天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」 episodes

  • そこにある幸せ
    そこにある幸せ
    大阪府在住  山本 達則
    アラブの寓話に、このようなものがあります。
    ある人が、自宅の前で這いつくばって何かを探していました。そこを通りかかった友人が「何をしてるんだい?」と尋ねると、その人は「家の鍵を失くしたから探しているんだ」と答えました。そこで「それは大変だ」ということで、友人も一緒になって同じように這いつくばって鍵を探し始めました。
    ところが、二人で一生懸命に探してもなかなか見つかりません。友人が「その鍵はどの辺りで失くしたんだ?」と聞くと、その人は「家の中だ」と答えました。「それなら、なぜ家の中を探さないんだ?」と友人が再度尋ねると、「家の中で探すよりも、ここの方が明るくて探しやすいから」と。
    家の中で失くしたと分かっている鍵を、家の中は暗くて探しにくいから、明るい家の外で探しているという、何ともバカバカしい話です。でも、私はこの寓話と出会って、日常生活の中で見失いがちな大切なことを教えられたように感じました。
    私たちは日常、「当たり前」の連続の中で生活しています。例えば朝、目が覚めること。仕事に行くこと。家族で食事ができること。家族がそれぞれの立場で、無事に一日を過ごしてくれること。そして、当たり前のようにそれぞれがうちに帰ってくること…。数え上げればきりがないぐらいに、当たり前の中で日々を過ごしています。
    でも、それらのことは、本当に「当たり前」なのでしょうか。朝を迎え、家族それぞれが一日を過ごす中に、本当はありとあらゆる奇跡が起きているのでは?と感じることがあります。
    学校で、どんな一日が子供たちを待っているのか?辛い思いをしたり、悲しい思いをしたり、不慮の事故に巻き込まれてしまうことも、絶対にないとは言い切れません。仕事で思い通りに事が運び、納得のいく一日を送れるかも、誰も保証はできません。穏やかだった近所のお付き合いが、何かのきっかけで崩れてしまい、そこで生活するのが辛くなることだって、絶対にないとは言い切れないと思います。
    それらの可能性が、数えきれないほどたくさんの奇跡によって回避され、今日も家族が食卓を囲んで談笑できる、家族円満の姿がある。それには本当に、感謝しかありません。
    でも、私たちは時に、幸せというものを見つめる場所を見誤ってしまうことがあります。もっといい家に住みたい、もっと豊かな生活を送りたい、もっといい車に乗りたい、もっといい仕事に就きたい…。暗い家の中よりも、こちらの方が明るくて探しやすい世界のようです。
    もちろん、誰にでもそんな希望や欲求があり、それは決してダメなことでも責められることでもありません。それらの感情があるからこそ、向上心が芽生え、生きる活力が湧いてくることもあると思います。ですが…順番があるのです。
    天理教では、「まいたるたねハみなはへる」というお言葉があります。
    喜びの種を蒔けば、さらなる喜びの芽生えを見せて頂ける。反対に不足、不平、不満の種を蒔けば、その後でさらに喜べないことが目の前に現れてきてしまう。そう教えられます。
    私自身、日常で感謝に値することを当たり前としか感じられず、何か思いもよらないことに出会った時に、不満を感じてしまう。知らず知らずの間に、そんな感情が身についてしまっているところが確かにあります。しかし、見方を変えることができれば、そこには間違いなく感謝できることがたくさんあります。
    「決して当たり前ではない、感謝に値すること」。それに目を向けるのは実は簡単なことではなく、反対に目の前にある「足らないこと」に目を向けることの方が簡単なのかも知れません。
    幸せな日常を求める場所は、探しやすい明るい場所であるとは限りません。たとえ探しにくい暗い所であっても、まずは「今ある感謝できること」を探していきたいと思います。そうすることが、誰もが求めてやまない「幸せを実感すること」への最短距離ではないかと思います。
    だけど有難い  『病は気から?』
    病気という言葉は、「気を病む」と書きます。「病は気から」と言いますが、確かにそういうところがあって、たとえば薬ではない物でも薬だと信じて飲めば、何パーセントかの人には効くそうです。
    アメリカ西海岸のある病院で、こんな調査が行われました。病気が回復するようにお祈りをしてもらっている患者さんと、そうでない患者さんの病状の変化を比較して統計を取ったのです。すると、お祈りをしてもらっている人たちのほうが、明らかに良くなる率が高いという結果が出たそうです。それでも考えようによれば、「病は気から」で、薬ではない物を薬と信じて効能があるのと同じと言えるかもしれません。
    しかし、同じ調査で、この病院のある西海岸から遠く離れた東海岸の人たちが祈り続けた場合も、同じ結果が出たそうです。しかも、祈られた患者さんたちは、自分が祈られていることを知らなかった。これは不思議です。
    理由は科学的には分からないので、もっと調査をしなくてはならないそうですが、おそらく、調べても答えは出ないでしょう。それは、人間をお創りくだされた親神様が、祈る人々の真実をお受け取りくだされたからだと思うのです。
    河原町大教会では、月次祭の祭典後、希望する参拝者におさづけの取り次ぎをしています。これは、この世と人間をお創りくだされた親神様に直接お願いするのですから、こんなに心強いことはありません。実際、有難いことに、毎月、不思議なご守護を頂戴した喜びの声を直接聞かせていただいたり、お礼状を頂いたりするようになりました。
    偽薬でも、その気で飲めば「病は気から」程度には効くのです。おさづけの取り次ぎは親神様から直接ご守護を頂くのですから、「本当にたすかるのだろうか」などと疑っていたのでは、せっかく「たすけてやろう」と思っておられる親神様が「たすけられない」ということにもなりかねません。本気で信じて、もたれて、ご守護を願っていただきたいのです。
    『稿本天理教教祖伝逸話篇』に、「子供が親のために」というお話があります。お道の草創期の先人の一人、桝井伊三郎(ますい・いさぶろう)先生がまだ若いころのこと、病気で危篤状態の母親をたすけていただきたくて、教祖のところへお願いに行かれました。
    しかし、教祖は「せっかくやけれども、身上救からんで」と仰せになりました。
    教祖が「救からん」とおっしゃるのだから仕方ない。そう思って、伊三郎さんは家に帰りました。しかし、苦しむ母の姿を見ると、それでもたすけていただきたいという気持ちでいっぱいになって、再び教祖のところへ行き、「ならん中を救けて頂きとうございます」とお願いしました。けれども、教祖は重ねて「伊三郎さん、気の毒やけれども、救からん」と仰せになりました。
     教祖が二度にわたって「救からん」とおっしゃるのだからと、そのときは得心して家に帰ったけれども、伊三郎さんは母の苦しむ姿にどうしてもジッとしていられませんでした。三たび、教祖のところへ行って、「ならん中でございましょうが、何んとか、お救け頂きとうございます」と、お願いしたのです。すると、教祖は「子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る」と仰せくださり、お母さんは鮮やかにご守護いただいて、八十八歳まで長生きされたということです。
    この姿勢が大事なのです。
