天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」 episodes

  • 親より深い愛情
    親より深い愛情
    岐阜県在住  伊藤 教江
    親より深い愛情はない。しかし、親より深い愛情もある……親は子供を深い愛情で育て、子供はその愛情を受けて育って行くものだと信じています。しかし、そんな私の認識が揺らぐような出来事がありました。
    当時、ある夫婦は二人の子供に恵まれ、新しく家も建て、家族4人で幸せに暮らしていました。しかし、いつ頃からかだんだんと、母親の喜怒哀楽の感情の起伏が激しくなり、家事も一切しなくなり、暴言・暴力が増えていきました。
    そのため父親は、仕事はおろか慣れない家事もままならず、母親の暴力から子供たちを守るのに必死で、遂には疲れ果てて精神を病んでしまいました。そして家族4人は、教会長である主人に付き添われて、教会の門をくぐったのでした。
    まだまだ親の愛情の必要な13歳の姉と9歳の弟の生活は、ゴミがあふれ足の踏み場もない家の中で、掃除・洗濯などはもちろん、どこでどう寝ていたのか、一体今日まで何を食べてきたのか、いつの残り湯かわからない泥水のようなお風呂にどう入っていたのか…。想像をするだけで涙がこぼれました。
    子供たちは学校でも「気持ち悪い、臭い」といじめにあい、水をかけられたこともありました。それを知ってか知らずか、母親の暴言・暴力はますます酷くなっていき、姉のA子ちゃんは母親の罵声を浴びながら何度も馬乗りになられ、首を絞められたのでした。さらには心を病み、生きる気力を失った父親からも、「一緒に命を絶とう」と、二度にわたり無理やり海へ連れて行かれたこともありました。
    A子ちゃんは、そんな自分自身も辛く苦しい中、小さくて病弱な弟を必死で守ってきました。この子供たちは、主人と出会う前には泣くに泣けない、誰にもたすけを求められない、まさに地獄のどん底にいたのでした。
    教会ではまず、この家族に温かいご飯をたくさん食べてもらい、私はA子ちゃんと一緒にお風呂に入りました。するとA子ちゃんは自ら「背中を流します!」と言って、私の背中を洗いながら懸命に気を使ってくるのです。
    私は驚きました。「まだ13歳なのに…もっと甘えてもいいのに…」A子ちゃんから出る言葉や態度からは、「家には帰りたくない。たすけて欲しい」との思いが痛いほど伝わってきました。
    家族4人は、その日から慣れない教会生活が始まりました。2人の子供は学校も転入することになりましたが、A子ちゃんは特に学校生活に辛い経験があり、登校することにとても不安を抱えていました。
    幸いにも、A子ちゃんはうちの娘と同じ歳でしたので、娘と同じクラスにしてもらい、娘には「登校から下校までずっと、一緒にそばについて心寄り添って欲しい…」と頼みました。
    一方、母親には主人が付き添い、幾つもの病院を回りながら検査を重ねた結果、脳が委縮していく「ピック病」と診断され、入院することになりました。父親は、妻の病名も分かり入院してくれたのでホッとしたのか、「もう教会にはいたくない。家へ帰りたい」と言うようになりました。
    父親が家に帰ると言い出したその時、A子ちゃんは弟を連れて、私の前で突然、きちんと正座をして、手をついて頭を畳にこすりつけるようにしてこう言いました。「お願いです。私たちはこの教会に置いて下さい。お父さんと家には帰りたくないです。どうかお願いします…お願いします!」
    その子供たちの姿を目の前にした時、私の中にあった「親と子」という認識が大きく揺らいだのです。私は「親」というのは、子供可愛い一条で、自分は寝なくても食べなくても子供のために尽くすのが親である。そして「子供」から「親」を見た時に、わけがあって愛情を持って育ててもらえなくても、子供は親のそばにいたいものであり、親のそばにいることが一番幸せなことであると信じていました。
    しかし、この2人の子供の姿は、そうではなかったのです。子供は親以上に自分を大切に育ててくれる人のそばにいることを望んでいるのだと痛感しました。
    その後、父親は2人の子供をおいて家へ帰っていきました。子供のことより自分のことを最優先にしていったのです。残された2人の子供は、何も分からない教会生活の中、「おはようございます」の挨拶から始まり、ご飯の食べ方、お風呂の入り方、ゴミはゴミ箱に捨てることなどを教わりながら、大勢の教会の人たちの愛情に抱えられ、教会の家族として穏やかに育てられました。
    主人は、この2人の子供の運命を何とかたすけてやりたい、守ってあげたいという親心で抱え続け、我が子同様に、実の親よりも深い愛情で2人の子供を育て上げたのでした。
    親よりも深い愛情はない。しかし、親よりも深い愛情もある・・・
    教会長である主人から実の親よりも深い愛情で抱きかかえられた子供たちは、親神様・教祖の大きな親心を肌身で感じ取り、報恩感謝の心で日々を通るまで心の成長をしてくれました。私たち夫婦も、たすけ道場・陽気道場の使命を担う教会をお預かりする者として、立派なようぼくへと成長してくれた子供たちの今日に、この上ない喜びを味わう日々です。
    「おしい」のほこり
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、私たち人間の間違った心遣い、陽気ぐらしに反する自分中心の心遣いを「ほこり」にたとえてお諭しくださいました。
    教祖は、ほこりの心遣いを掃除する手がかりとして、「おしい・ほしい・にくい・かわい・うらみ・はらだち・よく・こうまん」の八つを教えられていますが、そのうちの「おしい」のほこりについて、次のようにお聞かせ下されています。
    「おしいとは、心の働き、身の働きを惜しみ、税金など納めるべき物を出し惜しみ、世のため、道のため、人のためにすべき相応の務めを欠き、借りたる物を返すのを惜しみ、嫌な事は人にさせて、自分は楽をしたいという心。すべて、天理に適わぬ出し惜しみ、骨惜しみの心遣いはほこりであります」。
    私たちは、心や身体を十分働かせることによって楽しい暮らしができる。そのように、親神様によって造られているのです。心も尽くさず、身も働かせずに横着をしていると、いつしか親神様のご守護を十分に頂けなくなってしまいます。
    明治七年のこと。当時十八才の西尾ナラギクさんがお屋敷へやって来て、皆と一緒に教祖の御前に集まっていました。やがて、人々が挨拶をして帰ろうとすると、教祖は娘のこかん様を呼んで、「これおまえ、何か用事がないかいな。この衆等はな、皆、用事出して上げたら、かいると言うてない。何か用事あるかえ」と仰いました。
    こかん様が、「沢山用事はございますなれど、遠慮して出しませなんだのや」と答えると、「そんなら、出してお上げ」と教祖が仰せられたので、こかん様は糸紡ぎの用事を出しました。
    皆が一生懸命糸を紡ぎ、やがてナラギクさんの所で一つ分出来上がりました。すると教祖がお側に来られ、ナラギクさんの肩をポンと叩いて、その出来たものを三度押し頂かれ、こう仰せられました。
    「ナラギクさん、こんな時分には物のほしがる最中であるのに、あんたはまあ、若いのに、神妙に働いて下されますなあ。この屋敷は、用事さえする心なら、何んぼでも用事がありますで。用事さえしていれば、去のと思ても去なれぬ屋敷。せいだい働いて置きなされや。先になったら、難儀しようと思たとて難儀出来んのやで。今、しっかり働いて置きなされや」(教祖伝逸話篇37「神妙に働いて下されますなあ」)
    若い時には身体を十分に働かせること。そして、たとえ身体が不自由を抱えても、心をしっかり働かせること。いずれにしても、生涯、働く者として親神様にお使い頂けるのですから、こんなに有難いことはありません。
    (終)
    13 min
  • 子育ては自分育て
    子育ては自分育て
    静岡県在住  末吉 喜恵
    子育ては自分育てと言われています。子供の成長と同様に自分も成長するのだなと実感しています。
    私は5人の子供を育てていますが、子供たちもそれぞれ違う性格で、私の性格とも全然違います。赤ちゃんの時からその性格を尊重してあげることはとても大切ですが、難しい時もあります。
    長女は私とはまるで正反対の性格です。私は楽天家で「なんとかなるさー」と、考えるより先に行動してしまうタイプですが、長女は慎重派で「なんとかならなかったらどうしよう?」と考え、石橋を叩いて渡るタイプです。
    小学生の時も、「忘れ物したらどうしよう」「お友達とケンカしたらどうしよう」「怪我したらどうしよう」などと、何をするにも不安が先に来るのです。「大丈夫、大丈夫」と言っても納得がいくまでランドセルの中身を確認したり、自分の気持ちを整えるまでとても時間のかかる子でした。
    「早く、早く」という言葉をできるだけ使わないように、私もできるだけ心を落ち着かせて付き合っていました。
    こんなこともありました。次女と三女の双子が生後3ヶ月で、長女が2歳の時の話です。双子用ベビーカーを押し、長女を歩かせて近所をお散歩していました。押しボタン信号があり、信号が青に変わったので横断歩道を渡りました。
    私は長女が付いて来ているものと思い、後ろを振り返ると、まだ横断歩道を渡らずに反対側の電柱の周りをくるくる回っていました。信号はすぐ赤になり、車道側が青色になってしまいました。
    私はドキドキしながら「そこで待ってて!」と長女に言いましたが、もし車道に飛び出したらどうしようと、気が気でありませんでした。しかし、ドライバーの方が「いいですよ。迎えに行ってください」というジェスチャーをして待ってくれていました。
    そのおかげでベビーカーをその場に置き、横断歩道を渡って長女を迎えに行き、抱きかかえながら戻ってくることができました。親切なドライバーの方にお礼を申し上げ、たすかったと心から感謝しました。
    また、長男は無鉄砲なところがあり、公園につくと遊具にまっしぐらに向かい、レジャーシートを敷いているうちに見失ってしまうこともありました。
    長男が3歳の時のことです。とても大きな海の見える公園に行くと、子供たち4人がそれぞれ違う方向へ遊びに行きました。探しに行くと、3人の娘たちはすぐ見つかりましたが、長男が見つかりません。連休中で、しかも新しくできた海賊船があるとても有名な公園なので、大勢の人で賑わっていました。
    いろんな遊具や砂場、水遊びができるところなどを探しましたが、見つかりません。3人の娘たちに聞いても「知らない」と素知らぬ顔で遊んでいます。夫と二人で探し回りましたが、やはり見つからず次第に焦ってきました。
