通らせてもらおうと思います」と、最後には笑顔で帰って行かれたとのことでした。
    この日の話を受け、両親は二人で話し合いました。
    「これまで、息子のことで喜んだことなんてなかった。なぜうちの息子だけが? 他の子は何事もなく学校に通っているじゃないか。そう思って悔んだり、恨んだり、悲しんだり…その繰り返しだった」
    そして夫婦で反省し、息子さんの今あることを喜ぼうと、心を定めたのです。
    数日後、両親にお会いすると、ご主人が「息子はこのままでも構いません。あの部屋から出てきてくれることを諦めたわけではありませんが、とにかく、生きていてくれることを喜ぼうと思います」と言ってくださいました。そしてその半年後、ついに息子さんは部屋から出ることが出来たのです。
    私たちは誰しも夢や希望、理想というものを持っています。それがあるからこそ、毎日の暮らしに活力が湧いてくるのだと思います。しかし、自らの行動を顧みることなく、心の入れ替えもせずに、ただ望むばかりでは、それが叶わなかった時、不満や不足が募ってしまうことは目に見えています。
    神様のお言葉に、
    「理は見えねど、皆帳面に付けてあるのも同じ事、月々年々余れば返やす、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く」(「おさしづ」M25・1・13)
    とあります。
    自分の思い描く姿に見合うような心の持ち方や、それに伴う行動がなければ、その夢はいつまでも、夢のままで終わってしまうのではないでしょうか。
    スポーツの世界でも、人より秀でた成績を残す選手は、日常で間違いなく、その結果に見合った努力を重ねているものです。同じように、「家族円満」という姿を叶えている家族には、それに見合った日常の心遣いや行いがあるに違いありません。家族お互いが、日常の何気ない出来事に対しても、有難いと感謝し、喜ぶ姿があるはずです。
    自らの夢や希望や理想を引き寄せる第一歩は、自分自身の中に喜びを見出す努力を続けることではないか。最近、そんなことをつくづく感じています。
    心を尽くすと
    奈良県看護協会の代表として、県内の有識者らが集う会議に出席したときのことである。たまたま隣り合わせた女性と名刺を交換した。問われるままに「現役のころは、天理よろづ相談所病院に四十年ほど勤めていました」と言葉を添えると、「私、天理の病院には大変お世話になりました。看護師さんがみんな親切ですよね」と、嬉しそうに話された。
    二十数年前、出産して間もないころ、子供さんの状態が悪くなり、救急搬送されたのだという。
    「病院に着いてから、何がなんだか分からないまま、不安で胸が押しつぶされそうになって、ホールで泣いていたんです。そこへ、メガネを掛けた看護師長さんが来られ、横に座って、『大丈夫ですよ。ここには、心臓の悪い子供さんたちがたくさん入院していますが、みんな頑張って良くなっています。幸い、あなたの子供さんの心臓病は軽いものです。先生方が、ちゃんと治してくださいますよ』と、背中をなでて慰めてくださいました。真っ暗だった目の前に、やっと明かりが見え、救われました。あのときのことは、いまでも忘れていません」
    その話を聞いて、ドキッとした。実は、私は長い間、心臓病の患者さんが入院される病棟で勤務していたのだ。その方の子供さんが入院された年を伺うと、私が病棟師長をしていた時期と一致した。
    「そのメガネの看護師長は……たぶん、私です……」
    そう打ち明けると、「まあ! なんという巡り合わせでしょう!」と驚かれたが、すぐに会議が始まり、話は中断した。会議終了後も、彼女は興奮冷めやらぬ様子だった。
    「恩人を探してもらうテレビ番組を見るたびに、『私もいつか、あの看護師長さんを探してもらってお礼ができたら……』と思っていました。こんな偶然があるなんて……。私もあれから、自分も誰かの役に立ちたいと思って頑張ってきたんです」
    申し訳ないことながら、そのときのことが全く思い出せなかった。思い出すのは、患児の母親から苦情を頂いたりした、つらい場面ばかり。たくさんの患者さんが入院され、心臓カテーテル検査や手術を受け、緊急あり、急変ありの嵐のような毎日。「もう少し看護師がいれば、十分な看護ができるのに」と何度思ったことか―。
    そんな日々のなかの出来事だったのだろうが、その方がずっと忘れずにいてくださったのに、自分が全く覚えていないことに恐ろしさを感じた。けれども、「憩の家に来られた方には、絶対に喜んで帰っていただこう!」との思いで、その時々にできる限りのことを、自分なりにさせていただいてきたつもりだ。自分では忘れてしまっていても、親神様はちゃんと受け取ってくださっていたのだろう。そう思い直して「良かった……」と、胸をなでおろした。
      にちにちに 心つくした ものだねを
      神がたしかに うけとりている
      神がたしかに うけとりている
              (おうた7番『心つくしたものだね』)
    この「おうた」が、自然と心に浮かんだ。時間切迫、多重課題が迫りくる臨床現場で、いまもあえぎながら、より良い看護を追求している後輩たち。大変だろうけれど、目の前の患者さんに心を尽くすことを忘れなければ、きっと大丈夫!
