・ギルガルは約束の地を自分たちのものにしていく拠点。~18 章まで
・「第一の月の十日」は、過越しの子羊を選ぶ日:40 年止まっていた神の計画が再び動き出した。「出エジプト」が常に起点になる。
・このギルガルも教会の比喩となる。教会が御国に向かう歩みの拠点。
・3:11~12 で 12 人の代表が選ばれ 4:1~4 でその目的が明らかになる。
・ヨルダン川を渡る順序①祭司(川の真ん中まで)②ルベン人、ガド人、マナセの半部族約 4 万の兵士(護衛)、③民全体、④ヨシュアと 12 人
・「積み重ねる」と訳されたヘブル語は「縦に積む」ことを必ずしも意味しない。ギルガルには円形の意味があるので、12 の石を円形あるいは半円形でダムの形に立てた可能性もある。これは、イスラエルみなが、ヨルダン川を歩いて渡った記念碑となった。
・この記念碑は大人の偉業を讃えるものではなく、子どもたち、次世代のためだった。
・約束の地にたどり着いたその最初の日から、神様の思いは次世代に向いていた。
・次世代の祝福のために、大人は重い石を喜んで運ぶものというメッセージが込められている。
・教会も子どもたちが幸せに生きられる世界にするにはどうしたらいいかをいつも考える共同体であるときに、御心の真ん中を生きられる。
*「神の国は子どもたちのもの」と言われたイエス様の意図
・ギルガルの石は、神様の力強い守りのシンボルであり、この主に常に立ち戻り、ここから戦いに向き合っていくはずだった。そして生きて働く信仰が継承されていくはずだった。
・しかし、ギルガルは次世代を考えず、今いるところで「そこそこの暮らし」に終始するようになり、ギルガルの 12 の石は偶像となる。
・多数を占める大人にとって快適な教会生活を求めるなら、教会は衰退する。次世代が教会存続の手段として見られるなら祝福は逃げていく。
・年齢と共に身体の衰えが起こり、考え方が「守り」に入りやすくなるところに「自分さえよければ」との罪が入り込む危険がある。
・「もう歳だから」ではなく、カレブのように「今も私は」の信仰で歩もう。