    私たちは、どうしても合理的・論理的にものを考えようとします。科学を信仰しているようなところがあります。お医者さんに「だめだ」と言われたら、がっかりして、神様から宣告を受けたような気になって諦めてしまう。しかし、お医者さんは神様ではありません。
    最近、病院でも「病気と明るく闘おう」とか「病気と共に生きよう」などと書いたポスターを貼っているところがあります。それはなぜか。暗い気持ちで後ろ向きに生活するより、明るく素直な人のほうがたすかりやすいということが統計的に分かってきたからです。では、どうしたら明るく生きられるのか、どうしたら前向きに生きられるのか、その方法は病院では教えてくれません。
    私たちは、本当の人間の生き方、陽気ぐらしの生き方を知っています。そして、親神様を信じ、心を入れ替えることで、ご守護が頂けることを知っています。こんな有難いことはないのです。
    (終)
    14 min
  • 欲しい愛情のかたち
    欲しい愛情のかたち
    奈良県在住・臨床心理士  宇田まゆみ
    先日、自営でカウンセリングをしている夫が、「背中や腰が痛い」と言って、しんどそうにしていました。仕事の依頼が以前より増え、疲れがたまっていたのかも知れません。さっそく夫の背中をさすりながら、ねぎらいの言葉をかけると、「普段からもっといたわって欲しい」と言われてしまいました。私としてはいたわっているつもりだったので、少し心外に思ったのですが、夫には「妻にこのようにして欲しい」と望む形がはっきりとあったのです。
    それは「普段からマッサージをして欲しい」ということでした。振り返ってみると、私はこれまで頼まれた時にしかマッサージをしたことがなく、夫に言われるまでそのことに気が付きませんでした。私にとっては、夫の好きな食事を作ることが一番のいたわりだと思っていたのですが、それは夫が一番嬉しい形とは違っていたのです。
    カウンセリングの現場にいると、夫婦間でも、親子の間でも、このように双方の大事に思う視点がズレているという話をたくさん聴きます。
    誰しも自分の視点でしか世界を見ることはできませんが、それは決して悪いことではありません。先の私の例でも、夫の好きな食事を作っていたわってあげたいと思う気持ちや行い自体は、悪いことではないのです。大事なのは、それが相手の望んでいる形と必ずしも一致するわけではないと理解することです。
    一緒に暮らす家族同士は、時間や空間を共有しているので、知らず知らずのうちに、相手も自分と同じように感じているものだと思ってしまいます。子供のために良かれと思っている親の愛情の形が、子供の欲しい形と一致する場合はいいのですが、往々にしてズレが生じるものです。
    たとえば、子供が初めて一人で電車に乗る時、不安そうな子供を叱咤激励する親もいれば、優しく抱きしめる親もいるでしょう。あるいは何もせずに見守るか、そんなものだと気にしない親もいるかもしれません。
    そのような子供への態度は、親自身が自分の小さい頃に親から与えられた愛情の形の影響を受けていると言われます。その形をそのまま我が子に与える場合もあれば、それが嫌だったので、自分のして欲しかった形を我が子に与えようとする親もいます。
    子供は幼い頃には、親の与えてくれる愛情の形をそのまま受け入れます。たとえそれが欲しい形ではなかったとしても、時に反発しながらでも我慢して受け入れるのです。
    それが自分の親だからであり、そこに愛情があるからです。これは夫婦も同じで、そこに愛情があると分かるので、受け入れることができるのです。
    でも、家族が円満でより幸せになりたいと願うなら、相手の欲しい愛情の形があると気づくことが必要です。それは自分が思っている形とは違う場合が多いので、相手に聞いてみないと分からないものです。私自身も夫に言われて初めて気がつきました。
    ただ、その時は「分かった!毎日マッサージをしてあげよう」と思ったのですが、それまでの習慣になかったので、日々のやることに追われて忘れてしまうことが多く、夫に「マッサージして欲しいな」と言われて、あらためて気づくこともありました。
    愛情を形にするためには、ただ気づいただけでは不十分で、それまでの自分になかった視点を意識して、自分の心を向けることが必要です。そして実践してみて感じるのは、純粋に夫が何を喜ぶだろうかと意識することで、自分の心にゆとりが生まれるということでした。心理学では、人を思いやる気持ちを持つことで、むしろ自分に余裕ができると言われます。
    時間を気にしてやるべきことを忙しくこなしている自分から、ふわっと視点を広げて相手の喜ぶ形に心を向ける自分になると、相手はもちろん喜んでくれますが、同時に自分も嬉しくなるのです。
    こうして自分が喜びを与えられるようになると、相手からも喜びが返ってくるようになり、より円満で幸せな家庭が築けるのです。相手の欲しい愛情の形を知り、お互いに与え合うことのできる家族でありたい。そして、そんな家族円満の輪を周囲に広げていきたいと思います。
    ひながた
    天保九年、四十一歳にして月日のやしろとなられた教祖の最初の行動は、日々の暮らしに困っている人々への限りない施しでした。それはおよそ常識からかけ離れた、家財を傾けてしまうほどのものでした。そこに見られるのは、「貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん」と諭される、親神様の思召しを素直に実行されたお姿です。
    こうして赤貧洗うような中、社会の底辺に降り立って過ごされた歳月は十年にも及びました。「水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」とのお言葉が、新鮮な驚きをともなって心に刻み込まれます。
    この徹底した通り方をもって、教祖は私たちに様々なことを教えられています。たとえば、どんな困難な状況でも心の明るさを忘れないこと、常に相手の身になって判断し行動すること。また、物事への執着を去った末に得られる、すがすがしい喜びの境地、さらには社会的な権威や格式にこだわらない生き方こそ、陽気ぐらしへ向かうための第一歩であることを示されているようにも受け取れます。
    やがて、安産のご守護であるをびや許しが道あけとなって、不思議なたすけに浴する人が次々に現れます。その時すでに、立教から二十数年が経っていました。
    ここで、立教に際しての、「誰が来ても神は退かぬ。今は種々(いろいろ)と心配するは無理でないけれど、二十年三十年経ったなれば、皆の者成程と思う日が来る程に」との親神様のお言葉が思い起こされます。
    人間の感情から推し量れば、教祖のご生涯は苦渋多き、波乱に満ちたものとして映ります。そんな中で教祖は次々に、おつとめの完成に向けた段取りを進めておられます。そのことがまた、官憲の取締まりの標的となりました。
    しかし、お姿をおかくしになる直前の緊迫した状況の中でも、教祖が求められたのは、あくまでおつとめの実行でした。こうして明治二十年一月二十六日、一同、拘留を覚悟の上でのおつとめが勤められたのです。
    教祖は、休息所に休まれながら、この陽気なおつとめの音を聞かれ、いとも満足げに見うけられましたが、北枕で西向のまま、眠るがごとく現身をおかくしになったのです。御年、九十歳でありました。
    その日、不思議にも、取り締まりの巡査は一人も来ませんでした。それはまさに、世界一れつをたすけたいという親心から教えられたおつとめの力であり、それを実行した人々の真実に他ならないのです。
    (終)
    11 min
  • 東京スカイツリーから、こんにちは ~母と子の絆は永遠です~
    東京スカイツリーから、こんにちは   ~母と子の絆は永遠です~
