天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」 episodes

  • ふしから芽が出る
    ふしから芽が出る
    静岡県在住  末吉 喜恵
    今から25年ほど前の話です。私は結婚を機に奈良から静岡に来ました。大恋愛の末、三年間の遠距離恋愛を経ての結婚です。
    大好きな人と結婚できて、見るもの全てキラキラと輝いて見えました。市街地から見える雄大な富士山に、車の運転中でも散歩中でも、少しでも見えたら「富士山だ~!」「きれいだなあ、おっきいなあ」と大感激していました。また、海なし県で育ったので、青く澄み渡る穏やかな海を見ては、心がウキウキしたものでした。
    妊娠が分かったのは、結婚して三ヶ月経った頃でした。うれしくてワクワクしながら病院に行ったのですが、医師から「あなたはガンかも知れない」と言われ、目の前が真っ暗になりました。通常の卵巣は親指の爪ぐらいの大きさなのに、私の卵巣は直径10センチまで膨れ上がり、3センチの腫瘍ができていたのです。
    もしその腫瘍が悪性だった場合、赤ちゃんを諦めて自分の命を守るか、それとも赤ちゃんを産むために妊娠を継続させるか、難しい選択をしなければなりません。がんで妊娠を継続した場合、若いこともあって転移しやすいので、命の保障はないと言われました。
    結婚してから毎日が楽しくて仕方がなかったのに、医師からあっさり告知を受け、一気に谷底に突き落とされたような感覚になりました。病院からどのように家にたどり着いたのか覚えていませんが、泣いて夫に電話をかけると、仕事を早退してすぐに帰宅してくれました。
    それまでも、おさづけによって神様の不思議なご守護を頂いた話をたくさん聞いていたので、私もご守護を頂きたくて、夫におさづけを取り次いでもらいながら、「がんよ消えろ、消えろ、消えてなくなれ!」と神様の前で必死に願いましたが、消えてなくなりはしませんでした。
    医師からは「妊娠安定期に入ったらすぐに卵巣を取ってしまうか、出産時に帝王切開して取るか」と判断を迫られましたが、出来るだけ早く取った方がいいのではないかと思い、安定期に入った妊娠五ヶ月の時に開腹手術をし、卵巣を一つ取りました。
    取った腫瘍の精密検査の結果は「ボーダーライン」。良性でもなく悪性でもないという結果で、そんな状態があることを初めて知りました。子供は諦めなくてはならないし、自分の命もどうなるか分からない。そんなところまで追い詰められていましたが、ギリギリのところでたすかったのです。本当に良かった、ありがたいと思いました。
    幸い術後の経過も良く、順調に回復し、健康な妊婦さんと同じような生活を送ることができました。お腹が大きくなるにつれて、手術した傷跡も広く伸びてきて、「もしかして、お産でお腹が破れるのかしら?」と不安になりましたが、人間の身体というのは本当に不思議で、皮はしっかりつながっていました。
    お腹に赤ちゃんが宿ることも、お腹の中で成長して生まれてきてくれることも、一つとして当たり前のことはないのだと実感できました。
    その時お腹にいた長女も無事に出産でき、その後も卵巣は一つですが、双子の次女、三女、そして長男、四女と5人の子供に恵まれました。親々が通ってきて下さった信仰のおかげだと、感謝する毎日です。
    四人目を妊娠中の2004年、同じように子育てをしている親子同士が一緒に楽しめる場を作りたいと思い、音楽を使って身体を動かす「リトミック」を取り入れた子育てサークルの活動を始めました。
    サークル活動を始めてしばらく経った頃、夜、子供を寝かしつけていると、「ママの子供に生まれてきてくれてありがとう 大好きよ」という歌詞と共に、子守唄のメロディが天から降ってきたように突然浮かんできて、急いで枕元でメモを取りました。
    サークルでその歌を歌うとママたちはほっこりと笑顔になり、それを見る子供たちも幸せそうな顔をしてくれます。中には、その歌を聞くたびに感動して泣き出す子もいました。
    サークル活動も軌道に乗り、児童館や保育園、子育てサロンや子育て支援センターなどに広がり、私もリトミックの講師として依頼を受けるようになりました。
    子育て中のお母さんたちを前に、卵巣の腫瘍ができたところを何とかたすけて頂き、無事出産できた体験をお話しします。
    そして、
    「私が親になれたのは、当たり前ではなく奇跡です。皆さん、寝る前には『ママの子供に生まれてきてくれてありがとう 大好き!』と言って我が子を抱きしめてあげてください。そうすると必ず子供の心は育ちます。日々子育てに追われる中でも感謝の気持ちを忘れずに、言葉でちゃんと子供に伝えましょうね」
    そう語りかけて、最後にみんなで子守唄を歌います。
    命の尊さ、ご守護のありがたさを伝える私なりの「にをいがけ」として、この活動を続けています。
    天理教では、「ふしから芽が出る」と教えて頂いています。たとえ困難なことがあっても、それは神様からの陽気ぐらしへ向けたメッセージで、心を倒すことなく感謝の心で取り組むことで、いい方向に向かうことができます。そして、これは決して短い時間のことを言うのではなく、何年、何十年を経て振り返った時に、本当に身にしみて有り難く思える教えなのです。
    子育てをしていると、毎日がやらなければならないことの連続で、いっぱいいっぱいになることが多いと思います。しかしその中にも、幸せの種はたくさん散りばめられています。
    そこに気づけるかどうかは、自分の心次第です。日々、小さな幸せを見つけることで、子育てはより楽しいものになるのではないかと思います。
    早く陽気に
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、
      にち/\にをやのしやんとゆうものわ  たすけるもよふばかりをもてる (十四 35)
    とあります。このように、実の親である親神様は、常に私たち一人ひとりをたすけることだけを考えて、日夜お見守りくだされているのです。
    では、私たちはこの切ないほどの親心にどうお応えすればいいのでしょうか。朝に夕に唱える「みかぐらうた」を紐解いても、教祖は決して私たちに難しいことを求めておられないことは良く分かります。
    しばしば出てくる「何々してこい」という表現に注目してみます。まず一下り目で、「こゝまでついてこい」と、ただひたすらに信じてついて来るように、また三下り目で、「ひとすぢごゝろになりてこい」と、疑いの心を持たず、一筋にもたれてついて来るようにと仰せられています。
    さらに、四下り目において、「いつもたすけがせくからに はやくやうきになりてこい」と、常に私たち人間をたすけたいと急き込んでいる親心を述べられ、早く陽気な心になるようにと促されています。
    これらのお言葉から、親神様が私たちに陽気ぐらしを望んでおられるということは明らかですが、なかなかそう簡単には実行に移せない現実もあります。「早く陽気になりて来い」と言われても、病気になったり、家族の関係がこじれたり、仕事がうまくいかないなどの現実に直面し、そのような思い通りにならない状況の中では、とても陽気な心になどなれないというのも、仕方のないことかも知れません。
    そのような人々を、教祖はどうやって導かれたのか。教祖は、教えを詳しく説かれる前に、まずはそうした人々の心に寄り添い、困窮している人には食べ物や着る物、金銭などを与え、さらには病気や事情をたすけて、一人ひとりの悩みや苦しみを取り除かれました。
    しかし、たすけてもらった喜びを感じ、一時的に陽気な心になった人々も、また違う問題に直面しては再び悩むということを繰り返していきます。
    そこで次の段階として、どれほど悩みや苦しみから救われても、自分自身の心を入れ替えなければ本当のたすかりではないことを教えられました。
    そして、人々が自ら心のほこりを払い、陽気な心へ入れ替えていく道として、「おつとめ」を教えてくださったのです。
      なにもかもよふきとゆうハみなつとめ  めづらし事をみなをしゑるで (七 94)
    おつとめこそ、真の陽気ぐらしへとつながる一番の手立てであり、あらゆるご守護の源であることを示されています。
    (終)
    13 min
  • へその緒は曲者
    へその緒は曲者
    助産師  目黒 和加子
    「先生、指が折れます!」
    「指が折れても押せ!絶対に抜くなよ!」
    手術室に向かうストレッチャーに乗っているのは、膝を付き、うつ伏せでお尻を高く上げた「膝胸位」という体勢をとっている産婦と、産婦の足の間に入り込んでいる私です。私は産婦の子宮口に右手の人差し指と中指を突っ込み、胎児の頭を必死で押し上げているのです。
    なぜ、こんなけったいなことになっているのでしょう。
    後藤さんは一人目、二人目ともに3,500グラムを超える赤ちゃんを出産した経産婦。明け方に陣痛が来て入院しましたが、痛みが弱くお産が進みません。昼前に熱を測ると37度6分。
    「熱が出てきたか。感染が進む前に促進剤を使ってお産にした方がいいかな。診察して決めるわ」と困った顔の浜田先生。後藤さんを内診台に乗せ、内診を始めました。
    「子宮口6センチ開大。頭の位置が高い。朝9時と同じ所見や。一人目も二人目も大きかったから産道はめっちゃ広いわ。それにしても羊水が多いなあ…」と言ったその時、バッシャーと破水。おしもを見ると、ニョロニョロしたへその緒が垂れ下がっているではありませんか。破水の勢いで出てきたのです。
    「先生、臍帯が出てます!」
    浜田先生はギョッとした顔で、後藤さんを素早く膝胸位にさせ、「目黒さん!指で頭を持ち上げろ! 臍帯の血流を遮断させるな!」と、真顔で指示を出しました。
    私は素早く右手の人差し指と中指を直径6センチに開大した子宮口に突っ込み、胎児を押し上げました。次に先生はナースステーションに向かって、「臍帯脱出や!緊急帝王切開!」と、大声で叫んだのです。
    一斉にスタッフが集まってきて手術の用意を始め、あっという間に準備が整いました。そして、後藤さんと私をストレッチャーに乗せ、急ぎ手術室へ。冒頭のけったいなシーンへと続きます。  
    後藤さんは痛くもかゆくもないので、「へその緒が出ちゃったのね。帝王切開ですか。よろしくお願いします」と、まるでピンときていません。
    先輩助産師が後藤さんに張り付き、穏やかな口調で声をかけつつ胎児心拍を聴いています。しかし、口調とは逆に先輩の手は震えていました。
