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古代より日本の文化の中心的な役割を担っていた福岡。その福岡の歴史と文化を掘り下げて伝えていきます。※RKBラジオで毎週日曜21時30分から放送(毎年10月~3月)出演:坂田周大(RKBアナウンサー) 中島理恵(リポーター)番組ホームページ https://rkb.jp/radio/kodai/https://listen.style/p/kodai?IfTqat2t... more
FAQs about 古代の福岡を歩く:How many episodes does 古代の福岡を歩く have?The podcast currently has 288 episodes available.
October 09, 2021S7 2回目はみやま市の梅野家歴史資料館からご自分の敷地の中に神籠石の水門があって、さらに敷地の中の古墳から出土したものを展示する梅野家歴史資料館を紹介していきます。ご主人の梅野泰生さんの御案内で紹介していただいた一番の目玉は、大きな勾玉でした。瑪瑙でできた少し茶色がかった勾玉です。梅野さんが子供の頃一人で古墳の中に入りみつけたものだそうです。現在は他のガラス玉と共に首飾りにして飾ってありました。あとは金の指輪が10個程と馬具の飾りの雲珠などもありました。そして、梅野さんの父親の茂芳さんが村長だったとき、歌人の柳原白蓮さんが訪ねて来られた際、地元を案内し、そのお礼にと、もらった掛け軸が飾ってありました。掛け軸には「永劫のすがたとみれば なつかしや そのいにしへの月天にあり」というご自分で詠み書いた掛け軸がありました。番組後半は近くの蜘蛛塚を案内。※写真は勾玉です。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
October 02, 2021S7 1回目はみやま市の女山から歩きます。みやま市の女山(ぞやま)ほど謎に満ちた山はありせん。シーズン7の始まりはこの女山の謎解きから始めます。女山はその名の如くかつて強い権限をもった女王みたいな人物がこの周辺を治めていたといわれます。山の頂上付近に約3キロにわたって神籠石の列石があたかも首飾りをつけたように配置されていました。今も頂上の展望台の近くにそのなごりを見ることができます。山の下の方には産女谷水門、源吾谷水門、横尾谷水門、長谷水門の4つの水門がとりつけられていますが、現在まで形が残っているのが横尾谷水門と長谷水門の二つです。横尾谷水門はうっそうとした竹林がつづく山裾にあります。一方、長谷水門は梅野家歴史資料館のすぐ近くにあって、二つとも勢いよく水が流れていました。神籠石は未だにどういう目的で作られたかはっきりしない列石です。シーズン7はこの女山近辺から歩きます。※写真は長谷水門 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
March 27, 2021S6 26回目はみやま市の七支刀をもった人形についてみやま市の祠の中の人形がもっている七支刀は奈良県天理市の石上神宮で明治になって発見された鉄剣と全く同じ形をしています。こちらの七支刀をもった人形は、土地の人の話では明治以前からあったらしい、というのです。本物より前に人形が何故同じ形の鉄剣もっていたのか。不思議です。この謎はこれから解いていきますが、その前に本物の石上神宮の七支刀について河村哲夫さんに伺いました。本物は、全長74.8センチで6本の枝刃をもった特異な形をした鉄剣です。そして、剣身に金象嵌の銘文が60余字記されています。この文字から、河村さんは百済の王子らしき人物から日本の王に贈られたと書いてあるといいます。369年に百済でつくり、3年後に日本に渡したとあるそうです、受け取った日本側の王は誰かははっきりしませんが、河村さんの話しでは垂仁天皇か景行天皇では、ということでした。この鉄剣は物部氏が管理していました。そして、みやま市の人形のある祠のある場所は実は物部氏がかなりいたといわれます。そんなところから、謎が解けそうにも思えます。この人形の謎についてはシーズン7でも迫っていきます。 ※写真はみやま市の祠の中の七支刀を持った人形 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
March 20, 2021S6 25回目は河村哲夫さんの神功皇后の足跡です今週は「神功皇后の謎を解く」の著者、河村哲夫さんの神功皇后の足跡です。神功皇后一行は糸島から那珂川方面へぬけて香椎宮をめざします。この時、神功皇后は那珂川に神田を作り、水路を残しています。これを裂田の溝~(さくたのうなで)といいます。この時、神功皇后を困らせたのは水路の途中にあった大岩です。これによって水路工事は難航しますが、これを武内宿禰が神に祈ると雷が起こり岩を砕いた、という伝承が地元に残っています。この水路は現在も那珂川市に残っていて現在も田畑をうるおしています。このことは日本書紀に「神功皇后、とどろきの岡におよんで大岩が塞がっており、皇后武内宿禰を召して、剣と鏡を捧げて神祇に祈りをさせられ、溝を通すことを求められた。その時、雷が激しくなり、その岩を踏み砕いて水を通じさせた」とういう記述があり、真に、ここは伝承と日本書紀の記述が一致する場所になっています。※写真は裂田の溝です。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