    吉永 道子
    これまで、こそだて広場「かぁかのおうち」のママと子供の絆をお伝えしてきました。最後となる今日は、私自身と母との絆をお話しします。
    母は天理教の教会に嫁ぎ、私と妹が生まれました。しかし私が5才の時、父は病気で亡くなりました。妹はまだ2才でした。私は父の枕元で、「これからは、私が母を守ることになるんだ」と直感し、「絶対に泣かない!」と心に決めました。
    あの日から56年が経ち、母と妹との三人家族が、今では35人になりました。妹は5人の子供を授かり孫が5人、私も4人の子供と10人の孫がいます。当時、今日のような有難い日常がやって来るとは、想像もしていませんでした。
    母は、会長である夫を亡くし、二人の子供と実家に帰るか、それとも会長を継いで教会に残るかを考えた末、今は苦しくとも、先々の楽しみを見させてもらいたいと、教会に残る決意をしました。56年前のその母の思いから、当時を振り返っていきます。
    当時、母は、幼い妹を連れて毎月、大阪の上級教会と奈良県天理市のおぢばに足を運び、参拝をしていました。私は教会に泊まりに来てくださる信者さんや、叔父や叔母たちと留守番です。
    小学校に入ってからもその生活は変わらず、母のいない時間が当たり前になっていました。授業参観があっても、絵具や道具箱が必要になっても、母に伝えることさえできません。
    間もなく、私は母のいない寂しさからか、昼間、学校ではなく、少し離れたスーパーで過ごすことが多くなりました。家の人には分からないように、下校時間に合わせて帰っていました。
    そんな頃、私を心配した祖母が、田舎から様子を見に来てくれるようになりました。祖母の存在は、固まっていた私の心を溶かしてくれた温かい光でした。
    祖母は月のうち、一週間か、長ければ十日間ぐらい泊まりに来てくれました。私は嬉しくて嬉しくて、毎晩祖母の布団にもぐり込んでいました。祖母は、必ず私の頭をなでてくれました。たばこの香りが混じった独特の匂いが、とても好きでした。
    祖母は、「教会に生まれた時から、道子の役割は決まっているのですよ」と、私に優しく諭してくれました。私が神様の御用をやり切ることで、母や亡き父との絆が強く結ばれていくのだと。祖母のおかげで、私は母の気持ちを少しずつ理解し、必死に育ててくれている母へ感謝の気持ちを持つようになりました。
    それでも高校は、それまでの生活から逃れたい一心で、定時制の天理高校二部に進学しました。昼間は教会本部の部署に勤務し、夕方から授業を受けます。初めて厳しい寮生活を体験し、母に何度も「帰りたい」と電話をしました。
    けれど四年間、母と離れておぢばで生活したおかげで、かえって母の気持ちに近づくことができたような気がします。卒業後は素直に教会に戻り、就職し、主人と出会い結婚、現在に至ります。
    人生の折々に、5才の時に父の枕元で直感した「母を守る」という言葉が私の脳裏によみがえってきます。親の思いは、計り知れないほど広く深いものだと、今つくづく感じています。
    かぁかのおうちに「ただいま」と帰ってくるママがいます。そのママが広場を利用し始めて間もない頃、持病で緊急入院することになりました。お子さんは一才になったばかり。実家や嫁ぎ先の両親のお手伝いも期待できない様です。
    広場の利用からは時間外になりますが、ご主人が病院のママに付き添っている間、お子さんをお預かりすることにしました。それ以来、ママは「ちょっとお願いなんですが…」と言って、本当の娘のように何かと私を頼ってくれるようになりました。
    ある時、ママ自身の子供の頃の話を聞きました。両親が仕事で家に帰って来るのが遅いので、食事はいつもコンビニ弁当。家族で食卓を囲むことはほとんどなかったそうです。その話を聞いて、私は自分の小さい頃の母のいない生活が重なりました。そして、私がこのママに寄り添っていこうと心に決めました。そうすることで、ママが実のお母さんと過ごすことが出来なかった時間を少しでも取り戻せるように…。
    誰でも母親と過ごす時間は、かけがえのないもの。お腹の中にいた時と同じように温かく包まれる、幸せそのものの時間です。
    「母と子の絆は永遠です」。私はこの言葉を胸に秘めて、母との残り少ない時間を大切に過ごしています。生まれ変わっても、またお母さんの子供でありますように。
    「お母さん、ありがとう」
    だめの教え
    天理教の教えが伝え始められたのは江戸時代末期のことですが、それ以前の長い年月においても、この世界は常に元の神、実の神である親神様の大いなるご守護の中にありました。そしてその間も様々な教えが世に広まり、人々の間に浸透していたのです。
    次のようなお言葉があります。
      いまゝでもどのよなみちもあるけれど  月日をしへん事わないぞや (十 42)
      月日よりたいてへなにもだん/\と  をしゑてきたる事であれども (十 43)
      このたびハまたそのゆへのしらん事  なにもしんぢつみなゆてきかす (十 44)
    今までにも、人の道を説いたものや、教えと呼ばれるものが色々あるけれども、それらはすべて、月日親神が時に応じて教えてきたものばかりである。しかし、この度は親神が直々世の表に現れて、人間世界の真実について、未だ誰も知らないことを説いて聞かしていく。
    ここに、この教えが「だめの教え」と言われる所以が記されています。だめの教えとは、最後の教え、究極の教えという意味です。今までも十のものなら九つまで教えてきたが、この度はいよいよ残るだめの一点である親神の存在を明かし、この世を陽気ぐらし世界へと建て替えていこう。そのような力強いご宣言なのです。
    教祖・中山みき様「おやさま」をめぐって、こんな逸話が残されています。
    文久三年、桝井キクさんは、夫の喘息の平癒を願い、方々の詣り所や願い所へ足を運んだのですが、どうしても治りません。そんな時、近所の人から「あんたそんなにあっちこっちと信心が好きやったら、あの庄屋敷の神さんに一遍詣って来なさったら、どうやね」と勧められ、その足でおぢばへ駆け付けました。
    キクさんが、「今日まで、あっちこっちと、詣り信心をしておりました」と申し上げると、教祖は、「あんた、あっちこっちとえらい遠廻わりをしておいでたんやなあ。おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに」と仰せになりました。(教祖伝逸話篇10「えらい遠廻わりをして」)
    親神様がこの世界のすべての元であり、人類の親である証拠を、実に優しいお言葉で教えてくださったのです。
    (終)
    12 min
  • お空でかくれんぼ
    お空でかくれんぼ
     奈良県在住  坂口 優子
    昨年の夏、ある五歳の可愛い女の子に出会いました。彼女はとっても元気で人懐っこくて、出会ったばかりの私に上手におしゃべりをしてくれます。幼稚園に通っていることや、ピアノを習っていて発表会に向けて一生懸命練習していること、お母さんがお習字の先生をしていることなど、次から次に色んなことを話してくれました。
    「私はね、実は英語の先生なの」と言うと、「わあ!そうなの?」と手を叩いて喜んで、突然、テレビ番組で覚えたという英語で堂々と自己紹介を始めました。
    そんな可愛い彼女のことをもっと知りたくなって、私も色々と質問をしました。ところが「きょうだいはいるの?」と尋ねた瞬間、彼女は少し困った顔になりました。そして「お母さんのおなかにね、妹がいたんだけど、いまはお空で遊んでるよ」と、小さな声で呟きました。
