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病院シェフとして、人間ドックの予約が相当先まで埋まっていると言われている、山田康司さんの言葉に、感動しました
曰く
"理想
なんか選択があって、自分は望む方を選んできたので。
それが結果的に、理想になりつつあるかな
やればそれなりに誰でもできる。
まあ、やるか、やらないかだけなので
やってこういうふうな空間を作れれば、みんなが楽しい。
かなっていう。"
ここから私は思いました
1、獲得したものを捨てられるか
2、パッションの源を見つめているか
3、痛みに寄り添いみんなが楽しい
1、獲得したものを捨てられるか
山田さんは、東大に行かれていところ、突然辞められて、この世界に足を一から踏み入れたとのことです。
私が思ったのは、一度、獲得したものを、捨てることというのは、並大抵のことではないなということです
私の場合を考えてみると、少なくとも、これまでやってきたことの延長線上で、少しずつピボットしてきた感じがあります
最近では、アンラーニングと言われますが、これまでの成功体験や、培ってきたスキルにどうしても縛られてしまう、というところで
なかなか新しい挑戦をしきれないということもあるような気がします
自分軸と他人軸で考えると、いつの間にか、他人軸で生きてきてしまっていて、その他人軸で得たノウハウを捨てて自分軸に振り切ることができるか
でもそこまでできないと、もしかしたら、自分の物語を生きるということに、方向転換をすることは難しいのかもしれないなあと思いました
2、パッションの源を見つめているか
そこで必要となってくるのが、その自分軸への思いの強さ、つまりパッションの源から迸る思いが、押さえつけられない、そういう状態になることなのかなあと思いました
山田さんは、インタビューを見ていても、そんなマッチョにパッションを叫ぶような人に見えない、とても物静かな印象を受けたのですが
それでも、きっと、自らのパッションの源に生きるという覚悟が、すごく強い方だったのではないかと、想像します
何か違うのかもしれない、そんなふうに思った時に、自らのパッションの源が、何かを叫んでいる時だと思います
その時に、改めて、自らのパッションの源ってなんだったっけなあと見つめてみることが大事かと思いました
そして、
やるか、やらないか。
人生これしかないかもしれません。自分の人生を生きるために、その判断と勇気と覚悟が試されるのかもしれないなあと思いました
3、痛みに寄り添いみんなが楽しい
山田さんは、めちゃくちゃ有名なお店のシェフに一度なり、それもまた、ある意味、捨てて、そして、病院の専属シェフになられたというのも
ある意味、2回、大きなものを捨てているような気もしました
そして、病院や人間ドックのご飯を、目を見張るお良いしくて健康なものを提供し、さらには、病院にたくさんのバラを育てられて、レストランがバラ園のような形にまで自らの手でやられている
私がそこに感じたのは、徹底的に痛みのある方々に寄り添われていて、そこにいる人たちがみんな楽しいと思ってもらえるような
自分を超えた、そんな大義のものに、やられているように感じました
それは、イノベータリップルモデルにおける、抑えきれないパッションから始まって、たくさんのシェフや病院の仲間の方々と共に、病院という最も痛みが強い人たちに笑顔になってもらい、楽しんでもらう大義を実現している
まさに、真のイノベータそのものだなあと思いました
ということで一言で言えば
やるか、やらないかノベーション
何か違和感を感じた時に、それまでを捨てることができるか、自らのパッションの源に立ち返ることができるか、そして、たくさんの人たちが喜んでもらえる大義に到達できるか
そんなことを教えていただいた気がしました
そんな話をしています
参考:MBS 情熱大陸 2026年06月07日(日)放送分
病院専属シェフ Vol.1407 山田康司「元気回復」のための病院レストラン 東大中退・元名店シェフの優しい料理 https://www.mbs.jp/jounetsu/2026/06_07.shtml
株式会社アナザーヒストリーの代表取締役の佐藤悠希 さんからの、不毛な時間を解決するための3つの問いに、心を動かされました
曰く
"解決のカギは【問いかけ】。主体性・未来・多様性という3つの角度から、自分や相手に問いを投げるだけで、時間の質が劇的に変わる。"
ここから私は思いました
1、根っこのパッションの源
2、小さな一歩を踏み出してみる
3、不毛な時間にも価値があることも
1、根っこのパッションの源
不毛だなあと感じる時間は人それぞれにいろんなところにあるかと思いますが、私の場合は、この会議になんで私が出ているんだろう、みたいな時が、とっても不毛感満載だった気がします
佐藤さんがおっしゃられる、3つの問いかけは、そんな時間を減らす意味で、とても有効な気がしました
私がいつもお話ししている、自らのパッションの源がどこにあるのかということを、自分自身として将来への時間軸も含めて、わかっておくということがとても大切な気がしました
情熱のポートフォリオで言うと、大好きなこと、利他なこと、個性を発揮すること、成長・脱出したいこと、が、今のこの会議にいる中で、果たして少しでも触れるのかしら
そしてその会議から始まって、自分自身が人生の三分の一の時間を使っている仕事についても、果たしてどうなんだろうと言うこともあると思います
