天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」 episodes

  • 難産を経験したお母さんへ
    難産を経験したお母さんへ
     助産師  目黒 和加子
    リスナーの皆さん、「難産」と聞いてどんなお産を思い浮かべますか?
    陣痛が来ているのに二日経っても三日経っても産まれない、体力と精神力を限界まで使い果たすような難儀なお産。あるいは分娩経過中に母体や胎児に問題が起き、緊急帝王切開になるのを難産と捉える人もいるでしょう。
    誰でも楽々と産みたいですよね。でも、しんどい難産を経験する中で、特別な宝物を手にするお母さんもいるのですよ。
    真夜中に入院してきた小倉奈々さんは、大阪の実家に里帰りしている初産婦さん。三日前に陣痛が来て来院したのですが、微弱陣痛で子宮口は全く開いていません。ドクターから「陣痛が弱くてまだまだお産になりません。家で休んでいてください」と言われて帰宅しました。
    その翌日も来院したのですが、やはり微弱陣痛で子宮口は5ミリしか開いておらず、「入院するのは早過ぎます」と、再び帰されました。
    日付けが変わった真夜中、本格的な陣痛が来て三回目の来院。子宮口は3センチ開大し、入院となりました。里帰り出産なので、お母さんが付きっきりでお世話をしています。
    小倉さんは痛みと不安で三日間ほとんど眠れず、ヘトヘト、クタクタの状態。入院してから20時間後、子宮口が直径10センチの全開となり、やっと分娩室に入りました。息み始めると、胎児がいい感じで産道を下がり、〝パーン!〟とはじけるように破水しました。さあ、出産まであと一歩!だったのですが…。
    破水した直後に内診すると、順調に産道を下がっていたはずの胎児が、何と上がっているではありませんか。おまけに真下を向いていたはずが、横向きになっています。破水の勢いで押し上げられ、頭の向きも変わってしまったのです。
    横向きの場合、産道の硬い初産婦が経腟分娩をするのはかなり厳しく、息んでも息んでも胎児は下がってこれません。このまま狭い産道で圧迫を受け続けると、苦しい状態に陥ります。
    〝これは困ったことになった。胎児の位置が高すぎて、吸引分娩も鉗子分娩もできない〟。ドクターと私が顔を見合わせ、次の手を考え始めたその時、胎児心拍数がガクンと低下。
    トン、トン、トン、トン、と、馬が駆けるようにリズムよく打っていた胎児心拍が、トーーーン、トーーーン、トーーーン……。今にも止まりそう。
    「緊急帝王切開や!5分でオペ室準備しろ!」分娩室に響く、医師の慌てた声。スタッフの緊張が一気に高まり、バタバタと走り回っています。
    急いで麻酔をかけ、帝王切開が始まりました。切開した子宮の中を見ると、へその緒が赤ちゃんの右肩から左の腋の下にぐるんと巻き付いています。まるで駅伝選手のたすき掛けのよう。胎児をくるんでいた卵膜が破け、勢いよく破水したことで、子宮内圧が急激に変化し、へその緒に引っ張り上げられたのです。次々と困難が起きましたが、お産は無事終わりました。
    退院の前日、お部屋を訪ねると、小倉さんは涙を浮かべています。
    「どうしたの?」
    「母に言われたんです。下から産まれる寸前までいったのに、陣痛と手術のどっちの痛みも経験せなあかんのは、あんたが高校生の時、散々やんちゃして親に心配かけたからや、行いが悪いから難産になったんやって。お姉ちゃんは、一人目は4時間で二人目は2時間、楽々と産んでる。昔から、日頃の行いがお産に出るって言うけど、ほんまやなあって」
    「お母さん、厳しいね」
    「昔、親に心配かけたのは事実です。でも、めっちゃ頑張ったのに…」
    涙が止まらない小倉さん。私は彼女の背中をさすりながら問いかけました。
    「今回、お産のスペシャルコースを経験して気づいたことある?」
    「私、お産をなめてました。お姉ちゃんが楽々と産んでたから、私も楽勝やって。親戚のおばちゃんから『お産は棺桶に片足を突っ込むことや』って聞いて、大げさやなあって流してたけど、ほんまですね。死ぬかと思いました。赤ちゃんの心拍がゆっくりになって、お医者さんが慌てて帝王切開に切り替えますって言った時、産む私も命がけやけど、赤ちゃんも命がけやって分かったんです。産まれるって奇跡やって。命の危険を感じて怖かったけど、大事なことを知りました」
    「助産師学校でね、人間が最も死に近づくのは、産道を通過する時だって教わったんよ。赤ちゃんはものすごい低酸素状態で、命からがら産まれてくるねん。産むお母さんも産まれてくる赤ちゃんも、ほんまに命がけやねんで」
    「そうやったんですね。そんな大事なこと全然知らんかった。母には厳しいこと言われたけど、自分で産みの苦しみを経験してみて、産んでくれたことも育ててもらったことも有難いんだなって、感謝の思いが湧いてきました」
    「もし楽々とお産してたら、こんな思いになったかなぁ?」
    「相変わらずお産をなめてたでしょうね。お産で家族が増えることは当たり前で、奇跡やなんて全く気付かないまま。母に対しても、こんな気持ちにはなれへんかったと思います」
    私は最後に小倉さんをハグしながら、ありったけの思いを伝えました。
    「難産やったのは運が悪かったんと違う。損したのとも違う。ましてや日頃の行いが悪いからでもない。難儀な思いをしたけれど、お産は命がけやと知ったよね。お産で家族が増えることは奇跡やと実感できたよね。この経験は宝物なんよ。きっと子育てにつながるから。これからの人生を支えるチカラになるから。私は小倉さんの命がけの頑張りの目撃者やで。ご褒美に世界で一番大きいダイヤモンドを買うてあげたい。そんな気持ちやで」
    翌日、彼女は清々しい笑顔で退院していきました。
    リスナーの皆さんの中にも、難産を経験した人がいると思います。もし、その経験を後ろ向きに捉えているのなら、小倉さんにかけた言葉をあなたにも送ります。あなたはすでに特別な宝物を手にしているのだと、気づいてほしいから。
    だけど有難い「思い通りになったら…」
    「とかく、この世はままならぬ」と昔から言いますが、「自分の思い通りにならない」と嘆いている人が多いようです。最近、凶悪事件が連続して起こるのも、世の中が自分の思い通りにならないことへの怒りや苛立ちをぶつけている姿のようにも見えます。
    しかし、もし思うようになったとしたら、どうでしょう。世の中は無茶苦茶になるのではないでしょうか。たとえば、梅雨の時期は雨で一日中ジトジトするので嫌だという人は多いと思います。だからといって、梅雨をなくしてしまえば、夏は水不足で困らねばなりません。
    同じように、日本の夏は暑すぎるから涼しくなってほしいと願って思い通りになったら、冷夏で米が穫れないのです。台風が来ると被害が出るから来なければいいと願って思い通りになれば、やはり水不足で困らねばなりません。どんなことも私たちの思うようになったなら、果たして幸せな生活が送れるでしょうか。
    実は、思うようにならないから良いのです。すべては、親神様が私たちの将来に一番良いようにと、ご守護くださっているのです。考えてみれば、人間の親子関係も同じです。子供の望み通りにしてやりたいと思うものの、時には辛抱を教えなければならないこともあります。口うるさくならなければいけない場合があるのです。
    娘が小さいころ、高熱を出すと熱性痙攣を起こすことがありました。初めてそうなったときは、びっくりしました。死んだのではないかと思うほどの状態になるのです。私も同じように両親に心配をかけてきたことを、あとで聞いて知りました。
    痙攣を何度も繰り返すのは良くないとのことで、熱が出たときのために医師から座薬を処方されました。座薬は湿らせると簡単に入ります。当時はそのことを知りませんでした。妻と二人で娘を押さえつけて、無理やりお尻に入れました。娘は「誰か助けて、お尻が割れる」と叫びました。しかし親を恨んだかといえば、そんなことはありません。親は自分に一番良いようにしてくれているということが、子供心に分かっていたからです。
    親神様と私たちの関係もそうなのです。私たちは幼児と同じです。思い通りにしてほしいと願いますが、その通りになったら大変なことになるのです。親神様は、私たちの親です。一番良いようにしてくださっているのです。
    私の子供が座薬を入れられたときのように、やっぱりつらいときはあります。その場だけ考えれば、勘弁してほしいと思うときはあるのです。病気や事情で苦しんでいるときが、まさにそうです。しかし親神様は、そうしたふしを与えてまでも、その人の将来に一番良いようにしてくださっているのです。
    梅雨の時期は鬱陶しい。けれど、梅雨がなくては困ります。同じように、病気や事情は鬱陶しくて、つらくて苦しい。けれど、これでたすけてもらえるのだと信じて、神様にもたれて通っていただきたいと思います。
    (終)
    14 min
  • 共に育つ
    共に育つ
    静岡県在住  末吉 喜恵
    子育てって、子供を育てているというけど、実際は自分たち親が育っているのではないでしょうか。夫も私も子育てをしていて、忍耐力がいるのはもちろん、危険予知能力も必要なのでは?と思うこともあり、とにかく今まで経験のないことだらけです。
    私たちの子育て、これで合ってるのかな?と答え合わせをしようにも、すぐに答えは出ません。10年20年経たないと分からないことなのかな、と思っています。
    長女が二歳の反抗期、いわゆる「イヤイヤ期」の時の話しです。初めての育児で、自我の芽生えということが理解できずに、「イヤイヤ~!」と言われると、こちらもイライラしてくることが多くありました。
    洋服もそれまでは私が用意したものを素直に着ていたのに、自分で選ばないと気が済まなくなりました。お気に入りは、色柄物のシャツに色柄物のズボン、しかも晴れなのに長靴スタイル!これが毎日です。
    これはどう見てもやばいでしょ!と思って、「下のズボンだけでも無地のものに変えない?」と言ってみるのですが、なかなか言うことを聞いてくれません。イヤイヤ期の子育てってこんなにも大変なんだ、これは親として忍耐を学ぶ修行だなと思っていました。
    そんなある日、ふと「まあ、いいか。人に何て思われようと気にしない」と気持ちが切り替わったのです。この子が好きで選んでいる服だから、気に入って自分が大好きだと思ってくれればいいや!そう思った日から、かなり気持ちが軽くなりました。