March 13, 2021S6 24回目も神功皇后の足跡をたどります。神社から神功皇后の足跡をたどります。今週は飯塚市の綱分八幡宮から。綱分は文字通り綱を分けるからきているということです。つまり、神功皇后がエンジュの木に綱をかけてそれを手でしっかり握って出産しますが、その綱をここで奉納したところから綱分八幡宮という名前がついたそうです。この神社の裏に金石山という山があって武器などを作っていたそうです。神功皇后はここで宝剣を作らせますが、それが後の時代にカメに入った剣がでてくるという出来事があり、それが神功皇后が造らせた剣かどうかわかりませんが、住民はご神体として祀ったそうです。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
March 06, 2021S6 23回目は神社から神功皇后の足跡をたずねます。神功皇后は12月14日に宇美八幡宮で出産します。この出産するときに警備の兵が8本の白い旗を産屋の周りに立てます。8本の旗、八幡(やはた)~八幡(はちまん)という言葉はここから起こったということでした。忠実な部下、安曇の磯良は弓をならして邪気を払ったといわれます。神功皇后は無事に応神天皇を出産しますが、産後の肥立ちが悪く占いで温泉へ行くように指示されます。そこで武内宿禰が連れていったのが武雄温泉。ここには武内宿禰の父母が住んでいましたし、武内宿禰の住まいもあったそうです。ここで神功皇后は湯治に入り、元気を回復していったということでした。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
February 27, 2021S6 22回目も太宰府の伝説探し歩きです。太宰府の伝説探し歩きはいよいよ最終回になりました。最終回は西鉄太宰府駅で降りて参道から1本右へ入った通り、国博通りを歩きます。国博通りというのは国立博物館へ通じる道路で、突き当たりの小高い丘の上に国立博物館があります。その少し手前にあるのが光明寺。そのまた手前には小さな小川、藍染川が流れ、梅坪侍従蘇生の碑があります。一度藍染川に飛び込んで自殺をはかりますが、後に助かった梅坪の碑とその奥には伝衣塔があります。ここにも道真公の物語があります。この二つがその先にある光明寺と密接な関係があり、紅葉の頃、美しい庭で有名な光明寺を訪れる時はこういった物語を頭に入れておくと趣も深いものになります。※写真は梅坪侍従蘇生の碑 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
February 20, 2021S6 21回目も太宰府の伝説探し歩きです。五条の交差点から西鉄太宰府駅に向かって左にはいりますと、菅原道真と大変深いつながりのある1メートル程のしめ縄を張った大きな石があります。これが道真の亡骸を乗せた牛車を引っ張ってきて、現在天満宮のある場所まできて亡骸を降ろし、引き返す途中に亡くなった牛の塚です。そこで、牛を哀れんだ人々が牛を葬り、建てたのが神牛塚です。さらに、この近くには朝日地蔵があります。ここには、かつて横岳崇福寺という寺を建てたお坊さんが、あるとき鬼すべの行事の鬼に引っ張り出されてしまいます。これに辱めを受けたと思ったお坊さんは穴を掘ってその中にこもってしまいますが、、終には命を落としてしまう、という話が残っていました。※写真は神牛塚です。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
February 13, 2021S6 20回目は太宰府の伝説探しへ太宰府の伝説探し歩きでは水城の東門をスタート、都府楼跡、観世音寺を通って五条の入り口までやってきました。ここから太宰府天満宮へというところ、御笠川の橋のたもとにある三浦の碑まできました。ここに立つと、すぐ近くに構口(かまえぐち)がありました。そこから五条の交差点近くにいきますと、信号機のすぐ横に小さな林がありました。その中に祠がひとつ。その側に金掛の梅といわれる梅の木が一本あります。ここあった古川家は、かつて、米が不作で人々が飢えで死んで言ったとき自分の全財産をなげうって人々を助けますが、この為自分の家が傾いていってしまいます。そんな時、夢に白髪の老人が現れ、黄金の入った袋を梅の木に架けていきます。この黄金で古川家の窮地は救われたという話が残っているそうです。※写真は金掛天満宮 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
February 06, 2021S6 19回目は神功皇后の足跡です。「神功皇后の謎を解く」の著者、河村哲夫さんの足跡の2回目です。河村さんの話では神功皇后の軍勢はおよそ1万人くらいだっただろう、という話です。今回はその軍勢で香椎宮から羽白熊鷲の討伐に出発するところから。羽白熊鷲は朝倉方面の山岳系の狩猟に携わる人達の集団。一行は香椎から太宰府方面へ、さらに朝倉の中津屋へ。ここに本陣を張ります。近くの砥上岳には神功皇后関連のたくさんの名前が残っています。砥上岳に上って付近の地形を調査したもので思われます。そして、羽白熊鷲を追いつめ秋月の方へ向かっていきます。羽白熊鷲は最終的には嘉穂郡の大熊で討伐されたといわれます。熊鷲の墓は現在は甘木市の水の文化村にあります。この後、一行は宝満川を下って筑後川へ。さらに、有明海から矢部川を上り、山門の田油津姫を討伐。そして、今度は佐賀市へぬけ、嘉瀬川を経由して糸島方面へ行くのです。ここで、注目されるのは一行の足跡。不思議なことに邪馬台国山門説のルートである宝満川~筑後川~矢部川そして山門への道が重なるのです。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
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