    すると放送が流れ、「迷子のお知らせです」と、長男の名前がアナウンスされました。大人に囲まれて大泣きしていたようです。たすけてくださった方には、本当に感謝しました。
    子育てをしていると本当に色々なことが起きてくるものです。これ以外にも小さな親切は色々なところにあります。その小さな親切を見逃すことなく、感謝の気持ちを言葉で伝えていくことが大切だなと思いました。
    子供は、親自身が成長するために神様から預からせて頂いている、大きな宝物です。子供を通じて学び、鍛えられ、心を成長させることが出来ているように思います。
    小さい頃は自分で出来ることが少なく、親が色々と世話取りをしてあげなければならないし、将来のことを心配してとやかく言ってしまうこともあります。子供の生きる力をいかに信じるかが試されているようです。
    ややもすると、子供を自分の分身のように思ってしまうこともありますが、子供一人ひとりに持って生まれた徳分があり、その子供の個性を尊重してあげることが大切だと思います。
    自分の思いと子供の思いが違う時でも心に折り合いをつけ、できるだけ子供の気持ちに寄り添い、その思いを分かってあげたいです。
    私は子育て支援活動をしていますが、講座などでお話をする時、お母さん方に「どんな子供に育てたいですか?」という質問をします。すると、「人に迷惑をかけない子供に育てたい」というお母さんが多いのです。
    けれど、人に迷惑をかけずに生きていくのは不可能に近いことです。みんなそれぞれ、お互いに迷惑をかけ合いながらでも、たすけ合っていけば良いのではないでしょうか。
    人に迷惑をかけてしまうかもしれない、そんな自分を認めながら、感謝の言葉をすぐに言える子になって欲しいと思っています。よく幼い子に「ありがとうは?」と言って無理にお辞儀をさせる方を見かけますが、それより親自身が「ありがとう」とお礼をする姿を子供に見せることが大切です。
    そして、人のために役に立ちたいと思ってもらえるような子に育てたいと思います。その気持ちはどのように育つかといえば、やはり「お手伝い」ではないでしょうか。
    3歳から5歳ぐらいの頃は、親のやっていることを真似したくなる時期で、お手伝いをしたいという心が育ってきます。そんな時は「時間がかかるから」とか「散らかるからダメ」と面倒がるのではなく、私も積極的にお手伝いをさせてきました。
    3歳から使える子供用の包丁を使い、色んなものを切ってもらいました。最初は簡単なレタスやキャベツから。形はいびつでも、「よく切れたね、上手だねえ、たすかるよ」と声を掛けました。料理が出来上がり、いざテーブルに運んでもらうとぐちゃぐちゃになってしまうこともありましたが、「とっても上手に並べてくれたね。お手伝いしたいと思う気持ちがとっても嬉しいよ」と声を掛けてきました。子供にとっては小さな成功体験をすることで、もっと人の役に立ちたいという気持ちが芽生えてくるのです。
    私自身、子供たちに「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えることを忘れないように心がけてきました。子供の存在そのものがありがたいと思い、自分を母親にしてくれたという感謝の気持ちを込めて、毎晩子守唄で「ママの子供に生まれてきてくれてありがとう。大好き!」と歌い続けてきました。
    なかなか言葉に出して言うのは恥ずかしいことかも知れませんが、言葉に出さなければ伝わらないことも必ずあります。5人の子育てをしていて、自分自身も大きく成長させて頂けたと、感謝の思いでいっぱいです。
    にをいがけ
    私たちが物事を理解する上で、見るという働きは大きな力です。よく「百聞は一見に如かず」と言いますが、たしかに百回聞くより一回見ることのほうが、より物事の本質に近づける場合も多くあります。
    といって、聞くことを疎かにはできません。目に見えない大切なものもあるからです。人の心などはまさしくそうで、言葉を聞くことのなかにその人の気持ちに近づくこともできるでしょう。
    そして嗅覚、匂いもまた五感の一つです。見えるものでもなく、聞こえるものでもなく、また触ること、触覚とも違い、形も分かりません。何だか頼りないように思えますが、しかし匂いほど強烈に私たちの感覚を刺激し、記憶に残ることもないのです。
    どこからかお肉を焼くいい匂いがしてきて、食欲をそそります。色とりどりに咲く花の匂いで、季節を感じることができます。その人、その家特有の匂いが様々な記憶を呼び起こすこともあります。
    しかし、悪臭、悪い匂いというのも多くあって、これは遠慮したいものです。いくら見た目が美しく、味わい豊かな食卓を囲んでも、匂い一つで台無しになってしまうかも知れません。
    このように私たちの持つ五感について並べていくと、「にをいがけ」というこの教え独特の表現に思い至ります。にをいがけとは、教えを伝え弘めることで、言わば神様の匂いを伝えることです。その匂いは、自らが神様の教えを日々実行していく中に身についてくるものであって、香水を振りかけてお終いというような、簡単なことではありません。
    神様のお言葉に、「さあ/\どんな者も皆寄り来る。めん/\我がものと思うて、花の色匂いを取る心が世界では分からんで。匂い取り兼ねる/\。人間心の色はどうもならん」とあります。(M21・7・17)
    いい匂いのする所には、人が自然と寄ってきます。しかし、私たちは自分の匂いというものはなかなか分からないものです。
    神様は、人間心という匂いを取ることを忘れてはならない、とお諭しくださいます。人間思案、わが身思案の心遣いを捨て去って、どこまでも、神様の教えに基づいた匂いのするお互いでありたいものです。
    (終)
    14 min
  • 親孝行とは
    親孝行とは
    埼玉県在住  関根 健一
    先日、ある映画を見ました。
    「いまにまるを」というタイトルの15分弱の短編ドキュメンタリー作品です。この映画の主人公である新田さんは、天理教の教会長として活動する傍ら、学習支援や障害福祉事業を通じて、長年にわたり障害者のサポートを続けてきた方です。
    新田さんには、重度の知的障害がある娘さんがいらっしゃいます。彼女は言語によるコミュニケーションが難しく、排泄を含む生活の多くの場面で介助が必要です。
    この映画では、新田さんが支援してきた子供たちや、娘さんとの生活を通じて得た気づきや教訓が、短い時間の中にギュッと凝縮されています。障害のある娘と生活する私たち夫婦にとって、この映画は非常に心に響くもので、観終えたあとしばらく涙が止まりませんでした。
    そんな映画の中で、新田さんが語るとても印象的な言葉がありました。娘さんがまだ幼かった頃、新田さんは恩師から「娘さんには親孝行させなくちゃいけないよ」と言われたそうです。
    「でも、娘は自分の身の回りのことも出来ないのに、親孝行させるとはどういうことだろう?」と疑問に思った新田さんは、恩師に「この子に親孝行をさせるには、どうしたらいいのですか?」と問いかけました。
    すると恩師は、こう答えたそうです。「親孝行とは、子供が親を喜ばせること。どんな子でも、何もできなくても、その子のすべてを親が喜べば、その子は親孝行していることになるんだよ」。
    その言葉を聞いて以来、新田さんは「子供のプラスを探す」ということを常に心がけてきたと語っていました。
    実はこの話は、新田さんと出会った頃にも聞かせて頂いたことがあり、私の心に深く刻まれました。それ以来、折に触れてこの言葉を思い返し、娘が通う特別支援学校のPTA会長を務めていた頃には、卒業式の祝辞でこのエピソードを引用したこともありました。その際、多くの先生や保護者から「親孝行のお話、素晴らしかったです」と感想を頂いたことを、今でも鮮明に覚えています。
    先日、80歳を過ぎた母が庭で転倒し骨折してしまいました。幸いにも命に別状はなかったのですが、突然の入院生活に母も戸惑っているようです。
    私もできる限り頻繁に会いに行きたいのですが、コロナ禍以降、面会の時間や回数に制限があり、月に数回しか顔を見せることができません。この状況はとても寂しいのですが、「母の子供」としての感情から一歩引いて、「教会長」という立場で母の身に起きた出来事を、神様の思召しとして捉え直すよう努めています。
    その中で、教祖140年祭に向かう年祭活動の2年目であることや、骨折という形で母がお見せ頂いたという事実に意味を見出そうと考えました。
    そうした中で、ふと新田さんの話を思い出しました。
    「親が子供のすべてを喜ぶことで、子供は親孝行となる」という言葉ですが、これを逆にして「子供が親のすべてを喜ぶことが親孝行につながる」とも考えられるのではないかと思ったのです。
    私は幼い頃から母に様々なことを教えてもらい、多くを学んできました。そして今、母が高齢になり、以前のように何かを教え諭されることが少なくなったことに、寂しさを感じています。しかし、母の身に起きた出来事を通して私が神様の思いと向き合い、信仰を深めることができれば、それは「母が信仰者として私を仕込んでくれたのだ」と言えるのではないかと思うのです。
    こうして考えると、人間はその「行い」だけでなく、「周囲の心」から救われることもあるのではないでしょうか。
    極端な例かもしれませんが、現代ではメディアやインターネットの発達により、日々多くの犯罪がニュースとして報じられています。もちろん犯罪を犯すことは決して許されるべきではありませんが、その背景には、本人だけでなく周囲の環境や社会のあり方にも原因がある場合が多いのではないかと感じます。
    「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、ただ行いを非難するだけでなく、そこから得られる教訓を社会の改善に生かすことができれば、未来は少しずつ変わるのではないでしょうか。
    教祖が、自らを牢獄に入れるために迎えに来た警官に「御苦労さま」と声を掛けたエピソードがあります。その優しさに感化され、信仰に入った警官もいたといいます。
    このお話に触れる度に、受け取る側の心遣い次第で、相手が徳を積むきっかけとなり、魂が浄化されていく可能性を感じます。
    日々の生活の中で、相手に非があればそれを責めてしまうこともままありますが、そんな自分を振り返り、相手の行動にかかわらず、心穏やかに徳を積むきっかけを与えられるような人間でありたいと願っています。
    だけど有難い「たすかるコツ」