全てが自分のパッションの源全てにかけられている人はそうそういないとは思いますが、自分軸と他人軸(会社軸)を掛け合わせた時に、真ん中のベン図に何を創発できるか
不毛を感じたら、実は、それを考えてみるきっかけが来た、と思っても良いのかもなあと思いました
2、小さな一歩を踏み出してみる
自らのパッションの源とのギャップがなんとなくわかってきたとしても、それを実行するのは、なかなか難しいような後も思います
その会議、私意味ないんで、みたいなことを言える鉄の心臓の持ち主であれば、そもそも悩まないような気もしますが
それでもギャップを感じるのであれば、まずは小さな伊歩を踏み出してみるのも良いかもしれないなあとも思いました
私が独立を考えていた時は、自分が本当に世の中に求められるのかを知るために、スポットコンサルに副業申請して、登録したりもしていました
そのうちに、副業ではなかなか難しい仕事がきて、それをお断りとかしていたり、ぜひやってほしいと言われることが出てきたり
うまくいかないかもしれないけど、何か小さな踏み出せる一歩を出していると、意外と違う道かもしれないけれども、何かが見えてくる、そんな小さな勇気と行動も大切なのかもなあと思いました
3、不毛な時間にも価値があることも
いわゆるデフォルトモードネットワークのような、実は、休んでいるように思えている時こそ、創造性が爆発していると言うこともあると言う認識もあって良いかもなあとも思いました
散歩やお風呂、音楽、美術、仕事やれよと、心の中では言われるけども、あえて、全然違うことをやってしまう
これによって、また不毛への考え方も変わることもあるかもしれないなと思います
先日お話ししたように、筋肉も脳みそも、実は、休息を肯定的にスケジューリングすることこそ、仕事である、と言う考え方もあるので
思いきって、不毛時間を、別名にして、例えば、毛髪育成期間、みたいな、全然行けていませんが、ある意味、意味のある時間なんだと、積極的に取り入れると言うのも、会っても良いかも
私の場合は、プレッシャーに弱いので、不毛かもしれない、と思った瞬間に、どうしようみたいな、不毛プレッシャーに押しつぶされてしまうかもなあとも思ったりして
そんな時は、もしかしたら、価値がある時もあるかもなあとも思っても良いのかもと思いました
と言うことで、一言で言えば
不毛な時間ノベーション
不毛な感じがきたら、自らのパッションの源を知りながら、小さな一歩を踏み出すチャンス到来なのかも
そして、不毛プレッシャーに負けずに、あえて肯定して積極的に活用していると言うことも、あるのかもなあと
そんな話をしています
参考:本: 不毛な時間をゼロにする 2025年5月30日 電子版発行 著者 佐藤悠希 発行所 株式会社サンマーク出版
株式会社朝日広告社プランニングディレクターの羽田康祐(はだこうすけ)さんからの意見の作り方に深く考えさせられました
曰く
"目の前の事実に対して、「さあ、深く解釈しろ」と言われても、何から考えればいいかわからないのが普通だ。"
"そこで使ってほしいツールが、私がコンサルタント時代から愛用し、今も企画の現場で使い倒している、思考を強制的に拡張するための「5Qフレームワーク」だ"
"Q1(過去へ):なぜ起きた?
Q2(未来へ):どうなる?
Q3(他者へ):あの人はどう思う?
Q4(逆へ):裏返すと?
Q5(自分へ):で、どうする?"
ここから私は思いました
1、ニーチェの解釈論は無限大
2、パッションの源の掛け算
3、DAY1仮説
1、ニーチェの解釈論は無限大
「真実はない、あるのは解釈だけである」というようなことをニーチェが言っていた通り、誰かのフィルターを通った瞬間に、そこには、何かしらの解釈があると思います
すなわち、一人ひとりのフィルターを通ることにより、解釈は無限通りにあるわけで、自分としてどの解釈を選択するのか?ということがとても重要になってくると思います
同調圧力が強い中にいると、誰かの解釈に引きずられてしまって、それでいいや、ということにもなってしまいがちですが、この「5Qフレームワーク」は
もっといろんな解釈があっていいんじゃないという選択肢を広げてくれる、画期的な考え方だなあと思いました
イノベーション案件においても、デザインシンキングなどで手に入れた、ユーザーの声を、どうかいしゃくするか?によって、イノベーティブな案件になるかどうかの鍵を握る部分と言ってもいいかもしれません
まさにここにイノベーションの種を生み出すエンジンがある気がしました
2、パッションの源の掛け算
この本では、解釈の後に、自分の価値観とのすり合わせをするというステップをいれられているところが、また素敵だと思うのですが
無限大の解釈の幅を感じた後に、自らのパッションの源の琴線に触れることは何かを、ワンクッション入れることが大切だと思いました
ここでも同調圧力に屈するのではなく、自分自身のパッションの源、琴線、つまり、大好きなこと、利他なこと、個性的なこと、成長脱出すること、におけるどの金銭に触れるかで
無限大の解釈を選択することが大切だと思いました
そのためには、あらかじめ、今の自らのパッションの源を、自身として知っておく必要があって、それをメジャメントととして揃えておくことも大切と思いました
3、DAY1仮説
自らの意見を構築するために、時間をかけ過ぎてしまうということも、ありがちな気がしました
解釈の幅を広げて、自らの発源を掛け合わせるということを時間をかけてはいけなくて、ある程度不十分でもぶつけてみるということも大切と思います