    赤ちゃんはオギャーと産声をあげることで、肺呼吸へと劇的に変化します。それまでは、胎盤からへその緒を通る血管を経由して酸素をもらっています。へその緒は酸素をもらう命綱。この命綱が赤ちゃんと産道の間に挟まると血流が遮断され、完全に息の根を止められてしまいます。先生が「指が折れても押せ!絶対に抜くなよ!」と、私にカツを入れた理由はここにあります。
    後藤さんと私はストレッチャーから手術台に乗せ替えられ、すぐに腰椎麻酔がかけられました。後藤さんを仰向けにし、麻酔が効いたことを確認した浜田先生は、「メス、三刀で出すぞ」と呟くと、予告通り三回メスを入れただけで、あっという間に子宮から赤ちゃんを取り上げたのです。
    この時、お股から胎児の頭を持ち上げている私の指先と、切開した子宮の中から赤ちゃんを取り上げる先生の指先が、コツンと触れるのを感じました。赤ちゃんはすぐに産声をあげ、元気いっぱい。私は手術台から降りると、へなへなと床にへたり込んでしまいました。
    「目黒さんがしっかり持ち上げてくれたから、元気に産まれたで。ご苦労さん。あとで指のレントゲン撮ろう。折れてたら労災やな」と浜田先生。骨折はしていませんでしたが、しばらくお箸が持てませんでした。
    真夏の熱帯夜に起きた臍帯脱出も、思い出すと背筋が寒くなります。
    その日は夜勤。夕方、出勤すると陣痛室には経産婦の小田さんがいました。真夜中に分娩室に入ったのですが、胎児が下がってきません。
    「子宮口は8センチ開いているのになあ。この状態で破水したら臍帯脱出の可能性があるわ。当直医に連絡しておこう」と思った途端、バーン!と音を立てて破水。お股からへその緒が垂れ下がっています。恐れていた臍帯脱出が起きたのです。
    その日の当直医は、大学病院の若手の産科医でした。急ぎ内線で呼ぼうと分娩室の扉を開けると、目の前に当直医が立っているではありませんか。
    「先生、臍帯脱出しました!8センチ開大の経産婦なので、すぐに全開大させます。吸引分娩してください!」
    「あの~、吸引分娩に自信がないので院長を呼んでください」
    「なにを言うてるんですか。そんな時間はない!すぐに吸引カップ用意してください!」
    後ずさりする医師を、分娩室に引っ張り込みました。
    不安そうな顔の小田さんに、「今の破水でへその緒が出てきたの。へその緒は赤ちゃんにとって命綱やから、すぐにお産にしないと命に係わる。私が指で子宮口をグリグリして開きます。めっちゃ痛いけど頑張ってや!」とカツを入れると、「痛くても我慢します。赤ちゃんをたすけてください!」と、覚悟を決めた顔に変わりました。
    両手の人差し指と中指に力を入れて、子宮口をグリグリねじ開けると、「うわー!いたいー!」。小田さんの絶叫が分娩室に響きます。
    オロオロする医師に、「先生、ボーッとしてんと機械に吸引カップつないで!」
     「は、はい」
     「小田さん、全開したからね。吸引分娩するから、陣痛きたら教えてや。先生、早くカップ装着して!」若いドクターのお尻を叩きまくります。
    「陣痛きましたー」
    「吸って、吐いて。吸って、吐いて。大きく吸って、それ!思いっきり息んでー。先生、吸引圧上げて! カップを上下にゆっくり動かしながら引っ張って!」
    間一髪、赤ちゃんは無事に産まれました。
    当直医はなぜ、分娩室の前にいたのか。そこには職員用の冷凍庫があり、暑いのでアイスキャンディーを取りに来たとのこと。
    「先生、落ち着いたのでアイスキャンディー食べてもいいですよ」
    「臍帯脱出で背筋が凍りました。アイスは結構です」
    青い顔をして当直室に戻っていきました。
    へその緒が赤ちゃんより先に出てくるだけで、命に係わるのです。新人の頃、先輩助産師から「へその緒は曲者や。気抜いたらあかんで!」と厳しく習いました。先輩の教えを噛みしめ、胸に深く刻み込みました。
    だけど有難い 『奇跡』
    奇跡というものは、山のようにあると思うのです。現に、河原町大教会の祭典後のおさづけの取り次ぎで、「医者に余命二週間と宣告された方がご守護いただいた」「ガンが消えた」「手術をしなくて済んだ」「手術が大変うまくいった」「歩けなかった人が歩けるようになった」「膝が曲がらず座れなかった人が、座れるようになった」といった報告を、毎月のように聞かせていただきます。この教会だけでも、数々の奇跡を見せていただいているのです。
    今日は、そういう奇跡の話ではなく、私たちが「いま、ここにいる」という奇跡の話をしたいと思います。驚くようなご守護も奇跡です。しかし、そればかりではありません。むしろ本来、私たちが「いま、ここにいる」ということ自体が、奇跡的なご守護の真っただ中にいるということだと思うのです。
    たとえば、私は一歳のときに母を亡くしました。考えてみれば、母の出直しが一年早ければ、私は生まれていないのです。私の母もまた、幼いときに祖母と死別しました。これもわずか数年出直すのが早ければ、母も生まれていません。私の家は信仰して五代目ですが、二代目の徳次郎も、生まれるのとほぼ同時に母を亡くして顔も知りません。五代目の私は、本当に奇跡的に、いま、ここにいるのです。それとても、四代前のこの教会の初代会長を務めた源次郎が信仰してくれたおかげで、こうしているわけで、そうでなければ百数十年前になくなっている家なのです。
    さらに遡って、親神様がこの世人間をお創りくださってから今日まで、いったい何人の親がいたのか分かりませんが、その親が一人でも欠けていたら、私はいま、ここにいないのです。私だけではありません。人は皆、自分が全く知らない親がいてくださったからこそ、いまがあるのです。
    また、過去から今日までの生命の営みだけでなく、いま、ここにある私たちの体を考えてもそうです。人間の体は、およそ三十七兆個の細胞から成り立っています。しかし、この細胞が全部生きていたらいいというわけでもありません。細胞それぞれの寿命が来たときには、死んでもらわなければならない。たとえば、血液の成分である白血球、血小板、赤血球は、それぞれ寿命が違います。数時間で死んでしまうものもあれば、十日生きるものもある。また、百二十日ほど生きているものもあります。そして、死んでいくものの代わりに、新しいものが生まれてくるから、私たちは生きているのです。
    親神様のご守護というものは、本当にきりがないのです。人間をお創りいただいて以来、今日までに、どれほどのご守護を頂いてきたか。いま、ここにいるという事実のなかに、どれほどのご守護があるかと考えたら、どれだけお礼を申しても、し過ぎることはないと思います。
    ですから、いま体が不自由で悩んでいる人も、お願いの前に、まずお礼を申し上げていただきたいのです。私たちは病気や事情で悩むと、必死になってお願いします。必死になってすがるというのは大切なことです。このすがってお願いする気持ちと同じくらい、お礼が大切だと思うのです。私たちはつい、それを忘れます。山のようにご守護を頂いているのに、たった一カ所、膝が痛いと、そのことで思い悩みます。まず、親神様のご守護に対するお礼を、しっかりさせていただきたいものです。
    そのお礼の仕方を、教祖は教えてくださいました。その第一が、おたすけです。世界中の人は皆、山のようにご守護を頂いていることを知らずに生きています。この教えは、信仰している人だけのものではありません。お道を信仰している者だけが兄弟姉妹ではないのです。世界中の兄弟姉妹に、一日も早く教えを伝え、親神様のご守護に共に感謝してもらえるよう、つとめさせていただきたいと思います。
    (終)
    16 min
  • 世界で咲く花
    世界で咲く花
    兵庫県在住  旭 和世
    私は大学を卒業した後、天理教語学院、通称「TLI」という、海外布教を目指す人が、語学や天理教の教理を学ぶ学校に勤めることになりました。
    私の受け持ちの学科は「おやさとふせこみ科」略して「おやふせ」と呼ばれている所で、海外からの留学生が人類のふるさと「おぢば」で教えを学び、真実を伏せ込むという、世界でも唯一無二の学科でした。
    まだ20代そこそこだった私は、お世話取りをするどころか、教えてもらうことばかりで、とても新鮮でユニークな毎日でした。
    一つのクラスの中で、韓国、台湾、香港、タイ、インド、ブラジル、アメリカなどなど、多国籍の人たちが一堂に会するのですから、色々なことが起こります。
    様々な言語が飛び交う中、歌ったり踊ったりの陽気な人や、おおらかでのんびりしている人、日本の文化にはないスキンシップで毎日あいさつしてくれる人、時にはお国対抗で荒々しいケンカが始まったりと、毎日大忙し。でも、そこで教わったことが、今の私の信仰生活の基盤になっています。
    「ふせこみ」とは、「欲の心を忘れ、親神様が喜んでくださる真実の種を蒔くこと」であり、いつか必ずその種から芽が出て、花が咲き、一粒万倍となってあらわれてくるのだと教えて頂きます。
    学生さんと共に「おやさと」でしっかり伏せ込み、いつかそれぞれの国に帰った時、その「ものだね」から芽が出て花が咲くことを楽しみに、毎日頑張っていました。
    その取り組みの一つとして、校舎の裏に畑を作り、農作物を育てることを通して、「ふせこむ」ことの意味を体感できる機会を作りました。農作業は世界共通であり、親神様の火・水・風のご守護をとても身近に感じることができます。
    しかし、実際の作業は地味なもので、土を耕し、種をまき、そして毎日毎日、水をやり、草を抜き、追い肥をやり、脇芽をとり、と、作物の丹精にはとても手間がかかるのです。
    みんなで汗を流しながらその作業をする時間、いつも決まって私のそばに寄ってくる一人の学生さんがいました。
    「せんせ~、なんでこんな事してるんですか~? こんなことやったって意味ないですよ~。もっと大事なことあるでしょう?」
    その作業に意味を見出せない彼は、私に向かって不足の言葉をシャワーのように浴びせてくるのです。
    最初は私もどうしていいのか分からず、「暑いししんどいけど、頑張りましょう」と、通り一遍の返答しかできなかったのですが、毎回そんな不足の心で作業をしていることは、彼にとってとても勿体ないことに思えてきたのです。
    そんな時、教祖・中山みき様「おやさま」のこのようなお言葉を思い出しました。
    「どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで」(教祖伝逸話篇144「天に届く理」)