    帰りのバスで、杖をついた高齢の婦人に席を譲った。「私、バスはあまり乗ったことないの。どうやって支払うの?」と不安そうにおっしゃる。やがて、駅に到着。両替をして支払いを済ませ、バスを降りるところまで付き添わせていただいた。
    「奥さん、ありがとう! ありがとう!」
    ほのぼのとした気持ちに胸が満たされた。この出会いに感謝した。
    「親神様、幸せをありがとうございます。看護ようぼくとしての病院勤務は卒業しましたが、これからも毎日の出会いを大切に、人さまに尽くしていきます……」
    さわやかな風が、駅舎を吹き抜けた。
    (終)
    14 min
  • ありがとうのチカラ
    神の用向き
    病気になれば、誰でも辛い思いをしますが、天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、病についてのこのようなお歌があります。
      いかなるのやまいとゆうてないけれど  みにさわりつく神のよふむき(四 25)
      よふむきもなにの事やら一寸しれん  神のをもわくやま/\の事(四 26)
      なにもかも神のをもハくなにゝても  みなといたなら心いさむで(四 27)
    「日々の暮らしの中で、身体の調子が悪くて悩むこともあるだろうが、それは病ではなく、神の用向きである。神がこの世界を陽気ぐらしに建て替えるために働いて欲しいと、身体にしるしを見せ、自覚を促しているのだ。それは容易には理解できないことかも知れないが、神は山のように積もる思いを知らせたいゆえに、しるしを見せるのだ。そのたすけたい一心の神の思惑を、何もかも説いて聞かせたなら、皆の心も勇み立ってくるであろう」
    身を病んでしまった時は、誰しもエネルギーが減っています。「神様に叱られた」「きっと罰が当たったんだ」などと、捨て鉢な気持ちに陥ることもあるかも知れません。しかし、身を病むと同時に心まで病んでしまっては、生きる力は湧いてこないでしょう。
    そんな時、このお歌を通して伝わってくる神様のあたたかい親心が身にしみます。「用があるから、そのことを知らせているのだ」と呼びかけてくださる神様のお声を頼りに、明るく前を向いて通りたいものです。
    ありがとうのチカラ
    助産師  目黒 和加子
    数年前のある夜、天理教を信仰している友人の里香さんから慌てた声で電話がありました。
    「今朝、双子を妊娠中の長男のお嫁さんが破水してん。予定日まで二カ月もあるのに。かかりつけの産院に行ったら、すぐに新生児集中治療室のある病院に救急車で搬送することになって。けど、先生が近所の大学病院に電話したら、『保育器一台なら空きがあるけど、二台は無理です』って断られたんよ」
    「早産で産まれる赤ちゃんには温度と湿度をコントロールできる保育器が必要やねん」
    「急いで他の病院を探してたら、最初に電話した大学病院から『保育器を二台用意できたので、受け入れ可能になりました』と連絡が来て運ばれたんやけど。心配で…」
    「破水すると子宮内感染が進んで、胎児にも感染が及ぶねん。予定日より二カ月も早いとなおさら感染に弱いし」
    「神様におすがりするしかないよね…」
    里香さんの声が震えています。
    その電話から数時間後の真夜中、緊急帝王切開で出産となったそうです。1649グラムの男の子、1700グラムの女の子が産まれました。二人とも保育器の中で治療を受けていると連絡がありました。
    後日、里香さんに産科医療職者としての思いを聞いてもらいました。
    「一般の人にはあまり知られてないけど、実は、胎児を包む卵膜が破れて破水してから感染が始まるんとちゃうで。すでに子宮内感染が起きてて、卵膜が弱ったから破水したんよ。表には現れてないけど、感染がじわじわと進んで炎症が起き始めていると言えばいいかな。潜在的感染って言うねん。感染が表に出ると母体が発熱したり、胎児心拍が頻脈になったり、炎症のレベルを示す血中CRP値が上昇してくる。そうなると子宮内環境の悪化が一気に進んで、胎児に大きな負担がかかる。破水の後から自然に陣痛が来ることもあるけど、感染の進みが早ければ陣痛を待ってられへん。真夜中に緊急帝王切開に踏み切ったのは、CRP値が上昇してきたからやと思うよ。朝を待たずに帝王切開を決断した産科のドクターに感謝やで」
    「えっ、そういうことやったん。夜中にせんでもいいのにって思ってたわ」
    「それと、夜中に早産で産まれる双子の帝王切開をするために、どれだけのスタッフが集められたと思う? 少なく見積もっても産科医二名、麻酔科医一名、手術室ナース複数名、新生児科の医師とナース複数名、ざっとこれだけは要る。休みの日に恋人とデート中だったスタッフや、勤務が終わって家でお風呂に入ってたところを呼び出されたスタッフもいたと思うで」
    「夜中に帝王切開するのって、大変なんや」
    「さらに、一台しかないと言われた保育器が、なんで二台確保できたのか。これは想像やけど、誰かが里香さんのお孫ちゃんのために譲ってくれたからやで。新生児科の医師が、比較的状態が落ち着いている赤ちゃんの親に連絡して事情を説明し、了解をもらった上で保育器の空きを作ったんやと思うよ」
    「保育器を二台用意できたっていうのはそういうことなんや。ラッキーぐらいにしか思ってなかった…。和加ちゃんに言われるまで、たくさんの方々から誠真実を頂いていたことに全然気づかんかった。自分の孫の心配ばかりで…。病院のスタッフさんや保育器を譲ってくれた方に感謝してもしきれない」
    あれもこれもありがたいと、涙声で繰り返す里香さん。その感謝の声を聞いて思い出したことがあります。
    23年前のあの日、私は日勤のリーダーでした。陣痛室には初産婦の小林さんがいました。夜勤助産師の片桐さんへ申し送りをし、ナースステーションを出ようとしたその時、陣痛室からのナースコールです。
    「誰か、すぐに来て!」片桐さんの叫ぶような声。駆けつけると、小林さんがお腹を抱えて狂ったように痛がっているではありませんか。
    「サイナソイダルパターンや! すぐに院長呼んで!」と胎児心拍モニターを指差す片桐さん。胎児心拍が波のように揺れるサイナソイダルパターンは、胎児が急激に貧血に陥っている証拠です。子宮の壁から胎盤が剥がれる「常位胎盤早期剥離」を起こしたのです。
    こうなると、一秒でも早く帝王切開をしないと胎児はたすかりません。日勤者、夜勤者総出で、超緊急帝王切開の準備に掛かりました。
    手術直前の胎児心拍はゼロ。ものすごい速さで手術は進み、赤ちゃんは産まれたのですが、産声をあげません。直ちに蘇生処置を開始。大学病院の新生児集中治療室に搬送すべく、院長と私が救急車に同乗。車中でも蘇生法を続け、到着直前に心拍が再開。自発呼吸も始まり、赤ちゃんの産声が車内に響きました。
    「赤ちゃんたすかった!」涙ぐむ院長と私。新生児科の医師に申し送りをして大学病院を出たのは19時過ぎでした。
    「和加子さん、用事なかったんか?」帰りのタクシーの中で院長に聞かれ、思い出したのです。今夜はデートだったことを…。私はデートをすっぽかしたのです。翌日、彼からこう言われました。
    「実は昨日、プロポーズをするつもりでダイヤモンドの指輪を用意してたんや。命の最前線にいる和加ちゃんを尊敬はするけど、人生を共にはできない。一晩中考えての結論です。今後のお付き合いもできません」
    つかみかけた幸せが、手のひらからこぼれ落ちたのです。