DAY1仮説とよく言われますが、情報がない中でもまずは自分なりの、おそらく間違ってるけれども、仮説を意見としてぶつける
Fast Failして、そこからまた泳ぐということを恐れずにやることもとても大切と思いました
ということで、一言で言えば
解釈の幅を広げて即座にぶつけるノベーション
そんな話をしています
参考:本(電子書籍):意見をつくる 著者 羽田 康祐 発行所 フォレスト出版株式会社 フォレスト出版株式会社『意見をつくる』(2026年4月3日初版)に基づいて制作されました。
シドニー大学生命環境科学部栄養生態学教授のデイヴィッド・ローベンハイマーさんと、シドニー大学生命環境科学部教授のスティーヴン・J・シンプソン さんより、食欲に関する衝撃的なお話をいただき、考えさせられました
曰く
"少量のタンパク質を摂取すれば、長生きするが子孫を多く残せない。タンパク質の摂取をそれより少し増やせば、子孫は増えるがそれほど長生きできない。さらに摂取を増やせば、寿命も延びず子孫も増えない──少なくともあなたがショウジョウバエの場合はそうなる。"
"繁殖と寿命では、栄養上の要件が異なるのだ。 子孫を多く残すためにはある食事を選び、死を遅らせるためには別の食事を選ぶ必要がある。同じ食事で両方の成果を達成することはできない。"
ここから私は思いました
1、利己的な遺伝子
2、自分か子孫か究極の選択
3、大義と時間軸
1、利己的な遺伝子
リチャードドーキンスさんの「利己的な遺伝子」からのお話では、生物は遺伝子の乗り物であって、あくまでも遺伝子が生き延びる行動をとっている、というようなお話だったと思いますが
このショウジョウバエの研究からすると、タンパク質の摂取方法により、自分自身が長生きするか、または、子孫を増やす方を優先するかを、選べるということになるという話なのだとすると、衝撃的なお話だと思いました
本書の中では、カロリーなどではなく、一番は自分に合ったタンパク質ターゲットを知り、それ割合をキープすることで、健康を維持できるとの、素敵な食生活をするためのコツもあるのですが
私には、利己的な遺伝子を乗り越えて、自分か、子孫かをある意味、選択することができる世界を作ることもできるのかもしれないということに、とにかく衝撃をいただきました
2、自分か子孫か究極の選択
では、たとえば、自分か子孫か究極の選択を迫られた時に、どのような判断をするのだろうという、問いにぶち当たりました
果たして、今、自分として、そのような行動ができているのかと思うと、そうではない部分もあるような気がしてしまいます
ステレオタイプ的には、子孫のために、というところを外すことはおそらくないと思うのですが、行動として、たとえば、会社で何らかのビジネスの判断をする際に
果たしてそれは、自分たちの子孫のために、どう役に立つのか、ということまでを、判断基準に入れているかと言われると、まずは目の前の利益を考えないでどうする的な、ことで選択していることもある気がします
北米の先住民のイロコイ族が「セブンスジェネレーションズ(7代先)を考えて判断せよ」という有名な話がありますが、日々自分がそうできているかというと、そんなことはできていないなあと思います
だとすると、口では、子孫の繁栄と言っていても、実は自分のために判断をしているということになってしまっているのかもなあと思いました
3、大義と時間軸
そう考えると、タンパク質の取り方で、自分か子孫かを究極の選択をする前に、自分の今の行動をどうしていくのかということがまずは、あってもいいかもしれないと思いました
イノベーターリップルモデルでは、新しい価値を作る活動として、まずパッションから始まり、仲間と共に、誰かが喜んでくれる大義を作るものですが
最後の体技の持たせ方がとても重要になる気がしました
それは、その大義に、時間軸を意識したものが入っているかということです
会社の新規ビジネスでも、ベンチャーのビジネスでも、もし、大義が短期的、たとえば7代先までの時間軸を見ていないものであったら
実は、タンパク質を少量しか取らない選択をして、子孫が残しにくい選択をしていることと同じことをしていることになるのかもしれない
大義に、たとえば7代先までの長期的な時間軸があるものであれば、それは、子々孫々まで続く価値を作っていくことにつながるのかもしれない
その大義の設定に、長期的な時間軸を入れるということは、そういうことに繋がるのかもしれないなあと、その大切さを思わせていただきました
ということで一言で言えば
自分か子孫か究極の選択ノベーション
そんな話をしています
参考:本:食欲人:食欲人 2023年6月30日 Sunmark Books 電子版発行 著者 デイヴィッド・ローベンハイマー スティーヴン・」・シンプソン 訳者 櫻井祐子
長距離マラソンのトップコーチであるスティーブ・マグネスさんと元マッキンゼーの作家のブラッド・スタルバーグさんが語る、最高のパフォーマンスを出すための秘訣について、新たな学びをいただきました
曰く
"結局、行き着くのは「負荷+休息=成長」という原点なのである。"
"頭脳や創造力に秀でた天才たちが思考力を磨くためにやっていることは、身体能力に秀でたアスリートたちが体を鍛えるためにやっていることと同じだったのだ。"
"マット・ディクソンという世界レベルのトライアスロン選手たちの育成にあたる名コーチと会ったとき、ぼくたちは「一流とその他を隔てるものは何か」と尋ねた。「休息だ」との返答が返ってきた。"
