天智天皇がまだ中大兄皇子の頃、しばしば瀬高近辺に現れています。
これは一つには朝鮮半島での状況に関係があるといわれます。朝鮮半島では日本と良好な関係だった百済が唐と新羅の連合軍に攻撃を受け、その救援のため、兵を集めに、この近くにいたと思われる海人族の安曇族に助けをもとめにやってきたという説があります。
ここには有富という地区があります。ここの区長さんの話では、ここでは、昔はありとみといわず、あずみといっていたといいます。
その証拠となるようなものが近くの神社、若宮神社に古くから伝わるカッパ風の人形が保存してありました。
木彫りの人形で大きさは20センチくらい。男性像と女性像があり、女性像は着物を着た像です。注目されるのは男性像です。
男性像は上半身裸で、髪の毛は長髪のザンバラ髪で、顔の表情は大きな目をかっと開き恐ろしい顔をしております。
人形は全部で20体あり、この内、男性像が14体あります。
区長さんの話では、この男性像は魏志倭人伝にでてくるジサイではないかということです。
船が安全に航海できるように船に乗せられ、安全に航海できたときは褒美ももらい、危険な目にあうと、海に沈められたというのがジサイ。
昔、この近くには安曇族がいたんでしょうか。ここにはそんな人形が伝わっているのです。
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