    数日後、搬送した赤ちゃんが元気になって戻ってきました。小林さんのご主人がナースステーションに来られ、「新生児科の先生から『救急車の中で適切な蘇生法を続けたからたすかったんだよ』と聞きました。助産師さん、心からお礼申し上げます。ありがとうございます」と、涙まじりの感謝の言葉を頂きました。
    「ありがとう」の言葉は強力で即効性があります。振られた悲しみは、どこかに吹っ飛びました。
    医療の仕事に対し、「昼夜を問わず、最善を尽くして患者をたすけるのが仕事ですよね。大変な仕事だけど、その分お給料はいいんでしょう」と言う人もいます。逆に「仕事とはいえ、こんなにして頂いてありがたい。きっと、見えていないところでも尽くして下さったんですね」と言って下さる人もいます。
    過酷な現場で働く医療職者は、自己犠牲を払って仕事をしています。厳しい仕事をする私たちを支えているのは、患者さんやご家族からの「ありがとう」の言葉であると知って頂けたら、嬉しく思います。
    (終)
    12 min
  • 自分の心に寄り添う
    たいしよく天のみこと
    神様は、人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいと、この世界と人間をお造りくだされた、私たち人類の親であります。そして今も昼夜を分かたず、この世界の隅々から私たち一人ひとりの身体に至るまで、一切のご守護をくだされています。
    教えでは、この神様のご守護を十に分け、それぞれに神名をつけて説き分けられていますが、そのうちの「たいしよく天のみこと」については、「出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理」と教えられています。
    赤ちゃんはお腹の中では、母親とへその緒でつながっていて、そこから栄養と酸素を与えられています。そして、この胎縁が切れると、赤ちゃんはオギャーと産声をあげ、自力で呼吸を始めます。これが息を引きとるまでずっと続くわけです。つまり、最初に自力で呼吸をする時と、最後に息を引きとる時、誕生と死において、私たちはこのたいしよく天のみことのお働きを頂いているのです。
    一般に、誕生はめでたいことですが、死は何か暗い、忌まわしいものだと考えがちです。しかし、天理教では、死は「出直し」であり、魂は生き通しで、また新しい身体をお借りして、この世に生まれ替わってくると教えられています。つまり、死はそれで終わりというものではなく、生まれ替わるための一つの節目、新たな出発点でもあるということです。
    言うまでもなく、死がなければ誕生もあり得ません。死ぬ者がいなくて、生まれる者だけがどんどん増えれば、世界はたちまち人であふれてしまいます。この生命の循環ということを考えれば、誕生と死は一つであり、切り離すことのできないものであることが分かります。
    さらに、死と並んで「切る」という言葉にも、何となく良くないイメージがあります。しかし、「みかぐらうた」の中で、
    「六ツ むほんのねえをきらふ」
    「八ツ やまひのねをきらふ」(二下り目)
    と、争いや病を根絶しようと仰せられる通り、切ることも、私たちにとって大切なお働きです。
    長い患いや悩みをたすけて頂きたいと願う時、それまでと同じ心遣いや通り方をしていては、ご守護を頂くのは難しいでしょう。自らの癖性分を断ち切り、心を生まれ変わらせるほどの大きな決断をしなければなりません。斯様に、「切る」働きとは、人生の節目において必要不可欠なものなのです。
    自分の心に寄り添う
    奈良県在住・臨床心理士  宇田 まゆみ
    先日、大勢の人の前でお話をさせて頂く機会を得ました。少ない人数でも緊張するのに、何百人という人の前でお話をさせて頂くことになり、その日が近づくにつれ、緊張と不安が募ってきました。そんなに大勢の前でうまくお話ができるだろうか、頭が真っ白になって言葉に詰まってしまったらどうしよう、などと考えると不安は膨らんでいきます。
    そんな時に私が今までよくやってきたのが、ポジティブシンキングです。不安を打ち消すために、「これもいいことだ!」と、自分に言い聞かせるのです。
    ただ、そのように頭で考えて不安から目を逸らそうとすると、不安がなくなったような勘違いをしますが、決して無くなってはいないのです。これもいいことだと頭で考えながらも、心の中では不安が渦巻いている。頭の声と心の声にギャップがある状態です。しかも自分としては、もう不安は払拭できたと思い込んでいるのですから、これはなかなか厄介です。
    人は何か辛いことに直面すると、それが早くなくなって欲しいと思うものです。身体の痛みもそうですが、悩みごとや人から否定されるようなことがあると、嫌な気持ちになります。その気持ちを直視するのが辛いので、仕方がないと割り切ったり、これにも何か意味があるんだ、これで良かったんだと気持ちを切り替えようとします。そうして苦しみから逃れているようでいて、実のところは強く苦しみを握ってしまっているのです。
    私が大勢の人の前で話すことへの不安を抱きながら、それを直視するのが辛くて、「これもいいことだ!」と言葉にした時、横にいた主人からこんな風に言われたのです。
    「それ、自分の気持ちを飛ばし過ぎじゃない?不安なんでしょ? 不安に思っている自分の気持ちを、もっと大事にしてあげた方がいいよ」。
    私は狐につままれたような気持ちになりました。しかし、よく振り返ってみると、私はこれまで自分の気持ちを大事にするということを、ほとんどしてこなかったことに気づきました。ポジティブシンキングによって、無理に頭で切り替えて、心の声に蓋をしていたのです。
    主人にそのようにアドバイスを受け、自分の感じている不安に自分で寄り添ってみることにしました。
    自分の心の声に耳を傾けると、「不安だな、怖いな、うまくいくかな、大丈夫かな」など、色んな気持ちが出てきます。その気持ちを否定せず、そのまま受け止めて、「そうだよね、不安だよね、怖いよね、分かるよ、そう思うよね」と自分自身に語りかけ、100パーセント自分の気持ちに寄り添ってみたのです。
    それまでは、「不安とか怖いとか思っていても仕方がない。気持ちを切り替えていこう」と考えて、あまり丁寧に向き合うことはありませんでした。そこを敢えて、まるまる自分の心の声に寄り添った時、何とも言えない安心感が出てきたのです。
    人は何か悩みや問題を抱えた時、誰かに相談したくなります。カウンセリングの現場にいると、そのようにして相談に来られる方と多く出会わせて頂きます。その時感じるのは、悩みや問題を相談しに来た方は、何より安心感を得たいのだということです。
    たとえ問題が解決しなくても、話を聞いてもらい、分かってもらえたという安心感、自分はこれでいいんだ、一人ではないんだという安心感を得ることで、物事の見え方もその後の展開も大きく変わります。
    実際に、私は自分の心の声に100パーセント寄り添った時、何とも言えない安心感に包み込まれ、不安が不安ではなくなりました。そして、今までとはちょっと違う心の声が出てきたのです。
    まず出てきたのは、「そんなに大勢の人の前で話す機会を頂けるなんて、すごくない?」という声で、続いてそれに答えるように、「確かにすごいよね。自分がいくらしたいって言っても、なかなかできるものではないもんね」
    さらに、その心の声にそのまま寄り添っていくと、心の底からじわじわと喜びが湧いてきて、「ほんとにすごい!そんな機会を頂けるなんて、本当に有り難い!」との感謝の声になったのです。
    そして当日も、感謝の気持ちで精一杯、自分のできる限りのお話をすることができ、うれしい楽しい体験をさせて頂くことができました。