    お道の先輩方は「身上・事情は道の華」と言いました。病気に苦しんだり、事情に悩んだりするのが、なぜ華なのか。先人の多くは病気をご守護いただいたり、事情の悩みをたすけていただいたりして、この道を信仰するようになりました。だから、つらい病気も事情も、陽気ぐらしへのお手引きだと思えば有難いと喜べた。考えてみれば、確かに「道の華」なのです。
    病気や事情で苦しんでいるときは、人間が素直になれる機会だと思います。元気で順調なら聞く気になれないことも、あらためて聞こうという気持ちになります。たすかるチャンスだと思うのです。
    ドイツのケルン大学のロベルト・ギュンター名誉教授が、大学の雅楽アンサンブルを引き連れて来日し、河原町大教会の月次祭に参拝されたときのことです。神殿講話が終わり、おさづけの取り次ぎを受ける行列の最後尾に並ばれました。そして順番が来ると、こう尋ねられました。
    「私はクリスチャンです。クリスチャンの私にも、そのお願いをしてもらえますか?」
    私は「この教えでは、人間は生まれたときから、みんな親神様の子供であり兄弟姉妹だと教えられています。キリスト教徒であろうと、仏教徒であろうと、イスラム教徒であろうと、なんの問題もありません」。そうお答えして、おさづけを取り次がせていただきました。
    後日お会いしたとき、「あれで本当によくなりました。たすけていただきました」と、お礼を述べられました。私は素直な方だなと思いました。
    母親が子供に物を食べさせるときに「あーん」と言いますね。何が入るのか分からないけれど、子供は口を開けるのです。これが素直な姿です。
    素直ということで、私がいつも思い出すのが、大教会のある役員のことです。あるとき、その役員の嫁いだ娘の家族が、アフリカのコンゴの教会へ行くことになりました。娘には三人の子供がいて、一番上は小学一年生、真ん中が幼稚園、一番下はまだ赤ちゃんでした。この役員は、かつて三年半ほどコンゴで暮らした経験があるので、現地の様子をよく知っていました。気づかぬうちに、赤ん坊の毛穴に虫の卵が産みつけられ、腫れあがって、そこから孵化した幼虫が出てくるようなこともあったそうです。それだけに、孫がかわいそうで泣けて仕方なかったのです。
    空港へ見送る車のなかで、海外部の先生が「あなたはコンゴで一生懸命伏せ込んだので、子供も孫もコンゴへやらせてもらう。結構やなあ」とおっしゃった。それを聞いて、「よう言うてくれる。うれしいどころではない」と、内心思ったそうです。
    空港で出発の時間が迫ってくると、いよいよつらくなって、孫たちがゲートをくぐるときは、悲しくて、たまらない気持ちになったそうです。ところが、その小学一年生と幼稚園の子供が、ゲート寸前で振り返って、「おじいちゃん行ってくるわ」と、ニコッと笑って入っていったというのです。
    子供はどんな所へ行くときでも、親と一緒がうれしいのです。残されるほうが、よほどつらい。親と一緒なら、どこへでも喜んで行ける。これがたすかる姿だと思います。
    病気や事情で悩むとき、自分の力でどうにかなるのなら、もうとうになっているのです。そんなときに大事なのは、この素直さですね。
    また、私たちが神様の御用や、にをいがけ・おたすけをするときは、教祖がいつも手を引いてくださっているということを忘れてはなりません。教祖と一緒だと思ったら、どんな所へも行くことができます。悩む必要は何もないのです。素直、これが一番大事なたすかるコツなのです。
    (終)
    13 min
  • おさづけの不思議
    おさづけの不思議
    タイ在住  野口 信也
    私は結婚して3年後、タイの大学院で学ぶため、三度目の渡泰をしました。その時も、以前と同じように病気の方の平癒を願う「おさづけ」を取り次ぐため、病気の方のお宅や病院を訪れていました。特にがんや脳腫瘍など、命に関わる病気の方の所へは毎日通っていたので、大学で講義を受けた後、3~4カ所は行く所がありました。
    毎日大渋滞が起こるタイには、日本にはないバイクタクシーというものがあります。渋滞をすり抜けて走ってくれるので、4~5時間かかるところを1~2時間程度で移動することができ、たいへん重宝していました。
    タイでの最初の2年間、大学へ入って3年半、そして大学院の時と、こうしたことを6年近くも続けていると、時には全く知らない方から「病人がいるので来てもらえないか」という電話がかかってくることもありました。人口およそ600万人を擁するバンコクであっても、少しずつでも続けることで、知らぬ間に色々なつながりができるのだなと感じました。
    大学院を修了する少し前のことです。大学の頃からの友人K君から、「お付き合いしている彼女の祖母が危篤の状態だ。おそらく葬儀が明日から一週間行われるので参列してほしい。このおばあさんには、何とか自分たちの結婚式に出席してもらいたいと思っていたけど…」と電話が入りました。
    このおばあさんは99歳で入退院を何度も繰り返していて、いよいよなので親族を呼ぶよう医師に言われたそうです。まだご存命ということなので、私はすぐ病院にかけつけ、最後となるであろうおさづけをさせてもらいました。
    すると、その夜K君から、明日の葬儀は中止でおばあさんは自宅療養することになったとの連絡が。翌日から帰国するまで、毎日おばあさんのおさづけに通い、K君と孫の結婚式にも出席してもらうことができました。
    その後、日本に帰国してから7年ほど経った冬に、タイから一本の電話が入りました。K君からで、彼の義理の姉が良性腫瘍の摘出のため開腹手術をしたところ、悪性腫瘍で腹部全体が侵されていて、卵巣を取るなどできる限りの処置をしたが、もう手の施しようがないとのこと。医師からは「あと3カ月、長くても半年です」と宣告されたそうです。
    病人さんのご主人が電話に出られ、「私たち夫婦と娘一人、いつまでも仲良く暮らしていきたい、何とか救けて下さい」と言われました。
    ご主人は以前のおばあさんのおたすけのことを知っておられ、真っ先に天理教の神様にたすけを求めてこられたようですが、私はそういう切羽詰まった場面にとても弱く、どうしたら良いか焦っていました。
    それでもおさづけをさせてもらうしかないと思い直し、勤務先である天理教海外部の上司に3日間だけ休暇をお願いすると、「人をたすけるためなら何日でも構わない」と許可を下さったので、すぐタイへ出発しました。
    飛行機の中で、ふと『教祖伝逸話篇』に書かれている、当時の最も丁寧だと思われる病気平癒の方法を思い出しました。「座りづとめ」と「十二下りのてをどり」を一座とし、一日に昼三座、夜三座、これを三日間行う方法です。
    以前、海外の学生がその逸話篇を呼んで、一日6回のおつとめを実際にやってみようと試みたことがありました。私がタイへ到着するのが朝の5時で、帰るのは二日後の夜中の12時ですから、ちょうど丸三日間。よし、これで行こうと決めました。
    空港へ到着し、その足で友人宅へ行き一度目のおさづけ。その後すぐバスで一時間半かけて神様を祀っているタイ出張所へ。そこで一回目の座りづとめと十二下りのてをどり。所要時間は約一時間。その後また友人宅へ戻り、病人さんに二度目のおさづけ。そしてまたタイ出張所へ行き、二回目の「座りづとめと十二下りのてをどり」。こうして3回、4回と繰り返しました。
    さらに、夜から朝にかけての時間は病人さんのいるお宅へ泊めてもらい、その一室で5回目、6回目をつとめました。これを三日間、6回、6回、6回と繰り返しつとめ、三日目の夜中過ぎに挨拶もそこそこに帰国。おたすけ三昧の三日間でした。それでもまだ確信が持てずに心配で仕方がありませんでした。
    年が明け正月、おぢばである先生がこんなおたすけ体験を語ってくれました。
    「三日間のお願いづとめはすごいね。ある信者さんが、がんを患って脳まで転移して意識もない状態だった。普通に考えると、ちょっともうたすからないかな、という症状だったけれど、三日間おさづけをさせて頂いたら、少しずつ良くなって、その後の月次祭には付き添いの方と参拝に来られたんだ。翌月の月次祭にはおつとめの奉仕をしてくださったよ」。
    私はそこで初めて、自分勝手に悩んでいたことに気が付きました。「そうだ、神様がおられるんだ」と思えた瞬間、不安が一気に消し飛んで、絶対にたすけていただける。そういう気持ちになりました。
    3カ月後、再びタイに戻ると、そのがんの女性から「一緒にご飯を食べに行きましょう」と電話がありました。「抗がん剤治療の最中のはずなのに」と思いながらお会いすると、とても元気でした。さらにその1年後には、今度は自分で車を運転して食事に連れて行って下さいました。
    抗がん剤治療で抜けていた髪も全部生えそろい、「検査をしてもがんの痕跡が一つもないと、医者が驚いています」と、嬉しそうに話をしてくれました。
      たん/\と神の心とゆうものわ  ふしぎあらハしたすけせきこむ (三 104)
    人間の親である親神様は、不思議な守護を現わし、神の存在をはっきりと認識させ、人々が互いにたすけ合う「人類が本当にたすかる道」へと導いて下さるのです。
    彼女はこうして不思議なご守護を頂戴し、家族共々いよいよ人をたすけるための「おさづけの理」を頂戴するためにおぢばがえりを決心しましたが、出発の一カ月前にがんが再発しました。しかし本人も家族も、「早く分かって良かった」と喜び、私がおさづけを取り次ぎに自宅へうかがうと、家族揃っておつとめをつとめ、彼女の平癒をお願いして下さいました。
    一家揃って信仰を深める、本当の幸せへの大きな一歩となったのです。
    こころの錦
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、朝夕に唱える「みかぐらうた」の中で、こう教えられています。
     九ツ このたびまでハいちれつに    やまひのもとハしれなんだ
          
     十ド このたびあらはれた    やまひのもとハこゝろから
         
    教祖がこのように教えられるまで、人々を悩ませる病の原因は何なのか、はっきりと知る者はいなかったのです。人のことを顧みずに我が身のことばかり考える、その勝手気ままな心遣いこそが病の元であり、その心の色を変えずしてご守護頂くことはできません。
    この信仰は、どこまで行っても自分自身の心を立て替えることが第一であり、見た目をよくするために着飾ろうという考えなどは、どこか遠くへ追いやらなければならないでしょう。
