当時、世界最長となる全長約四キロの明石海峡大橋を作る構想を打ち出され、そして見事に実現された、第12代神戸市長の原口忠次郎さんの生き方に感動しました!
勝手ながら、イノベーター3つのフレームで見させて頂きました。
" 「日本全体の国土計画から考えて、明石海峡大橋は不可欠なもの。四国をあんな形で置き去りにしておくわけにはいかんでしょ。情熱は消えないどころじゃない。ますます情熱を燃やしていきます。そして私のありとあらゆる力と、政治力と、それから技術とを全部投入していきますわ。この橋がかかるまでは、私は死に切れませんよ」"
"まずは海外の技術を学ばなければならないということで、海外のつり橋の報告書などを翻訳してまとめたものが、『調査月報』だった。月報は、製鉄会社や橋梁メーカーなど関係各社に毎月配布され、日本の技術者が最新の橋梁技術を学ぶ貴重な資料となっていった。"
原口さんが初めて本州四国連絡架橋を提唱されたのが1940年で夢物語として片付けられ、明石海峡大橋が開通したのが1998年で、実に58年越しの夢の実現をなされたということに、心底感動しました。
私なりに、イノベーター3つのフレームで、見てみますと
パッションの源ではないかと思ったのは、京都大学工学部をご卒業されて、そして54歳の時に工学博士号を取られたということから、この分野にとても興味がある、大好きパッションがまずあったのではないかなあと思いました
もう一つは、四国の大変な状況を見られてきてから、継続して国へ働きかけていた頃にお話しされていた、先の"この橋がかかるまで死にきれませんよ"との言葉に、このプロジェクト開始にかける思いの強さ、ある意味、四国と阪神の住人への利他パッションが、炸裂してるなあと思いました
そして仲間については、仲間づくりに、とても大きな役割を担ったのが、海外の先進的な橋梁技術を調査した『調査月報 明石架橋資料』を毎月作成し、製鉄会社や橋梁メーカーなどの関係各社に毎月配布されたことが、大きかったのではないかと思いました
これは仲間としての、民間の関係各社の皆様、例えば神戸製鋼の三田村さんや穐山さんの、成長パッションに大きな灯火をつけることになったのではないか、そんなふうに思いました
ある意味、リーダーの役割とは、何が何でもやれ!と命令することではなく、仲間になる人の、パッションに如何に火をつけることができるか?そのやり方についての、とても勉強になるやり方だなあと思いました
そして、大義は、"「百年後の神戸市民のために何かを残したい」"ということをおっしゃってますと同時に、市議会で何度もこのお話をされて、その度に、「市長の大風呂敷がまた始まった」というようなことを言われた際に言われたという、記念碑にも刻まれている、"「人生すべからく夢なくしてはかないません!」"に全てが集約されている気がしました
この言葉は、全ての新たな挑戦をする人、誰からも支持されてないけれども実現したいこと、そんな、挑戦者の皆様の背中を押してくれる、本当に素敵な、大義だなあと思いました
そして原口さんの生き方のように、それを実現するために、技術、政治力、ありとあらゆる全ての力を使っていく、そこまでの覚悟と行動が、本当にそれを実現していくことができるのだなあと、改めて感動いたしました
自分自身が生きている時間の中では、実現できないことかもしれない、それでも、輝き続けるパッションと大義、そして、それらを引き継いだパッションを持たれた、仲間、がいることで、いつの日か実現できる、そんなことを思わせて頂きました
"夢の架け橋"と揶揄された明石海峡大橋を、58年かけて本当に実現させた、その事実にめちゃくちゃ感動させて頂きました
"夢の架け橋"は仲間とともに実現できるノベーション
参考: NHK出版 デジタルマガジン 明石海峡大橋。世紀のつり橋建設は、一人の「夢」から始まった――試し読み『新プロジェクトX 挑戦者たち』https://mag.nhk-book.co.jp/article/63593#:~:text=「人生すべからく夢なくして,の神戸市長である%E3%80%82
参考:Nikkenren.com H U M A N W A T C H I N G 未 来 都 市 神 戸 に 夢 を か け た 男 神 戸 百 年 の 大 計 に か け 、 “ 工 学 博 士 の 肩 書 き を 持 つ 市 長 原 口 忠 次 郎 夢 の か け 橋 ” を 追 い 続 け た 生 涯 https://www.nikkenren.com/about/shibiru/c_08/8_11_14.pdf
https://youtu.be/ZFiQtn9mdMQ