    それからも毎日々々、柄柄やピンクピンクなどの、色見ヤバヤバスタイルでしたが、「いいじゃん、可愛いよ!」と褒めるようにしました。夫も「ダッサいね~」と笑いにしていました。自分で選べるようになるのも大事なことなんだと、こちらも学ぶことが出来ました。
    我が家の次女と三女は一卵性双生児です。一卵性双生児は遺伝子が同じなので、顔も背格好も、歯の形でさえとても似ていて、初めて見た人はもちろん、保育園や学校の先生も違いが分からないほどでした。
    でも性格は違っていて、次女はものをぽんぽん捨てられる子で、逆に三女は捨てられない子でした。なので机の上も、次女はスッキリ何も置いていないけど、三女はお菓子の包み紙とか、これはゴミじゃない?と思うようなものも大事そうに取ってあって、山積みになっていました。それを見て、「やっぱり同じ遺伝子でも、性格や魂は違うのだなあ」と実感しました。
    長男が三歳の頃、反抗期に入り自我が芽生えてきて、「今って言ったら今!」という感じで、一度言い出したら聞かなくなりました。他のことで気分を変えさせようとしても、他のもので釣ろうとしてもダメです。自分の欲求が満たされないと、泣いて泣いて大暴れします。
    ある日、朝起きてすぐ長女が、持っているキラキラの折り紙を見せびらかしました。あげる気もないのに自慢げに見せるので、長男はそれが欲しくてたまらなくなり、「欲しい欲しい!くれないなら買いに行く!」と言い出しました。10分も泣いて、おさまりがつかなくなり、長女が「一枚あげるよ」と言っても、もう聞きません。
    「まだお店開いてないよ」と言っても「開いてる!」と言うので、実際に見に行きました。仕事がお休みの日だから出来たことですが、朝6時半から近くの文具店まで二人でお散歩しました。
    一緒に歩き始めるとご機嫌になり、しゃべりっぱなしの長男でしたが、文具店に着くと「閉まってるね」と残念そうな顔。でも、ひらめいたように「100均なら開いてるかも!」と言うので、今度は100均まで歩きました。もちろん閉まっていましたが、実際に見て納得がいったようで、「じゃあ、おうち帰ろう!」と言って、ダッシュで走っていきました。
    普段、私と二人の時間を過ごすことも少なかったので、二人きりでの朝のお散歩が楽しかったようです。そのあとは、折り紙のことなんてすっかり忘れて、きょうだいで楽しそうに遊んでいました。
    こうして実際に一緒に歩くことを通して、子供は自分の目で見て確認したら納得するのだということを学びました。
    幼い頃の特徴としては、子供は理論立てて考えるより、目で見たそのままを事実として脳に入れ込むのだそうです。中でもネガティブな記憶の方がより深く刻まれ、その記憶がその後の人生の色んな場面に影響を与えるのだと聞きました。
    でも、子育ての最中で、何がネガティブな記憶として刻まれるかは中々分かるものではないし、防ぎようがありません。だからこそ、ネガティブに対抗するためにポジティブな言葉をかけ続けること、たくさん褒めて、たくさん「大好き!」と伝え続けることが大切なのです。
    たくさん「大好き」「ありがとう」と愛情や感謝を伝えられた子供は、人にも優しく出来るし、自分にも優しく出来る子に育つ。そんな思いから、私も子守唄を作って、「ママの子供に生まれてきてくれてありがとう。大好きよ」と、寝る前に子供たちに歌って聞かせてきました。
    五人の子育てをしていて、「誰がいちばん好き?」と子供たちから聞かれる時がありました。上の四人は年も近かったので、誰が一番かというのを知りたい時期だったと思います。その時、私は必ず「みんなのことが好きだけど、パパが一番好きだよ」と言っていました。それでみんな納得してくれていました。自分自身も誰が一番なんて順位はつけられないし、実際に夫のことが一番好きなので、その正直な気持ちを伝えました。
    でも一人ずつ話をする機会があれば、「みんなにはパパが一番って言ってるけど、実はあなたが一番好きだよ。内緒にしていてね」とこっそり言うと、嬉しそうに「うん」と笑顔に。これを全員に言っていました。
    五人の子育てを通して、また子育て支援をする中でたくさんの子供たちと接して、皆一人ひとり確実に個性が違うことを知りました。その個性の違いは、すでに赤ちゃんの時からスタートしています。それは教えに照らせば、私たちの持つ魂は生き通しで、生まれ更わりを繰り返す中で、前生やそのまた前生の生き方が関係しているということだと思います。
    子供を神様から授けてもらい、共に育ち、共に学んで成長していることを実感し、感謝する毎日です。
    狭いのが楽しみ
    「楽しむ」というのは、人間の中に本来備わっている大きな資質の一つであり、楽しむことがなければ、私たちは生きていくことができません。それは、親神様が「人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたい」との思惑から、私たち人間をお創りくだされたからに他なりません。
    生活が豊かになること、だんだんと不自由なことがなくなること、心が豊かになること、誰しもこのような「楽しみ」あふれる人生を送りたいと思うはずです。
    では、教祖が教えられる「楽しみ」とは、どのようなものでしょうか。
    京都で熱心に信仰をしていた深谷源次郎さんが、なんでもどうでもこの結構な教えを弘めさせて頂こうと、勇んでにをいがけ・おたすけに歩いていた頃のお話しです。
    当時、源次郎さんが、もう着物はない、炭はない、親神様のお働きを見せて頂かねば、その日食べるものもない、という中、心を倒さずにお屋敷へ足を運んでいると、教祖はいつも、このように仰せ下さいました。
    「狭いのが楽しみやで。小さいからというて不足にしてはいかん。小さいものから理が積もって大きいなるのや。松の木でも、小さい時があるのやで。小さいのを楽しんでくれ。末で大きい芽が吹くで」(教祖伝逸話篇142「狭いのが楽しみ」)
    ここで言われている「楽しみ」は、自分自身の生活が良くなるというような、世俗的な楽しみとは違うようです。
    小さいものは、理が積み重なって大きくなること。これこそ天然自然の理であり、親神様の大きなご守護の賜物であること。そして、今は小さくとも、先々この教えがどのように広まっていくのか、それを楽しみに日々を勇んで通って欲しい。教祖はそう望んでおられるのです。
    「紋型無い処から、今日の道という。嘘はあろうまい。農家の立毛作るも同じ事、何ぼの楽しみとも分からん」(M32・2・2)
    天保九年、教祖お一人からこの道は始まりました。小さいどころか、形さえ見えなかった松の木が、やがて大きな芽を吹き、日本全国、そして海外までも広がりを見せていったのです。
    (終)
    0 min
  • 最短距離
    最短距離
    大阪府在住  山本 達則
    街角で頻繁に出会って、あいさつを交わすようになったご家族がありました。お父さん、お母さん、そして小学一年生ぐらいの男の子の三人のご家族でした。このご家族は台湾出身で、お父さんの仕事の関係で日本に来られていました。
    そのご家族と出会う度に、しばらく談笑するようになっていました。男の子はとてもおしゃべりが好きで、そのほとんどの時間は、男の子と私との会話でした。しかも、男の子は中国語で私は日本語。その両方を話すことができるお父さんが間に入って、通訳をしてくれるというのがいつもの風景でした。
    ある日のこと。ご家族三人と顔を合わせ、いつもと変わらずにこやかにご挨拶して下さった後で、お母さんが子供に「これで好きなものを二つ買っていいから、あそこのコンビニに行っておいで」と言い、千円札を一枚渡しました。毎回私と子供との会話に終始していましたが、その日はお母さんが私に尋ねたいことがあって、子供をコンビニに行かせたようでした。
    子供は大喜びで千円札を握りしめ、すぐ横のコンビニに走っていきました。その間、子供の姿を気にしながら、お父さんとお母さんと三人でお話をすることができました。
    しばらくすると、男の子はコンビニの袋を持って、喜々として戻ってきました。お母さんが男の子に「何を買ったの?」とたずねると、男の子はコンビニの袋からアンパンマンのチョコレートを取り出し、お母さんに差し出しました。お母さんは「いいのを買ったね」と言って、「もう一つは?」と聞きました。すると男の子は袋の中から一本のお茶を取り出し、そのお茶を私に差し出しました。
    私は驚きましたが、「ありがとう」と言ってそのお茶を受け取りました。私以上に驚いていたのが、お父さんとお母さん。二人は顔を見合わせました。それからお母さんが、「もう一つ、あなたの好きなものは?」と聞きました。すると男の子は、アンパンマンチョコと私にくれたお茶を、しっかりと指差しました。彼は自分の欲しいものを一つにして、私にお茶を買ってくれたのでした。
    お父さんとお母さんは、もう一度顔を見合わせました。そして男の子を引き寄せ、二人で思いっきり抱きしめました。それから、三人で中国語で興奮気味に話しながら、コンビニに入っていきました。
    しばらくして三人が戻ってくると、男の子はお菓子やジュースがいっぱい入った袋を持っていて、それを嬉しそうに私に見せてくれました。その横で、お父さんがまた少し興奮気味に、こう話してくれました。
    「私の仕事は短期の海外出張が多く、その度に家族もついてきてくれています。でもそのために、この子は友達がなかなか出来ず、寂しい思いをさせてしまっています。だから、どうしても甘やかせてしまうことが多くて、自分よがりな子に育ってしまわないかと心配で、いつも夫婦で話し合っています。でも今日、妻に自分の好きなものを二つ買っていいと言われて、そのうちの大切な一つを使って、あなたにお茶を買ってきてくれたことが嬉しくて嬉しくて、またコンビニでこの子の好きなものをたくさん買って、甘やかせてしまいました」
    本当に心あたたまる、いい場面に立ち会わせて頂きました。
    私は、このご家族の様子を見ながら、神様が人間にかけてくださる思いも同じなのだろうと、ふと感じました。
    もし、男の子が、自分の好きなものを二つ買った上で、そのおつりで私にお茶を買ってきてくれたのだとしたら、ご両親はどう反応したのでしょう。おそらく、それでもご両親は「気の利くいい子ね」と頭をなでながら褒めてあげたと思います。しかし、袋いっぱいのお菓子やジュースを買ってあげるまでには至らなかったのではないか、と想像しました。