    教祖は、「外の錦より心の錦、心の錦は神の望み。飾りは一つも要らん」と仰せられ、さらに「もう着るもの無けにゃ、もう無うても構わん/\。美しい物着たいと思う心がころりと違う」と、お諭し下さいます。(M35・7・20)
    明治七年、増井りんさんは、目の見えないところをすっきりご守護頂き、この道の信仰につきました。明治十年頃より、十日交代でお屋敷につとめるようになったりんさんは、早朝から夜遅くまで、人の嫌がる便所掃除やニワトリの世話など、どんなことでも喜び勇んで働きました。そして、寸暇を惜しんでは、人だすけの上に苦労を重ねました。
    その真実の働きにより、教祖のお守役をつとめるようになったりんさんは、後にこのように語っています。
    「人は顔容姿粧ろうよりも、心の磨きが肝心であります。(中略)まず顔容姿粧ろう人は、どうしても心の磨きが足りませぬ。それよりも、心の磨きがまず肝心であります。身にどんな立派な着物を着、立派なものをつけておろうが、心遣いが間違っておったなら、神様の御守護は頂けませぬ。
    表面の飾りよりも心の磨き、心の錦が肝要であります。たとえ着物は木綿を着ておろうとも、心遣いが天の理に叶っておりさえしますれば、神様の御守護は結構に頂けます」
    (終)
    13 min
  • 私は100倍嬉しいです
    私は100倍嬉しいです
     大阪府在住  山本 達則
    私が教会長になって、4、5年経った頃のことです。私と同年代の男性の信者さんがおられました。お互い結婚の時期も近く、長男同士が同級生で、私の長女とその方の次男が同級生でした。住まいが近いこともあって、子供たち同士、きょうだいのように仲良くしていました。
    その方の奥さんは、天理教のことは全く知らない方でしたが、信仰家庭に嫁いだということで、信仰について積極的に学び、教会の用事も進んで手伝ってくれていました。その奥さんが、ただ一度だけ、私に怒りを露わにしてきたことがありました。
    私は教会長に就任した当初、会長を務める一方、世間で仕事を持っていました。しかし、ある時そのことに行き詰まりを感じ、夫婦で相談した結果、仕事を辞めるという選択をしました。すると、私のその決断に対して、奥さんがこう言われたのです。
    「会長さんは無責任過ぎると思います。せめて子供たちが父親の仕事を理解して納得できるまでは、今の形で育ててあげるべきだと思います。子供たちが可愛そうです」。それは、私の子供たちのことを思っての怒りでした。
    その頃は私もそれなりの収入があったので、時には家族で外食に行ったり、世間並みに子供たちに流行の物を買ってやることも出来ました。しかし、仕事を辞めれば、それまで子供たちにしていたことが出来なくなるのは火を見るより明らかでした。奥さんは、私たち夫婦のその決断が理解できなかったのです。
    当時、まだ若かった私は、必死になって自分の思いを説明しました。
    「欲しい物が与えられる喜び、行きたい所に行ける喜びは確かにあります。ある意味、親として子供に出来る限りそうしてあげるべきだという思いもあります。でも、欲しい物が与えられない、願い通りにならないということの中にも喜びはあると思うのです。うちの子供たちには、そのような喜びを感じてもらえるように育てていきたいんです」。
    奥さんにはそれでも納得して頂けず、ギクシャクした感じが続きましたが、教会へは参拝に来てくれていました。
    このご夫婦には二人の息子さんがいて、次男はダウン症を患っていました。ダウン症は特定疾患にも指定されている、確立された治療法のない病気で、子供は様々なリスクを背負って生まれてきますが、ご夫婦はそのことを受け入れ、一生懸命に育てていました。
    私が仕事を辞めて数年が経った頃、ある日の教会行事に奥さんがダウン症の次男を連れて参加していました。食事の時間になり、私は部屋の端から様子を見ていたのですが、息子さんは、やはり健常な子供に比べて発育も遅れ気味で、偏食もきつく、4歳になってもまだお箸は使えず、フォークやスプーンの使い方も覚束ない感じで、常に奥さんがそばに寄り添って食事をしていました。
    私が「大変やね」と声を掛けると、奥さんは私の方を振り向いて、満面の笑顔で「これ、すごく楽しいんですよ」と答えてくれました。
    私はあまりの笑顔に驚いてしまい、「そうなんやね」と返すだけでその場の会話は終わりました。食事のあと、子供たちが喜々として遊んでいる様子を見ていた私に、奥さんがあらためて話しかけてくれました。
    「会長さん。会長さんが仕事をやめた時、私が何て言ったか覚えてますか?子供たちに対して無責任だって言ったんです。だって、ものすごく腹が立ったから。けど、あの時、会長さんが話してくれた『与えられない中にも喜びはある』ということが、この子を育てていてよく分かるんです。
    会長さんも子供が四人おられて、そのお子さんの成長を感じることは、間違いなく嬉しいことですよね。でも私は、それより100倍は嬉しいです!
    首が据わって、お座りして、ハイハイして、つかまり立ち、よちよち歩き…。親として、その成長する姿を見るのは本当に嬉しいことだと思います。でも、うちの子供は首が据わったのが生後半年を過ぎてからでした。
    ある日、夜中に目が覚めると、この子が寝返りを打とうとしていました。私は主人を起こして、必死に寝返りしようとしているこの子を朝まで応援しました。明け方になって、『ゴロン』と寝返りを打ってくれた時には、夫婦で抱き合って涙を流して喜びました。いつも牛乳しか飲まないこの子が、時々お茶に興味を持ってくれるだけで、嬉しくて嬉しくて…。この子は色んなことが出来にくい子ではありません。私たちに他のどの子よりもたくさんの喜びを運んでくれる子なんです」
    彼女は、ニコニコしながらそう話してくれました。
    お互いは、目の前に起きてくる事柄について、ついつい損得勘定や好き嫌いの感情に左右されがちになります。しかし、そこをもう少し心を落ち着かせて目を凝らしてみると、その中に必ず喜びが隠されているのではないか。このご家族とふれあう中で、そう確信しました。
    親神様は「人間は、陽気ぐらしをするためにこの世に生まれてくる」と教えてくださいます。自分自身の自由になる心の持ちようで、すべてを喜びに変えられるのだと、思いを新たにしました。
    生来の短気者
    大阪で左官業を営んでいた梅谷四郎兵衛さんは、決して裕福ではないものの、家族と仲睦まじく暮らしていました。ただ一つ気がかりなのは、兄の眼の患いで、その平癒を願い、あちこちの神仏へお参りをしていました。
    そんな折、明治十四年二月、「大和に生き神様がいる」との噂を耳にし、初めてお屋敷へ帰らせて頂きました。もともと信心好きな四郎兵衛さんでしたが、「かしもの・かりもの」「八つのほこり」など、それまで聞いたのとは全く違う真実の神の話に感銘し、その場でこの道に生涯を捧げる決意を固めたのです。
    そんな四郎兵衛さんと教祖をめぐって、こんな逸話が残されています。
    教祖は、入信後間もない四郎兵衛さんに、「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや」とお諭し下さいました。生来、四郎兵衛さんは気の短いほうでした。
    明治十六年、折から普請中の御休息所の壁塗りひのきしんをさせて頂いていたところ、「大阪の食い詰め左官が、大和三界まで仕事に来て」との陰口を聞いて、激しい憤りから、深夜ひそかに荷物を取りまとめて大阪へ戻ろうとしました。
    足音を忍ばせ、中南の門屋を出ようとした時、教祖の咳払いが聞こえてきました。「あ、教祖が」と思ったとたんに足は止まり、腹立ちも消え去ってしまいました。
    翌朝、四郎兵衛さんが、お屋敷の人々と共にご飯を頂戴しているところへ教祖がお出ましになり、「四郎兵衛さん、人がめどか、神がめどか、神さんめどやで」と仰せ下さいました。(教祖伝逸話篇123「人がめどか」)
    四郎兵衛さんは、のちに船場大教会の初代会長となりましたが、教えを伝える上から、家族や教会につながる人々に、しばしばカミナリを落としました。とはいえ、教祖の教えを生涯の心として、自分の身勝手や都合だけで腹を立てることは決してしませんでした。
    こんな話も残っています。四郎兵衛さんが臨終を迎えようとする時、身の回りの世話をしていたある婦人に、か細い声でこう伝えました。「長い間世話をかけたなあ。わがままなワシによう仕えてくれた。礼を言うで。今度は、親切な、やさしい人間に生まれてくるから、よろしく頼むで」。
    生来の短気者であった四郎兵衛さんだからこそ、「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや」との教祖のお言葉が、心に深く刻み込まれたのではないでしょうか。
    (終)
    12 min
  • 父の教え
    父の教え
    千葉県在住  中臺 眞治
    思い出すだけで罪悪感や後悔の念に駆られる出来事が、誰にでも一つや二つ、あるものではないでしょうか。そして、たいていの人の場合、そうした記憶に蓋をし、なかったことにしながら日常を生きているのだと思います。
    私の場合、そうした記憶が数えきれないほどあります。恥をさらすようですが、今日はその一つをこの場で打ち明けながらこれからの生き方を考えてみたいと思います。
    今から21年前、大学を卒業後、東京にある日本橋大教会で勤務をしていた時の話です。当時、私が与えられた役割はホームレス状態の方の自立支援を行うことでした。大教会から3階建ての建物を貸して頂き、そこで一緒に暮らしながら自立に向けて様々な手助けを行うというものです。
    また、夕づとめ後には天理教の教えを取り次ぐ時間を設けて色々と話をしていたのですが、そこで繰り返していたのは「徳を積むことが大切ですよ」という話でした。
    「徳がないから行き詰まるんですよ。だから徳を積みましょう」と、あたかも自分は徳のある側で、相手は徳のない側であるかのような考えで話をしていたのです。あまりにも高慢な考えに、いま思い出すとゾッとしますが、当時の私は、自分の生活が大教会青年という立場に守られているものに過ぎないということに気が付いていなかったのです。決して徳があるから不自由なく過ごしているというわけではありませんでした。
    そのことに気が付いたのは教会長に就任してからでした。前回の放送でもお話ししたのですが、孤独や貧困の中で心の中が不足ばかりになって行き詰まり、「あー、自分も徳のない人間の一人なんだ」と、そこで初めて自覚ができました。
