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『阿弥陀経』六方段の最初、東方の仏さまたちの筆頭に登場する「阿閦仏」。
十三仏では七回忌の本尊、密教では五智如来の一尊として知られていますが、そもそも阿閦仏とはどんな仏さまなのでしょうか。
その名は「揺るがない者」を意味し、東方の妙喜世界の仏さまとして、大乗仏教のかなり早い時期から登場します。『般若経』『阿閦仏国経』『維摩経』などを手がかりにたどってみると、阿弥陀仏とはまた違った、初期大乗仏教の理想の仏と世界の姿が見えてきます。
今回から数回にわたって、意外と知られていない阿閦仏と妙喜世界について紐解いていきます。
『阿弥陀経』後半の「六方段」では、東・南・西・北・下・上の仏さまたちが、広長舌をもってこの教えが真実であることを証明します。
今回は、その最初となる「東方」へ。
筆頭に登場するのは、揺るがない仏・阿閦仏。そしてその後には、須弥相仏、大須弥仏、須弥光仏と、須弥山を思わせる名前の仏さまたちが続きます。
なぜ東方には、このような仏さまたちが並んでいるのでしょうか。
そもそも仏教では「十方」がよく使われるのに、なぜ『阿弥陀経』は「六方」なのでしょう。
古い仏教経典『六方礼経』では、東・南・西・北・下・上の六方に、それぞれ父母・師・妻子・友人など、大切な人々を重ねて礼拝します。
この古い「六方」の世界観と、『阿弥陀経』の六方諸仏には何かつながりがあるのでしょうか。
今回から、六方に並ぶ仏さまたちのお名前を、一尊ずつ味わっていきます。
『阿弥陀経』の六方段では、東・南・西・北・下・上の無数の仏たちが「広長舌相」を現し、その舌で三千大千世界を覆って、釈迦牟尼仏の説く教えが真実であることを証明します。
実は、仏が舌を出して真実を示す描写は般若経や『法華経』にも登場します。しかし『阿弥陀経』では、釈迦自身ではなく、あらゆる方角の諸仏がそれぞれ巨大な舌を出して釈迦の言葉を保証するという、破格のスケールになっています。
では、諸仏はなぜそこまでして釈迦の言葉を保証するのでしょうか。極楽や阿弥陀仏の存在を証明しているのではなく、その教えを説いた釈迦を証明している――。そこから『阿弥陀経』の「難信の法」と六方段の意味を考えます。
#阿弥陀経
『華厳経』入法界品、善財童子が訪ねる善知識の物語。今回は第46番目の善知識、堅固解脱長者についてお話しします。
前回の賢勝優婆夷から紹介され、善財童子が訪ねた堅固解脱長者は、金銀の細工を生業とする裕福な在家の人物です。現代でいえば、宝飾や金属加工を営む会社の経営者のような存在でしょう。善知識には僧侶だけでなく、このような社会の中で仕事をする在家の人々も登場します。
善財童子が訪れると、長者は立派な座に腰掛け、静かに瞑想していました。彼が得ているのは、テキストでは「無礙憶念荘厳」、別の訳では「無著念清浄荘厳」と表現される境地です。
特に「無著念清浄荘厳」という言葉からは、何ものにも執着しない清らかな心によって荘厳するという意味が見えてきます。「荘厳」とは単なる華美な飾りではなく、仏の世界を尊く美しく整えること。金銀細工を仕事とする長者に「荘厳」という言葉が与えられているのも興味深いところです。
堅固解脱長者は、この悟りを得て以来、あらゆる仏のもとで正しい教えを求め続け、一度も休むことがないと語ります。
そこには、自分の利益や欲望のためではなく、ただ清らかな心で仏と向き合い、正しい法を求め、仏を尊び荘厳し続ける姿が示されているのかもしれません。
記述は非常に短いのですが、社会の中で美しいものを作る仕事と、執着を離れた清らかな心とが重なる、印象深い善知識です。
そして堅固解脱長者は、次の善知識である妙月長者を善財童子に紹介します。
『華厳経』入法界品、善財童子が訪ねる善知識の物語。今回は第45番目の善知識、賢勝優婆夷(けんしょううばい)についてお話しします。
第41番目の摩耶夫人までは非常に長く、物語の一つのクライマックスでしたが、その後の善知識たちについては記述が短くなります。しかし短いから内容が浅いわけではありません。それぞれがどのような瞑想や悟りの境地を示しているのか、原文とも照らし合わせながら見ていきます。
賢勝優婆夷は、「無所依の輪(マンダラ)」という法門を得ています。別の『華厳経』では「無住処無尽輪」と表現され、どこにも依りかからず、何ものにもとらわれることなく、しかも尽きることなく働き続ける境地と考えられます。
この境地においては、眼・耳・鼻・舌・身・意という六根のすべてが「一切智」によって働きます。私たちのように、自分に都合のよいものだけを見たり、嫌なものから目を背けたりするのではなく、世界をありのままに受け取る智慧が働いているのでしょう。
そこから功徳の大波、智慧の稲妻のような光、さらに新たな智慧、不可思議な神通の働きが、尽きることなく、とどまることなく生まれ続けていくと説かれます。
記述そのものは短いのですが、賢勝優婆夷が得ている境地は決して小さなものではありません。善財童子が出会う善知識たちは、物語が進むにつれて、さらに深い境地を次々と示しているのです。
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