    お母さんから「二つ」と言われたうちの大切な一つを使って、私にお茶を買ってきてくれたことが、お父さん、お母さんを飛び上がるほど喜ばせ、袋いっぱいのお菓子というご褒美につながったのだと感じました。
    私たち一人ひとりには、願望も欲望も、さらにはそれぞれの夢もあります。それを叶えるために日々努力をしながら、目の前の現状と向き合い、生活をしています。
    そこをもう一歩踏み込んで、人に喜んでもらうために、自分の大切なものを差し出したり、自分の望みを叶えるための大切なものを我慢したり、後回しにしたりすること。それが、実は、自分自身の幸せに向かうための「最短距離」ではないかと、このご家族との出会いで強く感じさせて頂きました。    
    家業と親への孝心
    明治十五年、兵庫の冨田伝次郎さんが、息子の病気をたすけられ、はじめて教祖のいらっしゃるお屋敷へ帰らせて頂きました。
    教祖は、伝次郎さんの家業をお尋ねになり、「はい、私は蒟蒻屋をしております」と伝次郎さんが答えると、「蒟蒻屋さんなら、商売人やな。商売人なら、高う買うて安う売りなはれや」と仰せになりました。
    ところが伝次郎さん、どう考えても「高う買うて、安う売る」の意味が分かりません。そんな事をすれば損をして、商売にならないではないか。そこで、信心の先輩に尋ねたところ、「問屋から品物を仕入れる時には、問屋を倒さんよう、泣かさんよう、比較的高う買うてやるのや。それを、今度お客さんに売る時には、利を低うして、比較的安う売って上げるのや。そうすると、問屋も立ち、お客も喜ぶ。その理で、自分の店も立つ。これは、決して戻りを食うて損する事のない、共に栄える理である」
    こう諭されて、伝次郎さんは初めて「成る程」と、得心したのです。(教祖伝逸話篇104「信心はな」)
    さて、この逸話には、もう一つ大事なお言葉があります。「高う買うて安う売りなはれや」と仰せられたあとに、教祖は続いて、「神さんの信心はな、神さんを、産んでくれた親と同んなじように思いなはれや。そしたら、ほんまの信心が出来ますで」と諭されたのです。
    この時、伝次郎さんは、遠路はるばる、76歳になる母親を伴っていました。そんなこともあって、教祖は商売と親孝心のお話をされたのかもしれません。
    親への孝心の延長上に、親なる神様への信仰がある。そして、自らも親の心にならい、子供を親身になって世話をする。それはとても手の掛かることであり、一見損なことのようにも思える。しかし、そこを決して損と思わずに喜んで行うことは、子育ての大切な姿勢であり、また商売人としての生き方の神髄でもあることを教えられたのです。
    この道の信仰を持つある経営者は、こう述べています。
    「親は子供の世話ばかりして、ろくに面倒もみてもらえず死んでいく、こんな損な役割はない、などとぼやく人がいますが、とんでもない話です。人は、子供に面倒を見てもらうために、育児に熱中するのではないのです。楽しみながら、子供に手をかける。『損の道』も、じつは損をしていると思ってやっているうちは、理解が足りないのであって、『損の道』を損と思わない、むしろ喜べる心になってホンモノといえるのでありましょう」
    親にとって手間暇のかかる育児が、大きな喜びであるように、苦労して商売をする「損の道」を歩むこともまた、商売人としての大きな喜びとなるのです。
    「おかきさげ」の中に、次のような一節があります。
    「日々には家業という、これが第一。又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。二つ一つが天の理と諭し置こう」
    家業と孝心の道は、「二つ一つ」であるということ。信仰を生かした商売のあるべき姿を、教祖はお示しくだされているのです。
    (終)
    12 min
  • 水を飲めば水の味がする
    水を飲めば水の味がする
     千葉県在住  中臺 眞治
    私には、とても悩み苦しんでいた時代があります。
    私は26才の時、天理教の教会長に就任しました。当時の東京には、ホームレスの方が大勢いて、私の実家である報徳分教会ではそうした方々を受け入れていました。しかし、その中には自立が困難な方や他の住み込みさんと仲良く過ごせない方もいて、私の教会ではそのような方々をお預かりしていました。
    初めに四名の方を受け入れたのですが、トラブルは絶えませんでした。通りすがりに人の顔につばを吐きかける人、わざと足をかけて転ばせる人、俺は怒っているんだ!と言わんばかりに当たり散らしている人、などなど。「そういうことはしちゃいけないよ」と言っても、まったく会話になりません。結局、四人のうち三人を看取り、最後の一人になるまでの14年間、その住み込みさん同士は心を通わせることもなく、会話すらほとんどありませんでした。
    当時の私の役割は、そうした方々の食事を作り、身の回りの世話や介護をし、機嫌をとることでしたが、感謝をされることはありませんでしたし、それらを毎日一人で行わなければなりませんでした。
    孤独や貧困、介護など色々なことが重なる中で、私は自分の人生に絶望し、夜眠る時に「どうか明日、目が覚めませんように」と祈る日々もありました。心の中には生まれてきたことを後悔する気持ちと、生きていて良かったと思いたい気持ちとがあり、その両方の間で揺れていました。
    その後、色々なことがあり、苦しい時期を抜け出すことが出来たのですが、当時を振り返ってみると、多くの方にたすけられていたのだなと感じています。
    ある晩、おぢばの詰所でおたすけ熱心な先生から、「眞治君どうだい、元気にやってるかい?」と声をかけられました。私が答えに詰まり、うつむいていると、「そうだろ、真っ暗闇だろ。でもね、真っ暗闇がいいんだよ。立派な大木には同じだけの根っこがある。その根っこというものは暗闇の中に生えるから意味があるんだよ。根っこが光を浴びたら意味がないだろう?」と励まして下さいました。
    今の苦しみにも何かしらの意味がある。そう思うことで、私は希望を持ち続けることができました。
    また当時、私は辛い気持ちを母によくこぼしていました。母はいつも共感しながら話を聴いてくれて、時には一緒に泣いてくれることもありました。そうしたことを繰り返す中で、段々と母を安心させたいと思う気持ちが芽生え、その気持ちが私自身の支えになっていきました。
    自分の人生なんてどうでもいい!と投げ出したくなる時、悲しませたくない誰かがいることが、支えになるのだということを学びました。
    こうした時期を乗り越える転機になった出来事があります。それは10年ほど前のおぢばがえりでした。
    その日、私は一人で神殿に行き、おつとめをしました。そして、神様に向かって心の中で色々なことを問いかけていました。苦しむことの意味、ダメな自分、この先どうしていったらいいのか、などなど。神様から何かしらの返事があるわけではありませんが、礼拝の目標であるかんろだいを見つめながらボーッと過ごしていました。
    するとその直後、不思議な感覚に包まれたのです。言葉にするのが難しいのですが、それまでは、どうしたらご守護を頂けるのか、神様の親心はどこにあるのかと、そんな風に考えていたのが、突然、私たちはそもそも神様の親心に包まれているんだ、ご守護を頂いているんだ、親心いっぱいの中で生かされているんだという感覚がおとずれたのです。そして、心が満たされた気持ちになり、涙があふれてきました。
    「ダメな自分でもいいじゃないか。それでも神様は親心いっぱいで生かして下さっているじゃないか。ありがたい。これで十分」そう思えた瞬間でした。
    それまでの私は、人と比べながら「自分はダメだ、不幸だ」と感じていました。しかしこの出来事のおかげで、誰と比べる必要もない、自分にも神様から与えられている幸福があるのだということを知りました。
    天理教の教祖・中山みき様は、今日食べるものもないという厳しい状況の中で、「水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」とお言葉を下さいました。
    このお言葉は、単なるやせ我慢ではありません。私たちは神様の親心に包まれ、天の与えを頂きながら生かされて生きているお互いであり、そこに心を向けることで、誰と比べる必要もない幸福を味わうことができる。そのことを端的に教えて下さっているのではないでしょうか。
    その後、段々と毎日を喜べるようになった頃、妻と出会い結婚をしました。結婚してからは子供も授かり楽しく過ごしていたのですが、時々「なぜあんなに苦しい道を選ばなければならなかったのか」という思いが押し寄せ、傷のようなものが疼くことがありました。20代、30代という若い時代を楽しく過ごせなかった悔しさが込み上げてくるのです。
    しかし、ある活動と出会い、その傷は癒えていくことになりました。それは「SNSたすけ」という、天理教青年会で教えて頂いた活動です。
    そこで出会う方は、自分の人生に絶望し、生きる気力を失ってしまっている方々であり、苦しんでいた頃の自分と重なるのです。ここ数年は、毎年10名ほどを教会で受け入れています。
    時々「大変じゃないの?」と心配の言葉をかけて下さる方もいますが、私自身は大変だと思ったことはほとんどなく、むしろ癒されている部分が大きいと感じています。その癒しに付き合わされる妻は大変だと思いますが、この場を借りて感謝致します。ありがとう。
    親心
    『稿本天理教教祖伝』第八章「親心」の冒頭は、以下のように始まります。
      このよふを初た神の事ならば  せかい一れつみなわがこなり (四 62)
      いちれつのこともがかハいそれゆへに  いろ/\心つくしきるなり (四 63)
    人間は、親神によって創造され、その守護によって暮らしている。故に、親神と人間とは真の親子であり、この世の人間は一列兄弟である。この理により、親神の心は、昔も今も子供可愛い一条である。
    (中略)
      にんけんもこ共かわいであろをがな  それをふもをてしやんしてくれ (一四 34)
      にち/\にをやのしやんとゆうものわ  たすけるもよふばかりをもてる (一四 35)
    をやの一語によって、親神と教祖の理は一つであり、親神の心こそ教祖の心、教祖の心こそ親神の心であることを教えられた。