    それからは、彼に「ねえ、もしかしたらくだらないことだと思うかもしれないけど、ここ『おぢば』で頑張ったことは神様がちゃんと見てくださって、あなたがお国に帰った時、きっと大きな芽を出し、花を咲かせてくださる。だから、先を楽しみに今しかできないことを喜んで頑張りましょう」と伝えるようにしました。
    他にも、日本語で布教をしたり、神殿の警備をする境内掛のひのきしんや神殿掃除。また、重度の心身障害のある方と一緒に遊んだり、ふれあったりする活動もありました。
    そんな、とってもハードで充実した一年間を過ごす中で、学生さんもスタッフである私自身も大きく成長することができました。
    さて、あれから20数年が経ち、その時代の記憶も薄らいでいた時、韓国から一本の電話が掛かってきました。
    「先生、ぼくです!覚えてますか?」
    声を聞いた途端、20数年前の記憶がパッと戻ってきました。不足シャワーの彼です。
    「もちろん覚えてるよ!元気にしてるの?」
    「はい!とても元気で頑張っています。今度大阪に出張に行くので、先生たちに会いたいです」
    さっそく他の先生方とも都合を合わせておぢばで集まることになり、大阪で彼と合流しました。彼専用の運転手付きの高級車でおぢばに向かったのですが、慣れていないこちらは何だか落ち着きません。
    彼は自国に帰ると一流企業に入社し、何度かのヘッドハンティングを経て、今では役員の地位にあるとのこと。そんな立派になった彼を見て、「おやふせ」当時の思い出がよみがえりました。
    「あの時、最初は草抜きなんて意味ないって言ってたのが懐かしいね。あの一年でコツコツ蒔いた種は、神様がちゃんと見ていてくださったんだね。すごいね」
    「ホントに、あの時はよく先生を困らせたね~。日本に出張に来て、おぢばがえりする度に思い出すよ。先生たちにちゃんと恩返ししないとね!今は重要な仕事についていて責任もいっぱいあるけど、がんばってるよ」
    「重要な立場になると、いいこともあれば大変なこともあると思うけど、立場が上がれば上がるほど、周りへの感謝を忘れず低い心で通らせてもらってね。神様のご守護は低い所に流れてくるからね」
    「先生、それ、いつもおやふせの同級生に言われてるよ!心は低く、高慢になったらダメってね」
    卒業しても世界中の仲間たちとつながり続け、神様の望まれる通り方をお互いに求め合い、たすけ合っていることを知り、とても嬉しく思いました。
    教祖がお残しくださった「おふでさき号外」に、
      にち/\に心つくしたものだねを  神がたしかにうけとりている
      しんぢつに神のうけとるものだねわ  いつになりてもくさるめわなし
    とあります。
    再会した彼をはじめ、当時一緒にがんばった学生さん一人ひとりが伏せこんだ理によって、親里ぢばで蒔かれた種は芽を吹き、生き生きと成長し、世界中でたくさんの花を咲かせているに違いないと、今、思いを馳せています。
    浅知恵に走らず
    信仰によって開かれる神様の世界は、知識として目で見て確かめられる世界よりも、はるかに広く大きいものです。それは神様の物差しによってはかり、判断する世界だからであり、次元が違うと言ったほうがいいかも知れません。次のお歌は、そのことを端的に示しています。
      このせかいなにかよろづを一れつに  月日しはいをするとをもゑよ (七 11)
      このはなしどふゆう事にをもうかな  これからさきのみちをみていよ (七 12)
      どのよふな高い山でも水がつく  たにそこやとてあふなけわない (七 13)
      なにもかも月日しはいをするからハ  をふきちいさいゆうでないぞや (七 14)
    この人間世界のことは何もかも、神の支配によって成り立っている。神が諭しているこの話を何のことかと思うかもしれないが、これから先、現れてくることをしっかり見ておくように。たとえどんなに高い山であっても水びたしになることもある。必ず谷底のほうへ水が流れるということもない。そのような常識とはかけ離れたことも現れてくるが、何もかもすべて神が支配しているのだから、やれ大きい小さいと、目に見える形に囚われて判断してはならない。
    支配という言葉からは、やや権威的な響きが感じられるかも知れませんが、それは世界中の人間をたすけようとされる親神様の断固たるご意思の表れに外なりません。
    水は低いところへ流れていくのが私たちの常識です。大きいほうがいいとか、小さいからよくないなどと物事に固執するのも私たちの常です。そのようなこだわりを捨てて、もっと広く深い神様のご守護の世界に目覚めるべきであることを仰せられています。
    この信仰について、「道と世界はうらはら」などと言うことがあります。人間の浅知恵に走るべきではないことを教えられているのです。
    (終)
    13 min
  • トイレのスリッパ
    トイレのスリッパ
      岐阜県在住  伊藤 教江
    「大切なことは、目には見えないんだよ」
    これは、不朽の名作『星の王子さま』に出てくる有名なセリフですが、目に見えないからこそ、大切なことを伝えるのは難しいのだと思います。
    私は四人の娘を持つ母親です。娘たちはすでに成人していますが、まだ幼い頃は毎日がドタバタで、本当に大切なことをちゃんと伝えてあげられたかなあ、と反省するばかりです。
    もう二十年以上前になりますが、長女が幼稚園に通う前の入園説明会でのことです。先生が園児たちに向かって、こう言いました。
    「皆さん、今日はお母さんにお礼を言いましょうね。お母さんは毎日、皆さんのために朝早くからご飯を作ってくれたり、お掃除をしてくれたり、お洗濯をしてくれてますよね。だから、今日はお母さんにお礼を言いましょう」
    すると、一人の園児が「先生、どうしてお母さんにお礼を言わなくちゃいけないの?だって、ご飯は炊飯器が炊くし、お掃除は掃除機がするし、お洗濯は洗濯機がするんだよ」と言ったのです。
    その言葉に私は衝撃を受けました。幼い子供にとって、目に見える物事は分かるけれど、そこにあるはずの目に見えない母親の心までは分からないのだと…。
    世の中には、形があり、目に見えるものだけが存在しているわけではありません。生活する上での習慣や規則、さらに人の心など、形もなく目にも見えないけれど、確かに存在するものがたくさんあります。そして、大切なものほど、目には見えないものなのだと思います。
    この園児に限らず、子供にとっては、目に映る毎日の何気ない母親の言動が全てだと言えるかも知れません。ただ、そこにある親心が伝わらなければ、子供のためになりふり構わず頑張っているお母さんにとっては、少し寂しいことです。
    では、どうすれば毎日の生活の中で、目に見えない大切なものについて子供たちに伝えられるのか…。そう考えた時、祖父のある思い出がよみがえりました。
    私は、六人兄弟の二番目の長女として育ちました。兄と三人の弟に挟まれ、いつでもどこでもお構いなしに走り回って遊んでいたので、履いていた下駄を、一日のうちに何度も玄関に脱ぎ散らかしていました。
    すると、祖父がニコニコと微笑みながら玄関へやって来て、決まって「下駄の乱れは心の乱れや」と言いながら、私たちの下駄を一つ一つ丁寧に揃えてくれるのでした。そんな祖父を真似て一緒になって下駄を揃えると、祖父は私の頭を優しく撫でながら、「いい子だね。上手に揃えられたね。みんなが下駄を履く時、喜ぶよ。教祖も、お手々たたいてお喜び下さっているよ」と褒めてくれたものでした。
    当時の私は、「下駄の乱れは心の乱れ」という言葉の意味までは理解できませんでしたが、ただ祖父がニコニコと微笑んで褒めてくれるのが嬉しかったのです。
    しかし、今思うと、祖父は幼い私に形ある「下駄を揃える」という行いを通じて、目に見えない心のあり方、たとえ小さなことでも心を込めて行うことの大切さを、繰り返し繰り返し、根気よく教えてくれていたように思います。祖父にはきっと、幼い子供たちに対して、「将来、少しでも人様に喜んでもらえるように育ってほしい」との強い信念があったのだと思います。その祖父の心が、自分自身が親になって初めて見えてきたような気がしたのです。
    そこで、幼い娘にも出来る、人に喜んでもらえる行いは何だろうと考え、トイレのスリッパを揃えることを思いつきました。毎日一緒にトイレに行き、スリッパを揃えながら、このように言い聞かせました。
    「こうやってきちんと揃えると、トイレに急いで来た人がすぐに履けるよね。あなたもスリッパが揃っていたら、すぐにトイレに入れるから嬉しいでしょ?」
    「うん!そうだね、嬉しい!」
    そうして、お手本を見せては同じ会話をし、娘が揃えた後で思いっきり褒めてあげることを繰り返しました。
    そして入園式当日、早速、幼稚園のトイレに行き、一緒にスリッパを揃えて、それから思いっきりの笑顔で褒めてあげました。
    次の日からは朝、幼稚園に行く前と、帰ってきてから、毎日同じ会話を繰り返しました。
    「いってらっしゃい。今日もトイレのスリッパ上手に揃えてきてね」
    「うん。わかったよ。お母さん、行ってきます」
    「ただいま。お母さん、今日もトイレのスリッパ揃えてきたよ」
    「おかえり。お利口だったね~」
    私が祖父に褒めてもらって嬉しかったように、娘にも「お母さんの喜ぶ顔が嬉しいから」と思って楽しく実行してもらいたくて、毎日思いっきり褒めてあげました。
    それから一年が過ぎたある日、娘の担任の先生が、「どうしてこんな幼い子が、毎日毎日トイレのスリッパを揃えられるのかを知りたい」と、教会を訪ねてきて下さいました。
    「幼稚園ではみんなで一緒にトイレに行くんですが、娘さんは自分が用を済ませた後もずっとトイレの前にいて、最後のお友達が済んだ後に、バラバラになったスリッパを、タイルの床に手をついて、楽しそうに一足ずつ揃えてくれるんです。私も結婚して子供が授かったら、こんな素敵な子に育てたいです」
    先生は、そう話して下さいました。
    その後、先生は結婚を機に夫婦揃っておぢば帰りをされ、神様のお話を聞く「別席」を運ばれました。そして、安産の守りである「をびや許し」を戴いて出産した二人のお子さんと、幸せな家庭を築いておられます。
    トイレのスリッパを揃えるという小さな行いが、人の運命をも変える大きな喜びとなりました。子供や孫たちには、自ら進んで人の心に寄り添い、人だすけができるように育ってほしいと、心から願っています。