    私には四人の子供がいますが、その子たちとは別に、お空にも二人、子供がいます。一度目の流産は16年前、三人を授かった後の四度目の妊娠。そして二度目は五年前、四人目を授かった後の六度目の妊娠でした。
    最初の流産の後、主人が「これから毎月家族全員でおぢばへ参拝して、いつかまたこの子に会えるように神様にお願いさせてもらおう」と言ってくれて、それからはその子の魂に会いにいく気持ちを込めて、家族揃って毎月欠かさず参拝に行きました。そして八年後、四人目の次女が生まれた時には、小さな妹の身体をみんなで代わりばんこに抱きながら、喜び合いました。
    その次女が三歳になる頃、私のお腹にまた小さな命が宿りました。天理で寮生活をしていた長男と次男に知らせると、弟が欲しい二人は「次は男の子やな。間違いない!」と言って喜んでくれました。
    ところが、直後の妊婦健診で突然、「赤ちゃんの心音が確認できません」と告げられました。二度目の流産です。頭の中が真っ白になり、診察室を出ると涙が止めどなくこぼれ落ちました。
    このまま教会へ帰っても普段通りに振る舞う自信がなく、私の足は自然とおぢばへ向かっていました。神殿に上がりおつとめをつとめましたが、その時何を思い、何を祈ったのか、記憶がまったくありません。それほど、心の中は悲しみでいっぱいだったのだと思います。
    回廊を歩きながらも涙が止まらず、2、3歩進んでは窓から見える景色に足を止め、考え込んだり、また歩いたりの繰り返し。帰りの遅い私を心配して母が電話をくれた時、はじめて三時間もそこにいたことに気づきました。
    「帰らなきゃ…」電話を切り、足取り重く歩き始めると、静かな回廊に外からの賑やかな声が響きました。「なんだろう…」初めて気が紛れた瞬間でした。その時、戸のわずかな隙間から、天理で寮生活をしている長男の姿が目に飛び込んできました。
    「みーくーん!!」大声で名前を呼ぶ私に気づいた長男が、「おかあさーん!!」と嬉しそうに近寄って来てくれました。
    「もう四時やで。何してるん?」私の心を見透かしたような言葉に、「うん…ちょっとお参拝」と答えると、「ならいいけど。おばあちゃん心配するから早う帰りや!」と、まるで親子が逆になったような言い方で私を諭すのです。
    「そうだ、おぢばで勇んで頑張っている長男への報告は今日じゃなくていい」。ニコニコ笑ってお友達の元へ走っていく長男の背中を見送りながら、そう思いました。そして、悲しみで立ち止まりそうな私を励ましてくださる神様の親心を感じ、胸が熱くなったのでした。
    あれから五年の歳月が経ちましたが、子供を失った悲しみはまだ癒えていません。テレビで赤ちゃんの映像を見る度にあの時を思い出し、生きていたら今頃はこのぐらい大きくなっているのだなあと、同年代の子に我が子の姿を重ねてしまいます。
    天理教では、どんな辛い出来事も、心の持ち方一つで喜びに変えられると聞かせて頂くのに、私は流産という経験に対して、その術を見つけられずにいたのです。
    「お母さんのおなかにね、妹がいたんだけど、いまはお空で遊んでるよ」。
    この子がどれだけ妹の誕生を楽しみに待ち、それが叶わずにどれだけ悲しい想いをしたか。小さな彼女の背負っているものを思うと、抱きしめてしまいたくなりました。
    どんな言葉をかければ彼女の心を救えるのか分からないまま、「私の赤ちゃんもね、お空にいるんだよ」。静かにそう声をかけました。すると、「え?そうなの?」と、困っていた顔が一気に明るくなりました。
    「今頃一緒に遊んでるかもしれないね」と言うと、彼女は目を輝かせて、「かくれんぼしてるかな?鬼ごっこもしてるかな?」と、ぴょんぴょん跳ねて喜びました。
    彼女に出会えて、誰にも話せなかった悲しみから解放され、心の痛みがスーッと軽くなるのを感じました。一緒にお空で遊ぶ姿を二人で想像しながら、心の中で何度も彼女に「ありがとう」と言いました。
    天理教では「人をたすけてわが身たすかる」と教えて頂きます。自分の辛い体験が、同じ辛さを持つ誰かの心のたすかりとなった時、自分の心もこうしてたすけて頂けるのだと、五歳の彼女が教えてくれたのです。
    今日もお空のどこかで、お友達と楽しくかくれんぼしているのかなあ…。その姿を想像するだけで、お母さんは安心して今日も一日がんばれます。いつかまた、あなたに出会えるその日まで…。
    幸福との出会い
    私たちの幸せな生活は、社会的にも心理的にも、実に色々な要素によって成り立っています。たとえ今現在は調子よく進んでいて、将来的に何の不安もないように思われても、それを支えている一つ一つの要素を顧みる時、自分一人の力ではどうしようもない不確かな面がたくさんあることに気づきます。
    悩みや苦しみ、不安というものは、生きていく限り、いつまでもつきまとうものでしょうか。そう考えると、人生はとても寂しい、悲しいものに思えてきます。
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、
      このよふを初た神の事ならば  せかい一れつみなわがこなり (四 62)
    とあります。
    この世界と人間を創られた親神様こそ、私たちが生かされて生きている、その元であり、真実の親なのです。
    さらに教祖は、
      せかいぢう神のたあにハみなわがこ  一れつハみなをやとをもゑよ  (四 79)
      せかいぢういちれつわみなきよたいや  たにんとゆうわさらにないぞや (十三 43)
    と仰せられます。
    この世界に生み出されてきた私たちは、みな親神様の子供であり、全人類はきょうだいということになるわけです。こうして、全人類が親である親神様を中心とした一つの家族であると悟ることができれば、不安と孤独から解放され、豊かな幸せを味わえるようになるのです。これほど素晴らしいことはありません。
    親神様の親心というのはあたかも空気のようなもので、その大いなる恵みに囲まれて暮らしているにもかかわらず、それは目に見えないが故に、なかなか気づくことができません。
    人間には誰しも病気や不時災難、人間関係のもつれなど、日常生活の上に様々な難儀不自由な事柄が現れてきます。そうした時に、それを克服したい一心で必死に祈ることがあります。これこそ、私たちが親神様と出会うきっかけなのです。
    そうして真実を込めて願ううちに、それまで感じることのなかった親神様の大いなるご守護に気づき、感謝せずにはいられなくなるのです。
    (終)
    13 min
  • 後々は結構なことやで
    慶応四年、大雨で川が氾濫し、山中忠七さんの持ち山や田畑が被害を受けた。すると、かねて忠七さんの信心をあざ笑って…
    6 min
  • 人生最大のラッキー
    人生最大のラッキー
    助産師  目黒 和加子
    今から56年前、私が4歳の時、父が経営していた会社が倒産しました。父は倒産の後始末や債権者への対応などを全て母に丸投げし、浮気相手のキャバレーのホステスと蒸発、行方知れずとなったのです。母は気が狂いそうになり、私と弟を道ずれに死のうとしたこともありました。
    親戚宅を転々とし、どん底から這い上がり親子三人で暮らし始めた頃、父の居場所が分かりました。私が小学五年生の時です。失踪から7年が経っていました。
    母は家庭裁判所に離婚調停を申し立てました。調停が終わり帰宅した母からは、ただならぬ気配がしました。吊り上がった目は真っ赤に充血し、真一文字に結ばれた口からは、ギリギリと歯ぎしりする音が聞こえてきそうです。