    そもそも、親とは、子供から仰ぎ見た時の呼名であり、子供無くして親とは言い得ない。親神の心とは、恰も人間の親が自分の子供に懐く親心と相通じる心で、一列人間に対する、限り無く広く大きく、明るく暖かい、たすけ一条の心である。
    『稿本天理教教祖伝逸話篇』には、教祖の子供可愛い一条の親心が感じられる数多くの逸話が収められています。
    明治十二年、当時十六歳の抽冬鶴松さんは、胃の患いから危篤の容態となり、医者にも匙を投げられてしまいました。
    この時、知人からの勧めで入信を決意した鶴松さんは、両親に付き添われ、戸板に乗せられて、大阪から十二里の山坂を超えて初めておぢば帰りをさせて頂きました。
    翌朝、教祖にお目通りさせて頂くと、教祖は、「かわいそうに」と仰せになり、ご自身が召しておられた赤の肌襦袢を脱いで、鶴松さんの頭から着せられました。
    この時、鶴松さんは教祖の肌着の温みを感じると同時に、夜の明けたような心地がして、さしもの難病も薄紙をはぐように快方に向かったのです。
    鶴松さんは、その後もその時のことを思い出しては、「今も尚、その温みが忘れられない」と、一生口癖のように言っていた、と伝えられています。
    思えば、教祖ご在世当時の先人の信仰者たちは、教祖の親心に直接ふれて信仰に入り、その教祖の親心に少しでも近づかせて頂こうと力を尽くす中に、多くの人が導かれ、この道が広まっていったのです。今もなおご存命でお働きくださる教祖の親心は永遠であり、常に私たちを成人へと導いてくださっているのです。
    (終)
    13 min
  • 徳積みはコッソリと
    徳積みはコッソリと
    岡山県在住  山﨑 石根
    現在、天理市で寮生活をしている高校一年生の二男は、どういう訳か幼い頃から、色々なものがよく当たる子でした。兄と一緒にガチャガチャをしても、弟の彼だけ欲しいおもちゃが当たったり、たまにしか買わないアニメのメダルやカードでさえ、見事にレアな物を引き当てたりするので、長男が「何で弟だけ…」となって悔しがる場面を何度も見てきました。
    その度に、二男は周りの人から「徳があるなぁ」と言われてきたのですが、実際に昔から黙々とお手伝いなどが出来る子であったのは確かでした。「何で弟だけ…」と悔しがる長男に対して、「あんたもしっかり徳を積んだら当たるようになるわ」と、しばしば妻が言っていたのを覚えています。
    昨年の三月、岡山市の大教会で子どもたちを対象にした大きな行事が開かれました。実に、子どもが100人以上集まるビッグイベントです。この行事への参加が最後になる年齢の二男は、ラストのビンゴ大会で、何と目玉景品の一つであり、本人も欲しがっていたスマホのワイヤレスイヤホンをゲットしたのです。
    飛び上がって喜ぶ二男に、妻が「これで、積んだ徳を全部使い果たしたなぁ」とひと言。それに対して、「そうじゃな。また徳を積まなあかんなぁ」と二男が答えたのを聞いて、私は何だか嬉しくなったのでした。
    「徳を積む」とは、昔から日本で大切にされてきた考え方ですが、天理教教祖・中山みき様は、人の見ていない〝陰で徳を積む〟ことの大切さをお説き下さいました。
    たとえば、教祖は飯降伊蔵さんという方に、「伊蔵はん、この道はなあ、陰徳を積みなされや」と教えられました。そこで、大工だった伊蔵さんは、夜な夜な、人知れず壊れた橋を繕ったり、悪い道を直したりして、教えを実践されました。陰で良い行いをしても、当然評価されませんし、見返りもありません。しかし、それこそが神様にお受け取り頂ける行いなのだと、教祖はお教え下さったのです。
    さて、私は毎月、神様の教えをチラシにして近所に配ったり、教会の壁に掲示したりしているのですが、チラシにこの「陰徳を積む」というお話を書いた、昨年10月のある日のことでした。
    その日は、年齢や国籍を問わず、地域の人たちが集まって食事を楽しむ「みんなの食堂」という行事の日で、私がスタッフとして会場の準備をしている時、同じスタッフをしている主任児童委員の有元(ありもと)さんが、次のような話を聞かせて下さいました。
    「山﨑さん、私は毎日、犬の散歩をしてるんですが、他の犬のフンが落ちているのを見たら、これまでは見て見ぬふりをしていたんです。次の日にそのフンが潰れているのを見たりしたら、ああ、昨日拾えば良かったと後悔するんですが、自分の犬以外のフンは、やっぱり汚いなぁと思っていたんです。
    でも、今回のチラシの〝陰徳を積む〟という話を読んで、そうか、見返りを求めずに頑張ったら、徳を積むことになるんだと知って、最近はいっつも拾うようにしているんです。だけど、本当はこのことも言っちゃダメなんでしょう?」
    思いがけない有元さんの良い行いの報告に、自然と私以外のスタッフからも拍手が起き、みんな「スゴ~イ」「ステキ~」と笑顔になりました。私は 「そうそう、良い行いも自分から言ってしまうと、積んだ徳が勘定済みになってしまうって言われていますけど、でも、こうしてみんなを嬉しい気持ちにさせたんだから、素晴らしいじゃないですか」とお伝えしました。
    教祖の教えが少しでも地域の方に伝わり、少しでも陽気ぐらしの世の中につながればとの思いから、チラシを外に掲示していましたので、私の嬉しさも一入でした。
    その上で、有元さんから主任児童委員らしい提案もありました。
    「私は今、小学校の学校運営協議会の委員をしてるんですが、学校の取り組みの一つに〝友達のいいところ見つけ〟のようなものがあるんです。友達のいい所を発見して褒め合ったり、報告したりするんですが、ふと、いい行いをしても、見つけてもらえなかった子がいたら可哀想だなぁと。なので、その子たちに何とかこの〝陰徳を積む〟という話を聞かせるような教育が出来ないか、先生方に提案しようと思ったんですが、勇気がなくて言えませんでした」
    有元さんは少し恥ずかしそうに話してくれましたが、これまた周りから拍手が起こりました。みんなで「そうだよなあ」と考えさせられるお話でした。
    教育現場において、「知育」「体育」と並んで、大切な分野として「徳育」というものがあります。徳育とは、人間としての心情や道徳的な意識を養うための教育のことです。
    有元さんは、天理教の教えを公の場で伝えることに少し勇気がいったのかも知れませんが、子どもの育ちを応援したいその思いに深く感激した私は、「え~、徳育だから全然言って大丈夫だったんじゃないですか~」と残念がりました。
    それは、私自身がこの「人の見ていない陰で徳を積む」という教えが、とても好きだということもありますし、「たとえ誰かに評価をしてもらえなくても、お天道様、つまり神様は必ず見て下さっている」というのは、私たち夫婦が教会のこども会などの行事で、ずっとずっと伝えてきたことだからでした。
    さて、このような嬉しい出来事があったので、「徳を積み直す」と言っていた二男のその後が気になり、連絡をして尋ねてみました。
    「それが、隠れていいことをしようとしても、人に見つかってしまうんよ~」と、さすがの一言。念のため、長男にも尋ねてみると、「僕の徳積みは参拝や」とのこと。
    陰であってもなくても、きっとどちらも神様は喜ばれるだろうなぁと、親としては大満足の回答でした。そして、子どもたちのこの姿が、私にとっての目玉景品だと思いました。
     教祖、ありがとうございます。どうか、いつまでもこの素直さを持ち続けてくれますように…。
    子供があるので楽しみや
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」をめぐって、こんな逸話が残されています。
    教祖は、かねてから飯降伊蔵さんに、早くお屋敷へ移り住むよう仰せられていました。しかし、伊蔵さんとおさとさん夫婦には子供が三人いて、将来のことが色々と案じられ、なかなか踏み切れずにいました。
    ところが、そうこうしているうちに次女が眼を患い、一人息子は口がきけなくなるというお障りを頂きました。そこで、母親のおさとさんが教祖にお目にかかり、「一日も早く帰らせて頂きたいのでございますが、何分櫟本の人達が親切にして下さいますので、それを振り切るわけにもいかず、お言葉を心にかけながらも、一日送りに日を過しているような始末でございます」と申し上げました。
    すると教祖は、「人が好くから神も好くのやで。人が惜しがる間は神も惜しがる。人の好く間は神も楽しみや」と仰せられます。
    おさとさんが重ねて、「何分子供も小そうございますから、大きくなるまでお待ち下さいませ」と申し上げると、教祖は、「子供があるので楽しみや。親ばっかりでは楽しみがない。早よう帰って来いや」と仰せ下されたので、おさとさんは「きっと帰らせて頂きます」とお誓い申し上げました。そして帰宅すると、二人の子供は、鮮やかにご守護頂いていたのです。
    かくて、おさとさんは、夫の伊蔵さんに先立ち、おたすけ頂いた二人の子供を連れて、お屋敷に住まわせて頂くこととなりました。
    「子供があるので楽しみや。親ばっかりでは楽しみがない」との教祖のお言葉は、この世の元初りにあたり、どろ海中の混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた、まさに親神様のお心そのままです。
    おふでさきに、
      月日にわにんけんはじめかけたのわ  よふきゆさんがみたいゆへから (十四 25)
    とあるように、私たちが陽気ぐらしをする姿を見ることを、究極の楽しみとされる親神様。そのために親神様は私たち人間に様々な事情を見せられ、この道にお引き寄せ下さるのです。
    (終)
    13 min
  • おさづけは世界共通 その2
    おさづけは世界共通 その2
     タイ在住  野口 信也
    私は22歳でタイへ2年間留学した時に、「もし、病気の方がおられるのを見たり聞いたりしたら、すぐにおさづけを取り次ぐ」ということを心に決め、帰国後も、そして一年後にタイの大学へ再留学する時にもその決心を続けていました。
    その時、多くの病気の方と出会いましたが、特に症状の重い方にはできる限り毎日取り次ぎをさせて頂くために、渋滞のひどいバンコクの街をバイクタクシーで移動したり、なかなか回復のご守護を頂けず悶々とする日も多かったことなどが思い出されます。