    月日にんけんをなじ事
    人間誰しも、「いつ、どこへ生まれようか」などと考えて生まれてきた訳ではありません。皆、自分の出生については、後に親に教えられて知ることができるのですが、たとえ生みの親であっても「どう生きていけばいいのか」については、親の願いを話すことはできても、絶対に間違いのない道を指し示すことはできません。それができるのは、この世界と人間を創られた創造者のみです。
    創造者は、造られたものの側、すなわち人間の方から認識することが難しい存在です。だからこそ創造者である親神様は、この世の表に現れ、自ら「元の神・実の神」であると宣言され、人間創造の目的であり、私たちの目指すべき「陽気ぐらし」について教えられたのです。
    次のようなお言葉があります。
      せかいぢうみな一れつハすみきりて  よふきづくめにくらす事なら (七 109)
      月日にもたしか心がいさむなら  にんけんなるもみなをなし事 (七 110)
      このよふのせかいの心いさむなら  月日にんけんをなじ事やで (七 111)
    世界中すべての人々の心が澄み切って、陽気あふれる暮らしをするようになれば、神の心が勇んでくると共に、人間も同じように勇んでくる。こうして世界中の皆の心が勇み立ってくるなら、神も人もその喜びと楽しみとを一つにした、神人和楽の世界が実現するであろう。
    「月日にんけんをなじ事」とのお言葉で、真実の親子なればこその響き合う間柄をお示しくだされています。親神様は、決して彼方に仰ぎ見るばかりの遠い存在ではなく、進んで親子団らんの輪の中に入り、私たちに優しい眼差しを注がれる実に身近な存在です。その親神様の思いに応えることが、私たち子供のたどるべき道であり、陽気ぐらしへとつながる道なのです。
    (終)
    12 min
  • 子供と話す「人たすけたら我が身たすかる」
    子供と話す「人たすけたら我が身たすかる」
    和歌山県在住  岡 定紀
    この春、高校生になる長男と信仰について話す機会がありました。長男は小さい頃から朝夕のおつとめや、神様に報恩感謝を捧げる「ひのきしん」などを素直に実行し、小学生になってからは、毎年夏の「こどもおぢばがえり」には、多くの友達を誘って参加していました。また、教会で「こども食堂」を始めた時も、積極的に手伝ってくれました。
    ただ、小学生も高学年になると、教会について、信仰について真剣に考えることが増えてきます。教会は世のため、人のために活動しているということは分かっていても、では周りの友達がしていない信仰を自分はなぜしているのか?と、深く考え始めるのは当然のことです。
    親子で信仰について深く話すようなことは、これまでありませんでしたが、高校では親元を離れて寮に入るので、その前に話せてとても良かったと思います。私自身、教えについて理解を深めるいい機会になりました。
    長男との話の中で、「人たすけたら我が身たすかる」という教えについて話題になりました。これは教祖が書き残された「おふでさき」の一首、
      わかるよふむねのうちよりしやんせよ  人たすけたらわがみたすかる(三 47)
    の下の句にあたります。現在教会で、教祖140年祭に向けての指針となる『諭達』を毎日読んでいますが、そこで引用されているので、子供たちにとっては聞き慣れているお言葉です。
    『諭達』には、その引用の後で、「ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていく」と説明されています。しかし、「我が身がたすかりたいから、人をたすけるようにも思えてしまう」ということが話題になったのです。
    確かに「我が身」が先に来るとそうなりますが、「人たすけたら」が先に来るので、決してそうはなりません。しかし時には、「これは我が身のために行っているのではないか」と思えるような状況もあるのです。
    例えば、教会で「こども食堂」をしていると、食材などを寄付して頂くことが増えてきます。個人で寄付をしてくださる方は、こちらが名前を尋ねても「名乗るほどの者ではありません」という感じで、匿名でされる方が多くおられます。
    一方、企業から寄付を頂く場合、大概は会社名を書いたポスターやチラシが一緒になって送られてきます。まるで、「わが社は社会貢献をしています」と宣伝をしているかのようです。そんな場面に出会うと、こちらが人に対して親切にする時、何かを得ようと期待しているようなことはないか?と反省させられます。
    長男が、「大切なのは、見返りを求めて人をたすけるわけじゃないってことやろ?」と聞くので、「そういうことだよ」と答えましたが、その後も何かすっきりしないものが残り、色々と思案しました。
    数日後、再び長男と「見返りを求めない人だすけ」について話しました。まず思い浮かぶのは、病気や怪我をしている人に対してのたすけです。皆が似たような経験をしたことがあるからこそ、そんな人を目の前にすると、自然と身体が動くのでしょう。何とかして痛みや苦しみを取り除いてあげたいという一途な思いに、我が身の欲が入る余地はありません。
    また、能登半島地震で多くの方が被災しましたが、被災地に駆けつけるボランティアの人たちや、寄付をしたり支援物資を届ける人たちも、決して見返りを求めているわけではありません。
    そして、子供には言いませんでしたが、もっと身近な例があります。それは我が子を育てる時です。子供を育てるのに、決して自分の老後の面倒を見てもらおうと期待しているわけではありません。
    特に、我が子を産んだ母親の愛情は、私には想像できないものです。「母子一体」という言葉がありますが、そこには「自分」と「子供」という隔てがなく、「人たすけたら我が身たすかる」の中にともすれば聞こえるような、「人」と「我が身」の区別さえないのでしょう。
    だからこそ、「身内」と言われるように、自然に我が事として共感できる家族同士からたすけ合っていくこと。そして、その身近な所から共感の輪を広げていくことが大切なのだと深く気づかされました。
    今後も、親子で信仰について話す機会を持ちたいと思います。
    心のほこり
    曇りや雨の日の飛行場には、雨雲が低く垂れこめています。暗い空を仰ぎ見ながら、これで飛行機は無事に飛べるのか、と不安な気持ちになります。ところが、ひとたび機体が舞い上がり、雲の上に出れば、そこには太陽が煌々と輝き、いつもと変わらぬ明るさいっぱいの世界が開けています。一見暗く見える雨の日も、決して光がなくなってしまったわけではなく、ただ雲や霧が太陽をさえぎってしまっているだけのことなのです。
    私たちの日々の心遣いに関して、この雲や霧にあたるのが、天理教教祖・中山みき様「おやさま」がお教えくだされた、「心のほこり」と言えるのではないでしょうか。
    教祖は、私たち人間の間違った心遣い、神様の望まれる陽気ぐらしに沿わない自分中心の心遣いを「ほこり」にたとえ、神様の教えを箒として、絶えず心の掃除をするようにと諭されました。
    心のほこりを払うとは、言わば雲や霧を取り去って、太陽のような、人間本来の明るい澄んだ心を取り戻すことです。ではどうすれば、ほこりを払うことができるのでしょうか。
    たとえば、顔に泥がついてしまったら、鏡に顔を写して拭き取りますが、心のほこりを払うのもこれに似ています。私たちはややもすると、自分のことを棚に上げて、人の欠点をあげつらうことが多いものです。
    しかし、その目に映った人の欠点こそ、実は自分の心のほこりを映し出している鏡なのです。鏡に映った人のほこりは、自分のほこりの影であると反省し、心を治めるところに、たすけ合いの精神が生まれ、陽気ぐらしへの道が開かれるのです。
    「心というのは、コロコロ変わるから心というのだ」などと言われます。単なる語呂合わせのようで、実に本質をついています。要するに、心は自由で、どんな姿形にも変わるということです。
    私たちは誰しも、明るく楽しい、陽気な暮らしをしたいと望んでいます。そうであれば、皆が求める楽しい暮らしに向けて、心が自由自在に動いていけば何の問題もありません。ただ、お互いに相手のあることを忘れてしまうと、自分だけの楽しい暮らしへ向かうあまり、知らず知らずのうちに人を不快にさせることがあるかも知れません。これは自由ではあっても自分勝手な心であり、反省しなければならないほこりの心遣いです。
    神様は、
    「皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん」(M30・12・11)
    「勝手というものは、めん/\にとってはよいものなれど、皆の中にとっては治まる理にならん」(M33・11・20)
    と仰せられています。
    (終)
    11 min
  • ある女性教友の終活
    ある女性教友の終活
     インドネシア在住  張間 洋
    先日、ジャカルタ郊外で教友のAさんが81歳で出直されました。その知らせに、その月のインドネシア出張所月次祭に参拝した誰もが耳を疑ったと思います。なぜなら、祭典でてをどりをつとめ、直会の席で談笑し、自分の足で公共交通機関を使って帰るAさんの元気な姿を皆が目にしていたのですから。しかも突然の訃報が入ったのは、その月次祭の翌日のことでした。
    ただでさえ歩行者に優しくないジャカルタの交通事情の中、公共交通機関のみで片道二時間かけ、月次祭に毎月欠かさず参拝してくださる姿を見て、常々頭の下がる思いがしていました。
    知らせを受け、夕暮れ前にジャカルタ郊外にあるAさんの自宅にうかがいました。寝室に通してもらうと、白布を掛けられている亡骸が目に飛び込んできました。布をとってお顔を見た瞬間、前日お会いしたばかりでこんなことがあるのかと、感情を抑えきれませんでした。
    Aさんはここ数年、人生の終わりを見据え、終活に取り組んでいました。生涯独身で、親戚も海外在住の実の姉と、疎遠になっている義理の妹がいるだけだと聞いていました。
    数年前に持ち家を手放し、家具や家電も少しずつ処分し、写真や思い出の品なども整理しているとのこと。私にも「出張所でこのDVDプレーヤーを使ってね」とか、「このこけしは日本に行った時のものだから、出張所で引き取ってね」などと声を掛けてくれていました。
    また、寝室にはすでに死装束として、教服一式や下着などが一つのかばんに入れて準備されていました。出張所の月次祭でも以前は教服を持参していたのですが、それをしなくなった理由がこの時に分かりました。
