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前回のエピソードには、Jyotismatii という言葉が出てきました。魂の内なる輝きを知覚し、同調するとき、心には、悲しみも憂いもなく、白い光に包まれた、至福の静けさがある。
アハンカーラを純粋に保つためには、私が見ている私の姿、アイデンティ、パーソナリティ、セルフイメージなどと呼ばれているものから「離れる」ことが求められます。きょうご紹介するスートラは、その具体的なヒントを示してくれる一節。パタンジャリのヨーガスートラ、1.37を音読するところから始めましょう。
1. 37. Vītarāgaviṣayaṃ vā cittam.
または、感覚対象への愛着を超越したとき(チッタに静寂がもたらされる)
Vīta -から離れた・解放された状態
続きは、音声でお楽しみください☺︎
パタンジャリのヨーガスートラ
viśokā : 悲しみ、後悔、絶望に苛まれていないこと。vi なになにから離れた、śokā 憂い、悲しみ。
あるいは、悲しみから離れた、心の輝きによって(チッタに静寂がもたらされる)
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ヨーガスートラの2章では、プラーナーヤーマ、呼吸に代表されるプラーナの拡張によっても、心を覆うヴェールが剥がされ、光が溢れると言われます。
繰り返しになりますが、ヨーガスートラで定義されるチッタ(マインド)の領域は、「マナス」(思考器官)、「ブッディ」(識別知)、「アハンカーラ」(自我意識)の3部構成。アハンカーラとは、 「私」が「私」として同一視している「私」のこと。Aham “I am” をKara “making”つくるもの。私の心が捉えている私の姿で、私のパーソナリティ、アイデンティティを指します。
ヨーガが教えてくれるのは「私」は私の姿を見誤ってしまうことがある、ということですが、「私」は常に私の姿を見誤ってしまうとは限りません。このスートラで、私が同一視するのは、心を満たす白い光。私が私を信頼できるこの時、アハンカーラがサットヴァの状態にあることができます。
ヨーガで私たちがしようとしていること、それは、「私」を学ぶこと。スヴァディヤーヤです。スヴァ自己を、ディヤーヤを学ぶこと。“Who am I”を 学ぶことです。jyotiṣmatī心の輝きは、「私」が完全に「私の魂」と共に在るという体験がもたらす穏やかな状態。
次回のエピソードでは、viśokā 悲しみから離れること、について第1章37節を通して、もう少し具体的に見ていきましょう。
Yoga Sutra of Patanjali 1.33 | Cittaprasādana 耕されたこころ
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スートラ
sukhaduḥkhapuṇyāpuṇyaviṣayāṇāṃ
bhāvanātaścittaprasādanam.
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言葉
maitrī やさしさ
sukha 楽しみ
viṣayāṇāṃ 対象 visaya 1.11参照
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発音のヒント
スカドゥッカ 苦楽
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穏やかな心、つまり瞑想にふさわしいマインドは、どのよう養うことができるのか、これがこのスートラのテーマです。続きは音声でどうぞ。
パタンジャリのヨーガスートラ第1章の30節と33節は、とても有名なスートラです。
30節で定義されるアンタラーヤー(妨げ)は、ちょっとしたきっかけから雪だるま式にはまっていくような悪循環、内的な負のサイクルでしたが、マイトリーカルナーで始まる33節では、内なる知性を生かしながら、どのように外の世界と関わっていけるのかが具体的に指南されます。その前に今一度、修練のあり方について言われるのがこの32節です。
