・「ヤイロの物語(前半)」+「長血の女性」+「ヤイロの
物語(後半)」というサンドイッチ構造になっている。
・12 という数字が、物語全体を貫いていて、イスラエルを象徴する。
・「私の小さい娘」とは「嫁入り前の娘」を指す。ヤイロは会堂司の立場を脇において最後の望みイエス様のもとにひれ伏す。
・長血の女性(出血が一度始まるとなかなか止まらない病気)も、12 年間で、すべてを失っており、最後の望みをイエス様に託した。
・「2 人の女性」も、神の民(神の助け手・同盟相手)の象徴である。
2)イエス様に「手を置く」「触れる」ことに信頼する物語
・「手を置く」(レビ記 1 章 4 節等)…これは手を置く側のもっているものを、相手に移す行為。祝福が移る場合もあるし、咎が移る場合もある。
・「触れる」(レビ記 5 章 2 節等)…汚れが移るということを示す時に多く使われる言葉。遺体に触れる場合も、汚れる。
・汚れは罪(道徳・倫理の次元)ではない。人が「あるべき状態にない」機能不全であることを象徴的に示す。
・強い聖さがあると、触れることによって汚れを打ち消すことができる。
⇒汚れた状態にある神の民、機能不全にあるイスラエルは、イエス様によってあるべき状態に戻される(教会になる)という良き知らせ
3)「あるべき状態にいない」ことの自覚が救いへの一歩
・クリスチャンは、神様との関係は「あるべき状態」に戻ったが、それは始まりに過ぎない。「救われて、生きられるように」してくださった。
・「安心して行きなさい」→「平安(シャローム)に向かって(目的を示す)行きなさい」その人自身も、世界も「あるべき状態(=シャローム)」として完成していない。
・健康と病を繰り返すのが使命ではなく、その中でも前進すること。健康を維持するためには、しっかり食べる必要があるが、これも手段。
結)イエス様と歩む 2 つのモード~どちらもシャロームに向かって~
・「あなたの信仰があなたを救った」との言葉に押し出され、進むモード
・「恐れないで、ただ信じていなさい」との言葉を握り、従い行くモード