    人は皆、幸せになりたいと思っています。幸せになるために毎日の色んな体験があるのだとしたら、不安や恐怖、怒りや悲しみなど、幸せとは遠く離れた感情からも、きっと幸せにたどり着くことができます。
    その秘訣は、自分の心の声にそのまま寄り添うこと。この時に大事なのは、良い悪いの判断をせず、まずは100パーセント受け入れることです。それができた時、自分の内側から安心感が湧いてきます。そして、その安心感が自分を幸せへと導く力になってくれるのです。
    (終)
    12 min
  • 東京スカイツリーから、こんにちは ~赤ちゃん食堂、始まりました!~
    夫婦のあり方
    現在、私たちは、いにしえから絶え間なく続く夫婦、すなわち男女の営みを基盤として存在しています。夫婦の間に子どもが生まれ、家族が形成される。さらには、その家族を基本単位として社会が構成されていく。豊かな人間社会を築いていく上で、夫婦の和、そして家族の一手一つの和が大きく影響してきます。
    親神様は、人間を創造されるに当たり、夫婦の雛型にしようと、男女それぞれについて道具を引き寄せられましたが、いずれの場合も、「その一すじ心なるを見澄ました上」でもらい受けられています。つまり、夫婦というのは、人間が本来の性質として持っている「一すじ心」に基づくものであると言えます。
    お言葉に、
      ふたりのこゝろををさめいよ(四下り目 二ッ)  なにかのことをもあらはれる
      ふうふそろうてひのきしん(十一下り目 二ッ)  これがだいゝちものだねや
    とあります。
    どんななかでも夫婦が心を一つに治め、感謝の心でひのきしんに励ませてもらうことによって、親神様のご守護の世界が開かれていくことを教えられています。
    夫婦が力を合わせて通るお手本を、先人の歩みに求めてみます。
    明治十五年、教祖が奈良監獄署に拘留された際、梅谷四郎兵衛さんはお屋敷から差し入れに足繁く通い、大阪で留守番をする妻のタネさんは、教祖のご苦労を思い、毎日蔭膳を据えお給仕をしていました。この時、教祖から「四郎兵衛さん、御苦労やったなあ。お蔭で、ちっともひもじゅうなかったで」とのお言葉を掛けられています。(教祖伝逸話篇106「蔭膳」)
    また、平野楢蔵さんとトラさん夫妻は、「教祖のことを思えば、我々、三日や五日食べずにいるとも、いとわぬ」と心を定め、夫婦でおたすけに奔走しました。その頃、お屋敷へ帰らせて頂くと、教祖は、「この道は、夫婦の心が台や。夫婦の心の真実見定めた。いかな大木も、どんな大石も、突き通すという真実、見定めた」とのお言葉をくださいました。(教祖伝逸話篇189「夫婦の心」)
    現代においても、夫婦のあり方があらゆる面で大きな影響を及ぼします。夫婦によって築かれた家庭が、愛情と思いやりに満ちたやすらぎの場となる場合もあれば、逆に欲望に振り回され、身を滅ぼすことになる場合さえあります。夫婦の治まりが、陽気ぐらしの要であることを胸に置きながら、日々勇んで通りたいものです。
    東京スカイツリーから、こんにちは ~赤ちゃん食堂、始まりました!~
    吉永 道子
    子育てひろばを利用している親子は、お弁当を用意し、お昼ご飯を一緒に食べます。そんな中、K君のお弁当は、例えばある日は甘い揚げパンだったり、同じ物ばかりがたくさん入っていて、それをひたすら食べ続けるのです。そして自分の分を食べ終えると、今度はお友達の持ってきたものを食べたがります。K君のママはこのことが不安で、ひろばを利用するのに誰もいないNPO法人子育てひろば「かぁかのおうち」では、旬の食材を使った離乳食を10組の親子で食べるイベント「赤ちゃん食堂」を開催しています。これは、食を通して親子が楽しく過ごす場を提供し、また月齢の近い子供を持つママさん同士の交流を図ることを目的としています。
    きっかけは、子育てひろばを利用しているK君のママの、「いつも子供と二人きりでご飯を食べていることが、不安でたまらない!」という一言でした。すると、他にも離乳食で悩んでいるママさんが多いことに気がついたのです。
    時間帯を選んだり、食事の時間を避けたりするようになりました。
    そしてK君が一歳を迎える頃、ひろばで「かぁか」と呼ばれている私に、ママから相談がありました。「離乳食の食べ方を保健師さんからアドバイスされても、まったく思うようにいきません。どうしてみんなと同じように食べられないのでしょう?」と。ママは、子供と一緒に楽しく食事をすることを忘れてしまっているようでした。
    ある日、K君の一時預かりの申し込みがありました。その中には離乳食の時間があり、スタッフは同じ日にお預かりしていたIちゃんとK君を、同じテーブルで一緒に食べさせることにしました。
    「はい、あ~ん。ほ~ら、おいしいね~」
    IちゃんもK君も、大きな口を開けて、おいしそうに食べています。
    「あら、よく食べたね~。お弁当箱がピッカピカ!」
    この二人の光景をスタッフが動画に撮り、K君のママにLINEで送りました。
    ママはビックリ!「こんなに楽しそうにご飯を食べられるなんて…」
    食事に問題のないことが分かったママは、心のモヤモヤが取れ、それまで迷っていた発達に関する療育相談を受ける決心をしました。こうしてママは、K君の心と身体についてより理解し、寄り添うことができるようになったのです。
    私はこの経験から、一緒にご飯を食べたりお茶を飲むことが、こんなにも大切なことなのだと感じ、赤ちゃん食堂を毎月開催することに決めました。
    毎月、新規の方の申し込みがあり、定員がいっぱいになります。一度参加したママさんがお友達に声を掛け、一緒に連れて来てくださることが多くなりました。
    毎回、ママさんから嬉しいコメントを頂きます。
    「季節の野菜を使って、とても美味しいご飯が食べられました。娘はとても満足そうで、うちでは出来ない手づかみ食べができて、楽しいランチになりました」
    「初めてうち以外で離乳食を食べました。たくさんのお友達と一緒にご飯を食べられて、いい経験になったと思います」
    「うちでは立ち上がったりぐずったりすることもあるので、少しでも楽しんで食事ができるように、参考にしたいと思います。何より、まわりのお友達を見ながら食べるということが、本人の食べる意欲につながっていると感じるので、また参加したいです」
    「講師の方ともお話ができ、不安な点を解消してくださったり、前向きな言葉を頂けて嬉しかったです」
    かぁかのおうちの赤ちゃん食堂は、参加したママたちの口コミで地域に拡がっていきました。このイベントは天理教の教会で開催していますが、ある時、活動に興味があるというキリスト教会の方が見学に来られました。
    ひと通り活動をご覧になった後で、「なぜここのスタッフの方たちは、参加者にここまで優しく寄り添えるのですか?」と聞かれました。私は、「では、出張赤ちゃん食堂をさせてください」と申し出て、後日、スタッフを連れてキリスト教の施設で開催し、大勢の方に体験して頂くことができました。
    その日の夜、施設の方からメールが届きました。
    「本日はありがとうございました。あの、優しくておいしい離乳食を食べた子は、健康で元気な子に育ちますね。全然トゲトゲしていないお味で感動しました。この赤ちゃん食堂が、もっともっと広まるといいですね。次回が今から楽しみです」
    かぁかのおうちが、スタッフ一同で親子に寄り添い、みんなで楽しく過ごせる場を提供し、地域のつながりを生んでいく。そこに神様のお働き、お引き寄せを強く感じています。
    今日も皆さんで一緒に「いただきます」。そして感謝を込めて「ごちそうさまでした」。おなかも心もあったかくて、いっぱいになりました。