"アイアンマンに出場する選手のトレーニング計画を練るときは、「軽めの練習日」だの「休み」だのといった言葉は使わない。その代わりに「サポートセッション」と名づけ、計画にたくさん盛り込むのだ。
休息を「成長と適応をサポートする日」と定義すれば、選手たちは休息を何もしない日、すなわち「トレーニングのない日」ととらえずに済む。それだけで、休息は追加トレーニングと同じぐらい生産的な活動になる。"
ここから私は思いました
1、コンフォートゾーンを抜けるだけではダメ
2、「休むのも仕事」は、本当に仕事である
3、「休み」を成長するための仕事にする
1、コンフォートゾーンを抜けるだけではダメ
私の大好きな本アンダースンさんの「超一流になるためには才能か、努力か」によると、1、超一流の先生、2、コンフォートゾーンを抜ける 3、自分を信じるが、超一流への3大要素と思っていましたが
それだけでは、足りないということを、思い知らされました
そこに必要だったのは、なんと積極的な「休息」ということに、目から鱗がおちる思いでした
確かにこれまでも、ひらめきを得るためには、「デフォルトモードネットワーク」を積極的に活用する時間、つまり、散歩や、音楽を聴くなど、全く別のことをすること、というお話は何度もしてきましたが
明確には結び付いてはいませんでした
ついつい詰め込んでしまう私としては、お風呂だったり、舞台を見にいくなどは積極的に取り入れていましたが
さらなる成長を促すためには、脳も、体も、休息をいかに、組み入れていくかということにかかっているということは、大きな気づきとなりました
2、休むのも仕事は、本当に仕事である
これまで、私に取っては、「休むのも仕事のうちだから」というのは、病気で休んだ時に、優しい上司が、慰めでかけてくれる言葉でした
でも、実は違っていて、より良い成果を上げるためには、いかに計画的に休みを取り入れて、その間に、筋肉であれば筋肉の成長を、脳であれば、そこからの新たなひらめきを得るための
本当に重要な仕事の一つとして、休養を取り入れなくてはならい
この考え方は、一部のトップアスリートでは常識なのかもしれませんが、それはトップアスリートだけではなくて
一般の私のような人にも、仕組みとして、適用すべき、重要なJOBなんだなと改めて思いました
例えば、会社活動の中で、果たして、組織的にどれだけ導入できているんだろう
そして、個人としても、このノウハウを知っていることで、より成長できて、かつ、バランスの取れた生活ができるのかもしれない、とても重要なノウハウだなあと思いました
3、「休み」成長するための仕事にする
そのために、何が一番大事なのか?ということを考えた時に、その休み自体に、休みという名前はつけずに、仕事の一部としての名前をつける
という画期的なイノベーションを行われている、名コーチ、マット・ディクソンさんの名コーチ話がめちゃくちゃ刺さりました
確かに、休め、と言われても、切羽詰まった状況にあったり、本当に重要なステージを迎えている時に、自分もここから休むことができるのか?という問いには、難しいようなあと思っていました
しかし、もし、その、休みに、仕事上の名前がつけられて、ちゃんとその仕事もこなす、という言い方ができれば、これは精神的にも肉体的にも、とても良い効果をもたらすことができるのかもしれないと思いました
企業においては、ワークライフバランスという言葉で、病気にならないためには、これだけ休む必要があるという、言い方をされていますが
やっていることは一緒なのですが、それは休みではなく、サポートセッションという、仕事をしているのだ、と言った方が
よりその必要性と、さらに、そのために自分自身も、ひいては会社自体も、より大きく成長できる、そんな形で表現するだけで
休みの意味合いが全く変わってくるし、むしろ、積極的にサポートセッションを、成長のために、取り入れていく
優秀な人材ほど、そういう動きになるというのは、休むということを、ポジティブに捉えて、成果も出しつつ、人生も豊かにしつつ、にと追うことができる、これこそ、イノベーションだなあと思わせていただきました
ということで、一言で言えば
「休み」を成長するための仕事にするノベーション
そんな話をしています
参考:本: PEAK PERFORMANCE 最強の成長術 2017年11月22日 プリント版第1刷発行 著 者—ブラッド・スタルバーグ、スティーブ・マグネス 訳 者—福井久美子 発行所——ダイヤモンド社
「おむすび権米衛」を運営するイワイの岩井健次社長の大義と仕掛けにイノベーターの真髄を見ました
曰く
"必ず我々は固定価格で保証することによって、投資ができる。彼らはいわゆる未来が見えるようになったんですよ。
次のヒーローが出てくるんですよね。
農業は必ず次のヒーローが出てきますから。
ヒーローが出てくればみんな追随しますから。うん、憧れて。
そうおむすび屋で我々が今パリとかニューヨークか日本でこう来ましたよね。だからいろんな方が真似していただいて、競合店が増えてる
農業も同じように成功してる若手農業者がいれば絶対その産業はやっぱりこうね。流行るはずだっていう。"
ここから私は思いました
1、日本の農業を救う大義
2、大義を実現するための仕掛けづくり
3、ヒーローの影には黒子あり
1、日本の農業を救う大義
大手商社を経てプロボクサーからサブウエイフランチャイズ運営を経て、日本の米農家と食料自給率を向上させるという大きな大義を打ち立てて、ここまで来られている岩井社長に、度肝を抜かれました
