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岡山県出身の詩人・永瀬清子さんの詩をRSKアナウンサー 小林章子の朗読でお届けします。どんな景色が心に浮かぶでしょう?人生のステージや生活に合わせて読むことができる永瀬さんの詩の世界。多感な時期の悩み、結婚、両親、夫や子供など家族のこと、生活の中での驚きや発見、山や川、植物や天体など自然について、世の中について、老いについて。永瀬さんの詩は、過去の自分を振り返ったり、これから行く道の道しる... more
FAQs about 永瀬清子の世界:How many episodes does 永瀬清子の世界 have?The podcast currently has 124 episodes available.
August 03, 2026#124「夏日の蛇」ある夏の日に見つけた〈蛇〉をめぐる「私」と「子供」との日常の一コマです。「藍と青の絣模様」ならば、アオダイショウなのでしょうか。同じ〈蛇〉でも「子供」の感じ方は、昨日と今日では正反対になっているのです。単に観察するだけならば「興味ふかく」思うだけでも、テリトリーに入ってこられると落ち着いてはいられません。一方で〈蛇〉は、気にも留めず「きわめて悠然と」叢の中に消えていきます。それは、世間との距離の取り方を知っている成熟した生き物のふるまいであり、「子供」と〈蛇〉の成熟度の違いを感じさせられます。「子供」はいつか〈蛇〉のように成長していくのだろうと、「私」はふと思ったのかもしれません。だからこそ「ふと二人で思いだすことはないだろうか」という思いに駆られたのではないでしょうか。冒頭で「『十便十宜帖』にあるような小さな石の橋」と池大雅の文人画を出して、場所を想像させ、最後に「むかしの夏」を「忘れがたい一枚の絵として思い出す」ところに、この短章そのものが一枚の絵のように感じられます。思い出は、このように積み重ねられていくのかもしれません。<文・白根直子>...more5minPlay
July 27, 2026#123「短章『痛覚』」自分の痛みを伝えることは難しいことです。感じた痛みを言葉にしても「他人にはただ言葉であり、目盛が見えぬ」ために、相手は想像するほかありません。もしかしたら、想像さえしてもらえないこともあります。さらには、痛みを訴えた途端、それをきっかけに相手の自分語りへと話がすり替わり、うんざりしてしまうこともあるでしょう。こうした痛みも相手に深く届くことはなく、ただの話題として消費されていきます。だからこそ「(死の壁をいや応なしに越える時に)あたってやっと驚く」のかもしれません。「もう少し早く知っていたら」という取り返しのつかない思いをしても、誰かの痛みを自分の痛みのように捉えることは、なかなか難しいものです。わかる、ということは、つくづく大変な能力なのだと思わずにいられません。<文・白根直子>...more5minPlay
July 20, 2026#122「短章『塩・砂糖』」塩と砂糖を間違えるような、うっかりミスは誰にでもあることです。そうした間違いは、そのまま単なる失敗として片付けられ、「私」が不注意な人間だという評価だけで終わってしまいがちです。どうして「私」がうっかりミスを起こしたのか、他の誰かがその理由を日常生活の中で考えることがあったとしても、それは表面的なものにとどまるでしょう。ところが「私」自身は、起きた出来事の背後にあるものや、自分が背負っているものといった、出来事の向こう側に思いをいたしているのではないでしょうか。ここでは具体的にふれられていませんが、「私」には、あえて言わなかったミスの理由があるのです。そこには、どうせ言っても理解されないだろうという諦めとともに、安易な言い訳を許さない自分への厳しさも感じられます。「私」のまなざしは、日常の何気ない出来事から人の心の複雑さを捉えています。<文・白根直子>...more5minPlay
July 13, 2026#121「無色ノ人」永瀬清子は、随筆「私の詩」(『農民芸術』第6集 1948年3月)に、「賢治さんにむかつての詩を私は時々書きました」と3篇の詩を挙げており、詩「無色ノ人」は、そのうちの1篇です。「無色ノ人」は、「我」にとって「絶壁ノゴトクソバダチテ」と表現されるほど大きな存在です。そのうえ「我」が、深いかなしみにくれたときには、「無色ノ人ノ懐ニナクナリ」とあるように、大いなる拠り所ともなっています。この詩は、カタカナと漢字で書かれた文語詩であり、現代の私たちには、やや難解に感じられるかもしれません。まずは、声に出して読んでみてください。詩が持つリズムの心地よさが自然と伝わってくるはずです。2026年は、宮沢賢治生誕130年・永瀬清子生誕120年にあたる記念の年です。「無色ノ人」に託された永瀬清子の宮沢賢治への思いを、この詩を通して感じ取っていただければ幸いです。<文・白根直子>...more5minPlay