    (終)
    12 min
  • 金婚式おめでとう
    火と水の調和
    親神様は、人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいと、この世界と人間をお造りくだされた、私たち人類の親であります。そして今も昼夜を分かたず、この世界の隅々から私たち一人ひとりの身体に至るまで、一切のご守護をくだされています。
    教えでは、この親神様のご守護を十に分け、それぞれに神名をつけて説き分けられていますが、
    くにとこたちのみことについては、天にては月、人間身の内の眼うるおい、世界では水の守護の理。をもたりのみことについては、天にては日、すなわち太陽、人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理、とお聞かせ頂いています。
    お言葉に、
      このよふのしんぢつの神月日なり  あとなるわみなどふくなるそや(「おふでさき」六50)
      しかときけこのもとなるとゆうのハな  くにとこたちにをもたりさまや(「おふでさき」十六12)
    とあるように、天にては月日と表れるこの二柱こそ、この世界において最も根本的なご守護の理を表すものです。そして、この対照的な働きである「火」と「水」の調和が、私たちの営みにおいて大変重要なことなのです。
    たとえば、暑くなると汗をかく、という身体の働きがあります。ぬくみが過剰にならないように汗をかくことで、その蒸発熱によって体温を下げる。これも火と水の働きが調和する姿です。
    また、身近な例で言えばお風呂があります。これも火と水のほどよい調和、釣り合いがあってこそ気持ち良く入れるものです。熱すぎればやけどをしてしまい、ぬる過ぎれば風邪をひいてしまいます。
    さらにお風呂については、こんな悟りもできるかもしれません。お風呂に気持ち良く入るためには、着ている物を脱がなければならない。つまり、火や水をはじめとする親神様のご守護を十分いただくには、我が身思案や欲の心を捨て、心を裸にすることが必要ではないか。
    身に着けている余分な物を捨て、親神様の心にもたれ切ることで、私たちは調和のとれたご守護の世界を存分に味わうことができるのです。
    (終)
    金婚式おめでとう
     奈良県在住  坂口 優子
    毎年お盆とお正月は、主人のきょうだいとその家族がみんなうちに帰ってきて楽しい一日を過ごします。核家族で育った私にとって、最初はなかなか大変な一日でしたが、年を重ねるにつれ、準備や片付けの大変さも感じることがなくなり、みんなの寄る日が楽しみになりました。
    私自身、子ども達が寮生活を始めて離れて暮らすようになると、家族が揃うことにこだわる両親の気持ちが理解できるようになり、その日がもっと好きになっていきました。
    今年もお盆が近くなり、その日が訪れようとする頃、きょうだいのグループラインに一件のメッセージが入りました。
    「両親の金婚式のお祝いを、8月15日にしたいと思います」
    五人きょうだいの主人の、いちばん上の姉からでした。
    その数日後、義父から「そろそろお盆やな。みんなに集まる人数を聞いて、用意してくれるか」と相談されたので、「15日にみんなで金婚式のお祝いをしようと思ってるので、今年は子ども達で全部用意させてもらいます。楽しみにしてて」と伝えると、義母は嬉しさが込み上げたのか、おつとめをつとめながら涙をポロポロと流していました。
    普段両親と同居している私たち夫婦にとっても、この企画はとても有り難いものでした。お嫁に来て23年。一緒に暮らしていると、段々と日々の小さな喜びが当たり前になり、感謝の気持ちも忘れてしまいます。だからこそ、きょうだいの力を借りてでも、両親の喜ぶ顔が見られると思うだけで心がワクワクしました。
    家族みんなが天理教の教えの中に育ち、親を喜ばせたい気持ちを一番に持っているので、きょうだいそれぞれに意見の違いはあっても、心を譲り合って準備が進んでいきました。
    お祝いの当日は、台風の影響で朝から大雨が降り、強い風も吹いていました。ニュースでは、関西圏のスーパーやデパートが営業を休むと報じられていました。注文した食事のことを心配していると、仕出し屋さんとケーキ屋さんから電話がありました。どちらもその日はお店を閉めるそうですが、それでも注文は受けて下さるということでした。
    五人の子どもとその連れ合い、そして孫が22人。予定を変更すれば、全員が集まることはおそらく無理で、お店の好意をとても有り難く思いました。
    台風が徐々におさまってきて、皆が集まりだし、孫たちが会場の飾りつけを始めたりして賑やかになりました。買い物に行く車の中で、いちばん上の姉がこんな話をしてくれました。
    両親にとっては、母方の親だけが夫婦揃って金婚式を迎えられたのですが、両親は都合がつかずに、そのお祝いの席を欠席したのだとか。姉は、その時の両親の悲しそうな姿を側で見ているのがとても辛かったそうで、二人が金婚式を迎えたら、子どもや孫たちみんなで賑やかにお祝いしようと、心に決めていたのだと話してくれました。
    姉は、嫁ぎ先の母親を数カ月前に亡くしたばかりで、「夫婦が二人とも元気に金婚式を迎えられるのは、本当に奇跡なんよな」という姉の言葉が心にしみました。
    夕方になり、ケーキ屋さんが注文の品を届けてくれました。朝の段階では、「職人さんが台風で来れず、注文のケーキが作れない」とのことでしたが、金婚式と知って、雨がおさまってから職人さんが急遽お店に来て、注文通りのケーキを焼いてくれたのです。「いつもありがとうございます。そして、今日はおめでとうございます」と、心のこもったお祝いの言葉も頂きました。
    そして、仕出し屋さんも、「いつもお世話になっているので、お二人のお膳にお祝いの気持ちを添えさせて頂きました。今日は金婚式おめでとうごさいます」と、特別にアワビをつけて下さいました。
    台風でお店を閉めている中、わざわざ足を運んでお祝いの気持ちを届けてくださったことに感謝すると共に、長年の教会生活を通じて、地域との絆を大切にしてきた両親の姿が垣間見えた気がしました。
    台風が去り、遠方に住む家族たちも遅れることなく到着し、お祝いの会が始まりました。みんなで記念写真を撮影し、乾杯。孫たちからお祝いの品を渡され、両親は満面の笑顔です。
    それから、二人の軌跡を振り返るスライドショーを上映しました。結婚式から始まり、五人の子供が生まれ、成長して大人になり、それぞれが結婚して孫が22人生まれた現在までの50年分の思い出が集められ、最後にお祝いのメッセージ動画が添えられた15分間の大作でした。
    スクリーンを見つめるみんなの目には、涙があふれていました。家族の思い出が鮮明によみがえり、あらためて温かい親の思いにふれ、このうちに生まれてきたこと、そしてここに嫁いで来たことの幸せを、みんなが心から噛みしめた瞬間でした。
    今日の私たちの幸せは、両親が50年の間、どんな日も二人仲良く通ってきてくれたおかげだと、心から感謝しました。これからも、どうかお元気で。私たち夫婦も、二人をお手本に、幸せのバトンを次の世代につないでいきたいと思います。
    (終)
    12 min
  • ランドセルを通して思ったこと
    いまできることから(2021年6月発売『すきっと36号』より)