    その頃、大学二回生の時だったと思います。講義の最中、ある女性の教授が、「いま私の父親が入院中で、とても危険な状態です。試験前の大切な時期に申し訳ないのですが、来週はおそらく葬儀で休講になると思います」と話しました。
    私は講義の後、先生の所へ行き、「私は天理教という宗教を信仰しています。もし良ければ、お父さんが良くなるようにお祈りをさせて頂きたいのですが」と話しました。
    すると、「そんな聞いたこともない宗教に祈られて、父親が地獄に落ちたらどうしてくれるんですか」と、きつく断られました。先生が教え子にそんなことを言うのかと驚きましたが、試験前でもあり、断られて少しホッとしたのも事実です。そこで「では、家でお祈りしたいので、お父さんのお名前と住所、生年月日を教えてください」と言うと、それについては問題なく教えてくれました。
    翌週、教授は休まず講義にやって来ました。講義の後、「お父さんはどんな状態ですか?」と恐る恐る尋ねると、意外な返事が返ってきました。
    「実は今も意識はなく、苦しそうな顔をして、死ぬに死ねない状態です。それであなたのことを母に話したら、ぜひ来てもらいたいと言います。一度断っておいて申し訳ないのですが、来てもらえないでしょうか」。
    おたすけは、話を聞いたらすぐに取り掛かることが大事だと聞かせて頂くので、その日のうちに行くとお伝えし、入院先の警察病院で待ち合わせることになりました。
    案内されて病室へ行くと、教授の母親が丁寧にあいさつをして下さり、家族の紹介を受けました。聞くと、会社の社長に弁護士、医師といった社会的地位のある方ばかりでした。少し気後れしましたが、まずは天理教のお話を聞いて頂かなければなりません。
    さっそく親神様・教祖についてお話を始めたところ、日本人の私がタイ語を理解できないと思ったのか、「こんな宗教は聞いたこともない。もし本当にたすかるなら、もっと有名なはずだ」と、タイ語でひそひそ話している声が聞こえてきました。
    私はそれを聞いて、沸々と熱い感情が込み上げてきて、「お父さんは、いま意識を失っています。この苦しそうな顔は、家族であるあなた方に対する親神様からのメッセージです。天理教では、三日三晩のお願いで必ず結果が出ます。しっかりとお父さんのことを看てあげて下さい」と申し上げました。
    そして、一度目のおさづけの取り次ぎにかかりました。病室が静まり返る中、取り次ぎを終え柏手を打つと、父親が付けていた酸素吸入器が「ガタガタ」と音を立てて止まりました。家族の方が「一回のお祈りで死ぬのか」と言い、病室は騒然となりました。教授が急いで看護師を呼ぶと、「自分で呼吸を始めていますから大丈夫です」とのことで、私は少し安心して、「では、また明日来ます」と言ってその場を後にしました。
    翌日、病院に行くと、昨日までの苦しそうな顔が嘘のように、穏やかな顔で寝ておられます。意識はないものの、おさづけの最中に、少し薄目を開けてキョロキョロしています。「いい顔になりましたね」と言うと、教授が「はい、あなたのおかげです」とお礼を言って下さいました。
    家族の中には、「いや、最初からこんな感じだよ」と、おさづけの効能を信じない方もおられましたが、その日は、父親に二回おさづけを取り次ぎ、会社の社長をしている教授のお兄さんも首と手首、足首が痛いとのことで、おさづけを取り次がせて頂きました。
    そうして迎えた三日目、私が「結果が出る」と豪語した日です。家族が見守る中、必死におさづけを取り次ぎました。しかし変化はありません。私は、「これから24時間で結果が出ますから、しっかり看てあげてください」と言うのが精一杯でした。
    翌日は26日、ご本部の月次祭の日です。タイ出張所で参拝し、大学で試験を受けましたが、その間もずっと病人さんのことが気がかりで、「今日は何と声を掛ければいいだろう、家族の人に何と言われるだろう」と、そんなことばかり考えていました。
    試験の後、病院へ行く前にアパートへ戻ると、受付でメモを渡されました。そこには、「信也さんへ。本日12時頃、家族みんなが見守る中、誰も気がつかないほど穏やかに、父は息を引き取りました。本当にいい顔をしていました。ありがとう。あなたの思いはしっかりと頂きました。葬儀などのことは気にせず、今日からは試験に集中してがんばってください」と書いてありました。
    緊張が一気に解けたのか、メモを読みながら、知らないうちに涙がポロポロ流れてきました。おたすけの場面では、迷ったり行き詰まったりすることもありますが、逃げずに通ることで、親神様、教祖がしっかりと受け止めてくださる。そう感じさせて頂いた出来事でした。
    その後、教授に呼ばれ、「私は仏教徒なので、あなたの信仰する宗教に入信することは出来ませんが、友人を一人紹介します」と、チュラロンコンという国立大学で勤めている方を紹介してくれました。
    この方は後に、大変熱心に信仰され、今ではタイ語の翻訳者として、天理教の教えをタイに広める上で欠かせない人材となっています。教授の父親のおたすけをきっかけに神様が導いて下さった、とても大切な存在です。
    だけど有難い「露見しなければ」
    ここ数年、建物の耐震強度や食品の消費期限を偽装しては、バレてお詫びをするといったニュースが増えています。誰も相手にしないような会社が嘘をつくことは昔もありましたが、いまは有名な大企業までもが消費者を騙すようになってきました。
    考えてみれば、昔は特に信仰していなくても「お天道様が見ておられる。だから悪いことをしてはだめだよ」と言われて育ち、誰も見ていないところでも、すべてを見通している存在があるということを、皆がなんとなく知っていたのです。
    最近では、太陽が人間を観察しているわけではないことを誰でも知っているので、バレなかったらいいと思っているのです。しかし実際には、すべて露見するのです。なぜなら、親神様が見ておられるからです。
      月日にはどんなところにいるものも  むねのうちをばしかとみている  (十三 98)
    と「おふでさき」にあります。結局、隠し通せるものではないのです。
    これは何も商売だけの話ではありません。たとえば、大リーガーのバリー・ボンズ選手が、大記録まであと少しというときに、ステロイドを使用していたことが発覚して波紋を投げかけました。ステロイドには疲れを取ったり、筋肉を増強したりするなどの効果がありますが、副作用としてガンや心臓病、肝機能障害を引き起こしたり、生殖機能を喪失させたりする非常に危険な薬物です。
    しかし、こうした薬物を使用してでも良い記録を残したいという選手がたくさんいます。自分の体だから多少傷んでも自己責任だと言って、あまり厳しい規制はなかったのです。
    オリンピックは、薬物の規制が厳しいことで知られています。健康上の問題、倫理上の問題、スポーツの公平さを保つという観点で、ドーピング検査を以前から行っています。それでも競技者とオリンピック協会は、常にイタチごっこです。新しい規則を作ると、それを破る人が出てくるのです。ステロイドにしても、検出可能な検査法が開発されたので分かるようになったのです。
    そうすると次に、それでは検出されない男性ホルモンが使用されるようになります。さらに研究が進んで、それも分かるようになると、また新たな薬を開発する。こんなことを繰り返しているのです。
    かつて、アメリカのあるスポーツ誌が、トップ選手を対象にアンケート調査を行いました。内容は、「オリンピックで金メダルを獲れるなら、五年以内に死ぬと分かっていても薬を使うか」というものでした。これに対して、五二パーセントの選手がイエスと答えたということです。
    アメリカでは、ステロイドを使用したことのある高校生が百万人を超えたという報告が出ています。日本でもインターネットを通じて簡単に手に入るため、使用する人がかなりいるそうです。スポーツで好成績を残したい人だけでなく、筋肉質の体に憧れて、サプリメントとして使う人が増えているのです。
    一番の問題は、「バレなければよい」「自分の体なのだから、他人にとやかく言われる筋合いはない」という考え方です。
    私たちは、親神様が見ておられることを知っています。自分がしたことの結果は必ず出るのです。親神様は、その人の心づかいにふさわしい結果をお見せくださいます。
    また、「自分の体だから」というのは間違いで、人間からすれば、体は神様からの借りもの、心だけが自分のものなのです。その心一つで、どんな結果も現れてくるのです。素晴らしいご守護を頂ける人生も、どん底に落ち込んでいくような人生も、すべては自分の心次第。人の目がどうこうではないのです。
    私たちは、親神様のご存在とご守護を知っています。そして、親神様に受け取っていただく道を教えていただいているのです。どんなことからでも、親神様に喜んでいただける道を歩ませていただきましょう。
    (終)
    15 min
  • 徳を育む
    徳を育む
                       兵庫県在住  旭 和世
     小さい頃、買い物について行って、「お母さんこれ欲しい!」とおねだりすると、母は決まって「そう、これ欲しいの。だけどね、徳まけしちゃうから、また今度にしようね」と言いました。
    「ダメよ」とか「我慢しなさい」ではなく、いつも「徳まけ」という言葉が出てきました。幼い私には、「徳まけ」という言葉がどんな意味なのか分かりませんでしたが、「何でも好き放題にすることは良くないんだな、わがまま言ったらダメなんだな」と、何となく感じていました。
     なぜそのように母が言っていたのかを理解できたのは、大人になってからのことです。ある時母から、私たちがまだ小さい頃、「子供たちには一切おもちゃを買い与えません」と、神様に心定めをしていたことを聞かされました。
    「小さい時に徳を使い果たすと、将来運命が行き詰ってしまう。分からないうちは、親が子供の徳積みをさせてもらわないと!」母はそんな思いで、私たちを育ててくれたそうです。
    当時、お友達のいえに行くと、かわいい着せ替え人形やぬいぐるみ、流行りのキャラクターグッズなど、うちにはない色んなおもちゃがあって、とても魅力的でした。それでも、「どうして私は買ってもらえないの?みんなはいいな」などと思ったり、卑屈になったりしたことはありませんでした。母の信念を、子供なりに感じ取っていたからだと思うのです。