July 06, 2026#120「風は」「風」と「私の詩」は、欠けているものを埋めようとするという点で共通しています。「西側の窓が開いていなければ/東風は入りません」とあるように、閉ざされていれば風は通り抜けられず、そこに開かれた場所があってこそ、はじめて風は吹き抜けることができます。「小さな流れのように」咲く朝顔もまた、「風」と同じく「ひきつけられる流れ」を体現しています。そして、「完全には開けないでいる」朝顔の花の姿は、まだ咲ききれない部分を残している「私の詩」のあり方と重なります。朝になると小さな朝顔は咲き、やがてしぼんでしまいます。その限られた時間に咲く花の姿に重ね合わせるかのように、「私の詩」がいつか鮮やかに開花することを願う心が感じられます。<文・白根直子>...more5minPlay
June 29, 2026#119「短章『唇』」永瀬さんが暮らしていた松木の辺りでは、6月半ばくらいから田植が行われます。田植は永瀬さんにとって印象深い出来事だったようで、詩や随筆にもたびたび登場します。田植が終わったばかりの田に、二子に分かれた山の頂上が映り、唇のように見える風景は、後に詩「アンターレス」(『春になればうぐいすと同じに』)にも登場しており、永瀬さんが好んだ風景だったのでしょう。けれども、苗が生長して水面が見えなくなると、この風景は消えてしまいます。「お祭のようにたのしい」共同作業の田植と、「拷問のように苦しい」子供と二人だけの田植。にぎやかさと過酷さという、対極にあるような時間を経て、田植の終わった風景を静かに心に刻む「私」の姿が重なることで、「唇」の美しさと特別さがいっそう際立ちます。<文・白根直子>...more5minPlay
June 22, 2026#118「短章『雨について』」「私」は、岡山から東京へ向かう新幹線の窓から、雨と一緒に旅をしているかのように景色をながめています。雨を追いぬき、追いつかれながら走る新幹線。雨に濡れた道路は紺色、小学生の雨傘の赤や黄色の色、雨は「大きな銀色のスカート」、それぞれが鮮やかな色とともに、景色が目の前に浮かび上がります。ていねいな描写を重ねた後、一息に発見を語るのです。それは、東京に着いた「私」は、雨は空から地面まで垂直に降ってくるのではなく、「雨は横に走ってくるものだ」ということでした。「横に走ってくる」とは、強い風による横殴りの雨ばかりでなく、雨雲の動きと時の移りにより、雨が新幹線を追いかけてくる様子をそのように捉えたのでしょう。普段何気なく見ている雨。その降り方を注意して見るだけでも発見や驚きがあるのです。<文・白根直子>...more5minPlay
June 15, 2026#117「合唱組曲『燃える故郷 ――六月二十九日の歌 一章 旭川』」永瀬清子さんは、1945年6月29日の岡山空襲を伝える合唱組曲「燃える故郷」の作詞を手がけました。作曲は木下そんきさん、初演は1981年6月、岡山合唱団によるものです。七章からなる組曲の第一章は「旭川」です。岡山県の三大河川のひとつである旭川が擬人化され、河の流れは岡山空襲の夜の出来事を「河はいまでもおぼえている」、「忘れずうたっている」と私たちに語りかけてくるようです。永瀬さん自身も戦争体験を詩や随筆などに綴り、講演会で語り続けてきました。「一章 旭川」には、語り部としての永瀬さんの姿が重なって見えてきます。岡山空襲の記憶は、合唱組曲としても確かに刻まれているのです。<文・白根直子>...more5minPlay
June 08, 2026#116「苔について」永瀬清子さんの小さなもの弱いものへのまなざし。そのまなざしが向けられたもののひとつにコケがあります。在野でコケの研究を続けた井木張二(いぎ ちょうじ)さんは、イギイチョウゴケの発見者で、岡山コケの会の初代会長を務め、終生コケの魅力を広く伝え続けました。永瀬さんに苔の魅力を教えたのも、この井木さんでした。永瀬さんは、井木さんの案内で京都の苔寺を訪れました。そこでの体験について、「苔を書くのは昔からの念願だったような気がして一息に書いた」(「あとがき」『あけがたにくる人よ』)と述べているのです。詩集『あけがたにくる人よ』の題名も、最初は『蘚苔類(せんたいるい)』か『苔について』にしようと考えていたほどでした。永瀬さんを虜にしたコケの世界。この詩が、コケの魅力や面白さを知る入口となれば幸いです。 <文・白根直子>...more5minPlay
June 01, 2026#115「夏花」詩「夏花」は、永瀬さんが赤磐で農作業をしていた頃に書いた詩です。「私」は、井戸のそばに咲きはじめた葵の花を見つけ、その美しさに目を留めます。花が咲き始める姿は、刻々と変わっていくので、その美しさを急いで絵に描いてとどめたいと願いました。けれども農作業にも、その時にしなければならないことがあります。サツマイモの苗を植えるのもその一つでした。そこで「私」は、紙ではなく「心の底にのみ」葵の花の美しさを刻みつけるのです。「もろさの故に強くあざやかに——。」には、刻々と変わる美しさという「無限のはかなさ」と、それを「私の心の底にのみ」とどめるしかないという「もろさ」が重なっています。これは、瞬間の美しさとそれを発見できた喜びの強さでもあります。一粒のこぼれ種から花が咲きはじめる瞬間までの時の流れも、この「もろさ」と「あざやか」さを「強く」感じさせたのでしょう。<文・白根直子>...more5minPlay
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