「おむすび権米衛」は確かに美味しいですが、なんと、こんな、日本にとって、非常に大きな、実は、社会課題解決型イノベータ企業だったとは、衝撃でした
ここから私は、もしかすると、本当の社会課題解決イノベーションな企業とは、社会課題解決企業という名目は全く表に出さずに
生活の中に溶け込むソリューションを提供している中から、普通に生きている人々には全く知られていないけれども、ことさらにそれを全面に押し出すわけでもなく
まるで水戸黄門のように、すごいことはお首にも出さずに、ただ、ひたすらに信じる大義を実現していく、でもそこに関わっている人たちにとっては、かけがえのないソリューションとして機能していく
それが、真の社会課題解決型イノベーション企業の姿なのかもしれない、そんなこと思いました
2、大義を実現するための仕掛けづくり
ただ単に素晴らしい大義があっても、それを実現させるべく仕掛けが実装ないと、絵に描いた餅として、全く意味がないということにもなりかねないのですが
本当にすごいのは、お米農家のペインに寄り添ったソリューションを提供されているということです
つまり「おむすび権米衛」という超強力な販売網を軸に
お米農家の最大のペインである、日々の売上が変動するために長期で投資することがことができないというところに
固定価格で購入保証をするというソリューションを提供することによって、お米農家が長期での投資ができるようになり、本当に品質の良い米を作れるようになる仕掛けを提供されていることに驚きました
これはある意味、「おむすび権米衛」も、農家とともに一緒にリスクを取るという、見方を変えればオープンイノベーションなのかもしれないなあと思いました
共に生きるということを、仕組みの中で、宣言しているからこそ、農家も一緒に歩んでくれるし、そして結果を出すからこそ、さらなるドライブがかかるのだろうなあと思いました
3、ヒーローの影には黒子あり
イノベーションを成功させるためには、まずは一つ、圧倒的な成功事例をつくるということが大事、ということを身をもって体現されているのかもしれないなあと思いました
それは、米農家さんと一緒にリスクを取っている「おむすび権米衛」が、自らのビジネスとして、世界へ進出し、大成功を収めて、競合まで出てきている状態
これを、同じように、米農家さんでもできるはず、ということを、背中で伝えているようにも思いました
会社の中でも、イノベーション案件がなかなかできない、できてもちっちゃい案件でインパクトがない、なかなか幹部から認めてもらえない、、
私もこんな経験をたくさんしてきましたが、とにかく、一点集中で、フラッグシップビジネスを立ち上げることに、躍起になって集中して
それでもイノベーション案件は時間がかかるので、実は、我々が植えた種が5年後に爆発的な芽として育ってきて、誰もが我々を忘れ去っていたとしても
フラッグシップができたという事実で、新たな市場が立ち上がっていく、それをよしとして進めていく
自分もそんな思いを持っていたので、何かとても共感さえていただけるお話でもありました
もちろん、「おむすび権米衛」さんは、おむすび業界におけるヒーローなのですが
実は、日本の農業界のヒーローを生み出すための、黒子であったということが、とても感動してしまいました
ということで、一言で言えば
ヒーローが出れば産業が伸びるノベーション
そしてその影には、黒子としてのヒーローがいる
そんなことを思いました
参考: カンプリア宮殿【日本も海外も熱狂させる!「おむすび権米衛」の秘密】2026/6/ 4(木)テレビ東京
https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/cambria/vod/post_341703
早稲田大学文学学術院教授で、専門はパーソナリティ心理学、発達心理学の小塩真司[おしお・あつし]さんより、エビデンス重視、数値重視の落とし穴について、目から鱗がおちる思いでした
曰く
"グッドハートによれば、ある「指標」が報酬や利益、評価と結びつけられると、人々はその指標を最大化すること自体に集中し、もともとの目的や価値を忘れてしまう傾向があります。
政策や制度が善意によって設計されていても、指標が目標に変化していくことで、人々の行動は「数値を上げる」方向に最適化されていくのです。"
"だからこそ、私たちは測定や評価を用いるとき、その背後にある「何のためにその指標を使うのか」という問いを常に意識し続ける必要があります。"
ここから私は思いました
1、わかりやすさバイアス
2、エビデンスよりコンテキスト
3、ネガティブケイパビリティと大義
1、わかりやすさバイアス
確証バイアス、利用可能ヒューリスティック、アンカリングバイアス、代表性ヒューリスティックなどなど、我々が抗いにくい様々なバイアスがありますが
それらのバイアスを駆逐するために、エビデンスという必殺技があって、例えば数値化を用いるべきで、最近ではデータとエビデンスに基づく判断をすべきであるというお話に納得していた私でしたが
実は、そのエビデンスを用いることに、罠が生じてくる、というお話に、衝撃をいただきました
これは私なりに考えると、もしかしたら、わかりやすいことへ飛びついてしまう、わかりやすさバイアスということもあるのかもしれないなあと思ってしまいました
これがエビデンスなので、と言いながら、数値だけを見せられると、みんな、ははあ、とひれ伏してしまう