    Aさんは1987年、インドネシア出張所が開設される年におさづけの理を拝戴して以来、ずっと途切れることなく足を運び続けた方で、出張所では世間話もお好きでしたが、いつも教祖のお話をすることを好まれました。ここ数年はさらに熱心に教えを求め実践し、周囲の方々に伝えることを地道に続け、時折そうして声を掛けた方を出張所に導いていました。
    また終活の一環として、近隣の方々とのお付き合いをとても大事にしていました。訃報を受けて自宅を訪れた際、「あの、もしかしてコミュニティからの方ですか?」と声を掛けられました。
    何のことかと思ったのですが、よく聞いてみると、コミュニティとは天理教のことを指していました。Aさんは「私にもしものことがあったら、後のことはすべてコミュニティの人たちに委ねてほしい」との遺言を、近隣の親しい方や町内会長さんに託していたのです。
    インドネシアでは、一般的に「宗教」とみなされるのはイスラム、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー、仏教、儒教の6つで、全国民がこの中のどれか一つに所属し、宗教省という行政機関のもとに管理されています。ゆえに、出生や結婚、死亡などの節目の際には、所属宗教の認可と書類手続きが必要になるのです。
    Aさんの遺言は、当然それを理解した上でのもので、どのように見送ることができるか、私たち天理教の者数名と近隣の方々で話し合いを持ちました。
    まず、遺言通り天理教式で葬儀をすることは現実的に不可能なので、所属している宗教に則った葬儀を行うことになり、葬儀ののちは火葬し、海へ散骨してほしいとの遺言についても検討しました。喪主となるべき家族や親族が不在で、決定権があいまいな中、その夜のうちに居合わせた者で相談し、まずは斎場を押さえるところから動き始めました。
    すると、数珠繋ぎのように信じられないことが立て続けに起こりました。まず斎場に行くと、夜中にも関わらず、同行していた近隣の方の同級生だという神父さんがたまたま居合わせ、その方に頼んで葬儀を取り仕切って頂くことになりました。その神父さんはその場で実に手際よく、斎場への亡骸の搬送から、式に至る段取りまでつけて下さいました。
    さらに驚いたことに、斎場に寄贈者不明の棺が届いていたり、町内会で霊柩車を所持していたことも重なり、日付が変わる頃にはすべての準備が済み、その日に葬儀を行い、夕方には火葬まで終える手筈が整ったのです。
    疎遠だった義理の妹さんとその家族にも連絡が取れ、葬儀への参列が叶い、無事見送って頂くことができました。
    斎場での式が終わった後、出張所において、天理教式の葬後霊祭という形をとって信者一同で見送らせて頂きました。その直会の席で、いかにAさんの出直し、去り際がきれいなものだったか、そして、Aさんをいい形で見送りたいという近隣の方々の思いがどれほど強いものであったかが話題になり、それもAさんの温かい人柄と、何より信仰者としての日々の通り方によるものであったのだと感心せずにはいられませんでした。
    このインドネシアで天理教の信仰を続けることがいかに大変なことかを考えると、今さらながら頭の下がる思いがします。
    そして、出直す前日の月次祭の参拝は、親神様がAさんの真実のつとめに対して与えられた最後の贈り物だったのかもしれないと、今、思いを馳せています。
    だけど有難い  『幸せの条件』
    私は時々、若い学生さんが集まった席で、こう尋ねることがあります。「幸せの条件って、どんなことだろうか?」。そして、手を挙げてもらいます。
    たとえば「財産がある」―意外に手は挙がりません。若いですから、お金なんか要らないと思っている人もいますし、そんなことはあまり重要ではないと思いたい、という気持ちもあるのでしょう。そこで「本当に要らないの? なかったら困らない?」「何回、手を挙げてもいいよ」と言うと、ジワジワと増えていって、最後には大半が手を挙げます。
    「大好きな人と結婚する」―これは文句なしにたくさん挙がります。
    「健康」―これも文句なし。
    「仕事」―これは全員ではありませんが、男子はほとんど手を挙げます。
    「生き甲斐になるような趣味」―これも、そこそこ挙がります。
    「子供」―これはたくさん挙がります。
    ほかにも「地位」や「名誉」―これも数は少し減るけれども手が挙がります。こんな調子で列挙していくと、「幸せの条件」はいろいろあるのです。
    そこで次に、「大好きな人と結婚して、仕事が順調で、子供も生まれて、家族みな健康。言うことなしの状態で一年経ったとして、幸せだろうか?」と聞くと、あまり手が挙がらないのです。「先ほど挙がった条件が入っているのに、なぜ手が挙がらないんだろう」と尋ねると、「そのときになってみないと分からない」という答えが返ってきました。
    そうなのです。実は大好きな人と結婚しても、一年経ったら大好きかどうか分からないのです。財産があっても、揉めている家もあります。子供がいたらうれしいなと思っても、子供で困っている家もある。つまり、「幸せの条件」が与えられているからといって、幸せとは限らないのです。世界中で一番お金持ちの人は、きっとどこかにいるに違いありません。じゃあ、その人が幸せかといえば、それは分かりません。
    では、幸せの元はどこにあるのでしょうか。それは心です。「子供がいることがうれしい」「配偶者がいることがうれしい」と思えたら幸せですし、「嫌だなあ」と思ったら不幸せなのです。
    以前、ある六十代の女性がおたすけを願ってこられました。その方は、喉頭ガンで食道を全摘出されました。大変苦しいと、泣きながら訴えられます。全摘出ですから食べ物が入りにくくて苦しい。体は手術の跡も生々しい。「自分は手術してほしいと思っていたわけじゃない。承知した覚えがない。痛い苦しいと言っても、家族が分かってくれない」と泣いて訴えられるのです。
    その方の話を聞いたうえで、私は尋ねました。
    「教祖が貧のどん底を通られたときに、明日炊く米がないなかを、『世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある』と子たちを励ましながら通られたというお話があります。私はそれを聞いて知っているけれども、実際にその状況になったことがないので、どれだけ有難いことなのか実感はありません。奥さんは、水も喉を越さない状況で長い間過ごされましたが、初めて物が通った瞬間はどうでしたか?」
    すると、その方の顔色が変わって、「そら、美味しかったよ」と。
     「そんなに美味しかったですか」「あんなに美味しいと思ったことはなかった」と、先ほどまでの涙とは反対の、うれし涙で話されました。私が「奥さん、それをお子さんにお伝えになったらどうでしょう」と言うと、「良い話を聞かせていただいた」と喜ばれました。
    これは心の向きが変わったということですね。心がたすかったということなのです。来るときは悲しくて苦しくてたまらなかったのに、おさづけを受けて、帰るときは笑顔でニコニコと帰られました。
    つらいこと、苦しいこと、悲しいことは、わざわざ数えなくてもつらいし、苦しいし、悲しい。それは誰しも分かっているのです。この女性が、水が喉を越した喜びを感じたときにうれしくて泣けたように、私たちも数えてみれば、ご守護をいっぱい頂いています。そのご守護を喜ぶ心になったとき、実は体もたすかっていくのです。
    (終)
    15 min
  • トゥクトゥクに揺られて
    トゥクトゥクに揺られて
    タイ在住  野口 信也
    私がタイへ初めて来たのは35年以上前、22才の時です。タイ語の勉強のため、タイ語学校へ通っていました。また、生活の中でも出来るだけタイ語に触れるために、信者さんのお宅に下宿させてもらっていました。
    その下宿は、旧市街地のトンブリという地区にありました。地区の主要道路から小路を5、6キロほど入り、さらにそこから車一台が通れるぐらいの細い砂利道を200メートルほど入っていきます。
    毎朝、お手伝いさんが「元気が出るから飲みなさい」と言って作ってくれる、砂糖と練乳の入ったあま~いコーヒーを飲んで出発。砂利道を出たところで、満員の乗り合いトラックにつかまって大通りまで出ます。
    そこから、6人ぐらいが乗れるトゥクトゥクというオート三輪で船着き場まで行き、定期船に乗っておよそ20分で学校近くの船着き場に到着。そこからさらにバスに乗って2、30分、ようやくタイ語学校に到着します。バスだけを使って学校まで行くルートもありますが、バンコクの朝のラッシュ時は渋滞が激しく、船を使ったルートが最も快適でした。
    私の通っていたタイ語学校は、キリスト教の布教師のために開かれた個人経営の学校で、クラスメートは10人全て違う国の方々で、私以外は全員がキリスト教の関係者でした。授業はベテランのタイ人の先生が、ほぼ英語も使うことなくタイ語のみを使って教えるスタイルで、みんな和気あいあいと楽しく勉強していました。
    授業が始まって数日後、その日の会話の内容は自分の兄弟についてでした。私は11人兄弟ですので、兄弟の話になるといつもみんなに驚かれて、色々と質問されたりします。タイでも同じような反応をされるだろうと思い、構えていました。
    先生はまず最初に、カナダ人女性に「あなたの兄弟は何人ですか?」と尋ねました。すると「13人です」とのこと。私はびっくりしてその人のほうを見ましたが、他の生徒は驚きもせず少し違和感を感じました。
    でも、すぐにその意味が理解できました。次に聞かれたアメリカの婦人が「私は14人兄弟で、末っ子の双子です」と言ったのです。その隣のオーストラリア人も10人以上の兄弟でした。ですから、私が「11人兄弟です」と答えた時も、当然誰も驚きませんでした。実にクラスの半分以上の人が、10以上の兄弟がいると答えたのです。
    キリスト教という宗教を少しは知っているつもりでいたのですが、神様を信じて、授かった子供たちを大切に育てる。そうした信仰を持つ人たちに囲まれていることに、強い安心感や親近感を覚えました。
    また、私のクラスメートの共通点の一つは、疑問に思ったことは遠慮なく率直に聞くということです。自分たちより若いタイ人の先生に、タイで見聞きして疑問に思ったことを遠慮なく質問するので、内容によっては先生も大変答えにくそうでした。