    そもそも徳とは何でしょうか。皆さんの周りにも、「この人は徳のある人だなー」と感じる方が何人もおられると思います。その方々を思い浮かべてみると、立場や財産があるから徳のある人だなと感じるわけではないし、それらがなくても徳のある人だなと感じることはあると思います。幸せに生きていくために、身体に必要なのが栄養であり、心に必要なのが徳ではないかと思います。
    私の場合、父を見ていると、徳のある人だなと感じます。身内のことで恐縮ですが、私にとっては大きく影響を受けた存在でもあるので、ここでは父のエピソードを交えながら、「徳を積むってこういうことじゃないかな」、そして、「徳を積むとこうなっていくんじゃないかな」ということを語ってみたいと思います。
    今から30数年前の話になりますが、私の実家である報徳分教会に一人のホームレスの方が訪ねてきました。50代の男性で「おにぎりを一つ分けて下さい」とのことでした。父はすぐに用意をして手渡しました。
    するとその男性はとても喜んでくれたので、父は嬉しくなって「教会に住んでくれたら三食出しますよ」と提案しました。以来、その男性は74歳で亡くなるまで教会で一緒に暮らしていました。
    このことがきっかけとなり、教会には人生に行き詰った方が次々と身を寄せるようになり、いつの間にかその人数はのべ700人近くになっていました。
    そのような中で父がよく話していたのは、「どうしたら人が喜ぶか。どうしたら人がたすかるか。それだけ考えていたら幸せになりますよ」という言葉でした。
    このようなエピソードを聞くと、優しい穏やかな父なのだと思われるかも知れませんが、元々はとても短気な性格で、若い頃は瞬間湯沸かし器のような怒り方をする人でした。それが段々と穏やかになり、60歳を過ぎた頃からはいつ会っても上機嫌な人に変わっていったのでした。そうした父の変化を見ていると、色んな人と関わることが自分自身の成長につながるのだなと感じます。
    どうしたら徳が積めるのか。天理教の原典「おさしづ」では、
    「不自由の処たんのうするはたんのう。徳を積むという。受け取るという」(M28・3・6)
    と教えられています。
    不自由には、お金や物の不自由もあれば、人間関係の不自由や健康面での不自由など、様々な苦労があると思います。父の場合、困難を抱えた方々を大勢引き受けてきたわけで、当然毎日のように色んなハプニングが起こります。
    初めの頃は父もよく動揺していました。深く傷ついたこともあったと思います。そういう意味では人での不自由はたくさんしていました。しかし、そうした日々を重ねていくうちに、いつからか「まったくしょうがないね~」と受け流すようになっていきました。そして、「こういう人がたすかっていったら楽しみだよな。がははははー」といつも笑っていました。
    こうした誰に対しても隔てなく受け入れる父の振る舞いを見ていると、「徳のある人だな」と私は感じるのです。先述の原典のお言葉は、辛いはずの苦労がやってきた時に、それを楽しみや喜びに変えて通っていく中で徳は積まれ、神様にも受け取って頂けるということを教えて下さっているのではないでしょうか。
    18年前、私が教会長に就任した時、父から言われたのは、「とにかく人で苦労させてもらいなさい。そうすれば先は楽しみだよ」という言葉でした。その言葉通り、教会では様々な事情で行き詰まってしまった方々をお預かりするようになり、楽しみも増えました。ですが、大きなハプニングが起こるといまだに動揺してしまうこともあります。
    そんな時、父に話すと「まぁどんなに気を付けたところで、色んなことが起こるよな。でもさ、そんなこともある、そんなこともあるって思い続けることが大事なんじゃないかな。そういう風に考えてないと、本当に困っている人にたすかって頂くことなんてできないんじゃないかと思うけどな」と、心の置き所を諭してくれたこともありました。
    苦労はできるだけ避けて通りたいと思うのが人情ではないでしょうか。私も同じ気持ちです。ですが、避けることのできない苦労であるならば、その中にもできるだけ楽しみや喜びを見出し、徳に変えて歩みたいところです。
    父と比べるとおままごとのような私の日々ではありますが、「生きてて良かった」「良い人生だった」と思えるぐらいの徳は、心につけていきたいものだと願っています。
    宗太郎さんの思い出
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」にまつわる逸話は数多く残されていますが、教祖のひ孫にあたる梶本宗太郎さんは、このような思い出を語っています。
    教祖にお菓子を頂いて、神殿の方へでも行って、子供同士遊びながら食べて、なくなったら、又、教祖の所へ走って行って、手を出すと、下さる。食べてしもうて、なくなると、又、走って行く。どうで、「お祖母ちゃん、又おくれ」とでも言うたのであろう。三遍も四遍も行ったように思う。
    それでも、「今、やったやないか」というようなことは、一度も仰せにならぬ。又、うるさいから一度にやろう、というのでもない。食べるだけ、食べるだけずつ下さった。ハクセンコウか、ボーロか、飴のようなものであった、と思う。
    櫟本の梶本の家へは、チョイチョイお越しになった。その度に、うちの子にも、近所の子にもやろうと思って、お菓子を巾着に入れて、持って来て下さった。
    この当時は、お屋敷に対する警察の取締まりがとても厳しい時でした。にもかかわらず、子供の目線から見た教祖の面影やお屋敷の様子は、実にほのぼのとしています。「美しい絵巻物のような光景だ」。宗太郎さんは、そう回想しているほどです。
    宗太郎さんのひいおばあさんは、実は生き神様であり、お屋敷は言わば「神の空間」でした。その神様にいちばん近い場所で、幼い子供たちは知らず知らずのうちに「陽気遊び」をしていたのでしょう。
    教えに対する世間の反対や厳しい取締まりという社会事情はどうあれ、教祖はやって来る子供たちが可愛くて仕方がないのです。お菓子をねだりに繰り返し繰り返しやって来る子供たちとともに、教祖もまた、陽気遊びをしておられたのです。
    教祖はその限りない親心で、すべての人々を自らの子供としてお育て下さいます。「子供の無邪気な姿を、親は大きな親心で包み込み、ともに楽しむ」。教祖と子供たちの、この楽しい逸話には、そんな尊いひながたが示されているのではないでしょうか。
    (終)
    13 min
  • 病気のタカラ箱
    病気のタカラ箱
     岡山県在住  山﨑 石根
    令和6年12月4日、長男が天理教教会本部の教祖殿にて、おさづけの理を拝戴しました。
    おさづけの理とは、病む人に取り次いで病気の回復のご守護を願う、何よりも尊い天の与えです。別席という神様の大切なお話を9回、繰り返し聞かせて頂くことで心を入れ替え、たすけ一条を誓って願い出るところに、天理教教祖「おやさま」から、真柱様を通してお授け下さる効能の理です。
    この日を迎えるにあたり、長男も昨年の2月から毎月お話を聞かせて頂き、この日を以て無事に拝戴する運びとなりました。私たち夫婦は、教祖殿の参拝場の後方でドキドキしながらその瞬間を待ちわびていたのですが、妻はこの緊張感を「なんか出産に立ち会っているみたいやわぁ」と表現していました。
    また、偶然にもその時、教祖殿で若いお母さんが、赤ちゃんをおんぶひもで抱っこしながら、2歳くらいの男の子に一生懸命おさづけを取り次いでおられました。ふと隣を見ると、妻が「あぁ、何かうちの長男と次男を思い出すわぁ。私もああやって何回も取り次いだなぁ」と感極まって涙を流していました。
    というのも、実際に5人いる兄弟の中で、なぜか長男だけが本当によく病気を経験する子どもだったからなのです。彦摩呂さんみたいな比喩表現になりますが、「あんたは、まるで病気の宝箱やなぁ」と言うほど色々な病気を経験し、その度に私たち夫婦はこれまで幾度となく彼におさづけの取り次ぎをしてきたのです。
    長男は幼い頃から熱性けいれんを持っていました。病気の知識のない私たち夫婦が、初めて彼の発作を目の当たりにした時は、白目を向いて口から泡を吹き、手足を震わす姿に、気が動転してパニックになったことを今でもよく覚えています。
    それが熱性けいれんという病気だと教えてもらい、高熱が出る時に発作が起きるという理由から、発熱の兆候が見られたら必ずけいれん予防の座薬を入れるということを、彼が小学校に上がるまで繰り返していました。
    とはいえ子どもなので、気がつかないうちに高熱が出て、発作を起こしてしまうことも度々でした。
    熱が出る度に座薬を入れられるので、成長とともに「弟や妹たちはそんなことしないのに、なんで僕だけがこんなことされるん?」と、いつも大泣きしながら訴えていたのが、昨日のことのように思い出されます。
    3歳の頃には弱視と診断され、その治療のためにメガネをかけることを余儀なくされ、就学前にはアイパッチという眼帯で片目をふさいで生活するという苦労も経験しました。さらに6歳の時には、盲腸の手術で初めての入院も経験。手術後には成人なら輸血が必要なレベルの貧血という診断を受け、しばらく鉄剤を服用したこともありました。
    私は毎日々々、彼の目におさづけを取り次ぎましたし、熱性けいれんが起きる度に、何か病気になる度に、教会家族の誰かが彼におさづけを取り次いできたのでした。
    4歳ぐらいの時には不思議な体験もしました。母親を追いかけて階段を上がっている時に、3、4段上から落ちてしまい、気を失いました。その時、妻が神殿まで抱っこして連れて行き、駆けつけた父が一心不乱におさづけを取り次ぐと、最後の柏手と同時に意識を取り戻したのです。
    誠に鮮やかな神様のご守護を目の当たりにしながらも、すでに119番に連絡を入れていたので、念のため脳に影響がないかを確認するとの理由で搬送され、生まれて初めて救急車に乗るという経験もしました。
    このように、思い出せるだけでも、まるで病気の宝箱のように、なぜか長男だけがたくさんの経験をしました。その都度々々に私たち夫婦や家族のおさづけの取り次ぎがあったことを思う時、「今度はこの子が人だすけのために取り次ぐ側になれるんだなぁ」と、教祖の御前で一入感慨深い気持ちが湧き上がってきました。
    おさづけの理の拝戴後、教祖殿で見た親子連れの光景を妻が長男に伝えました。
    「お母ちゃんはな、なんかあんたら兄弟を思い出して、涙が出てきたわぁ。ほんま大きなったなぁ」と言いながら、妻は再び涙を流していました。
    「これまでいっぱい色んな人におさづけしてもらってきたんやから、今度はあんたがおさづけいっぱいしてなぁ」と、顔をくしゃくしゃにしながらお願いする妻に、長男は、「おーん」と照れくさそうな返事をするだけでしたが、この妻の涙に何かを感じてくれたはずだと信じてやみません。