    「お母さん、どうしたん?」と尋ねると、母は堰を切ったように、「家庭裁判所の廊下の椅子に座ってたら、洗面所のドアが開いて、出てきたのがお父さんやってん。お母さんに向かって『いやあ、久しぶり。元気だった?』ってニコニコしながら言うてん。すみませんも、申し訳ありませんも、なんもないねん。あなたが投げ出した借金を返しながら、私と子供たちがどんな中を生きてきたのか分からないんですかって言うたら、肩をすくめただけでなんも言わんと、廊下の端の椅子に座って、ウトウト居眠りし始めたんよ!」
    母の目は一層吊り上がり、下唇を噛み、怒りで身体が震えています。
    「調停では、倒産の後始末を投げ出してホステスと逃げたことは認めたけど、現金書留でうちにお金を送っていたと嘘を言い出して…。私たちは親戚宅を転々としてたんやから、住所もわからへんのに送りようがないでしょう。そんなこと一度もありませんでしたって言うたら、『証拠ならここにあります。ほら、こんなに何度もお金を送っていました。借金を返済するのに十分な額で、生活の支えにもなりますよね』って、現金書留の控えを束にして見せたんよ!」
    50年以上前、現金書留を郵便局に持っていくとメモのような控えが交付されていたらしく、父は輪ゴムでくくった控えの束を二つ、証拠として提出しました。その控えには送金先も差出人も書く欄がなく、現金の額だけが記されていました。どこかにお金を送っていたようですが、うちに送られてきたことはありません。
    父は法科の名門として知られる大学法学部の出身で、法律に詳しく、自分が有利になる方法を熟知しています。田舎の看護学校を卒業し、結核病院で働いていた母が勝てる相手ではありません。父の主張は認められ、母は泣き寝入りをする結果になりました。
    「お母さんはお金が返ってこないことに怒ってるんと違う。調停員を騙して、私が嘘を言っていると主張するのは大目に見ても、我が子にまで嘘をついているのが許せないんや! こんな人でなしを父親として生まれてきたお前たちが、可愛そうでならない。あんな人をお前たちの父親にしてしまって申し訳ない」と、泣き崩れてしまいました。
    それまで母は、父のことを悪く言ったことがありませんでした。しかし、この時ばかりは我慢ならなかったのでしょう。小学五年生の私に、嗚咽しながら心の底を話しました。
    それを聞いた私は、「まさか…お父さんがそんなことを言うやろか。お母さんの言うてることは嘘や」と思いました。私には父に可愛がってもらった記憶があるからです。それからずっと「嘘や」と思い続けてきたのです。父と再会するまでは…。
    平成23年、ひょんなことから父の居場所が分かりました。なんと、私の所属する教会と同じ西宮市内に住んでいたのです。メモの住所を頼りに一人で訪ねました。44年ぶりの再会でしたが、名乗るまで私が娘の和加子だと気づきませんでした。
    「どうぞお上がりください」と促され、教祖に付き添いをお願いして中に入ると、一緒に逃げた元ホステスのおばあさんがいました。気まずい雰囲気の中、お茶が一杯出されました。
    「お顔を見に来ただけです。突然お伺いして申し訳ございません。これにて失礼致します」と椅子から立ち上がろうとすると、そのおばあさんが「和加子さん、うちの娘の由紀ちゃんに似てるわ。やっぱり血のつながりかしらね」と言い出し、アルバムを出してきたのです。
    すると父も一緒になって、「これは家族旅行で北海道に行った時です。これはピアノの発表会で…」とニコニコしながら説明を始めました。ありえないと思いました。
    浮気相手との間にできた子供をどんなに可愛がって育てたか。捨てた娘に対して、それを平気で話せる父を客観的に観察しました。「恩や人情をわきまえず、恥を知らない。人としてまともな心を持っていない」と結論を出しました。
     父の親バカ話を聞きながら、「五年生の時に母が言ったことはホンマやったんや。ほんまもんの人でなしや。私の父親に間違いないけど、この人に育てられてたら、自己中心的で人の痛みの分からない、とんでもない人間になってたわ。危ないところやった。これまではこの人に捨てられたことが、人生最大の不幸やと思って生きてきた。そうじゃない、そうじゃないんや。この人に捨てられて、この人に育てられんかったことは、人生最大のラッキーやったんや!」そう気づいたのです。
    リスナーの皆さん、誤解しないでくださいね。決して父への嫌味、皮肉や当てつけで言っているのではありません。捨てられたことは神様のご守護であったと確信したのです。
    この確信によって、心の奥底に40年以上根を張っていた父への恨みが消え去りました。そして、良いこともそうでないこともひっくるめて、この人生で良かったんだと受け入れることができたのです。
    先日、父から葉書が届きました。老健施設に入所したようで、弱々しい字で「会いに来て欲しい」とだけ書いてありました。近々、新幹線に乗って主人と一緒に訪ねてみようと思っています。
    だけど有難い  『喜びましょう』
    「喜びましょう」と言うと、「元気なときならともかく、病気で苦しいときに喜びましょうもないだろう」と思う人もいるでしょう。しかし、元気で忙しいときは気づかないけれど、病気で寝ているから分かることもあるものです。必ずしも元気だから喜べるとは限りません。病気でつらいときだからこそ、じっくり考えてみることができるのではないかと思うのです。また一つには、病気で苦しい最中でさえ喜ぶ努力をしている―その心を、親神様はお受け取りくださいます。だから、「喜びましょう」と言いたいのです。
    娘が小学一年生のとき、右目の上に大けがをしたことがありました。担任の先生が病院から連絡を下さったのですが、私はけがのことを聞くなり、「有難い」と思いました。
    なぜなら、河原町大教会の初代会長を務めた深谷源次郎は、右目が潰れるところをたすけていただいて、本気で信仰を始めました。
    私も赤ん坊のころ、右目の上に大けがをしました。父からよく「おまえは初代と同じように右目が潰れるところをたすけていただいた。あのとき、けがの場所がもう少しずれていたら失明していたかもしれない。たすけていただいて良かったな。目が見えるということは有難いな」と、聞かせてもらったものです。そして、今度は娘まで、たすけていただいた。だから私は、最初に聞いたときからうれしかったのです。
    娘が病院から帰宅後、おさづけを取り次がせていただきました。取り次いでいる最中に、ぐっすり眠ってしまい、そのまま朝まで寝てくれました。
    翌朝、娘に初代と私のたすけていただいた話をしました。
    「今度は、おまえもたすけていただいた。いまは痛いかもしれない。でも、目を開けたら物が見える。有難いなあ。一緒にお礼をさせてもらおう」
    そう言いますと、娘はニコニコして、それから神殿で一緒にお礼のおつとめをさせていただいたのです。治ったから、お礼をしているのではありません。けがをしたのに、お礼をしている。なぜなら、たすけていただいたことが分かるからです。親々のおかげではありますが、このように思案をすれば、けがも喜ぶことができるのです。
    初代会長は「けっこう源さん」「ありがた屋の源さん」と言われるくらい、喜び上手でした。額を打っても「痛い痛い、有難い。痛いと感じさせてもらえることが有難い」と言ったそうです。痛くても「有難い」と、喜ぶ努力をしました。
    ここにヒントがあるのです。それは何か。たとえば、冬の朝起きたときに、たまらず「寒い!」と口に出してしまっても、その後に「有難い!」と言ったらいいのです。何を喜ぶのか、何が有難いのか考えるのは、それからでいい。人間は「しんどい」と言っていたら、本当にしんどくなります。「有難い」と言って通らせていただくなかに、本当に有難い姿が見えてくるのです。