そんなパワーを数値化というのもは持っていると思いました
もしかしたら、物語化というのも、わかりやすさバイアスの一つなのかもしれない、とかと思うと
誰もが信じてしまう、わかりやすいものには罠がある、くらいの、クリティカルシンキングは持っておかねばならないなあと思いました
2、エビデンスよりコンテキスト
グッドハートの法則は、言われてみれば、数値化目標をした途端に、その目標数値そのものを達成するために、手段が目標化してしまう経験は、自分も何度もしてきたなあと思います
イノベーションに関しても、どれだけの数をアクセラレーションしたか、とか、オープンイノベーションのイベントで何人集まったとか
本来は、世の中を変えるプロジェクトを生み出すことが目的のはずが、その施策の短期的なKPIに奔走してしまうことだったり
来年度の予算どりを確保するために、本質的な内容ではない数値的なものを成果にしてみたり、思い出すと色々な苦労をしていました
その渦中にいた身としては、それも継続していくためには、継続しなくては本来の目的も達成できないから、という矛盾の中でも苦しんでもいた気がします
なぜその数値を目的にしたのか?というそもそもの背景や目的を忘れがちになってしまうし、異動で人が変わると尚更忘れ去られていってしまう
その背景にあるコンテキストこそ、引き継がなくてはならなくて、常日頃、それを確認しながらの数値化をしていく必要があるなと、改めて思いました
3、ネガティブケイパビリティと大義
そいういう意味では、いくらデータ・ドリブン経営で、エビデンスとしての数値が並んだとしても、そこにある背景やコンテキストがどのようなものが重要なのか
それを問い続ける、いわゆるクリティカルシンキングと、簡単でわかりやすい答えに飛びつかないネガティブケイパビリティが大切だし
そもそも何を大義をして掲げていたのか、本当に到達したいことはなんだったんだっけ?という、ラテラルシンキングも重要と思いました
イノベータリップルモデルにおける、パッションから始まり、仲間と共に、誰かが喜んでくれる大義を目指す
その大義は、決して、数値化されるものだけではなくて、社会のどんな人をより良くしようとしているか、どんなより良き世界を作り上げていこうとしているのか
その大義を忘れないで進んでいくということが、大切な気がしました
ということで一言で言えば
数値化「中毒」ノベーション
そんな話をしています
参考:本: 「数値化」中毒 なぜ手段が目的に変わるのか 著 者:小塩真司 発行所:株式会社PHP研究所 製作日:二〇二六年五月十一日
2026年本屋大賞第一位に輝いた、朝井リョウさんの小説『イン・ザ・メガチャーチ』から、人間における物語のあり方について、深く考えさせられました
Aamazonの紹介文では以下のように記載されています。
”沈みゆく列島で、“界隈”は沸騰する――。
あるアイドルグループの運営に参画することになった、家族と離れて暮らす男。
内向的で繊細な気質ゆえ積み重なる心労を癒やしたい大学生。
仲間と楽しく舞台俳優を応援していたが、とある報道で状況が一変する女。
ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、かつてのめり込んでいた側――世代も立場も異なる3つの視点から、人の心を動かす“物語”の功罪を炙り出す。
「神がいないこの国で人を操るには、“物語”を使うのが一番いいんですよ」
ここから私は思いました
1、物語は人を救い、人を縛る
2、イノベーションとは、新しい物語を生み出すこと
3、本当に問うべきは、自らの物語
1、物語は人を救い、人を縛る
ユヴァル・ノア・ハラリさんの有名な言葉として
「サピエンスがこれほど大勢で柔軟に協力できるのは、唯一この種だけが虚構の物語を創作し、それを信じることができるからだ」(サピエンス全史)
との言葉がありますが、朝井さんの書籍は、この素晴らしさと恐ろしさをまざまざと見せつけてくれた気がしました
自分が映画やドラマに人間の素晴らしさを感じるのも、知らずしれずに怪しい活動に身を投じてしまうのも
神の力というよりは、その物語が気持ちよかったり、自分のパッションの源の琴線に触れてしまったから、ということのような気がします
だからこそ、人はコミュニティに集まり、推しを応援し、企業理念に共感し、国家や宗教に帰属していくし
でも、そこには孤独を癒やし、希望を与え、人と人をつなぐ力がまちがいなくあって、
しかし同時に、物語への没入が深くなればなるほど、
知らないうちに、「現実」よりも「物語を守ること」が優先されることもあるなあと思います
社会心理学者アーヴィング・ジャニスさんは、集団の結束が強くなりすぎると批判的思考が失われる現象を「集団浅慮(グループシンク)」と呼びました。
人を救う物語。
人を縛る物語。
その両方を持っていることが、物語の力であり、怖さでもあるなあと、痛感させていただきました
2、イノベーションとは、新しい物語を生み出すこと
イノベーションというと、新しい技術や新しいサービス創発を思い浮かべますが
実は、人が動くのは技術そのものではなくて、その技術が連れていく未来の物語だと思います
スティーブ・ジョブスさんが、「Think Deferent」と言われたことに、感動して、すっかりAppleファンになってしまった私のように
そこには、製品の機能の説明よりも、
「こんな未来が来るかもしれない」
という物語だったと思います。