    例えば、消防署について。家が火事になれば、当然どの国でも消防署に連絡を入れ、すぐに消火活動が行われます。ところがタイの場合、消防署に電話を入れると、まず最初に行われるのが金額の交渉です。いくら支払うかによって、消防車が何台出動するか、といったやり取りがされるというのです。さすがに先生も、「恥ずかしいので本当のことは言えません」と答えてその場をしのいでいました。
    私はそれを聞いて、日本で教わっていたタイ語の先生が、「『地獄の沙汰も金次第』と言いますが、あれはタイのことです」と、冗談ぽく仰っていたことを思い出しました。タイは貧富の差が激しく、首都バンコクには多くの方が田舎から出稼ぎにやってきます。貧しい人々が身を寄せ合って暮らすスラムも多く存在し、障害のある方が道端で物乞いをしたり、子供が路上で車の窓ふきや花売りをしている姿を見かけることも多いのです。
    こうした問題は何もタイだけの話ではありませんが、若かった私は、こうしたタイの現実に少なからずカルチャーショックを受けました。
    さて、そうした中、ある日知り合いと遅い夕食を終え、繁華街から下宿へ帰る時のことです。道路の混雑もないので、トゥクトゥクで帰ることになり、運賃は交渉の末、60バーツに決まりました。
    途中、半分眠りかけながらトゥクトゥクに揺られていると、急に停車しました。どうしたのかと思い目を開けると、検問のようです。警察が次々にタクシーやバイクやトゥクトゥクを止め、運転手から免許証を取り上げていきます。私が乗っていたトゥクトゥクの運転手は、免許証を警官に渡す時に「どうしてですか」と、聞き取りにくいタイ語で尋ねていました。警官は彼の免許証を一瞥すると、返事もせずにそれをポケットに入れ、別の車の方へ歩いて行きました。
    なるほど、普通に走っていただけなのになぜ捕まったかと思えば、酔っぱらった警官が小遣い稼ぎで車両を止めているようでした。100バーツを支払った運転手にはすぐに免許証が返され、解放されるという仕組みのようです。
    運転手は「お兄さんごめんね」と私に申し訳なさそうに謝り、「私は地方からバンコクへ出てきたばかり。今日も今、仕事を始めたところで売り上げもなく、警察に払うお金がないんだ」と状況を説明してくれました。
    私は運転手にではなく、警官に対して腹が立っていたので、何とか粘って100バーツを払わずにここを通り抜けることを考えていました。しかし、警官は我々を気にも留めず、やって来る車両を次々に止めて同じことを繰り返しています。とうとう私も粘り負けで、運転手に100バーツを手渡しました。
    こうした状況の場合、普通なら乗客は警察に止められた後すぐに下車して、近くを走っている車に乗り換えてしまうのですが、私は運転手が気の毒でそうはしませんでした。私のような外国人が乗っていれば、警察が諦めるのではという期待もあり頑張ってみましたが、結局だめでした。
    100バーツを支払い、免許証を返してもらった運転手は、合掌して何度もお礼を言ってくれました。そして再びトゥクトゥクを走らせ、下宿前の砂利道の入り口に到着。「砂利道に入るとUターンが難しいので、ここからは歩いて行きます」と言って、降ろしてもらいました。
    私が運賃の60バーツを渡そうとすると、運転手は驚いて「結構です」と断りました。警官への100バーツを払ってもらった上に、乗車賃までもらえない、という意味であろうと理解しましたが、運転手に責任があるわけではないし、また、彼の優しい人柄にほだされた面もあり、「乗車賃ですから」と言って、何とか受け取ってもらいました。
    すると彼は急に涙を流し、合掌をしながら何度も何度もお礼を言ってくれるのです。私も少しはいいことをした気持ちになっていましたが、まさか涙を流されるほどとは思わず、驚いてしまいました。彼としては、本当に切羽詰まった思いだったのでしょう。
    下宿までの砂利道を、色んなことを考えながら歩いて行きました。この砂利道は周りが木々に覆われ、電灯などもなく、夜は真っ暗です。しかし、ふと「いつもより明るいな」と感じて後ろを振り返ると、何と先ほどの運転手が、私の歩く砂利道をトゥクトゥクのヘッドライトで照らしてくれていたのです。どこまで行っても、ずっとずっとです。私は手を振り下宿へと歩いて行きながら、何とも言えない気持ちになりました。
    「むごいこゝろをうちわすれ やさしきこゝろになりてこい」
    と、天理教の教祖「おやさま」は教えてくださっています。当時の私は警官の所業に腹を立てていましたが、運転手の純粋な心に、嫌な思いも全て吹っ飛んでしまいました。そして、彼には無事で元気に頑張ってほしいと、心から願いました。
    人を責めるようなむごい心遣いは、争いや苦しみを生むだけです。そうではなく、困っている人や苦しんでいる人に、少しでも優しさを届ける。そうした行いが自分を含め、人に幸せをもたらしてくれるのだとあらためて思う、今日この頃です。
    はなしのたね
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、「みかぐらうた」の十下り目において、
      三ツ みづのなかなるこのどろう     はやくいだしてもらひたい
      四ツ よくにきりないどろみづや     こゝろすみきれごくらくや
      五ツ いつ/\までもこのことハ     はなしのたねになるほどに
    と教えられています。
    三ツと四ツのお歌で、水と泥のたとえを用いて、人間の心の欲について仰せられています。このような話になると、厳しい禁欲的なイメージが思い浮かぶかもしれません。しかし、教祖が欲を離れるように促されるのは、あくまでも、それによって私たちが陽気ぐらしを味わうことができるからなのです。
    江戸時代末期の人々には、病気や事情などのつらく苦しい状況が表れると、やみくもに神仏に祈ったり、あるいはこの世での解決を諦め、理想の世界を極楽浄土に求めたりする風潮がありました。そんな中、教祖は、自らの心を濁らせている「欲」を取り払い、心を澄み切らせることによって、この世で極楽のような世界が味わえることを教えてくださいました。
    現在は医療が発達し、昔ほど神仏にすがる状況ではありません。しかし、医療がどれほど発達しても、それによって根本的な心の問題を解決することは難しいでしょう。
    この世界には、自らの人生に希望を見出せずにいる人が多く存在します。そのことからしても、私たちが本当の幸せを手に入れるためには、自らの欲の心に向き合っていくことが必要であり、そこに誰もがたすかっていく道があるのです。
    そして教祖は、続く五ツで、これらの教えは、いついつまでも話の種になる。つまり永遠に変わることのない、人々がたすかっていくための真理であることを仰せられています。
    (終)
    15 min
  • じいちゃんにまた会える日
    じいちゃんにまた会える日
    埼玉県在住  関根 健一
    先日、立て続けに親戚や知人の訃報が届きました。人が亡くなるというだけでも悲しいことですが、まだ私と同年代の50代の知人や、私よりも若い人、特に娘の同級生の訃報を聞いた時には、同じ親として何とも言えない気持ちになりました。
    親戚の葬儀は天理教式で執り行われました。天理教を信仰していない参列者も多く、開式前に葬儀業者が式次第や作法などを丁寧に説明してくれました。亡くなった親戚は80代でしたが、家族にとってはいくつであっても悲しい気持ちに変わりはありません。悲しみの中にも、故人の人柄同様の温かさに包まれた葬儀になり、無事に送り出すことができました。
    天理教式の葬儀では、故人の生い立ちや人柄について書かれた「誄詞」というものを読み上げます。故人と参列者との関係性はそれぞれ違いますが、どんな人だったのかをより詳しく知ることで、祈る気持ちも深くなる気がします。
    そしてもう一つ、天理教式の葬儀を特徴的にしているのが「出直し」の教理だと思います。天理教では、人の死を「出直し」と呼び、親神様からの「かりもの」である身体をお返しすることだと教えられています。死は再生の契機であり、新しい身体を借りてこの世に帰ってくる、「生まれ替わり」のための出発点でもあるのです。
    以前、ある天理教の教会長さんから、「葬儀は天理教を信仰していない人も多く参列する貴重な機会です。故人との別れを惜しむ人たちに、少しでも前向きな気持ちになってもらえるように、必ず出直しの教理についてお話しさせて頂きます」と聞かせてもらったことがあります。死は「永遠の別れ」だと思っていた人が、出直しについてのお話を聞いて、心が前向きになる場合もあるとのことでした。
    二十数年前、57歳だった父が亡くなりました。当時25歳だった私は、何も分からない中、言われるがままに喪主を務めることになりました。鳶職人だった父を偲んで多くの方が弔問に来てくださり、皆さんへの対応をするので精一杯でした。
    当時、一番上の姉の子供で、小学一年生の姪と幼稚園に通う甥がいました。父にとっては初孫と二人目の孫で、父は二人をとても可愛がり、姪と甥も「じいちゃん、じいちゃん」と慕っていました。
    そのじいちゃんが突然亡くなったのです。小学一年生の姪は父の亡骸と対面するなり、目を真っ赤にして泣き始めました。
    その一方で、甥の方はというと、まだ人の死を理解することができないのか、「じいちゃん何で寝てるの?」と不思議そうな顔をしていました。周囲もその姿を見て、まだ理解できないことで却って傷つかないで済むだろうと、ちょっとホットした気持ちになりました。
    自宅で数日亡骸を安置した後、式場に向かうために納棺をする時のことです。棺に納められた父の姿を見た甥が、突然大きな声で泣き出したのです。
    「じいちゃん!じいちゃん!どこに行っちゃうの?」
    家中に響き渡る甥の泣き声に、たちまち大人たちも涙を誘われました。送り出す準備が整い、家族がひと通り父に声をかけ終わっても、甥が泣き止む様子はありません。見かねた二番目の姉が、「じいちゃんはね、一度お空に行って、また身近な誰かのお腹に戻ってくるんだよ」と言うと、それまで泣いていたのが嘘のようにピタッと泣き止み、「ほんと?」と聞きます。
    家族みんなで「ホントだよ」と答えると、甥は納得した様子で、それからは泣くことはありませんでした。式場での姪と甥は、「いい子にしてたら、じいちゃんが戻ってくるからね」とみんなに声を掛けられ、大人でも退屈になりがちな葬儀の時間を、きょうだい揃ってお利口に過ごしてくれました。
    そして葬儀が終わり、火葬場に移動しました。火葬炉の前に父の亡骸が到着すると、最後のお別れに参列者のすすり泣く声が父の周囲を埋めていきます。そんな中、甥を中心に最前に並んだ私たち家族にもう涙はありません。