    天理教の教えを知らない人からすれば、「こんなに病気ばかりして、辛い人生だ」と思うかも知れませんが、私たちの教えは「この病気の経験があったからこそ」と、喜びに変えられる信仰なのです。
    私は長男に、「あんたは病気の宝箱のような人生だっただろうけど、やっぱり病気っていうものは経験した人しかその辛さや苦しさって分かってあげられないから、人の何倍も色んな病気を経験しているあんたは、人の何倍も病気をする人の気持ちが分かるはずなんやで。だからこそ、もしかしたら神様が、おさづけを取り次がせるために、あんたにそういうかけがえのない経験をあえて与えてくれたんかも知れへん。そういう意味ではホントの宝やなぁ…」と伝えました。
    彼に想いが届いたかどうか分かりませんが、これは私たち夫婦の本音です。おやさま、彼に病気という宝物をくださり、ありがとうございました。そして、どうかこの子をおたすけの出来る子にお育てくださいませ。
    だけど有難い「分かる」
    「分かる」という言葉は、辞書を見ると、「理解する」「承知する」「了解する」「判明する」といった意味があります。「窓を閉めてね」「分かった」、「ご飯できたよ」「分かった」、「勉強しなさいよ」「分かった」と、こんなふうに使いますね。珍しい使い方としては、「話の分かる人」という表現があります。辞書には、こうしたことが書いてあります。しかし載っているのは、ここまでです。
    私は「分かる」という言葉には、もっと深い意味があると思うのです。それは「納得する」とか、「得心する」という意味です。そういう意味が、この言葉には確かにあったはずなのです。辞書だけではありません。いまの若い人たちに、この意味の「分かる」は通じないのではないかと思うことがあります。それでもなかには、心にしっかり治まっている人もいるようです。
    全盲のピアニスト、辻井伸行さんが、アメリカのヴァン・クライバーンピアノコンクールで優勝しました。彼がそのときの記者会見で話した内容に、私は心を打たれました。「もし、一日だけ目が見えるとしたら、何が見たいですか?」という質問に対して、「両親や友人の顔が見たい」「海とか花火が見たい」などといくつか答えを挙げた後で、「でも、心の目で見ているから、いまのままで十分です」と言ったのです。私は驚きました。この二十歳の青年は、生きていることの素晴らしさ、ご守護の有難さが分かっているのです。
    親神様は、
      めへ/\のみのうちよりのかりものを  しらずにいてハなにもわからん (三 137)
    と仰せくださいます。いま私たちは、こうして元気な体を貸し与えていただいています。たとえ病気であっても、事情に悩んでいても、親神様のご守護をすでに十分頂いています。このことが有難いということを、本当に分かっているでしょうか。
      わかるよふむねのうちよりしやんせよ  人たすけたらわがみたすかる (三 47)
    ここで仰せられる「分かる」は、「窓を閉めてね」「分かった」というような意味ではないのです。心の底から、ああそうやなあ、本当やなあ、と得心することなのです。
    なぜ、人をたすけたら自分がたすかるのか。これは実行しなければ分かりません。やってみて初めて分かるのです。それが分かったら人生の意味が分かる、人生の目的が分かる。そして、幸せを実感できるのです。かしもの・かりものの理が分かり、おたすけの値打ちが分かる人間に成人させていただきましょう。
    (終)
    13 min
  • 経験してみること
    経験してみること
    埼玉県在住  関根 健一
    コロナ禍での社会的な制限が解け、一年以上が経ちました。会いたい時に、会いたい人に会えなかった時間を取り戻すかのように、最近は週末ごとに各地域でのイベントが盛んに開催されているように感じます。
    先日、長女が通う障害者事業所のある隣町で開催される「福祉まつり」のご案内が届きました。地域住民の皆さんが作り上げてきた30年以上の歴史があるイベントで、長女が通う事業所も毎回出店し、利用者の皆さんで作った授産品や飲食物を販売しています。それに加え、今回は普段行っている音楽活動の発表の場としてステージにも上がるため、是非家族で応援に来てくださいとのことで、長女の送迎も兼ねて妻と行ってみることにしました。
    会場に到着後、模擬店などで賑わう広場を一回りして、ステージがある文化会館のロビーで長女を支援員の方にお願いし、私たち夫婦は客席へ。他の事業所や任意で活動するグループの発表もあり、それらを楽しみながら長女の出番を待ちました。
    何週間も前から「ステージ緊張する」とこぼすぐらいにプレッシャーを感じていた長女も、いきいきと歌うことができ、私たちもホッと胸をなでおろしました。
    ステージが終わった後は解散になり、家族でお昼ご飯がてら会場を回りました。会場内では障害福祉、高齢者福祉に限らず、こども食堂や里親連盟、小中学生のボランティア体験に携わる人たちが、活動の紹介や作品展示を通じて啓発を行い、活動資金を得るための飲食販売もしていました。美味しいものが食べられるとあって、普段あまり福祉に関わる機会も少ないであろう家族連れも多く来場していて、福祉にふれる機会として素晴らしいお祭りだと、妻と感心していました。
    会場は公共施設なので、バリアフリーでどんな方でも安心して参加できるように色々な配慮がされていますが、結構混雑していました。
    今回に限らず、都心の駅や商業施設でもそうなのですが、車椅子の長女を押しながら人混みを歩くのにはかなり神経を使います。というのも、長女の車椅子は座位保持装置といって、体に合わせてオーダーメイドで作ったクッションを乗せているものなので、一般的な車椅子に比べてかなり大きいのです。
    車椅子を押しながら人混みを歩く経験をしたことがある人はあまり多くないかも知れませんが、大きな荷物を載せた台車で人混みの中をすり抜けると言えば、イメージしやすいかと思います。しかも車椅子の場合、乗せているのが生身の人間ですから、より注意深く、長女はもちろん、周りの歩行者にも怪我がないよう進まないといけません。
    ところが、周りの人は急いでいるからか、時折目の前をスルッと横切る人がいます。もちろん悪気はないと思うのですが、こちらはヒヤリとします。例えるなら、車を運転していて、横から急に自転車が連続して飛び出してくるような感じです。なので、長女と一緒に人混みを歩く時は、一人で歩く時に比べてかなりの時間がかかるのです。
    話は変わりますが、全国の小学校で20年ほど前から「総合的な学習の時間」という授業が設けられています。国語や算数などの教科にとらわれず、総合的、横断的に学習することを目的にできたものと聞いています。
    次女が小学三年か四年の頃だったでしょうか。この「総合的な学習の時間」の一環で、近々車椅子体験をするということで、友達と一緒に長女の車椅子に乗っていたことがありました。生まれた頃から家に車椅子がある次女は、慣れた手つきで操作することができます。それを見ていた友達は、「上手だね!すごいね!」と言って目を輝かせていました。
    その後、次女の通う小学校で車椅子体験を見学する機会がありました。普段乗ることのない車椅子を前に興奮気味の子供たちでしたが、恐る恐る乗り始めるとすぐに慣れてきて、押してくれる友達に「右」「左」と指示をしていました。体験しながら、同じグループ内で口々に感想を述べ合っています。子供の持ち前の素直さが、初めて体験したことをスポンジのように吸収していくのだなあと感心しました。
    しかし体験が終われば、子供たちは自由に歩くことができます。もちろん、「車椅子での生活は大変だ」と感じることで、障害のある人への対応に変化があるかもしれませんし、この体験自体に意味がないわけではありません。
    子供たちのこれからの人生、自分が車椅子に乗る可能性は低くても、車椅子の人に接することは多々あると思います。そうした時に、授業での体験だけでなく、私のように車椅子を押して人混みを歩く経験など、実際に「車椅子を押してみた」「手伝ってみた」という体験があるとないとでは、見えるものがだいぶ変わってくると思うのです。
    例えば、先ほどのお祭りでのことです。果物やお菓子にチョコレートを付けて食べる「チョコファウンテン」のお店があり、長女も自分でやってみたいと言うので購入することにしました。
    お金を払うと果物やお菓子を載せたお皿を受け取り、溶けたチョコレートが循環する機械でチョコレートを付けます。機械が二台並んで置かれているのですが、経験上、長女の車椅子は場所をとるため、機械が二台空かないと出来ないと感じたので、先に来たお客さんが終わるのを待っていました。
    すると、店員さんが「空いてますよ、どうぞ」と促してくれます。ありがたいのですが、隣りでチョコレートを付けている家族の邪魔になりそうなので、「すみません、二つ空いたらでいいですか?」と言うと、店員さんも事情を察して「あ、いいですよ」と返してくれました。こちらから説明しなくても事情を理解して下さったようで、とても嬉しい気持ちになりました。
    また、こんなこともありました。家族で食事をした時のことです。席に着くと間もなく全員分のお冷が運ばれてきます。長女はコップから直接飲むよりも、ストローを使う方が飲みやすいので、店員さんに「ストロー頂けますか?」とお願いしました。
    用意してくれたストローを見ると、コップの大きさに合わせて短くなっていて、それは介助する家族にとって扱いやすい絶妙な長さでした。もしかすると、元々子供用に短くされているものかもしれませんが、私たち家族の気持ちを分かってくれたようでとても嬉しかったことを、10年以上経っても覚えているのです。
    よく「相手の立場に立ってみて考えよう」という言葉を耳にしますが、様々な環境の違いから相手の立場に立てないこともあります。そうした時に、相手の気持ちを慮る上で、自ら経験してみたことが生きてくるのではないでしょうか。
    信仰生活を通して、様々な立場の人のお話を伺うことがあります。相手の立場と自分の立場、その距離感を大切にしながら、人の心に寄り添っていきたいと思います。
    かしもの・かりものの理
    「それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。」
    この「おかきさげ」の一節こそ、天理教の教えの角目となる「かしもの・かりもの」の教えです。教祖は、直筆による「おふでさき」において、
      めへ/\のみのうちよりのかりものを  しらずにいてハなにもわからん (三 137)