      「あちらでも喜ぶ、こちらでも喜ぶ。喜ぶ理は天の理に適う。」(M33・7・14)
      「日々嬉しい/\通れば、理が回りて来る。」(M34・7・15)
    親神様は、このようにおっしゃっています。
    「喜ぶ」ことは陽気ぐらしの原点です。病気で「痛い」「苦しい」思いをしている方も、ぜひ喜ぶ努力をしていただきたい。親神様は、子供可愛い親心いっぱいに、たすけるためにふしを見せてくださっているのです。
    (終)
    15 min
  • 年末に続いた子供の風邪
    年末に続いた子供の風邪
    和歌山県在住  岡 定紀
    我が家では昨年末、子供が次々にインフルエンザや風邪にかかりました。12月に入ってからまず次男が、「体調が悪い」と横になり、熱が上がってきたので病院に連れて行ったところ、インフルエンザの陽性反応が出ました。
    薬をもらって五日間、部屋を隔離して休養することになりました。高熱が出た時には本当にしんどそうで、代われるものなら代わりたいと思うほどでしたが、おかげさまで無事に回復し、学校に行けるようになりました。
    すると今度は長男が、体調が悪いと言い出し、熱も上がってきたので病院に連れていくと、案の定インフルエンザでした。次男の回復から十日経っていたので、次男からうつったものではなく、学校で感染したのだと思いますが、同じく五日間、隔離して休養し、十分回復してから学校に行きました。
    その数日後、今度は四男が発熱しました。これはインフルエンザだろうと思い、病院に連れて行ったのですが陰性とのこと。まだ陽性反応が出ない初期段階だったのかもしれないと、時間を置いて再び病院に行ったのですが、やはり陰性で風邪だということでした。
    まもなく二学期の終業式になり、冬休みに突入すると、今度は三男に熱が出てきました。ちょうど、こども食堂でクリスマス会を予定していた前夜のことで、インフルエンザであれば親も濃厚接触者になるわけですから、他の子供にうつす可能性もあるので、中止せざるを得ませんでした。
    結果的に陽性ではなかったのですが、12月は師走という通り、ただでさえあちこち回ったり、大掃除をしたり、餅つきをしたりと行事が続きます。こんな多忙な一カ月の間に、子供が順に熱を出していったことに、どのような神様の思いがあるのかと思案せずにはいられませんでした。
    ところで、私どもの上級教会である大教会は神殿が広く、大掃除の時には工事現場で見かけるような足場を四段組み、長いはたきで天井のすす払いをしたりと、大掛かりな作業になります。
    天井にすすなんか付いているのか、やるだけ無駄ではないかと思われるかもしれませんが、終わった後で大教会長さんが、「神殿の大掃除をして、心も掃除してもらえた気がします」と言われたのを聞いて、ハッとしました。
    天理教では、心の掃除をすることの大切さを教えられています。自分では気づきにくい我が身勝手な心づかい、これを「ほこり」と呼んでいますが、天井のすす払いのように、目に見えにくい心の「ほこり」を、神様の教えを箒として払うことが肝心なのです。
    まずは私自身、風邪などひかずに大掃除をさせてもらえたことに感謝をしないといけない、と同時に、心の掃除に努めなければいけない。このことに改めて思いを強くしました。
    ところで、日本の習慣である年末の大掃除も、元は正月に家庭に幸せをもたらす年神様を迎えるために、家の中を綺麗にしておくというのが由来です。そして門松は、その年神様が迷わないように、目印として家の玄関に置くことに由来します。
    また餅つきも、正月に鏡餅を供えることで神様の魂が入り込み、それを頂いて新しい命を授かるという意味があります。これら一連の行事の根底には、健康に置いて頂くのも神様のお蔭である、という思いがあるわけです。幸い、体調を崩していた子供たちも、12月30日には皆揃って元気になり、一緒に鏡餅を作り、玄関に門松の飾りつけをすることができました。
    思い返せば、おととしの年末はまだコロナ禍の最中で、長男が感染してしまい、家族揃って大掃除や餅つき、門松作りといった恒例行事ができませんでした。それを思えば今回は有難かったと思います。
    年末年始は冷え込みが厳しく、体調を崩しやすい時期です。だからこそ、日々元気に置いて頂いていることの有難さを、家族共々噛みしめるいい時期ではないでしょうか。
    医者の手余り
    天理教教典には、教祖・中山みき様「おやさま」の行われた人だすけについて、次のように記されています。
    「やがて、をびや許しによって示された珍しいたすけが、道あけとなり、教祖を生神様として慕い寄る者が、近郷一帯にあらわれた。教祖は、これらの人々に、病の元は心からと教え、不思議なたすけを示されたことは数知れぬほどで、不治といわれた難病も、教祖の前には決して不治ではなかった。」
    まだ医療体制の整っていない江戸末期、教祖の不思議なたすけによって教えは徐々に広まっていきましたが、「医療」と「おたすけ」に関する次のようなお言葉があります。
    「医者の手余りを救けるが台と言う。(中略)医者の手余りと言えば、捨てもの同様である。それを救けるが教の台と言う」(M26・10・17)
    ここで諭されているのは、天理教における「おたすけ」は、決して医療と対立するものではなく、医療を持ってしてもたすけることのできない人々に手を差し伸べるのが、この教えを信じる者の役目であり、この道の信仰の土台である、ということです。
    親神様は、この世界と人間をお造りくだされてこの方、心を入れ替えるための真実の道を教えるべく、私たち人間に知恵を仕込み、学問を与え、また病気を治すための医療の道をもお与えになったのです。
      にんけんにやまいとゆうてないけれど  このよはじまりしりたものなし   (九 10)
      この事をしらしたいからたん/\と  しゆりやこゑにいしやくすりを   (九 11)
    この世界の元初まりの真実を知ったなら、病気と言われるものが、必ずしも病気ではなく、神の切なる親心だということが分かってくる。それを知らしたいがゆえに、色々と段階を踏んで、身体の修理や肥の役割として、医者や薬というものを与えてきた。このように仰せられています。
    医療を受けることで、私たちは体内における親神様のご守護をより実感させて頂くことができます。その一方、医療はあくまで病気を治すことが目的であり、いかに生きるべきかを示すものではありません。
    この信仰においては、病気の回復はあくまで一つの結果であり、その病気を通して親神様の深い思わくを悟り、心の向きを変えることに主眼が置かれています。「病の元は心から」とのお言葉通り、最終的な目標は、陽気ぐらしに近づくこと。心を立て直し、生き方そのものを変えていくことなのです。
    (終)
    11 min
  • 夢見るダイエット
    夢見るダイエット
     埼玉県在住  関根 健一
    私は若い頃から食べることが大好きで、不摂生を繰り返し、最大で体重が120キロを超えていました。結婚したての頃は食生活について意見してくれていた妻も、言われると不機嫌な態度を取る私にあきれて、次第に何も言わなくなっていきました。
    そんな私でしたが、ある日のこと。友人とお酒を飲んだ帰り道、さらに一人で知り合いの焼き肉屋さんに行きました。そのお店に入った所までは覚えているのですが、それからは一切記憶がなく、いつの間にか帰宅していて、翌朝、財布の中のレシートを見ると、一人で大酒を飲み、お肉やご飯をたらふく食べていることが分かりました。