そういう意味では、私たちが共感するのはスペックではなく希望なのかもしれない
私たちが投資するのは今の商品ではなく、その人が思い描く未来、すなわち大義です。
イノベータリップルモデルが、パッション、仲間、大義と、波紋を広げていくように
イノベーターとは発明家である前に、実現する大義、つまり未来の物語の語り手であるということが、とても大切だと思いました。
3、本当に問うべきは、自らの物語
私たちは、無数の物語に囲まれて生きているということかもしれません
家族の物語。会社の物語。時代の物語。推しの物語。国家の物語。。。
だから否応なしに、既にある物語の登場人物として生きなければならないと思います
でもそこで大事なのは、自分の物語がそこに描けているか、ということなのかもしれないなあと思いました
きっと、物語も、自分軸と他人軸のベン図と同じように、複雑に絡み合っているんだと思います
その中で、自分軸である、自分の物語がなくなっちゃうと、様々な物語に翻弄されて生きていて、自分は何のためにここにいるのかもわからなくなってしまう、そんなことがあるのかもしれないなあと思いました
だからこそ、自分軸としての、自分の人生の物語を紡いでいう必要があるのだと思います
その第一歩は、自らのパッションの源を、まずは一人ぼっちで見つめてみる、そんなことが、とても大事になるのかもしれないなあと思いました
そんな中から、誰もまだ見たことのない物語を書き始めてみる
もちろん、他人軸である、他の物語に参加しながら、でも自分の物語とのベン図の交わりと交わらないところを意識することが大切なのかもしれない
『イン・ザ・メガチャーチ』が描いているのは、物語に熱狂する人々の姿なのかなあと思いました
そして、大切なのは
「どの物語に参加するか」
もありますが
「自分はどんな物語を生きるのか」
さらには
「どんな物語を世界に残したいのか」
なのかもしれないなあと思いました
一言でいうと、
インザメガチャーチ・ノベーション
そんな話をしています
参考:本:インザメガチャーチ 作者 朝井リョウ 2025/9/3 日経BP 日本経済新聞出版社
ムーミン作者のトーベヤンソンさんは、自由について以下のようにお話しされています
曰く
"彼らの幸せは、ひとりでいる自由、自分だけの考えにひたる自由、だれかに打ち明けたいと思うまでは自分の秋密をあかさずに、隠し持つ自由から構成されています"
"このコートピア的とも言うべき家族、をわたしはなにかしら敬意と驚きに近い感情で見つめてしまう"
(What is Freedom)より
ここから私は思いました
1、幸せはひとりで味わう
2、ひとりになれる自由
3、それを認め合う仲間
1、幸せはひとりで味わう
ヤンソンさんは、戦争に翻弄されたことが一つの要因として、ムーミンを創り出されたとのお話に、ある意味、脱出パッションからの、「戻らなければならない現実逃避」とも言われていましたが、一つの世界の創造だったのかなあと思いました
1人でいる自由、という言葉には、様々な抑圧に飲み込まれていく中での、叫びのようなものも感じます
でも、考えてみると、今自分においても、果たして1人きりになっている時というのは、どれほどあるのかとも思います
時間が空けばスマホを見てしまったり、ドラマを見ていたり、友達と会っていたり、何か、1人っきりになることがまるで怖いかのように、その時間を埋めようとしているような気もします
誰とも、何とも、繋がっていない、孤島ひとりぼっちのような経験というのは、関係性の動物である人間には、やはり恐怖なのかもしれませんが
でも、自分自身が本当に今、幸せなのかどうかっていうことは、雑音のない状態で、自分自身に問いを投げかける空間にいないと、わからないのかもしれないなとも思います
孤独は怖いですが、仲間の中にずっといるだけでは、本当の自分の気持ちはわからない
自分のパッションの源と会話する、1人の時間というものが、必要なのかもしれないなあと思いました
2、ひとりになれる自由
そう考えると、本当に1人になれる自由ということが、とても大切になってくるのかもしれないなあと思いました
会社や家庭で多忙な毎日の中では、それを考えることもできない状態になってしまっているような気もします
でももしかしたら、戦時中では、本当にそんなことを考えることもできないほどだと思いますが
今の自分にとって、1人になる自由があるはずなのに、それを選択しようとしていないのかもしれないとも思うこともあります
自分は独立をしようと思った時、そして、その後にも、とっても恐怖を感じましたし、今でも、たまに襲ってくる何かを感じることがあります
エーリッヒフロムが言われたように、自由からの逃走をしたくなる気持ちもよくわかります
でも自分には、実は、1人になれる自由があって、それは、実は、得難い自由であって、それを選択することがもしできるのであれば、または少しの時間だけでも、自分を1人にしてあげれるか
そして自分と向き合う時間を作ってあげる、ということを意識的にできるかということも、とても大事なのかもしれないなあと思いました
3、それを認め合う仲間
人生の幸せは、健康、仲間、富(成功)であるというお話を、シリコンバレいー最大の思想家のナヴァルさんや、樺様紫苑さんがおっしゃっておられた気がしますが
その中には、必ず、仲間ということが入っていて、愛情ホルモンのオキシトシンが出る関係作りが、とても大切と理解しています
でも、ずっと仲間の間位にいると、気持ちはいいかもしれませんが、自分って本当に何をしたかったのか、みたいなことが逆に希薄になることもあると思います