    と、この身体は神様からのかりものであるということを知らなければ、この世界の真実について何も分かりはしないのだ、とまで仰せられています。
    私たちは親神様から身体をお借りし、その大いなるご守護によって生かされて生きている。こうして言葉にするのはいとも簡単ですが、これを心に治めて通るところに、それまでの人生観や生活態度が一変します。
    今までは自分の力で生きていると思い、己が力や才覚を頼りにしてきた。ひたすらに利益を求め、そのためには手段を選ばず、人を押しのけてでもやり遂げるんだ、とまっすぐに突き進んできた。
    ところが、かしもの・かりものの理が治まれば、考え方が変わってきます。いかに力や才覚があっても、親神様のご守護がなければそれを有効に働かせることはできない。そもそも親神様のご守護を頂いてはじめて、私たちは生きることができるのであって、それがなければ健康も豊かな生活も望めないのです。
    そこで、「心一つが我がの理」と、ただ一つ自由に使うことを許されている心の使い方をあらためる。親神様の思召しに添うように、互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしへ向けて心を入れ替えていく。それまで自分のことにしか思いが届かなかった生き方を180度転換し、人の喜びのために、人のたすかりのために思いを寄せていく。これがすなわち、心の生まれ変わりなのです。
      このよふハ一れつハみな月日なり  にんけんハみな月日かしもの   (六 120)
      せかいぢうこのしんぢつをしりたなら  ごふきごふよくだすものわない  (六 121)
    かしもの・かりものの理に目覚めることが、親神様が望まれる、明るく陽気な心に生まれ変わる一番の手立てとなるのです。
    (終)
    13 min
  • 「親孝行」と「人助け」
    「親孝行」と「人助け」
     兵庫県在住  旭 和世
    「旭さん、お腹の赤ちゃんに異常がみられます。すぐに大きな病院へ行ってください」
    「え?…」信じ難い言葉が聞こえてきました。4人目の子どもが授かり、7カ月検診の時でした。
    翌日、県立こども病院の診断で「お子さんにはかなり重度の障害がみられ、『18トリソミー』という病気だと思われます」と知らされました。
    「18トリソミー?」
    聞いたことのない病名に唖然とする私たち夫婦に、病院の先生は続けて、「産まれてこられるかどうかも分かりません。産まれてくることが出来ても、一歳まで生存できる可能性は一割です」と仰いました。説明を聞けば聞くほど、だんだん目の前の景色が色を失っていくように感じました。
    帰ってから調べてみると、染色体に異常がある病気で、流産、死産となる可能性が高く、生まれてきても生命予後は厳しいと書かれていました。そんな言葉の数々に胸が張り裂けそうで、一気に不安が押し寄せてきました。
    それまでは元気な子を3人授かっていたので、何の疑いもなく元気な子が産まれてくるだろうと思っていました。まさに青天の霹靂でした。私は「何か自分の通り方が悪かったんだろうな。何がいけなかったんだろう…」と、自分を責めるようなことばかり考えていました。
    そんな中、主人がおぢばから帰ってきた日に、「今日、神殿のかんろだいの前でふと、自分たちに必要な親孝行と人助けの心を神様が促してくださっているような気がして、赤ちゃんの名前が浮かんできた」と言い、お腹の子の名前を「親孝行」の〝孝〟と、「人助け」の〝助け〟という文字をとって、「孝助」と名付けてくれました。そして、何とか産まれてきてほしいと夫婦で願い続けました。
    をびや許しを頂き、親神様のご守護のもと、孝助は小さな小さな体で産まれてきてくれました。しかし、重度の障害があるため、すぐにNICU・新生児集中治療室に運ばれ、保育器の中での治療が始まりました。
    自発呼吸ができず、口から呼吸器を挿管していたので、哺乳をすることもできず、搾乳機で絞った母乳を管から胃に送り込んでいました。これまでとは全く違う育児に、母親であっても何もしてあげられない無力さを感じました。
    まさか自分が重度の心身障害児の母親になるなど想像もしていなかったので、不安やとまどいの中、必死で毎日を過ごしていました。そんなある日、私は数カ月前の出来事を思い出しました。
    その日はおぢばがえりの日でした。神殿までの砂利道を歩いていると、尊敬するS奥さんに偶然出会いました。
    「奥さん、お久しぶりです!お元気ですか?」
    「あら、和世ちゃんに会えるなんて!  ちょうどよかった。はい、これよかったら聞いてみて!」
    奥さんは一枚のCDを手渡してくださいました。
    急なプレゼントに戸惑いながらもお礼を言い、教会に戻りすぐに聞いてみました。すると、ある養護学校の先生のお話が流れてきました。障害を持つ子どもさんのことを新たな視点で伝えてくれる内容で、今まで聞いたことのない素晴らしいお話でした。
    この時もらったCDは、きっと神様からのプレゼントだったのでしょう。「今からあなたに障害を持つ子を授けるから、大事に育ててほしい」と言われたような気がして、この出来事は決して偶然ではなく、必然だったのだと思いました。
    神様のお言葉に、
      にんけんハみな/\神のかしものや  なんとをもふてつこているやら (三 41)
    とあります。
    自分の体が神様からお借りしているものなら、我が子も神様からお借りする命。そんなかけがえのない命を、障害があるという理由でネガティブに捉えていた自分が恥ずかしくなりました。
    今ここに置いて頂いている我が子の命を、親である自分自身が喜び、今日一日を過ごせたことを神様に感謝申し上げることで、この子の人生は幸せで有意義なものになると思いました。
    そして、親孝行と人助けからとった「孝助」という名前の通り、親に安心してもらえるよう、また、自分のことよりも人様のことで動かせてもらえるようにと、我が子を通して教えて頂いたおかげで、内向きだった心がだんだんと外に向き、尊い、嬉しい、楽しい毎日になっていきました。
    思い返せば、私たち夫婦の結婚式の日、祝辞でこんなお話をして頂いていたのです。
    「人生には、上り坂、下り坂、そして、まさか!という坂があります。どんな坂道も、夫婦で心を合わせて親神様・教祖の教えを芯に乗り越えていってください」
    私はその時、「上り坂、下り坂は何となく想像できるけど、『まさか』ってどんな坂なんだろう?」と思い、そのフレーズが心に残っていました。
    その「まさか」という坂を、今まさに通らせて頂いているんだなと実感していました。祝辞の言葉通り、教えを芯にしていなければ、きっと起こってきた出来事に戸惑い、迷い、落ち込み、到底喜びいっぱいの毎日など送れていなかったに違いありません。
    CDを頂いたことも結婚式の祝辞も、私たちが教えを芯に通らせて頂けるように、神様が先回りをしてちゃんと道をつけて下さっていたのだと思うと、なおさらその親心を有難く感じ、心が温かくなりました。
    そして驚いたことに、CDを下さったS奥さんご夫婦が最初に授かったお子さんが、孝助と同じ18トリソミーだったことを後に知り、本当に鳥肌が立つほどびっくりし、神様のお取り計らいに胸がつまる思いでした。
    その後も、S奥さんご夫婦はもちろんのこと、たくさんの周りの方々が励まし、寄り添ってくださいました。それは私たち家族にとって本当に心に沁みる優しさであり、教祖のぬくもりのようでした。
    私も、神様のよふぼくとしてお使い頂けるなら、こんな風に人に寄り添いたい。そして、私がしてもらったように、先が見えない真っ暗なトンネルの中でも、足元に灯りを照らし、共に歩かせてもらえるような人になりたいと思いました。
    その後、孝助は2歳を迎える直前に出直しました。孝助が小さな身体で精一杯「生きる喜び」や「人のぬくもり」を伝えてくれたこと、たとえ歩けなくても、話せなくても、その存在そのもので親孝行をしてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
    孝助の誕生、生きた日々、出直しの中で、教えに何度も救われました。
    おふでさきのおうたに、
      いかほどにせつない事がありてもな  をやがふんばるしよちしていよ  (十五 8)
    とあります。
    このお言葉は、思いもよらないことにぶつかり、切なかった日々、倒れそうな心をいつも支えてくれました。少しずつ前を向けたのは、親神様にもたれ、教祖のひながたから勇気を頂き、たくさんのたすけ心にふれたおかげでした。本当に、この信仰をつなぎ続けてくださった親々に感謝ばかりです。
    これからも、孝助の存在は私たち家族の心にずっと残り、親孝行の本当の意味や、人助けの素晴らしさを伝え続けてくれると思っています。
    元こしらえた神
    この世界はどのように創られ、私たち人類はどのように誕生したのか。それには私たちの想像を絶するような、何か大きな力が働いたことには違いないのですが、ではそこに何らかの意思、思わくは働いていなかったのか。働いていたとすれば、それはどのような存在によるのか。その「元」をたずねることこそ、この教えの神髄なのです。
    天理教の原典『おふでさき』に、次のように記されています。
      このよふのにんけはじめもとの神  たれもしりたるものハあるまい (三 15)
      どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ  それがたん/\さかんなるぞや (三 16)
      このたびハたすけ一ぢよをしゑるも  これもない事はしめかけるで (三 17)
      いまゝでにない事はじめかけるのわ  もとこしらゑた神であるから (三 18)
    この世界と人間を創めた元の神の存在を、誰も知る者はいないであろう。そもそも、ものの形が何もない泥海の中から、神が雛型と様々な道具を寄せて人間を造り、なすべき働きを教えられ、それが長い年月を経て、段々と発展してきたのである。
    このたび、神は世界たすけの真実の道を教える。それも未だかつてない、誰も知らなかったことを明らかにしていこう。それは他でもない、この人間世界を創めた元の神だからこそ実現出来るのである。
    日々の暮らしにおいて、何より頼りになるのは「元の親」の存在です。「もとこしらゑた神」である親神様のお声を頼りに、陽気ぐらしへと通じる道を迷わずに歩いていきたいものです。
    (終)
    14 min
  • 僕は誰ですか?