    それを見て、「こんなことを繰り返していては死んでしまう」と思い、一念発起でダイエットを始めました。まず初めは集中的に行って半年ほどで15キロ減量し、その後も緩やかに無理のない範囲で続け、40キロ以上減量することができました。それでも、平均体重よりは重いのですが…。
    とは言え、40キロと言えば細身の成人女性一人分の体重に匹敵します。昔の私を知る人と久しぶりに会うと、たいへん驚かれます。中には私だと気づかない人もいるぐらいです。
    それだけ痩せると、ほとんどの人から「どうやって痩せたの?」と聞かれます。そこでの私の答えは、「食べる量を減らすこと」「お酒の量を減らすこと」「運動すること」。するとそれを聞いた人は皆、ちょっとがっかりしたような表情になります。
    私も経験があるので何となく分かるのですが、「どうやって痩せたの?」とたずねる時には、楽に痩せられる秘訣を知りたいと期待しているものです。ところが、私から出てきた答えは至極真っ当なもので、皆「そんな当たり前のことをできるなら苦労しない」と言わんばかりの顔になります。
    そこで私は、すかさず「楽なダイエット方法は教えられないけど、モチベーションを保つ秘訣なら教えられるよ」と言って、以下のような話をします。
    ダイエットを決意した時、娘たちは小学校低学年でした。まず、娘を持つ父親なら誰もが一度は思い描く「思春期の娘と仲良しの父親」という姿を想像しました。想像の中で娘は大学生になっていて、私と朝の食卓を囲んでいます。
    「お父さん、今日はお昼どこで食べる? 授業、午前中で終わるんだ」
    「今日は午前中は仕事の打ち合わせがあるんだけど、終わったら学校の近くに行けるかな」
    「じゃあ、待ち合わせて一緒にお昼ご飯食べよう!」
    「OK。じゃあ12時に駅の改札前で待ち合わせようか」
    こんな感じです。さらに想像は先へ進みます。駅の改札前で本を読みながら待つ父親。そこに友達と会話をしながら娘がやって来る。「お父さん、お待たせ!」と父親に声をかけ、「またね!」と友達に手を振る娘。「じゃあ、行こうか」と父親は読んでいた本をしまい、二人は仲良く歩き出す。
    こんな場面を、実際にある駅や街の風景を思い浮かべながら想像するのです。父親としては、かなり理想的な像を描きました。そして、その理想に近づくためには、今のような体型でいいのか?もっと言えば、今のような生活を続けて、その頃まで健康を維持できているのか?と自問自答し、行動を変えていきました。
    お酒を飲んでいて、「もうちょっと飲みたいな」と思った時。深夜にお腹が空いている時に、お菓子を見つけてしまった時。駅のホームに上がろうとして、エスカレーターの前に立った時。ちょっと甘えてしまいそうな時や、くじけそうになった時に、将来の娘との楽しい時間を想像して、モチベーションを維持することができました。
    要するに、ダイエットは「健康のために我慢をして行う辛いもの」と考えるのではなく、「楽しいことを実現するための手段」と前向きに捉えることで成功したのです。
    世の中には「引き寄せの法則」というものがあります。「宇宙の法則」「恩恵の法則」など色々な表現がありますが、人は心で思っていることが引き寄せられるという、100年以上前から本に書かれ、広く知られている考え方です。
    その法則に従えば、私の場合も「思春期の娘と仲良しでいられるカッコいい父親」を想像したことで、ダイエットの成功が引き寄せられたということになりますが、実際には、想像した姿に近づくために努力を重ねて、望んだ成果を得られたわけです。
    こんな話を聞いたことがあります。ミッキーマウスの生みの親として、世界中で知られるウォルト・ディズニー。彼が人生の最後に計画したのが、フロリダのディズニーワールドでしたが、彼自身は建設が始まる前に亡くなってしまい、開園を見ることはできませんでした。
    そのディズニーワールドが開園した時、スタッフの一人がウォルト・ディズニーの妻に、「この姿をウォルトさんにも見てもらいたかったですね」と言うと、妻は「いいえ。いちばん最初にウォルトがこの姿を見たからこそ、ディズニーワールドができたんです」と答えたのです。
    ウォルト・ディズニーが、心の中に描かなければ完成しなかったディズニーワールド。そこからさらにディズニーの人気が世界に広まっていったのは、多くの人の知るところです。ディズニーの作品には、ところどころに引き寄せの法則を思わせるセリフがある、との分析もされています。
    引き寄せの法則については賛否を含めて色々な見方がありますが、私としては、夢を叶えるための前向きな考え方だと捉え、本などを読み、折々に参考にしてきました。
    ある時ふと、「引き寄せの法則は、天理教の心定めに似ている」と感じました。心定めとは、人間をたすけたいという親神様の思いに応えて行う信仰的誓いや決意を指します。
    厳密な教義とはズレた解釈になるかもしれませんが、天理教の心定めには「夢を叶える力」があるのだと思います。心定めをする時に、たすかりを願う人の幸せな姿を思い浮かべ、その姿を叶えるために自分にできることを積み重ねていく。そんな姿勢の先に、親神様が夢を叶えてくださるのかもしれません。
    たとえ辛い病気や事情などに見舞われても、そこを通り抜けた先にある幸せな姿を夢見ながら、精一杯つとめたいと思います。
    てんりわうのみこと
    朝日が窓辺を明るく照らす頃、さわやかに目が覚める。思い切り腕を伸ばし、新鮮な空気を目いっぱい吸い込んで、今日という一日が始まる。実に平凡な日常生活の一コマです。しかし、これらの動きの中で、私たちが意識して行っていることはどれほどあるでしょう。私たちが意識せずとも、自然に時は刻まれ、世界は動き、身は健やかに新陳代謝を遂げているのです。
    お言葉に、
      たん/\となに事にてもこのよふわ  神のからだやしやんしてみよ (『おふでさき』三 40・135)
    とあります。
    この世界は親神様の身体であって、世界はその隅々まで親神様の恵みに満ちています。私たち人間は、親神様のご守護によってすべてを与えられ、生かされて生きている。いわば、親神様の懐住まいをしているのです。
      月日にハせかいぢううハみなわが子  かハいいゝばいこれが一ちよ   (十七 16)
    月日親神様と私たち人間、それは親と子の間柄です。親神様は溢れんばかりの親心で私たちの行く末を見守ってくださる、実の親です。感謝を込めて呼べば答えて下さり、祈れば聞き入れてくださる親なる神様です。
    この親なる神様に向けて、私たちは、朝夕のおつとめで、
      あしきをはらうてたすけたまへ  てんりわうのみこと
    と一心に唱え、お祈り申し上げます。
    天理王命とは、親神様の神名、お名前です。お名前を申し上げることは、素朴な祈りの基本とも言えます。ちょうど子供が、なにか事ある度に「お父さん、お母さん」と呼び、親にもたれる姿と同じですね。
      どのよふな事をするにも月日にて  もたれていればあふなけハない (十一 38)
    この安心感こそ、親神様の私たちに対する親心の現れに他ならないのです。
    (終)
    12 min
  • 言えないSOS
    言えないSOS
     岡山県在住  山﨑 石根