     また母は、信者さんが普段食べることの出来ない珍しい物を持ってきて下さった時も、神様にお供えし、そのお下がりを必ずいちばんに祖父母に食べてもらっていました。そうして、両親が祖父母をとても大切にしている姿を見て育ったので、おいしい物が目の前をスルーしていっても、うらやましがることもなく、いつも穏やかな気持ちでいることができました。
    母は後に、親なら、美味しそうな物を子供たちに食べさせてあげたいと当然思うけれど、それを子供たちの今だけの喜びに終わらせるのではなく、幸せの種にしてあげられたらと思っていたのだと、聞かせてくれました。
     天理教教祖・中山みき様のお言葉に、
    「お屋敷に居る者は、よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、と思うたら、居られん屋敷やで。よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷やで」(教祖伝逸話篇78「長者屋敷」)
    とあります。
     これは、当時のお屋敷に住んでいる人へ向けたお言葉ですが、今を生きる私にとっては、「欲の心、物への執着をなくせば、人は何にもとらわれることなく、何不自由ない幸せに満ちあふれた暮らしができる」という意味に受け取ることができます。それは、小さい頃から、執着の心やとらわれの心を手放すことの大切さを、両親から教えられてきたおかげだと思います。
     自分自身の子育てでは、親がしてきてくれたように、我が子に徳を育むことの大切さを伝えられているのか、試行錯誤の日々ですが、この春こんな出来事がありました。
    我が家は昨年、長男が天理高校に進学し、今年は長女が天理高校に入学しました。その長女の入学の準備をしていた時でした。
    制服や体操服はお下がりを頂けることに決まっていたのですが、カバンだけがなく、買わないといけない状態でした。そんな折、長男から電話があり、「妹のカバンは買わなくていい」と言うのです。「どうして?」と聞くと、驚きの答えが返ってきました。
    「去年ボクが高校入った時、お下がりのカバンは嫌だって言って、新しいの買ってもらったやん?」
    「ああ、確かにそうやったね」
    「だけど、そのあと後悔してな…。物は大切にせなあかんなあと思って、新品使わずに、お下がりのを使ってるねん。だから、新品のカバン、そのまま使わせてあげて!」
    「え?そうなん?でも、お下がりのカバン結構傷んでたんちゃう?」
    「いいねん、破れるまで使うわ」
    まさか、そんなこととは知らず、驚くとともに、とても嬉しく思いました。きっと、学校で、お下がりのカバンを使ったり、物を大切にしているお友達に出会い、教祖のお言葉のように物への執着を手放すことが出来たのではないでしょうか。おぢばでお育て頂いていることを本当にありがたく思いました。
     「徳のある人は、巡り合わせがいい」と聞いたことがあります。
    巡り合わせには、人の巡り合わせや、時の巡り合わせ、また物の巡り合わせなど色々ありますが、どれも自分ではどうすることも出来ない、神様のお働きだと思うのです。
    たとえば、自分で選んで入った学校でも、先生やクラスメイトは選ぶことができません。自分が希望する会社に就職できても、上司や同僚までは選べません。そのような巡り合わせこそ、徳次第だと聞かせてもらいます。ある先生は、徳を育む方法として、三つのことを教えて下さいました。
     一つ目は、おつとめで感謝を申し上げ、世界のたすかりを願うこと。
    二つ目は、ひのきしんを実行し、自分の時間や身体をお供えすること。
    三つ目は、親孝行をして、親や目上の人に喜んでいただくこと。
    私はその三つを聞いて、なるほど、徳を育む行いとは、親神様・教祖にお喜び頂ける行いを着実に実行することなのだなと思いました。
     それ以来、子供たちにも徳を育むことについて事あるごとに伝えてきたつもりですが、どれだけ理解してくれているかは分かりません。
    それでも、子供たちが将来大人になった時に、聞いていて良かったと思ってもらえるよう、まずは自分自身が実行し、子供たちや教会につながる皆さんと共に、「徳」を育んでいきたいと思います。
    家族と信仰
    天理教では、親から子、子から孫へと代々信仰を伝えていくことの大切さを教えられています。神様は次のようなお言葉で、親と子の関係性についてご教示くださいます。
    「人間という、ただ一代切りと思たら、頼り無い。人間一代切りとは必ず思うな。そこで一つ理がある。皆生まれ更わり、出更わりという理聞き分け。親が子となり子が親となり、どんな事もほんになあ、よく似いたるか/\」(M34・9・23)
    親と子は生まれ替わりを繰り返す中で、恩の返し合いをする関係としてつながっているのだと教えられます。
    教祖・中山みき様「おやさま」をめぐって、こんな逸話が残されています。
    明治十年夏、当時九歳の矢追楢蔵さんは、川遊びをしているときに、男性器を蛭にかまれました。二、三日経つと大きくはれてきて、場所が場所だけに両親も心配して、医者にかかり加持祈祷もするなど、色々と手を尽くしましたが、一向に回復の兆しが見えません。
    その頃、近所に教祖の教えを知る者があり、元来信心家であった楢蔵さんの祖母のことさんが、勧められて信仰を始めました。ところが、父親の惣五郎さんは、信心する者を笑っていたくらいで、まったく相手にしようとしません。
    すると、ことさんは息子の惣五郎さんに対して、「わたしの還暦祝をやめるか、信心するか。どちらかにしてもらいたい」とまで言いました。当時の還暦祝いといえば、近所や親戚中に披露しなければならない大切な行事で、戸主の責任に関わることです。惣五郎さんはその覚悟の上に兜を脱ぎ、ようやく信心するようになりました。
    そこで、ことさんが楢蔵さんを連れて教祖にお目にかかったところ、教祖から、
    「家のしん、しんのところに悩み。心次第で結構になるで」
    とのお言葉がありました。
    それからも、ことさんと母親のなかさんが三日ごとに交替で、楢蔵さんを連れてお屋敷へお参りしたのですが、なかなかご守護を頂くことができません。
    そんなある日、ことさんは信心の先輩に、「『男の子は、父親付きで』と、お聞かせ下さる。一度、惣五郎さんが連れて詣りなされ」と諭されます。家へ戻ったことさんは、さっそく惣五郎さんにこのことを話し、「ぜひお詣りしておくれ」と頼みます。
    そこでようやく惣五郎さんは、楢蔵さんを連れて初めておぢばへ帰りました。するとどうでしょう、三日目の朝には、楢蔵さんはすっきりご守護を頂いたのです。(教祖伝逸話篇 57「男の子は、父親付きで」)
    教祖は、「家のしん、しんのところに悩み」とのお言葉で、家族を支える中心として、父親の惣五郎さんに心の入れ替えを促しておられます。息子の楢蔵さんの怪我を通して、信心に励み、父親と息子が、さらには家族一同が深く絆を結ぶようにと、お諭しくだされたのです。
    (終)
    13 min
  • 神様はある?
    神様はある?
     岐阜県在住  伊藤 教江
    「神様なんて絶対にない!お母さんなんて大嫌い!」
    当時、高校生だったA子さんは、目に見えない神様は勿論、自分を育ててくれた母親の真心さえも信じられず、問題を起こす度に、母親を怒鳴りつけました。
    その後も、A子さんは幾つもの問題を重ね、暴力団事務所に出入りするようになり、ついには家を飛び出してしまいました。その後、A子さんは暴力団の組長と一緒に暮らし始めていたことがわかりました。
    それを知ったご両親はどれほど心配をしたことでしょう。早く帰って来て欲しいと連絡をしても、A子さんは会うことを拒否し続けました。そして月日は流れ、いつの間にかA子さんには二人の子供が授かっていました。
    いよいよ困り果てたA子さんのご両親は、教会に相談に来られたのでした。さめざめと泣きながら話をするA子さんの母親の姿に、私も同じ娘を持つ親として、もし我が娘が同じような状況に置かれたら…と想像すると、母親の気持ちが、痛いほど伝わってきました。
    その日以来、ご両親は娘に帰って来てもらいたい一心で、教会に参拝し、親神様にお願いする日々が続きました。その後、何度も連絡を重ね、私は、やっとA子さんに会えることになりました。
    A子さんは、マンション最上階をすべて借りきった暴力団事務所で暮らしていました。私は、そのマンションの駐車場に車をとめ、一人でエレベーターに乗り込みました。
    「今から、見たことのない未知の場所へと飛び込んで行くけれど、A子さんは見知らぬ私と会ってくれるのだろうか…?この先、私は一体どうなってしまうのだろう…?」そのうちにエレベーターは最上階に着き、そのドアが開いた瞬間! … 私は、目の前に現れた三匹のドーベルマンに激しく吠えられ、それを聞きつけた大勢の組員に取り囲まれてしまいました。
    そこには、映画やドラマでしか見たことのない世界が広がっていました。この光景を目の当たりにした時、私はエレベーターのドアを早く閉めて、すぐに逃げ出したいと思いました。
    しかし…その思いとは裏腹に、私の足は前へ前へと勝手に進んでいました。きっと教祖が、私の背中を優しく押して下さったのでしょう。教祖の「救けてやっておくれ…」とのお声が聞こえて来るようでした。
    そして、誰とどんな言葉を交わしたのか…記憶がないまま、一番奥の部屋に通され、A子さんと初めて対面したのでした。私はA子さんに「ご両親がどれほど心配し、神様に願い続けていることか…」と話しましたが、「神様や親のことなど眼中にない」と言わんばかりの態度で、目も合わせず全く話にならない状態でした。
    そんな中、A子さんのご両親は、毎月おぢばへ帰り、神様のお話を聞く別席を運び続けました。そして早朝から教会に足を運び、ひのきしんをし、おつとめに娘の無事を祈り続ける日々が流れていきました。
    すると、A子さんはある日を境に「夫と縁を切り実家に帰りたい」と言うようになりました。ご両親は大変喜びました。しかし喜ぶのも束の間、そう簡単には縁を切らせてもらえない世界であります。親神様にたすけて頂く以外に道はありません。
    教会長である主人は、何とかA子さんに救かってもらいたいと、長い年月をかけて、この場では語りつくせない程の真実の限りを尽くしました。その姿を親神様はお受け取り下さったのでしょう、やっとの思いで、A子さんは三歳と二歳の子供を連れて実家に戻ってくる事が出来ました。