そいう意味では、仲間がいることは、きっと、絶対条件なのですが、その中で、1人になる時間や、1人で考える時間、さらには、言いたくないことは自分の心にしまっておけるなどの、1人の自由があることも、絶対条件なのかもしれないなと思いました
ムーミン谷の仲間たちは、みんな、優しくて、哲学的で、個性的ですが、みんな各々の考え方や悩みがあって、それと向き合おうとする、そんな姿勢と、仲間のみんながそれをわかってくれている、そんな環境が、自分に勇気をくれていたのかもしれないなあと、そんなことを思いました
ということで一言で言えば
ムーミン谷の自由ノベーション
そんな話をしています
参考: こころの時代 ファンタジーに秘められた宗教(3)『ムーミン 孤独な小さき者たち』2026/6/1(月) NHKEテレ東京 https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-X83KJR6973/ep/X43VWMM3L9
熊川哲也さん率いるK-BALLET TOKYOの「パリの炎」の演出・再振付の宮尾俊太郎さんの言葉に震えました
曰く
"ただ、単に悲劇の物語を届けたいわけではない。この作品においても「愛」は確かに存在している。恋人への愛、家族への愛一それは教いと言ってもいい。
そして何より、バレエには、人間の業や悲劇を描きながらも、それを美しく見せてしまう力がある。「ジゼル」も「白鳥の湖」も「ラ・バヤデール」もそうだ。
だから僕も、この「パリの炎」をそうした「浄化」という地点まで持っていきたいと思っている。
光があるから闇が深くなる。その振幅の先にこそ、芸術のカタルシスは生まれる。
自由を求める人々の情熱、時代に翻弄される個人の運命、そして熱狂の裏にある狂気--。それらすべてが、理屈を超えた”本能の叫び"として皆様の感性に届けば幸いだ。"
ここから私は思いました
1、言葉では表現しきれない感情がある
2、身体が理屈を超えた本能を叫ぶ
3、バレエという型が全てを美しく魅せる
1、言葉では表現しきれない感情がある
激動のフランス革命における、革命を起こす民衆と、君臨する貴族との、各々の心の葛藤は、あえて言葉にするならば、愛、情熱、狂気、業、悲劇、、などとさまざまな感情が入り乱れ、とても一言では語れないもので
しかしそれは、言葉にしてしまうと、わかりやすくはなるのだけれども、とても単純化されて伝えきれないものなのかもしれないなあと思いました
この「パリの炎」は、全幕で上演されるのはロシア以外ではとても限られていて、かつ古典作品をそのままなぞるのではなく、宮尾さんの思いを加えて際創造されていたバレエは
言葉がない分、各々の感情の起伏や爆発が、多数のバレエダンサーの踊りによって、かつそこに奏でられる音楽によって
観ている観客の一人一人に説明できない感情を巻き起こしてくれていると思いました。
人にとって、音楽と踊りというのは、原始的な官能を最も揺さぶってくれる、逆に言えば、我々の感情は、言葉なんかでは到底説明ができない
パッションの源も本当は言葉なんかにできるはずもない、本来はそういうものなんだということを改めて教えていただいた気がしました
2、身体が理屈を超えた本能を叫ぶ
鍛え抜かれたバレエダンサーの信じられないほどの素晴らしい身体の動きを見ると
伊藤亜沙さんの、技術習得のパラドクスを思い出しました
逆上がりや自転車など、一見、人間の理屈では理解できないことを、体が先に習得してしまうことがあるということですが
まさにバレエダンサーの動きは、理屈ではそんなことはできっこないという驚きの動きの連続で
だからこそ、そこに培われた時間と情熱も含めて、その動きに、理屈を超えた本能的な叫びのようなものを感じることができるのかもしれないなと思いました
一長一短では決して表現することができないことを、頭ではなく身体で少しずつ身につけていった、その先に、自らのパッションを爆発させることができる、言葉を超えた、本能の表現ができるようになる、そんなことを感じました
3、バレエという型が全てを美しく魅せる
そして、この美しいバレエという美しい型があるからこそ、通常であれば直視できないほどの悲劇も、美しさのベールを纏いながら、伝えていくことができる
それは、ローディの感情教育のように、本当にある悲劇や大変な事実を、それでも伝える必要がある際に、とっても効果的に表現し、歴史に刻むことができる
そこには野暮な言葉や、勝手な解釈が入る混む余地がない、バレエダンスという究極の方法によって表現し
それを観客の人たちが各々の想いとして持ち帰ることができる
それは後世の人たちへのメッセージであるとともに、さらにそのメッセージをどのようにさらなる後世へ伝えるために、どのようにアップデートしていくか、ということも我々に問われていることなのもかもしれないと思いました
ということで、一言で言えば
理屈を超えた本能の叫びノベーション
本当に素晴らしい感動を頂けました
そんな話をしています
参考:バレエ Daiwa House. PRESENTS TETSUYA KUMAKAWA K-BALLET TOKYO SPRING TOUR 2026 https://www.k-ballet.co.jp/performance/2026flamesofparis.html
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