    通勤路の途中のある民家の近くで、いつも三匹の猫を見かけた。その家に住む年配の女性が、餌をくれるのを待っているようだった。あるとき、その女性が入院した。猫たちは、その後もじっと待っていたが、冬が来る少し前に姿を見せなくなった。いまごろどうしているだろう。私にできることはなかったか……そんなことを考えていたら、ふと、マザー・テレサの言葉が頭に浮かんだ。
    「家に帰って家族を愛してあげてください」
    貧困や病気で死にかけている人々を看取る施設「死を待つ人々の家」の活動などが評価された彼女は、一九七九年、ノーベル平和賞を受賞した。その際、記者からの「世界平和のために、私たちはどんなことをしたらいいですか」との質問への答えが、このシンプルな言葉だった。
    「外へ目を向けるのは大切なこと。でも、その前に私はまず、うちの猫や家族をもっと大切にしなければ……」
    私たちが人生で出会う人は限られている。その一人ひとりを大切に思って接することは重要だ。何より、一番身近な家族が「ただそこに存在してくれている」ことに感謝し、愛することは最も大切なことだと、あらためて思う。
    コロナ禍で、自宅に家族が居合わせる時間が長くなった。父親がリモートワークで在宅し、イライラしてDVが増えたと聞くと、胸が痛む。
    私の実家は農家で、子供のころ、雪深い冬は父親も家にいて、囲炉裏のそばでムシロや背負いかご、草履などを作っていた。いたずらが過ぎるとゲンコツをもらったが、何回せがんでも嫌がらずに絵本を読んでくれた。テレビもなかったので、夜は家族全員でトランプを楽しんだ。
    神様はいま、家族のありようを見直すようにと言われているのではないかと思う。社会の基本単位である家族が睦み合って暮らせぬようでは、世界たすけなど到底おぼつかない。つい、わがままが出やすい家庭は、陽気ぐらしの修行道場ではないかと、このごろ思っている。
    私は四十年間、重症の患者さんの看護に携わってきた。現場の看護師は、いつも「もっと良い看護を実践しなければ」と焦り、理想と実際との狭間で心を倒すこともある。そんなとき、
    「きょう担当する患者さんに、できるだけ喜んでもらえる看護を実践することに集中しよう! それを繰り返していたら、はっと気がつけば、いつの間にか多くの人を救っていたことになる。あのマザー・テレサも、そうやって生きてこられたそうよ」
    と慰める。すると「そうか、それでいいんですよね!」と、少し元気になってくれる。
    例年なら、看護協会会長として、県内の看護学校の入学・戴帽・宣誓・卒業などの式典で祝辞を述べるのだが、この一年間は規模縮小で招かれていない。
    「コロナ禍だから……」と言い訳して、何もしないでいることもできる。が、それでは使命は果たせない。いまできることは何か、と考えた。そこで、コロナ禍で十分な実習ができないまま、不安を抱えて卒業する看護学生に、ビデオメッセージでエールを送ることにした。
    内容は、新人看護師が忘れてはならない三つの大切な心得。
    ①自分の行為の一つひとつが人の命に関わっていることを忘れず行動し、どんなに忙しくても、注射などは最後の詰めをしっかりと確認し、責任の持てる状態で実施すること。
    ②患者さんに負担をかけるので、決して一人で無理をせず、不安が強いときや「いつもと違う」と思ったときは、すぐ判断のできる上の人に直接、見てもらうこと。
    ③担当する患者さんに心から関心を寄せて声をかけ、何かの処置で病室に行ったら、立ち去る前に、「ほかに何か、心配なことや御用はありませんか」と、ひと言聞くようにすること。
    DVDにメッセージを託し、県内の全看護学校に郵送した。
    届け! 看護のこころ。
    ランドセルを通して思ったこと
                   和歌山県在住  岡 定紀
    今回は、次男が小学校に入学する前の話をしたいと思います。
    小学生になると、子供たちはランドセルを背負って登校しますが、そのランドセル、結構いい値がします。六年間使うものだから丈夫に作られているわけですが、値段は数万円します。
    我が家は天理教の教会で、教祖「おやさま」の「すたりもの身につくで」という教えを胸に生活しています。すたりものとは不用になったもののことで、身につくとは、ここでは魂に徳をつけるという意味になるかと思います。つまり、ものを大切に使うこと、使い古しのものでも丁寧に使わせて頂くことが、幸せになっていく元であると教えられているのです。
    そこで、少しでも節約をして、次男の魂に徳をつけさせてやりたい。そして将来、世のため、人のために働く人間になってもらいたい。そんな思いで、インターネットのフリーマーケットのサイトで、中古のランドセルを安く買えないかと検索していました。
    すると、全国から出品されたランドセルの一覧がずらっと表示されるのですが、「現地に取りに来てくれる人」という条件がほとんどでした。その中で、「奈良県天理市 1000円」という表示が目に飛び込んできました。しかも男の子用の黒いランドセルで、「新品カバーも付けます」とあります。ただ、画面で確認すると、6年間使ったせいで少し横に傷が入っていました。
    私は全国の市町村からの出品リストの中で、天理という場所が目に飛び込んできて、しかも破格の安さということに、何か神様のお働きを感じました。夜分遅くでしたが、その出品者の方にメールを送ると、すぐに「天理のスーパーの駐車場で引き取りをお願いします」と返信が来ました。
    そして、「どちらにお住まいですか?」と聞かれたので、「実は和歌山に住んでいるのですが、天理教の信者なので天理にはしょっちゅう行きます。ついては、それまでお取り置きできないでしょうか」と返信すると、「そちらが来れる日で大丈夫ですよ!」とのことでした。
    「ただ、六年間使っていますし、傷も入っているので心配です。大丈夫でしょうか」とあったので、私は「すたりもの身につくで」という教祖の教えを元に、「いえいえ、美品でなくても、かえって子供に徳をつけさせてやれると、夫婦共々喜んでいます」と送りました。
    すると最後には、「やはり天理教様の教えは素晴らしいですね。私も同じ親として頭が下がります」と返信してくださったのです。
    思いがけず、教えを伝える機会にもなったのだなあと、しみじみ感じ入っていると、その時、不思議なことが起きました。寝ていた次男が突然、起きてきたのです。
    次男は三歳頃から半年に一度ぐらい、夜中に突然目を覚まし、大声をあげながら動き回ることがありました。最初は怖い夢を見たのだと思い、「大丈夫やで。お父さんとお母さんがそばにいるからな」と、明るい部屋でなだめるのですが、10分近くわめいたりするのです。その都度、神殿に連れて行き、神様にお願いをさせて頂いていました。こういうことがあったので心配していたのです。
    そして、この時もまさにそのパターンの起き方だったので、また動き回って大声を出すと思い、部屋から出て行かないように抱きかかえようとしました。すると、いつもと様子が違い、その場にしゃがみ込んで、何も言わずに一分ほどジッとしてから、また布団に戻っていったのです。「こんなこと初めてやね」と、妻と目を合わせました。
    後日、天理のスーパーの駐車場で、相手のお母さんと待ち合わせて、ランドセルを頂きました。お母さんは改めて「徳を積む」という教えに感じ入ったようで、「そう言えば天理小学校の子って、中古のランドセルを使っている子が多いですよね。皆さん大事に使っていて、あれは天理教の教えによるものなんですね。私も生き方を考え直します」と言ってくださいました。
    それ以来、次男が突然起きてくるという症状は無くなりました。あの日、魂に徳を積ませてやりたいと実行に移したことと、症状の治まりが立て合ったことに、神様の深い思召しを感じました。このことを忘れず、将来、子供が自ら徳を積んでいく人生が歩めるように、親として育てさせてもらいたいと思います。