    早速、私達夫婦はA子さんと三歳の娘さんを連れ、おぢばに帰り別席を運ぶことにしました。その別席の帰りの車中で、私がA子さんに「今日は一日中、下の子をお世話してくれたお母さんにお礼を言いましょうね」と声をかけると「なぜお母さんにお礼を言わなきゃいけないの?」と、そっぽを向きました。
    その時です。突然三歳の娘さんが、ぜんそくの発作で苦しみ出したのです。すぐに私はおさづけの取り次ぎをさせて頂こうと「何もわからないだろうけど、手を合わせて親神様、教祖と唱え続けて下さいね」とA子さんに声をかけました。
    A子さんにとっては、生まれて初めて見るおさづけに「何?それ… 」と薄ら笑いを浮かべながら手を合わせていましたが、「神様なんて本当にあるの?」とのA子さんの心の声が聞こえてくるようでした。
    その後もA子さんは毎月一度、別席を運び続けましたが、その帰りの車中で、必ず三歳の娘さんはぜんそくの発作を起こし、その度におさづけの取り次ぎをさせて頂きました。
    そんなある日、A子さんが神様にお礼がしたいと初めて自ら教会に参拝に来たのです。そしてA子さんは、「実は、この娘は生まれてこの方、毎晩のようにぜんそくの発作があり、薬も効かず、夜も眠れずにいました。しかし、別席の帰りにおさづけを受けたその夜だけは、何故か発作が起きなかったんです。でもまた次の日からぜんそくが続き、またひと月経って別席の帰りにおさづけを受けると、その夜だけ発作が起きないんです」と 、その不思議な出来事が続いたと聞かせてくれました。
    「神様なんて絶対ない」と言い続けていたA子さんが「えっ? 神様ってあるの…? 神様はあるかも… 神様はある!」と、おさづけの度に娘がご守護を頂いていく姿から、親神様の姿を心で感じ取って行ったのでした。
    教祖ご在世当時、ある人の「神様はありますか?」との問いかけに、教祖は「在るといへばある、ないといへばない。ねがふこゝろの誠から、見えるりやくが神の姿やで」と仰せられました。
    私達は目に見えない神様をつかむのは、確かに難しいことかも知れません。「神様はあるか?ないか?」 と頭の中でいくら考えても、答えは出て来ないのかも知れません。だからこそ、わからない中でも、親神様に向かって願わせて頂くことの大切さを感じます。
    そのためには、我が心のほこりを払い、おつとめやおさづけに心を込める、また日々に親神様のあふれるご守護を味わい、教祖のお言葉を一つ聞いて一つ実行していく。そうすることで、教祖が仰せられる通りの不思議な御守護の姿をお見せ頂けるのだと思います。
    鉋屑の紐
    一般に鉋屑とは、材木などを鉋で削ったときに出てくる屑のことで、文字通り、捨てられて燃やされる廃棄物と考えられています。
    教祖の逸話篇の中に、「鉋屑の紐」というお話があります。
    明治十六年のこと、梶本ひささんは夜ごと、教祖から裁縫を教えて頂いていました。ある夜、一寸角ほどの小さな布の切れ端を縫い合わせて袋を作ることを教えて頂き、それが何とか出来上がったのですが、さて、袋に通す紐がありません。
    「どうしようか」と思っていると、教祖が「おひさや、あの鉋屑を取っておいで」と仰せられたので、それを拾ってくると、教祖はさっそく器用に三つ組の紐に編んで、袋の口に通して下さいました。
    教祖は、このような巾着を持って、親戚の梶本の家へちょいちょいお越しになりました。その度に、家の子にも近所の子にも、お菓子を袋に入れて持って来て下さいました。
    教祖は、捨てられる運命にあった鉋屑や布の切れ端を、使い勝手のいい紐や袋に仕立て上げ、見事に再利用されたのです。「もの」の存在価値と、それらを使い切ることの大切さを、何気ない日常の中でお示し下されています。
    また、このような逸話もあります。警察や監獄署に十数度拘留された教祖ですが、そのうち数回は、仲田儀三郎さんがお伴をされました。
    教祖は拘留中のある時、差し入れられて不要になった紙でコヨリを作り、それで一升瓶を入れる網袋をお作りになりました。それは実に丈夫に作られた袋で、教祖は、監獄署からお帰りの際、それを儀三郎さんにお与えになり、次のように仰せられました。
    「物は大切にしなされや。生かして使いなされや。すべてが、神様からのお与えものやで。さあ、家の宝にしときなされ」。(教祖殿逸話篇138「物は大切に」)
    この二つの逸話で示されている「ものを大切に生かして使う」ことは、私たちが日常でお手本とするべき、実に尊い「ひながた」です。教祖の「すべてが、神様からのお与えものやで」とのお言葉が、心に深く刻み込まれます。
    (終)
    13 min
  • お産のふりかえり
    お産のふりかえり
    静岡県在住  末吉 喜恵
    子育て支援の活動をしている中で、保護者同士の交流の時間をとることが多く、色んなテーマでお話をしてもらうのですが、その中の一つに「お産のふりかえり」というものがあります。
    お産には、人それぞれ顔が違うのと同じように、それぞれにドラマがあって、同じ母親であっても一人目と二人目では全く違ったりします。願い通りのお産にならないことも多く、それを受け入れられずに苦しんでいる人もいます。ただ、母親となり、初めて我が子と対面した時の喜びは誰しも忘れないもので、いずれはどんなお産であっても受け入れることが出来るのではないかと思います。
    私のお産についてお話をします。第一子は、妊娠中に病気が見つかったこともあり総合病院で産みました。妊娠後、卵巣に腫瘍が発見され、5ヶ月の時に卵巣を一つ摘出。がんの疑いもありましたが、「ボーダーライン」、いわゆる良性でもなく悪性でもないという結果で、私の命も子供の命もギリギリセーフでたすかりました。
    予定日の5日前に少しだけ破水してしまい、そのまま入院。でも、なかなか陣痛が起きません。破水していてあまり長くは持たせられないので、陣痛促進剤をまるまる二日間も投与し続けました。二晩ほぼ一睡もできない中、三日目にようやく自然の陣痛が起き、そのままお産になりました。
    先生方があの手この手の医療行為を用いて下さり、三日かかってようやく産まれてきてくれました。夫も三日間ずっと付き添い、背中をさすったりしてくれていたので、私と同じように体力を消耗していました。予想外のことばかりの出産でしたが、元気な赤ちゃんの姿を見たら、不思議なことにそれまでのしんどさはどこかへ消えました。
    二度目は、長女が二歳を過ぎた頃に妊娠が分かりました。ウキウキしながら病院へ行ったのですが、先生が首を傾げて難しい顔をしています。「また病気が再発したのかしら?」と不安に思っていると、「双子ですよ」とのこと。家族中で驚きや楽しみ、不安など、色々な思いが湧きました。
    お腹が大きくなるのはとても早く、妊娠6カ月の時に友人から「私の臨月の時みたい」と言われました。胎動ももちろん二人分で、お腹の動きで二人の性格の違いまで何となく分かるようでした。
    有り難いことに、妊娠中は何のトラブルもなかったのですが、総合病院としての方針で、双子は帝王切開で産むと決められていました。「自然分娩で産ませてください」と最後まで粘って訴えたのですが、方針は変わらず、管理入院をしている時も、どの先生からも「帝王切開が安全です」と説得されました。
    37週0日で予定通り手術を受け、二人の女の子を産みました。近所で床上浸水の被害が出るほどの物凄い雨の中、出てきたのは2380グラムと2450グラムの大きな赤ちゃん。「こんなに大きな子が二人も入ってたんだ!」と妊娠中の自分を褒めたい気持ちになり、無事に産まれてきてくれたことに心から感謝しました。すべて順調で、保育器に入ることも黄疸が出ることもなく、産後7日目で三人一緒に退院できました。
    三回目のお産は、双子を産んでから一年七か月後に妊娠が分かりました。同じ総合病院で診てもらうと、「帝王切開の後は続いて帝王切開になります」ときっぱり言われ、やはり自然分娩で産みたいという気持ちが強く、近所の助産院に行きました。院長さんは、「第一子を自然分娩で産んでいるから大丈夫でしょう」と快く引き受けて下さいました。
    ちょうどその頃、帝王切開の後に自然分娩で産んだ母親が、子宮が破裂して亡くなったと新聞やニュースで話題になりました。でも私は、人間本来の持っている力を信じ、親神様のご守護を信じました。
    その日、朝から起きた陣痛は、弱くなったり強くなったりの繰り返し。もともと微弱陣痛の体質なので、やはり時間はかかります。お昼頃産院に行ったのですが、まだ子宮口が全く開いておらず一旦帰宅し、子供たちに夕飯を食べさせ、お風呂に入れて三人とも寝かしつけました。
    夜になって痛みが出たので再び産院に行くと、まだ子宮口は3センチしか開いておらず、お産は朝になるだろうと言われ、夜中の12時過ぎに待機室へ。夫はその間ずっと付き添い、身体をさすったりおさづけを取り次いでくれたりしていました。
    ところが、待機室に入るやすぐに破水!慌てて分娩室に行き、午前1時10分には生まれてきました。まさに、あっという間の出来事でした。「これだから経産婦は分からないのよね~」という助産師さんの言葉が印象的でした。私は、人間が本来持つ力と、神様のご守護の凄さに感激しました。
    最後、四回目のお産です。早い時期からお腹の張りがあったので、今度は早めに生まれてくるかな?と思いきや、なかなか陣痛が来ません。そんな中、39週に入った日に強めの張りが来ました。いよいよかな?と思い、お産が早く進むように家中雑巾がけをしました。
    そんなことができるのは、微弱陣痛だったからですが…。
    お昼ぐらいから家の中のありとあらゆる所を掃除していると、午後4時頃にはなぜか陣痛が消えてしまいました。「あれ?今日は来ないのかな?」なんて思いながら、散歩がてら、双子のピアノ教室の送り迎えをし、夕飯を済ませ、お風呂に入り、子供たちも寝たところで、ようやく10分から12分間隔の陣痛が来ました。「夜中だと子供たちが立ち会えない。できるなら朝方に産みたいな」とぼんやり願っていると、夜中の2時頃、陣痛が7、8分間隔になり、産院に向かいました。
    4時過ぎに破水が起き、自分で電話をして夫と子供たちを呼びました。お産に間に合うか心配でしたが、みんなすぐに来てくれて、私の手を握ったり、「頑張れ~」と言って応援してくれました。
    出産は何度経験していても、痛いものは痛いので、「いた~い!」と大声で叫んでいましたが、4、5回いきんだら産まれてきました!