32. Tatpratiṣedhārthamekatattvābhyāsaḥ.
Tat これらの妨げ(アンタラーヤー)
6つの単語からなるスートラです。発音については、エピソードでご確認ください。
ひとつの真実を修練することで、それらを回避できます、つまり心の妨げとなるアンタラーヤーとその症状は、ひとつの真実に至るために修練することで回避できる。その修練とは繰り返し「オーム」を唱えることかもしれませんし、それぞれのやり方でイーシュヴァラ・プラニターナを実践することかもしれません。
どのようなやり方であったとしても、心をひとところに定め専念することで、自分自身に対する疑心暗鬼は消え去っていく。そして、次のスートラが提案するように、外の世界を健全に捉えることを可能にしていきます。
パタンジャリのヨーガスートラが今から2000年以上前に編纂されたヨーガの経典であることは、既にお伝えした通りですが、第1章の31節はその中でも「呼吸」について触れられる最初のスートラ。
呼吸について述べられるスートラではありませんが、呼吸の出入り、svasa, prasvasaが 生命を維持する流れ「プラーナ」と密接に関係し、心身に直接的な影響を与える、そんなヨーガの精神世界を浮き彫りにする一節です。
31. Duḥkhadaurmanasyāṅgamejayatvaśvāsapraśvāsā vikṣepasahabhuvaḥ.
duḥkha : ドゥッカ 苦しみ、悩み、悲しみ
daurmanasya : ダウルマナスィャ 失望感、落ち込み
aṅgamejayatva : アンガメージャヤットヴァ 落ち着きのない身体
śvāsa シュヴァーサ 吸息 praśvāsā (praśvāsāḥ) プラシュヴァーサー吐息 呼吸の乱れ
vikṣepa : ヴィクシェーパー 妨げ
sahabhuvaḥ : サハブヴァハ (チッタヴィクシェパー)のよくある症状として現れる
1.30. Vyādhistyānasaṃśayapramādālasyāviratibhrāntidarśanālabdhabhūmikatvānavasthitatvāni cittavikṣepāste'ntarāyāḥ.
Vyādhi:ビャーディ 病
Styāna:スティヤーナ 活力のなさ・鈍化した状態
saṃśaya:サンシャヤ 疑い・躊躇
pramāda:プラマーダ 散漫な意識
ālasya:アーラッスィヤ 怠惰
avirati:アヴィラティ 不摂生
・不健全とわかっていて辞められないようなこと。主に性欲や五感を満たすことへの執着
bhrāntidarśana:ブラーンティ・ダルシャナ 間違った物の見方、困惑した状態
alabdhabhūmikatva:アラブダブーミカットヴァ 自信が持てず 地に足が着かない
anavasthitatvāni:アナヴァスティタットヴァーニ 不安定さ abhyasaの実践が継続できない状態
cittavikṣepāḥ:チッタヴィクシェーパー(ハ)心を散漫にさせるもの
te:テー それらが
antarāyāḥ:アンタラーヤー(ハ) 障害物
このスートラにリストされるアンタラーヤーは「ヨーガの道を妨げる9つの障害」などと呼ばれますが、生きていれば思い当たる節があることばかりではないでしょうか。
苦悩の原因から派生し、互いが作用しあい連鎖的に心身を蝕むような性質を持っています。一つ一つを「悪しきもの」と考える代わりに、例えば つくべきではなかった「嘘」のように、いつのまにか自分自身を束縛し 身動きをとれなくするような悪循環と想像すると捉えやすいかもしれません。
ジャパ瞑想は 全身で聴くプラクティス。
どんな瞑想も「耳を傾けよう、感じよう、体現しよう」という柔らかな心の態度を必要とします。それは「やろう、こなそう、達成しよう」という態度とは正反対のもの。
たとえば、自分を批判しながら繊細な音を唱えることはできません。心の中で誰かに文句を言いながら、丁寧に文字を書くこともできません。行っていることすべてに感情を結びつけたり 外側にある知識で処理しようとする限り、巡りゆくものを体現することはできないのです。
Tataḥ : それによって
Pratyak : 内向きの、逆方向の
Cetanā : 意識、理解、知覚、智慧
adhigamo (adhigamaḥ) : 得ることができる
api : また
antarāya : 妨げ、介入
abhāvaś (abhāvaḥ) : 〜がなくなる
ca : そして
ジャパによって内なる知性が目覚め、智慧を遠ざけるものが消えていく そのような意味を持つスートラです。
Podcastでは 第1章23節から29節までを詠んでいます。
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