    小学五年生になる三男は、どちらかと言えば不器用で、いわゆる天然キャラです。言い間違いや聞き間違いが多いので、しばしば私たち家族に笑いを届けてくれたり、反対に怒られてしまうこともよくあります。でも思いやりの強さは人一倍で、学校の先生から「友達にとても優しいんです」と褒めて頂くことが、本当によくあるんです。
    昨年12月のある日のことでした。その日は小学校の社会科見学の日で、三男も朝から妻の手作り弁当を持参して登校しました。ところが、夕方下校してきた彼はどこか元気がなく、なかなか宿題をしようとしません。私が声をかけても無反応で、おもむろに立ち上がると妻のいる台所に向かいました。
    その様子にどこか腑に落ちないでいると、ほどなくして妻が「やらかしてしまったわぁ」と言いながらやって来ました。聞くと、三男が持って行ったお弁当箱の中に、お箸が入っていなかったと言うのです。
    台所にいる妻の所に一目散にやってきた彼は、何も言わずに妻に抱きつき、「お母ちゃん、箸がなかった…」と呟いた後、静かに涙を流しました。
    「え~っ、ごめん!」と、驚いた妻がすぐに謝ると、彼は「でも、お腹が空いてなかったから、友達に食べてもらった」と。切なくて、何だか泣けてきた妻は、何度も彼に謝ったのですが、「だって、お腹が空いてなかったんじゃもん」と繰り返し答えたといいます。
    さて、おばあちゃんが作ってくれたその日の夕食は、偶然にも三男の大好物のオムレツでした。昼食を食べていないので、相当お腹が空いているだろうと心配した妻は、「ごめんね」の気持ちも込めて、自分のオムレツを半分、他の兄弟に分からないように分けてあげていました。すると彼は、ご飯をなんと3杯もおかわりしました。
    夜になって、たまたま私たち夫婦と三男だけになるタイミングがあったので、私はここぞとばかりに今日あった出来事を尋ねました。
    「お母ちゃんから聞いたで。何でととに言うてくれへんかったんよ~?」
    すると妻が横から、「お母ちゃんを悪者にしたくなかったんやなあ。だって、台所に言いに来た時も、料理しているおばあちゃんにバレないように、こっそり泣いてたんやもん」と、彼がかばってくれた様子を私に説明してくれました。
    この辺りは、ある意味三男の男気を感じます。私はさらに、「でも、ずっとお腹空いてたやろう?」と尋ねたのですが、「だから、お腹空いてなかったんだってば!」とやっぱり答えるので、「嘘つけ、晩ご飯3杯もおかわりしとったやないか」と、笑いながら夫婦でツッコみました。
    「で、お箸がないのに気づいた時、どんな気持ちやったん?」と、今度は彼の心持ちについて尋ねてみました。
    「ふたを開けて、わぁ、おいしそうなお弁当!って思ったけど箸がなくて、どこかに落としたんかなぁ、と思って色々探したけどなかったから、これはお母ちゃんが忘れたんじゃと思った。だから、お母ちゃんを怒ってやろうと思ったけど、怒れんかった…」
    そう照れながら話す彼の様子に、私たち夫婦は益々切なくなりました。
    「そういう時は、友達や先生に『お箸がない』って言ったらいいやんか」と私が諭すように伝えると、「そんなんしたら、みんなに気ぃ使われるがぁ。恥ずかしいもん」と思いがけない返答です。
    あぁ、これがこの子の持っている優しさであり、長所なんだろうなぁ、と感じたのですが、その反面、私には思うところがありました。
    私は日頃、頂いている立場から依存症や不登校について相談を受けることがあります。殊に依存症の支援に関する講演でお話をする時に、大切なポイントとして伝えているのが、「『たすけて』と言える人になりましょう」という点です。
    人間が自立をするということは、何もかも一人で出来るようになることではなく、適切に人を頼ったり、困った時に人にたすけを求められるようになること。これが実はとても大切なポイントなのです。
    私が出会う依存症の問題で困っている人たちは、当事者はもちろん、その家族も周囲にSOSを出すのが不得手な人が多く、そのために事態が悪化しているケースが多いのです。昔から「人様に迷惑をかけないように」という言葉が、子育てにおいて常套句のように使われますが、実際には人のお世話にならずに生きていくなんて、非現実的な話です。
    そこで私は、三男に次のような話をしました。
    「天理教の親神様の教えは、『互い立て合いたすけ合い』なんやで。だから、誰かが困っている時にたすけることはもちろん大切だけど、自分が困った時には、誰かにたすけてもらうことも悪いことではないんやで。『たすけ、たすけられ』という関係を親神様はいちばんお喜びになる。そうしてたすけ合って、人間は陽気ぐらしを目指す。そういう教えなんやで」
    その上であらためて、「じゃあ、次からどうしたらいいかな?」と尋ねると、「次からは困らんように、リュックサックに割りばし入れとく」と答えた彼に、思わずズッコケながら大爆笑してしまいました。
    「なるほど、それもいいアイデアやけど、でもな、『たすけて』ってホントに言っていいんやで」と、大事なことだと思ったので、私は少ししつこく伝えたのでした。
    時に、家族にさえSOSを出せない人にも出会います。でも、神様は「一れつきょうだい」だと教えてくださるので、誰かに「たすけて」と言うだけで、何かが動き出すような気がするのです。
    「あなたは決して一人ではない!」私が大切にしているテーマです。
    おいしいと言うて
    天理教教祖・中山みき様。私たちは「おやさま」とお慕いしているのですが、教祖の住まわれるお屋敷は、奈良盆地の東の山すそにありました。お屋敷の周りには、布留川という、かつては万葉集にも詠まれた川が、幾筋にも分かれ流れていました。
    川は生活の源、豊富な食料を供給してくれます。明治の初め頃は、夏になると雑魚取りをしに、子どもどころか大人までもがザブザブと川に入るのが日常だったようで、そんな光景が教祖をめぐる逸話として残されています。
    川にはドジョウ、モロコや小ブナなどの小魚、川エビもいました。当時の貴重なたんぱく源です。お屋敷でつとめている者たちが、それらをすくい上げ、こってり煮込んでうま煮にして、教祖のお目にかけます。
    すると教祖は、その出来上がったものを取り出され、子どもに言って聞かせるように、
    「皆んなに、おいしいと言うて食べてもろうて、今度は出世しておいでや」
    と仰せられ、また側にいる者たちには、
    「皆んなも、食べる時には、おいしい、おいしいと言うてやっておくれ」
    とお話しになりました。(教祖伝逸話篇132「おいしいというて」)
    教祖のお言葉には、命あるものへの慈しみがこもっています。生き物の命を頂くことへの感謝の気持ちを忘れないように。そう私たちにお諭しくだされています。そして、その感謝は生き物に対するだけにとどまらず、それらの命を育む火・水・風をはじめとする天の恵みにも及びます。
    また、生き物に対する「今度は出世しておいでや」とのお言葉には、すべての生きとし生けるものは親神様によって生み出されたのであり、人間も含めたそれらは皆、命の源を共にするきょうだいである。そのような意味が含まれているのではないでしょうか。
    「この世は神の身体である」と教えられるように、人間を含むすべての生き物は、親神様の身体の一部であり、お互いはつながり合って生きています。親神様のお働きによって育てて頂いた食材を粗末にせず、好き嫌いなく、慎んで頂くことが大切でしょう。そして、「おいしい、おいしい」と笑顔で食べられる喜びを、周囲の人と共に分かち合いたいものです。
    (終)
    12 min

About 天理教の時間「家族円満」

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