    この四回目のお産は、赤ちゃんのペースで産まれてきたんだなあ、ということが実感できました。子供たちと一緒に新しい命の誕生を迎えられたことが何より嬉しく、すぐにみんなで記念写真を撮りました。ちょうど子供たちの登校時間になり、みんな遅刻することなく学校へ行くことが出来たし、本当にいいお産をさせてもらえたと感謝しました。
    お産とは、自分の力ではどうにもできない、神様のご守護を直接に体感させて頂けるものです。私の場合も毎回色々なドラマがあって、どれ一つとっても全く違う経験でした。
    しかし、子供が大きくなるとその感動を忘れ、彼らに対する不満や不安も増していきます。産まれた瞬間の喜びをいつまでも忘れず、感謝の心で通らせて頂きたいと思います。
    「みんな、生まれてきてくれて、ありがとう」
    心の成人
    天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、直筆による「おふでさき」で、
      にち/\にすむしわかりしむねのうち  せゑぢんしたいみへてくるぞや (六 15)
    と記されています。
    教祖は、何より私たち人間に「心の成人」を求めておられます。そして、人の心を水にたとえて、いかにして心を澄まし、成人するべきかを「おふでさき」によって教えられます。
      これからハ水にたとゑてはなしする  すむとにごりでさとりとるなり  (三 7)
      この水をはやくすまするもよふだて  すいのとすなにかけてすませよ (三 10)
      このすいのどこにあるやとをもうなよ  むねとくちとがすなとすいのや (三 11)
    濁り水を澄ますためには、砂と水嚢にかけてろ過をすることが必要です。教祖は、濁ってしまった心を澄ますために必要な道具は、どこにあると思うかと問われ、それは「胸」と「口」なのだと仰せられます。
    胸は思案を重ね、悟りを得るための道具であり、口はその悟りを人に伝える道具です。自らの悟りを人に伝えるとはすなわち、おたすけの現場に身を置くことで、そうして人をたすける実践を積み重ねるうちに、心は次第に澄んでいくのです。
    その意味で「せゑぢんしたいみへてくる」の成人とは、一般に宗教で言うところの「聖の人」、すなわち徳の高さや深い信仰を持つという意味での「聖人」と同じ意味にとれるかもしれません。
    ただ、決定的に違うところがあります。普通、聖人になるためには、人里離れた場所で難行苦行を重ね、それによってある宗教的境地に到達することを目指します。しかし教祖は、人里離れた「山の仙人」ではなく、日常の中で教えを実践する「里の仙人」になることを促されました。
    信仰実践の場は、あくまで普段の暮らしの中にあります。神様からの「かりもの」である胸と口とを縦横に使って、心の成人を遂げたいものです。
    (終)
    14 min
  • 彼女に足らなかったもの
    彼女に足らなかったもの
    大阪府在住  山本 達則
    家庭内での感情のぶつかり合いは、古今東西、当たり前にあることです。人間同士の関係が近ければ近いほど、尾を引くことも多いと思います。他人であれば、付き合いをやめるとか、距離を置くとか、日常に支障がない程度に対処できるかも知れませんが、関係が近ければそういう訳にはいきません。時には、悲しい思いや、怒り、悔しさなどで感情のコントロールが難しくなることもあるのではないでしょうか。
    長年の母親による愛情を束縛と感じ、家出をしたAさんという女性がいました。音信不通の数年が過ぎた頃、Aさんは母親へ「SOS」の電話をかけました。「お母さん、たすけて」。母親は、「とにかく、どうにかして帰ってきなさい」と伝えました。
    Aさんは良からぬ友達にだまされて、大きな借金を抱えてしまい、借金取りに追われていました。相談を受けた私は、その問題が解決するまで、Aさんに教会に住み込んでもらうことにしました。その間、母親と私はAさんの問題解決に奔走しました。母親は娘のために寝る間も惜しんで、あちらこちらと駆けずり回っていました。
    一方のAさんは、教会で生活する中で、親が子供にかける「愛情」とはどんなものなのかを客観的に見る機会を得ることになりました。
    当時、教会には私の子供が高校生を筆頭に四人と、里子が数人いました。私の妻が娘に「嫌ごと」を言う場面も当然ありました。娘は決まって不機嫌な態度をとります。また、私が父親として息子に「小言」を言う場面もありました。息子も当然、不機嫌な顔をします。
    「早く帰ってきなさい」「宿題しなさい」「早く寝なさい」「冷たいものばかり飲んでいたらダメ!」「好き嫌いしないで何でも食べなさい!」
    Aさん自身も母親に言われて経験したであろう光景が、そこにありました。
    そんな彼女が一番に思ったのは、「わざわざ子供が嫌がることを言わなければいいのに」ということでした。しかし、そのような場面を繰り返し見ているうちに、Aさんはあることに気づきました。
    いつもは親の小言に不機嫌な態度をとる子供たちが、「分かった」「ごめん」と、素直に反省することがあります。その時の私と妻の表情が、ものすごく嬉しそうに見えたというのです。
    すると、その嬉しそうな親の姿を見て、子供たちの態度も少しずつ変わってきたと。今度は反対に、子供たちが親に褒められようと、進んでお手伝いをしたり、言われなくても宿題をしたり、進んで嫌いなものを食べたりする場面が多くなったと言います。
    そんな様子に、私たち親の小言も減っていったと彼女は感じたようです。私自身、それほど意識していたわけではないのですが、それが私たち親子の様子を客観的に見ることが出来たAさんの実感でした。
    そしてAさんは、自分には、親を喜ばせてあげようという気持ちがなかったことに気づいたのです。彼女も幼い頃は、親に褒めてもらいたいという思いで、子供らしい素直な行動をとったこともあるでしょう。しかし、自我に目覚めてからは、親に反抗することしか出来ずに、その結果、家を出るという選択をしてしまったのです。
    彼女は教会に来てしばらくして、私に尋ねてきました。
    「私は何が間違っていましたか?」
    私は、彼女にこう答えました。
    「間違っていたんじゃなくて、足らなかっただけだと思うよ」と。
    「親に対して、年齢なりに不満は募ってくるものだよ。でも、親の立場になって考えたらどうだろう? わざわざ子供に嫌われたり、嫌がられたりしながらも、小言を言うのは何のため? それは間違いなく子供のためだよね。それを想像する余裕が、少し足らなかったんじゃないかな。
    それともう一つ、ここには里子がいるでしょ。この子たちは、親と一緒に生活したくても出来ない子たちなんだ。嫌ごとや小言を言って、心配してくれる親が側にいることも、当たり前ではないよ。親がいてくれることを、もっと喜ばないとね」
    私は精いっぱい、彼女に気持ちを伝えました。彼女はそれから間もなく、初めて母親の誕生日にケーキを買って実家に戻りました。
    天理教では、神様と人間との関係は、親と子の関係であると教えて頂きます。神様は、私たち子供のことを思えばこそ、日常、様々な事情を見せて下さいます。それは、その人にとって不都合なことであったり、腹立たしいことであったり、悲しいことであったり。
    しかし、そのような出来事の中に、神様の大いなる親心を見出すことができれば、それらはすべて「有難いこと」であると、喜んで受け取ることができるのです。
    だけど有難い「心の栄養」
    最近、大学時代の友人と三十年ぶりに再会しました。高校の校長を五年務め、あと二年で定年退職とのことでした。
    「定年退職したらどうするんや」
    「悠々自適の生活や。あんたは、いつまでやってるんや」
    そう聞き返されたので、「私はまだ若手やで」と答えました。
    私は教会長として、そんなに年齢が上のほうではありません。しかし考えてみると、私くらいの歳になって、若手だなどと言っているのは、落語家と天理教の教会長くらいかもしれません。
    ある落語家が、こんな話をしていました。
    「落語家は定年がないんです。ですから、何十歳になったってできる。だからといって、歳を取らないわけじゃない。目はかすんでくるし、膝が痛くなるし、老化現象は確実にやって来る。最近では、高座で十分しゃべったら、七、八時間寝ないと疲れが取れないんです。それを見かねて、新橋に住んでいる医者の友人が、『これを飲みなさい』と薬をくれました。骨が強くなる薬だというので、素直に一日一錠飲んでいた。しかし、この歳になって飲み始めて、効果が出るのはいつかと考えると、おそらく骨揚げのときです。焼き場で『丈夫な骨だねえ』と褒められてもしょうがないと思って諦めた」
    お年寄りには、薬をたくさん飲む人が多いですね。薬だけではなく、サプリメントと呼ばれる栄養補助食品をさらに摂ったりもする。鞄が薬でいっぱいという人もいます。
    体はそうやって薬で補っていますが、心はどうでしょう。心の栄養は、いったいどんなサプリメントを摂っているのでしょうか。私は、心にも栄養が必要だと思うのです。そして、心の栄養補給には、教会へ足を運ぶことが一番だと思います。なぜかと言えば、教会ではどんなに歳を取った人も、自分が何かをしてもらう話ではなく、させていただく話を聞くからです。お世話になる話じゃない。お世話をする話なのです。だから教会長も信者さんも、信仰する人は、みな若いのだと思います。
    信仰に定年はありません。おつとめも、ひのきしんも、にをいがけも、おたすけも、何歳までという年齢制限はないのです。しかも実行したら実行しただけ、神様からご守護を頂くので、ますます元気になるのです。有難いですね。
    私は、その同級生から「もうすぐ定年で悠々自適」と聞いたとき、「羨ましいな」と返事をしました。でも、本当は羨ましくないのです。定年がないほうが、どれほど素晴らしいか。やることがない人生ほど、つまらないものはありません。お道は出直すまで成人できます。共々に、いつまでも青春で、元気で教えを学ぶ者、道を求める者として歩ませていただきましょう。
    (終)
    12 min

About 天理教の時間「家族円満」

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心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。

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