    (終)
    14 min
  • 私の推し活
    あほう
    「あほう」とは一般的には人をののしる言葉で、愚かであることを言い表しています。
    天理教では、教祖中山みき様「おやさま」による、「あほうは神ののぞみ」とのお言葉が伝えられています。
    これは、こざかしい人間思案を否定する意味において仰せられたお言葉で、どこまでも素直な心、そして「こうまん」のほこりを払った低い心を、神様は望んでおられるということです。
    神様の世界と、人間の目に見える世界は違います。時には、神様の思いに沿って生きることが、人から見れば愚かに映ることもあるでしょう。
    「世界からあんな阿呆は無い。皆、人にやって了て、後どうするぞいなあ、と言われた日は何ぼ越したやら分からん」(「おさしづ」M32・2・2)
    これは、教祖がこの教えを伝え始められた当初、中山家の財産を困っている人々に施された、その人間の常識では考えられない行動を指してのお言葉です。教祖は、たとえ世間の人々から非難を受けようとも、神様の思いに沿い切ることが大切であると、身を以てお示しくだされたのです。
    また、こんな逸話も残されています。
    明治十九年夏、松村吉太郎さんが、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。多少学問の素養のあった吉太郎さんの目には、当時お屋敷へ寄り集う人々の中に見受けられる無学さや、粗野な振る舞いなどが異様に映り、軽侮の念すら感じていました。そんなある時、教祖にお目通りすると、教祖は、
    「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや」(「教祖伝逸話篇190「この道は」)
    と仰せになりました。
    このお言葉を承った吉太郎さんは、心の底から高慢のさんげをしたと伝えられています。
    私の推し活
    埼玉県在住  関根 健一
    我が家では、家族それぞれに「推し」がいます。推薦するの「推」に送り仮名をつけて「推し」。一般的に、他の人に薦めたいぐらい気に入っている人物や物を指し、好きなアイドルや俳優、ミュージシャンなどを「私の推し」と言ったりします。
    2000年代の初め頃から使われているようで、ひと昔前には「追っかけ」などと言われた行為を「推し活」、イチオシのメンバーを「推しメン」と表現することも一般化しています。
    次女が中学生になった頃のことでした。あるテレビドラマに夢中になった彼女が、その出演者の中の一人が人気の男性アイドルグループの一員だと知り、そのグループが出るテレビ番組を欠かさず見るようになりました。
    気がつくと妻や長女もテレビの前で一緒に楽しむようになり、家族の中で男一人の私は、なんとなく置いてけぼりにされた感じが面白くなかったので、彼女たちが楽しんでいる横で、ちょっと気になったところにツッコミを入れていました。するとニコニコしていた次女の顔が険しくなり、黙って自分の部屋に戻ってしまう…ということが何度かありました。
    こちらは軽い気持ちで面白おかしく言っているつもりでしたが、次女にしてみれば自分の好きなアイドルをからかわれて不機嫌になるのも無理はありません。そんなことが続くうちに私も気まずくなってきて、余計なことはしゃべらずに、一緒に番組を観るようになっていきました。
    すると、初めはあまり興味もなく退屈な思いをしていましたが、毎日のように観ているうちに、いつの間にか私もそのグループの中の一人を目で追いかけるようになっていました。
    ある日次女に、「お父さん、このグループの中なら〇〇くんが推しかも」と言うと、「でしょ?彼はメンバーの中で男性ファンが一番多いんだよ!」と目を輝かせ、彼の経歴やデビュー前の苦労話などを聞かせてくれました。
    なるほど、外から批判的に見ているのと、よく分からなくても中に入って見てみるのとでは大違い。彼のことがもっと知りたくなってきました。それ以来、そのグループのライブ映像を観る度に、家族みんなで盛り上がっています。
    ある時、仕事で取引先のスタッフと雑談していた時に、アイドルグループのオーディション番組が若い人の間で話題になっていることを知りました。しばらくして、私が普段動画サイトでフォローしている著名人が、その番組について話している動画が目に留まりました。
    「注目すべきは、参加者に対してプロデューサーが掛ける言葉だ。パフォーマンスを評価し、それぞれの課題を明確にし反省させた上で、次のチャレンジに向けて気持ちを前向きにさせる。社員や部下に対する声の掛け方として、すべての経営者は学ぶべきだ」と話していたのを聞き、興味が湧いてきた私は、このオーディション番組を観てみることにしました。
    最初はプロデューサーの言葉に注目して観ていたのですが、その言葉に応えて努力を重ねながら、着実に成長していく女の子たちの姿にどんどん引き込まれていきました。
    「そうか。みんなこうやってハマっていくんだな…」と気づいた時には、私にも一人の「推し」が生まれ、その子が画面に映ると釘付けになっていたのでした。
    とは言っても、相手は娘たちと同世代の女の子です。そこにある感情は、思春期の頃にアイドルにハマった疑似恋愛のようなものとは違い、彼女たちの成長を心から応援する気持ちです。それは、甲子園で白球を追いかける球児たちの姿に、「がんばれ!」と無意識に叫ぶ気持ちに近いかもしれません。
    最近テレビで、ボーっと生きている大人を叱る「5歳の女の子」が、「人間は『自分はこれでいいんだ!』と思えるから、誰かのファンになる」と教えてくれました。
    心理学の専門家の解説によると、人はアイドルや俳優、ミュージシャンなどに対し、そのパフォーマンスやキャラクターを気に入ることでファンになり、さらに共感するファン同士で仲間を作る。すると、自分が好きなものを好きと言える場所の居心地の良さに気づき、自分と同じ感覚の人がいることで「自分はこれでいいんだ!」という心理が芽生える…という仕組みなのだそうです。
    言われてみれば確かに、家族と一緒に「好き」を共有するのはもちろん、最近では同じ「好き」を共有する仲間ともSNSでつながることができます。推しを応援する時は、初対面の人と一緒になり、我を忘れて楽しむことができます。まさに、自分が自分のありのままでいられる瞬間です。
    それに似た経験で言えば、私自身、中学生の頃に天理教の教会で聞いた、教祖・中山みき様「おやさま」や先人の信仰者の逸話に心ときめいたことが思い出されます。
    そのときめきは、多感な時期の私の心に染みわたり、教会に行くたびに本棚にある「教祖物語」「大工の伊蔵」などの漫画を手に取ったり、「けっこう源さん」「船乗り卯之助」などの劇映画も夢中になって見た記憶があります。
    特に、大正時代に東京で単独布教を始め、多くの人を信仰に導いた柏木庫治先生の教話集を手にした時は、読み進めながらワクワクが止まらず、まるで冒険ものの小説を読んでいる気分に浸ったことを強烈におぼえています。今思えば、私にとってこれらの先人の信仰者たちが当時の「推し」で、私を信仰の道に引き寄せてくれたように思います。
    そんな「推し」に心ときめいていた時期に、信仰について語り合い、共に笑ったり泣いたりして過ごした仲間たちとの時間も、「自分はこれでいいんだ!」と思える大切な時間だったのだと思います。