    「さあ、じいちゃんがお空に飛び立つぞ!」
    「じいちゃん、また帰ってきてね!」
    姪と甥に聞かせるように大人たちが声に出します。
    火葬炉の扉が閉まり、参列者のすすり泣く声がピークに達すると同時に、カウントダウンが始まりました。
    「5、4、3、2、1、0!」
    最後は甥の「出発、進行!」の声に見送られ、父は旅立って行ったのでした。
    葬儀が終わり、私たちは父のいない日常に戻りました。父が亡くなってから葬儀が終わるまでの間は、目まぐるしく時が過ぎ、悲しむ暇もありませんでした。ですが、日常に戻り、ふと、いつも居た場所に父がいないことに気づくと、涙があふれてきました。
    そんな中、「じいちゃんにまた会える日」を楽しみに元気よく過ごす甥の姿が、私たちに希望を与えてくれました。
    教祖から教えて頂いた「出直し」の教理が、父の死という大きな節を、我が家の希望に変えてくれたのでした。
    くちわにんけん心月日や
    天理教は、元の神・実の神である親神様が、いち農家の主婦であった当年四十一歳の中山みき様、私たちは「おやさま」とお呼びしてお慕いしていますが、その教祖の身体に入り込まれ、教祖が親神様の話を取り次ぐ「月日のやしろ」とお定まりくだされたことにより、始まった教えです。すなわち、教祖のお心は親神様のお心そのままですが、お姿は私たち人間と何ら変わるところはありません。
    このことを、直筆による「おふでさき」に、
      いまなるの月日のをもう事なるわ  くちわにんけん心月日や (十二 67)
      しかときけくちハ月日がみなかりて  心ハ月日みなかしている (十二 68)
    と記されています。
    また、『天理教教典』には、
    「教祖の姿は、世の常の人々と異るところはないが、その心は、親神の心である。しかし、常に、真近にその姿に接し、その声を聞く人々は、日頃の心安さになれて、その話に耳をかそうとしないばかりか、或は憑きものと笑い、或は気の違った人と罵った。」
    とあります。
    とかく私たちは、理解できないものに対して警戒心を抱き、時にそれを否定し、排除しようとします。浅はかな人間思案とはいえ、それはむしろ当然のことと言えるかも知れません。
      いまゝでハをなじにんけんなるよふに  をもているからなにもハからん (七 55)
    何も知らない人々に納得を与え、真実の道へ導こうとされる教祖のご苦労は、並大抵のことではなかったでしょう。その深い親心たるや、まさしく一れつ人間の親である所以です。そのご苦労に思いを馳せ、次のお言葉をかみしめたいと思います。
    「神の話というものは、聞かして後で皆々寄合うて難儀するような事は教えんで。言わんでな。五十年以来から何にも知らん者ばかし寄せて、神の話聞かして理を諭して、さあ/\元一つの理をよう忘れんように聞かし置く。さあ/\それでだん/\成り立ち来たる道。」(M21・8・9)
    (終)
    12 min
  • みんな神様のこども
    みんな神様のこども
    千葉県在住  中臺 眞治
    私どもの教会では、様々な事情で行き詰った方々が共に生活しています。人数はその時々によって変わりますが、血のつながった家族以外に4人から8人の方が、入れ替わり立ち替わりで暮らしています。
    仕事を失った人、DVから逃げてきた人、心を病んでしまった人、罪を犯してしまった人など事情は違いますが、一人ひとりは皆とても優しい方ばかりです。しかし、元々ぎりぎりの状況で生活をしていた中で、ちょっとしたことをきっかけに人との縁を失い、帰る家を失い、人生に行き詰って教会で暮らすようになったのです。
    私は大学を卒業後、23歳の時から、そうした方々と一緒に暮らすようになり、今年で20年目になります。そのような暮らしを始めるきっかけを与えてくれたのは両親でした。
    私は、東京の目黒区にある教会の次男坊として生まれ育ちました。今から30年ほど前、私が中学生の頃の話になりますが、当時の東京には、バブル崩壊のあおりを受けて路上生活を余儀なくされた方が大勢おられました。今と比べると人権意識も低く、福祉的な支援も受けにくかった時代。そうした社会状況の中で自殺者は急増し、大きな社会問題になっていました。
    父はそのような時代に、「住むところのない方、ご相談ください」と書かれたチラシを配ってまわり、教会で受け入れ、母が生活のお世話取りをするようになりました。教会の土地面積は56坪で、それほど大きくない建物ですが、多い時には家族以外に30人から35人ぐらいの方が身を寄せていました。
    中学二年生の頃、当時食べ盛りだった私は、人が増えるたびに自分のご飯のおかずが減ることにイライラし、会長である父を責め、「なんで他人と一緒に暮らさなきゃいけないんだ!他人なんだから放っておけばいいじゃないか」と言い放ったことがあります。すると父は穏やかに、「他人じゃない。きょうだいなんだよ。不幸になっていい人なんていないんだよ」と諭してくれました。
    その後、私は地元を離れ、奈良県にある天理高校、天理大学へ進学したので、両親がどのような思いでこの活動を続けていたのかはあまりよく知りませんが、この時の父の言葉が今も心に残っています。
    そんな両親の影響で、大学卒業後、様々な事情で行き詰った方々を、当時青年づとめをしていた日本橋大教会でお預かりするようになり、その三年後に教会長に就任してからは、自教会で共に暮らすようになりました。今ではそうした暮らしが私の生きがいになっています。
    私は、教会で一緒に暮らす方々とは、たすけ合って生きられる関係でありたいと思っています。そのために毎日一緒におつとめをつとめ、一緒にご飯を食べます。また、うちの教会で実施している「こども食堂」や、高齢者宅でのお手伝いなど、ボランティア活動にも参加してもらっています。
    そうして適度に一緒に過ごす時間を持つことで、相手に対する情が芽生えてきます。すると何か問題が起きた時にも、何だか放っておけないという感情が自然に湧いてくるのです。
    少し話は変わりますが、一時期、若い人の間で「無敵の人」という言葉が流行したことがありました。お金もない、頼れる家族もいない、友達もいない。そのような人は失うものがないから、凶悪な犯罪をためらいなく引き起こす。そういう意味で「無敵の人」というレッテルを張り、社会から排除しようとする。そのような流れがありました。
    うちの教会で一緒に暮らすようになった方々は、お金もない、頼れる家族もいない、そんな方ばかりですが、では「無敵の人」なのかといえば、そんなことはありません。それぞれに、本人の責任がすべてとは言えないような困難を抱えて行き詰ってしまい、頑張りたいけれど頑張れない状況の中で、今は誰かの支えを必要としているのです。
    相手の存在を不安に感じ、「無敵の人」というレッテルを張り、排除しようとしたり、いなかったことにしてしまうのは、その人のことをよく知らないからだと思います。だからこそ色んな人に出会い、一緒に時間を過ごしてみることが大切なのだと感じています。
    天理教の原典、「おふでさき」では、
      せかいぢういちれつわみなきよたいや  たにんとゆうわさらにないぞや (十三43)
    と教えられています。また、
      このさきハせかいぢうハ一れつに  よろづたがいにたすけするなら (十二93)
        月日にもその心をばうけとりて  どんなたすけもするとをもゑよ (十二94)
    とも仰せになります。
    世界中の人間はみんな神様の子供で、お互いはきょうだいであり、対等な関係なのだということ。そして、差別が良くないことはもちろん、お互いを尊重し合い、たすけ合って生きることを神様は喜んでくださり、不思議なたすけを与えてくださるのだと教えられています。
    自分勝手で、ついつい我が身可愛いという心が先立つ私ですが、教会で共に生活をする方と、たすけ合って生きていく関係を築けるよう、こども食堂や地域のボランティア活動など、一緒に時間を過ごせる場を大切にしていきたいと、日々考えているところです。
    理ぜめの世界
    この世は、親神の身体であって、世界は、その隅々にいたるまで、親神の恵に充ちている。そして、その恵は、或は、これを火・水・風に現して、目のあたりに示し、又、眼にこそ見えぬが、厳然たる天理として、この世を守護されている。即ち、有りとあらゆるものの生命の源であり、一切現象の元である。
    実に、この世は、理ぜめの世界であって、一分のすきもなく、いささかの遺漏もない。天地自然の間に行われる法則といわず、人間社会における秩序といわず、悉く、奇しくも妙なる親神の守護ならぬはない。
    『天理教教典』には、親神様のご守護についてこのように記されています。
    この世界は神の身体である、と教えられることからすれば、ご守護は親神様のお働きの「すがた」ということになるでしょう。あるいは、親神様のご意志の現れであるとも言えます。
    そう考えれば、この世界の営みすべてが、親神様の恵みであることも、また、時として出合う厳しい状況が、可愛い子供をたすけたいばかりの慈愛の警告であることも理解できます。
    しかもそのご守護は、いついかなる時も整然と筋道立った展開を見せられるのです。
    お言葉に、「理は見えねど、皆帳面に付けてあるのも同じ事、月々年々余れば返やす、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く」(M25・1・13)とあるように、厳然と、一分のすきもない天の理を諭されています。
    親神様の見抜き見通しの眼を前にしては、私たちの隠れる場所はどこにもありません。日頃の言葉や行いはもちろん、心の中でひそかに思うことすら見通され、思召しのままに守護されているのです。このような親神様の眼差しを前に、かしこまり慎むことはもちろん大切ですが、ただそれだけでは、ご守護を存分に味わうことはできません。むしろ自ら進んで、その温かい懐に身をゆだねて通ってこそ、深い親心がより身近に感じられてくるのです。
      なんでもこれからひとすぢに  かみにもたれてゆきまする (三下り目 7ッ)
      めへ/\にハがみしやんハいらんもの  神がそれ/\みわけするぞや (五 4 )
    親神様は、寸分の違いもなく公平に、一れつ人間をお見守りくださっているのです。
    (終)
    12 min
  • ガラポン出来たのに!