    僕は誰ですか?
    岐阜県在住  伊藤 教江
    私たちには必ず親がいます。その親を、本当に私の親なのだろうか…と疑ったことはありますか?
    私は、幼い頃、親の言うことを聞かなかったために、「お前は橋の下で拾ってきた子」と叱られたことがあります。しかし、たとえそう言われても「私の本当の親は誰なの…?」と思ったことすらありません。なぜなら、どんなことがあっても、自分の親を間違いなく親だと信じ切っているからです。だからこそ安心して暮らせるのだと思うのです。
    何年も前、教会で一人の少年を預かることになりました。その少年は、小学校を卒業するまでは何事もなく、家族で幸せに暮らしていました。
    しかし、中学に入ったある日、たまたま自分の戸籍を見て、今まで何の疑いもなく信じてきた親が、実は本当の親ではなかった…という事実を初めて知りました。
    少年は、「僕の本当の親は誰なの? …もう誰も信じられない!」と、自分が信じていたすべての「元」が崩れ出し、この先の将来の夢をも一瞬にして見失ってしまいました。とても素直で成績も優秀な少年でしたが、その後、不登校・ひきこもりになり、生きる気力さえもなくしてしまいました。
    私たち夫婦は、この少年が生まれる前からの事情や、その後なぜ実の母親K子さんが少年を育てられなかったかということも知っていました。
    さかのぼること十数年前、実はK子さんがこの少年をお腹に身ごもっていたことを、K子さん自身も家族も誰一人として分からなかったのです。なぜならK子さんは精神的な病で、自分のことも周りの状況も判断出来ない状態だったからです。身体も大きくて太っていたので、一緒に暮らしていた母親も妊娠には全く気づきませんでした。
    当時、私たち夫婦は結婚して間もなく名古屋の地で布教をしていました。その時初めて、ネグリジェを着て真っ赤な口紅を付けて歩いていたK子さんと出会いました。
    K子さんは精神的な病を患っていたので、会長である主人は、K子さんの頭におさづけを取り次いでいました。するとK子さんの母親から、「この子はひどい便秘ですから、お腹にもおさづけをお願いします」と言われ、主人はK子さんの頭とお腹におさづけを取り次ぐために、三日おきに往復三時間の道を歩いて、何ヶ月も家を訪ねていました。
    そんなある日、「こんにちは。お元気ですか?」と主人が、K子さんの家の玄関を開けた途端、「この子妊娠していた!早く病院に連れて行って!」と叫ぶ母親の声と、産気づいたK子さんの姿が目に飛び込んで来たのでした。
    主人は急いで一緒に救急車に乗り込み、産婦人科に行きましたが、K子さんは妊婦健診を一度も受けていないために出産の受け入れを拒否され、いくつもの病院をたらい回しにされました。そして、かろうじて赤十字病院で受け入れてもらうことが出来たのです。
    妊娠したら風邪薬一つでも気を付けなければならないのに、K子さんは何年も前から精神薬と便秘薬を何種類も服用していたため、お医者さんから「今まで何をしていたんですか!99,9%奇形児です。覚悟しておいて下さい!」と、K子さんの旦那さんと間違えられた主人は、すごい剣幕で怒鳴られたのです。
    K子さんの母親は、「なぜ次から次へとこんな苦労をしなければならないのでしょうか…」と、病院の待合室で泣き崩れました。長年にわたり精神的な病を患った娘さんのことで苦労し、その上、本人も家族も「いつ?どこで?」相手が誰かも分からないままの妊娠出産です。
    私たちは、無事に出産出来ること、お腹の子を守って頂くことを必死に親神様に祈るしかありませんでした。そして…無事に出産。手にした赤児は男の子。
    その赤児は、何と五体満足に元気に生まれて来てくれたのです!
    医学の世界では考えられない奇跡が起こったのです。その時私たちは、「親神様は、K子さんを便秘にしてまでも、そのお腹におさづけを取り次ぐ道をおつけ下さり、お腹にいた赤児をお守り下さったのだ」と確信をしたのでした。
    この赤児は直ぐにK子さんの両親と養子縁組をし、祖父母が実の親であると聞かされ、それを疑うこともなく中学生になるまで幸せに育てられてきました。しかし、本当の親ではないという事実を知った瞬間から心を閉ざしたのでした。
    「僕は誰ですか?」…少年は、一人自問自答を繰り返していました。
    その中、主人は何度も少年を訪ねて、ドアの開かない部屋の前で、何ヶ月も我が子以上の愛情を注ぎながら、そっと少年の心に寄り添ったのでした。
    そして、ついにドアは開いたのでした。
    少年は、運命的には自分の親が分からなくとも、誰よりもずっと親身になり、寄り添い続けた主人を心から信じることが出来たのでしょう。
    やがて少年は、主人に連れられ、魂のふるさと・おぢばに帰り、この世と人間をお創り下された元の親である親神様を知り、教祖の温かい親心にふれたのでした。そして、親神様の大きなご守護を頂いて、今ここに命があり生かされていることの喜びと安心を、肌身に感じてくれたのでした。
    たんのう
    人生はいつでも順風満帆というわけにはいきません。逆風で前に進むことができない時もあり、そんな時こそ、心の舵取りが重要になってきます。天理教では、逆風に難儀しなければならない時の心の治め方として、「たんのう」という舵の取り方を教えられています。
    一般に堪能とは、「十分満足する」という意味で使われる言葉ですが、教えとしての「たんのう」は、この意味を背景に、さらに積極的な心の姿勢を表す教語として用いられています。
    たんのうとは、たとえそれが自分にとって良いことであっても、不都合なことであっても、成ってくることのすべてを親神様の親心の現れと受け止め、明るく勇んで通る。そのような心のあり方であると教えられます。それは、辛抱や諦めといった消極的な姿勢ではありません。どんな中でも「結構、結構」と喜ぶところにまで徹した心の運び方です。
    教祖・中山みき様「おやさま」をめぐって、次のような逸話が残されています。
    慶応四年五月中旬のこと。毎日大雨が降り続き、あちこちで川が氾濫して田や家が流されるという事態になりました。熱心に信仰していた山中忠七さんも、持山が崩れ、田地が土砂に埋まってしまうという大きな被害を受けました。
    かねてから忠七さんの信心をあざ笑っていた村人たちは、「あのざまを見よ。阿呆な奴や」と口々に罵りました。それを聞いた忠七さんはいたく残念に思い、さっそく教祖に伺うと、教祖は、
    「さあ/\、結構や、結構や。海のドン底まで流れて届いたから、後は結構やで。信心していて何故、田も山も流れるやろ、と思うやろうが、たんのうせよ、たんのうせよ。後々は結構なことやで」と仰せられました。
    忠七さんは、教祖のお言葉を聞いて、大自然の猛威をうらめしく思った自分の心に気づき、大難を小難にお連れ通り頂いた親神様のお計らいに、あらためて感謝することができたのです。(教祖伝逸話篇21「結構や、結構や」)
    「たんのうのできた人」とは、どんな条件もなしに自然と喜び心が湧いてくるような人のことを指します。
    「難儀さそ、不自由さそという親は無い。幾名何人ありても、救けたいとの一条である」(M21・6)との親心あふれるお言葉を噛み締め、いつでも喜びいっぱいの心で通りたいものです。
    (終)
    13 min

About 天理教の時間「家族円満」

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心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。

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