    振り返れば、信仰に目覚めてから教会長をつとめている現在まで、日々、教えに触れ、人に触れる中で、毎月のように奈良県天理市のおぢばに帰って神殿に額ずき、「自分はこれでいいんだ!」と再確認する。そんな人生を送ってきたように思います。信仰生活こそが、私の人生をかけた「推し活」なのかもしれません。
    (終)
    11 min
  • 心臓でドキドキ
    くにさづちのみこと
    神様は、人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいと、この世界と人間をお造りくだされた、私たち人類の親であります。そして今も昼夜を分かたず、この世界の隅々から私たち一人ひとりの身体に至るまで、一切のご守護をくだされています。
    教えでは、この神様のご守護を十に分け、それぞれに神名をつけて説き分けられていますが、そのうちの「くにさづちのみこと」については、「人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理」と教えられています。
    私たちは、神様のご守護を頂く筋道について、この説き分けから思案し、日々の暮らしの中に生かすことが大切です。今回は、つなぎのご守護の一つであるお金、金銭の事情について考えてみたいと思います。
    お金は、物と物を交換する仲立ちの役割をします。それは同時に、人と物を結びつけることであり、結果的に人と人をつなぐ働きもしています。ですから、金銭にまつわる事情が起きた場合、このご守護の理に照らして、何か人間関係で「つながり」を欠いてしまっていることはないか、自身の通り方を反省しなければなりません。
    例えば、ある家庭で息子さんが借金をしてしまった。ところが、隠れてするものだから親は知らない。別のケースでは、旦那さんが借金を抱えていることを、奥さんが知らないという場合もあるでしょう。やがて家族中が知る頃には、どうにもならない段階にまで膨らんでしまっている。
    もし、普段から家族お互い心をつなぐことを意識し、打ち解けて話すということがありさえすれば、ここまでの事態には陥らずに済んだかも知れません。このような困った金銭事情の背後には、多くの場合、心のつながりを欠いてしまっている姿、人間関係の希薄さが潜んでいるのです。
    物事は、何によらず単独で成り立つものではありません。まず身近な関係である夫婦、親子の営みの中で、心をつなぎ、言葉でつなぐことを意識できれば、それが地域や仲間同士のたすけ合いにつながり、ひいては陽気ぐらしへとつながっていくのではないでしょうか。
    心臓でドキドキ
    岡山県在住  山﨑 石根
    「心臓は1日に10万回も動いているんだよ!僕たちが起きている時はもちろん、寝ている間も休むことなく、親神様がお働き下さっているんだよ!」
    私は大勢の子どもたちの前で、いつにも増して一言ひとことに心を込めて、神様のご守護についてお話をさせて頂いていました。
    今年の夏、四年ぶりに奈良県天理市にある天理教教会本部で、「こどもおぢばがえり」というビッグイベントが開催されました。世界中から子どもたちが集まって、たくさんの楽しい行事に参加するのですが、その行事の一つに「おやさとやかた講話」があります。ここでは、子どもたちが30分ほど神様のお話にふれるのですが、私は今年、そこでお話を取り次ぐ係を務めていました。
    心臓が動く、息ができる、目が見える、耳が聞こえる、言葉が話せる、手で物をつかみ、足を使って歩くことができる。これらは決して当たり前のことではなく、親神様のご守護を頂戴しているからこそ、身体を元気に使わせて頂ける。私はその基本的な教えを、紙芝居と例え話を用いながら、子どもたちにも分かるように精いっぱい伝えました。
    その中でも、心臓が動くことに関しては深く感じることがありました。なぜなら今年の春、中学に入学した長女が、心臓に雑音が聞こえて再検査をするという出来事があったからです。
    娘の心臓に異常が見られたのは、今回が初めてではありませんでした。彼女が小学校に入学した頃も、心臓に雑音が混じっているとのことで、かかりつけ医に相談したり、地元の大きな病院で心電図や超音波の検査を受けたりしたことがありました。
    その時は、「確かに極々小さな雑音が聞こえますが、今のところは問題ありません」とのことでしたが、カーテンを閉めた真っ暗な部屋で検査をしたため、まだ幼かった彼女は大泣きして、なかなか検査が出来なかったことをよく覚えています。
    そして今回、中学入学後に行われた健康診断で、やはり異常が見られるということで、もう一度かかりつけ医に相談しました。6年前にも相談した経緯があったので、「今回はとことん調べてもらおう」ということになり、紹介状を書いてもらい、夏休みに岡山市にある心臓専門の大きな病院で検査を受けることになったのです。
    前述の通り、私は天理で神様のお話をする係に当たっていたので、娘の受診には妻に付き添ってもらいました。検査当日、私もドキドキしていましたが、きっと本人が一番心配だったと思います。時間をかけて検査をしてもらった結果、「機能性心雑音」と診断され、問題のない雑音だと説明を受けたようです。
    妻と娘から連絡を受けた私は、ホッと胸をなでおろしました。そもそも、かかりつけ医からも「きっと大丈夫ですよ。念のために受診しましょうね」と送り出して頂いた今回の検査ですが、お医者さんに大丈夫と言われても、ドキドキする理由が私たちにはありました。
    実は私の妻も、小学生の頃、「肺動脈弁狭窄症」という心臓の病気が見つかり、天理市の「天理よろづ相談所病院」でカテーテル検査を受けたことがありました。当時、手術こそ免れたようですが、その後も経過観察が必要とのことで、その時のレントゲン写真をずっと大切に保管していました。なので、17年前、天理で第一子を出産する時には、お医者さんにも相談しながら、慎重にお産に臨んだのでした。
    また、第二子以降は、地元岡山での出産となったのですが、初めてかかる産婦人科にも心臓の既往歴を伝え、やはり慎重にお産に臨みました。私も祈るようにしながら、出産に立ち会ったことを覚えています。
    ところが、本当に神様の大きなご守護で、二人目もまったく心配のない順調な出産となり、気がつくと5人の子どもに恵まれました。恥ずかしながら、5番目の頃にはそれほど心配していなかったように思います。いま振り返ってみても、本当に大きなご守護を頂戴していたんだなあと、あらためて感謝の気持ちが湧いてきます。
    天理教の教えの基本は、何よりも神様のご守護に対する報恩感謝の心と実践です。身の内に頂く大きなご守護に、「これもありがたい」「あれもありがたい」と毎日感謝が出来れば良いのですが、どうしてもそれを邪魔する人間思案があります。
    それは「そんなこと当たり前だ」という考え方です。
    〝有り難い〟の反対語は〝当たり前〟だと言われますが、「そんなこと当たり前だ」と思った瞬間に、有ることが難しいと書く〝有り難い〟という気持ちが、どこか遠くに離れて行ってしまうような気がします。
    この夏、お話を通して子どもたちに感謝の気持ちの大切さを伝える前に、神様は娘の再検査を通して、私自身がしっかり感謝できているかを反省する機会を与えてくださったのではないかと、そんな気がしました。
    「この世の中に〝当たり前〟のことは何一つなく、全てが〝有り難い〟神様のお働きなんだよ」
    この夏に出会った全国の子どもたちの、誰か一人にでもこの大切な御教えが心に残っていることを願います。親神様、今日も元気な身体をお貸し頂き、ありがとうございます。
    (終)
    11 min

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