    ガラポン出来たのに!
    岡山県在住  山﨑 石根
    私の教会では、年末年始に色々な行事があるため、私は子どもたちとゆっくり冬休みを過ごしたことがありません。そんな中、1月4日だけは唯一私の予定が空く日なので、例年この日に子どもたちと買い物に行くことが多いのです。今年のお正月も、この日に朝から子どもたちと買い物に行きました。と言っても予算が限られているので、この日の妻は、新春の特別値引き商品を狙って一日、本気モードです。
    まず、アウトレットのお店で子どもたちの冬服を見ます。今回もアウターやパンツなどを手際よく選んで、見事な買い物をしていました。私はおしゃれには疎いので、こういう時は邪魔をしないように見守っているだけです。次第に飽きてくる下の子の相手をするのも、私の大事な役目です。
    次に大型ショッピングモールに行きましたが、それまでに洋服の買い物が済んでいたので、ここでは子どもたちが100円ショップで好きなものを買ったり、お昼のお弁当を買って車の中で食べたりしました。五人も子供がいると、レストランで食べるというのはなかなかハードルが高いものなのです。
    そして、最後に大型靴専門店に行き、子どもたちの新しい靴をそれぞれ購入しました。もちろん「広告の品」や「特価セール」の靴ばかりですが、子どもたちもその中からお気に入りの物を上手に選びます。そんな中、高校生になった長男だけはファッションへのこだわりがあり、自分のお年玉で買うということもあるので、妻と同じぐらい真剣モードです。
    そんな彼が、次のような提案をしてきました。
    「これと同じ靴がこっちでは7,000円だけど、さっきのショッピングモールでは4,000円だった」とのことで、もう一度さっきのお店に行きたいと言うのです。正直、私は「またあの人混みの中に行くのか…、車を駐めるのも大変だし…」と少しげんなりしましたが、長男の思いにも応えなくてはなりません。
    そして、再びショッピングモールの中の靴屋さんに向かい、お目当ての靴を手にとりました。ご満悦の長男と一緒にレジに並び、会計をしていると、店員さんがお釣りやレシートと一緒に「大抽選会」と書かれた抽選券を4枚渡してくれました。
    店内で開催されていたイベントを思い出し、「え?ガラポン出来るんですか?」と尋ねると、「はい。でも5枚で1回出来るので、あと1枚必要ですね。1,000円のお買い物で1枚お渡しできるんです」と店員さん。
    「じゃあ無理かぁ」と残念がる私の横で、長男が「いや、一回目来た時に百均で1,000円以上買い物したから、お母ちゃんがその券一枚もらってたで!」と言うではありませんか。
    ところが、にわかに希望の光を見出した私に、長男が続けて言いました。「でもお母ちゃん、その券を〝誰かに使ってもらえたら〟って広告の所に置いてたわぁ」。
    「え?どういうこと?」すぐに理解できなかった私は、ベンチで休憩する妻のもとに駆けつけ、「さっきの抽選券、どうしたん?」と尋ねました。すると、「1枚だけあっても仕方ないから、入り口の広告が置いてある籠に入れておいた」と言うのです。
    「もう!ガラポン出来たのに!」とプンプン怒る私を横目に、「まだ、あるかも!」と、子どもたちがショッピングモールの入り口に向かって走り出しました。が、案の定、無くなっていました。当然です。もう一時間以上前のことなのですから。
    「あ~あ、ガラポン出来たのに!」と諦めきれずに文句を言う私に、妻は「だってガラポンは今日までやし、一枚では役に立たんのやから、今日中に誰かに使ってもらったほうがええかなって思ったんやもん」と言うのでした。
    車で帰路につく時、ようやく残念な気持ちが落ち着いた私は、ふと、天理教教祖「おやさま」の次のような逸話を思い出しました。
    明治七年のこと。教祖に我が子をおたすけ頂き、熱心に信心を続けていた方の家に、ある夜、泥棒が入りました。ところが、物音で気づくことができ、何も盗られずに済んだその方は大層喜んで、その翌朝さっそくお詣りして、「お蔭で、結構でございました」と、教祖に心からお礼を申し上げました。
    すると教祖は、「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」と仰せになり、その方は、そのお言葉に深い感銘を覚えた、というお話です。(教祖伝逸話篇39「もっと結構」)
    このお話を耳にする度に、「実際盗難にあったら、欲しい人にもらってもらえて結構だったなんてとても思えないなあ」と、よく夫婦で話していました。しかし、今回の妻の「誰かに喜んでもらいたい」との思いからとった行動は、たとえその域までには達していなくても、教祖はその心配りをきっとお喜びくださったことでしょう。それに比べて、文句ばかり言っている器の小さい自分が恥ずかしくなりました。
    もう使う予定がないのなら、「誰かの役に立てば」と潔く差し出す妻と、持っていてもゴミにしかならないのに未練がましく持っている私。そっと4枚の抽選券を車のゴミ箱に捨て、件の教祖の逸話を伝えながら、「さっきはゴメンね」と謝りました。すると、「この4枚で私の4倍役に立ったかも知れないのにね」と、妻が少し意地悪な返答をしました。
    ゴミ箱の中で、4枚の抽選券が寂しそうに頭をのぞかせていました。
    病にこめられた神様の思い
    人は皆、病気になどなりたくないと思って暮らしていますが、天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、次のように仰せくだされています。
      せかいぢうどこのものとハゆハんでな  心のほこりみにさハりつく (五 9)
      みのうちのなやむ事をばしやんして  神にもたれる心しやんせ (五 10)
    病とは、心のほこりが身の障りとなって表れたものである。そのほこりについて反省し、神様にもたれる心になるよう思案をしてもらいたい。そうお諭しくだされています。
    病とは、人間に思案のきっかけを与えるために神様がもたらすものであり、そこには、私たち一人ひとりに知らさなければならない神様の深い思わくが込められているのです。そういう見方ができないと、病気というものが単にネガティブに受け取るだけのものになってしまいます。
    教祖をめぐって、こんな逸話が残されています。
    ある信者が、長年の足の痛みをすっきりご守護を頂いたのですが、そのあと手のふるえが止まらなくなりました。それをたすけて頂こうと教祖のもとへうかがうと、教祖は、
    「あんたは、足を救けて頂いたのやから、手の少しふるえるぐらいは、何も差し支えはしない。すっきり救けてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。人、皆、すっきり救かる事ばかり願うが、真実救かる理が大事やで」とお諭しくださいました。(教祖伝逸話篇147「本当のたすかり」)
    たとえ身体の十分な回復がかなわない場合でも、心一つで陽気ぐらしを味わうことができるのがこの教えです。表面的な病気を治すことだけが目的ではありません。
    病というものがなければ、多くの人は本来の神様の思いを知る機会もなく、いつまでも陽気ぐらしの本質を知らないままです。神様の目的は、私たち人間の曇ってしまった心の姿を、病という〝影〟を通して知らせると共に、その先にある〝光〟としての神様のお働きに気づかせようとされるところにあるのです。
    (終)
    12 min

About 天理教の時間「家族円満」

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心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。

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